不正のトライアングル

米国の組織犯罪研究者ドナルド・R・クレッシーが体系化した「不正のトライアングル」という考え方がある。横領などの不正が起こるとき、人はいかにしてその誘惑に負けていくのかを調べたクレッシーは不正のリスクを3つの状況に分類した。簡潔に挙げると次のようになる。

不正のトライアングル
・動機
・状況
・正当化

である。これら3つが揃わないと基本的に不正は起こらない、という考え方だ。まず、「動機」にあたる部分は、まさにその通りで私腹を肥やしたい、自分のミスを穴埋めしたい、そういった不正を犯すに至る最初の目的が必要となる。何も目的がないのになんとなくで不正に手を染める人はほとんどいないのだ。

つぎに「状況」である。横領などの不正の場合、強盗や窃盗などと違い、あまりに強引な手法は取られることがない。まるで強奪するように横領していく人はほとんどおらず、基本的に横領が可能であった状況がそこにあることが多い。

通帳や帳簿、現金を一人で管理していた、チェック体制はあったが機能していないかった、そういった状況があり、当人が不正が可能であると気が付いた時に不正が起こる。不正ができないようなシステムで、なおかつチェック体制もバリバリに機能しているのに、横取り四拾萬円のように強引に略奪する人はほとんどいないのである。

そして最後の「正当化」である。この部分が実に人間らしくて興味深いと僕は思う。実のところ、この行為は悪であると完全に認識して不正を働く人はほとんどいない、ということだ。「こんなに働いているのに給料が安いのだから少しくらいもらってもいいはずだ」「後で返せば問題ない」「こうしないと生きていけないのだから仕方がない」そういった正当化が自分の中に起こり、不正を働くわけだ。

もちろん、この「正当化」は冷静に考えなくとも正当でもなんでもなくて、むしろ不当なのだけど、そうやって正当だと思い込むことで最後に踏み越えるきっかけになっているのである。

こういった横領などにおける不正のトライアングル、最初にこれをある著書で読んだときに、実はこれは不正だけでなくウンコ漏らしにも適用できるのではないか、そう思った。分かりやすく記述すると以下のような状況だ。

「動機」
その日は、胃がん検診であった。市の施設で無料の胃がん検診を受けることになっていたが、その施設までは比較的遠く、バスで行くことを余儀なくされた。

到着すると、なかなか高圧的な係員の人に誘われてX線検査を行った。それに先立ち、バリウムを飲むことになっていたのだけど、同時に発泡剤という胃を膨らませるための薬も飲まされる。これがすごくて、飲んだ瞬間にわっと胃の中が気体で満たされるのが分かり、すごいゲップしたくなる。

「そのままゲップせずにいてください」

「はいわかりましゲプアアアアアアアアアアアアアア」

「もう一杯だね」

こんなコントみたいなことを繰り返し、胃がん検診は終わった。終わると下剤が渡される。造影剤として飲んだバリウムは体内で固まると大変なことになってしまうので早めに出す必要がある。そのために下剤を飲みなさいということだ。つまり、胃がん検診後の下剤の投与、これが「動機」として存在していた。

「状況」
この下剤はすぐに効いてくるものと思われたが、実際には数時間のタイムラグがあった。ここで大きな誤算だったのだが、胃がん検診の5時間後にバスに乗って少し遠い町まで行く用事があった。検診後に下剤を飲むことは知っていたが、さすがに5時間後なら、もう全部出し切っているだろうという甘い考えの僕がいた。

バスに乗る時間が刻一刻と近づいてくる。けれども一向に下剤が効いてこない。まずい。これは本当にまずい。爆弾を抱えたまま火の中に飛び込んでいくようなものだ。頼む、下剤効いてくれ!祈るような気持だったが、安全な状況で下剤が働くことはなかった。

そして、ついにバス乗車時間となる。

思ったより下剤が効くのが遅く、不安を残した状態でバスへと乗車。もちろん路線バスなのでトイレは兼ね備えていない。そういったウンコを漏らすべき「状況」が存在した。

「正当化」
案の定、バスに乗った瞬間に下剤が効きだした。普通の腹痛ならまだ断固たる意志というやつで抑えることもできるが、薬剤による化学の力は意志どうこう、肛門の筋肉とかそういった問題ではない。誰かが「次とまります」のボタンを押した空気の振動だけで漏れてしまいそうだ。

絶対に漏らしてはいけない、人として漏らしてはいけない。いざとなればバスを降りて近くにコンビニがあれば駆け込む、なければ申し訳ないが民家で借りる、それすらないなら人がいないということだろう、あまりよくないが竹やぶにでも入って、そんな考えが生まれる。ただここまで漏らさないことを前提とした考え方だ。その次の段階は漏らすことを前提とした考えに代わる。

こっそりと漏れたとして誰が気づくであろうか。ブーとかピーとか音がするならまだしも、まるで京都の朝のように静かに漏らして気づく人がいるだおるか。いいや、いない。ちょっとウンコ臭いかなって思う人もいるだろうが、畑とかあるし、肥し的な匂いだと思うはずだ。そう、漏らしたってばれるはずがない。漏らすことを前提とした「正当化」が始まる。

そもそも、下剤を飲んだのだから仕方がない。誰が我慢できようか。下剤を飲んだら出る当たり前のことだ。それを責められるいわれはない。むしろ褒められるべきだ。下剤を飲んだら漏れたね、やったね、くらいあの女子高生が言ってくれてもいい。とんでもない「正当化」が始まる。

そして正当化はいよいよ究極の領域に達する。

みんなだって、バリウム飲んだ後の白いウンコ見たいんじゃないか。少なくとも僕は興味ある。人は動物などでも極端に白いものをアルビノだとか言って珍しがる傾向にある。白ヘビなんて神として祀られることだってある。つまり白ヘビも白ウンコもそうたいした違いはない。アルビノの白ウンコを神として崇め奉るべきではないか?みんな見たいはずだ。俺は見たい!みせてやるよ、神ってやつをな!天孫降臨!ベルベルバー!

こうして、不正のトライアングルと同じく、ウンコ漏らしのトライアングルが完成するのである。誰も漏らしたくて漏らすわけではない、最後にはかならず「正当化」がちょん、と後押しをしてくれるのである。ただし、不正は後押しで良いが、ウンコ漏らしの場合は後ろから尻を押されるとけっこう手助けになってしまうので、後引きとか後吸いとか、漏らす方向への助力として表現する必要がある。

 

サマータイムマシーンブルース

もしタイムマシンが存在したとしたら皆さんはどんな使い方をするだろうか。恐竜を見てみたいと思うかもしれない。歴史的大事件の現場を見てみたいと思うかもしれない。もしかしたら過去を改変して現代の自分に都合の良いように、なんて考える人もいるかもしれない。

例えば僕なんかは、ネットで罵声を浴びせられるときに「pato死ね」「pato shine」「pato生まれてくるな」「タイムマシンに乗ってお前の両親が恋に落ちるのを食い止めてこい」、ですからね、こういうタイムマシンの使い方もあるんだなと唸ったものです。

時間とは概念です。そもそも普遍的に存在するものではないので、時間旅行など存在しない、という考え方もあります。ただ、人間が想像できるSFはいつか必ず実現可能である、という考え方もあります。いつかそれらが実現してしまった時、人類は次なるステージへと行くのかもしれません。

ただ、仰々しいタイムマシンなど開発しなくとも、人々は昔のことを思い出せるし、未来への希望を見出すことができる。単純に時間を超えるというだけなら、人間の記憶と想像力はもうそれを達成している。もしかしたら、システムとしてのタイムマシンなどもう必要もないのかもしれない。

僕が20歳になった時だった。

僕の実家に一通の手紙が届いたと母親から連絡があった。差出人の名前を聞くと、どこかで聞いたことがあるような、なんだか懐かしい名前だった。妙に気になるが思い出せない。過去に出会った人々の名前を必死に探る作業はタイムマシンそのものだった。

とりあえず、届いた手紙は僕のところに転送するよう頼み、届くまでの数日間、必死に頭の中で時間旅行を行った。そして、タイムトンネルが頭の中で繋がったのだ。

「小学校の時の担任の先生だ」

小学校の時の先生の名前なんてそんなに覚えていないが、この先生はとにかく厳しい先生だったのでよく覚えていた。厳しく恐ろしいながらもどこか優しさがある、そんな先生だった。

芋づる式に様々な記憶が蘇る。確か先生はこんなことを言っていた。

「皆さんは6年生になったらタイムカプセルを校庭に埋めます。でもあれは掘るときに全員いなかったりするんだよね。だから、いま、20歳の自分に手紙を書いてください。先生が責任をもって20歳になった君たちに手紙を送りますから」

確か、そんなことを言って、20歳の自分に向けて手紙を書かされたと思う。だんだん思い出してきた。おそらく、今回来た手紙もその20歳の自分に向けた手紙に違いない。すごいな、先生、僕だったらこんな何年も前の手紙を自腹で送る気概はないし、そもそも1年くらいで預かった手紙を紛失してしまう。それでも覚えてるやついないしまいっか、ってなってしまうのが目に浮かぶ。先生の律義さに感動を覚えながら、手紙が転送されてくるのを待った。

数日して、転送されてきた手紙を見ると、やはり予想通りそれは小学校の担任からで、元気でいますかという一通りの挨拶の便箋と、なんだか折りたたまれた小汚い紙が入っていた。

あの時の自分が20歳になった自分に送った手紙だろう、なんだかそれは時空を超えてきたタイムマシンのように思えてきた。この紙の中にはあの日、幼かった日に自分がいる。一体どんなことを考えて、どんな気持ちで20歳の自分にメッセージを送ったのだろうか。なんだか怖い気もした。

ゆっくりと開くと、子供らしい、それでも丁寧に書いたであろう鉛筆の文字が目に入った。

「こんにちは」

子供らしい大きな字で書かれていた。

「そちらの日本はどうですか?」

未来の世界に思いを馳せているのだろう。

「楽しいですか?」

無垢な問いかけに少し自分を振り返った。楽しいといえば楽しい。

「ゲームはありますか?ファミコンは持ってますか?」

ファミコンどころの騒ぎじゃない。すごいゲームが沢山出てる。まずもうちょっとしたらスーパーファミコンってやつが出るぞ、そう教えてあげたかった。

「夢は叶いましたか?」

夢は叶ったのだろうか。そもそも何が夢だったのか。今僕は、この手紙を書いた自分がガッカリしないような未来を生きていられるだろうか。タイムマシンからの問いかけは僕の心のデリケートな部分を締め付けるようだった。

「人に迷惑をかけていませんか?」

かけていないと言えば嘘になる。

「悪い時は謝れますか?」

素直に謝れるかといえばそれも難しい。

「欲張っていませんか?」

おいおい、すげえな、子供時代の俺。なんかすごい人の道みたいなものを説いてくる。こんな立派な子供だったか、だったらすごい申し訳ないことをした。もしこの子が今の自分を見たら随分失望するんじゃないか。大学をサボって毎日サンダーVのモーニングを取りに行くだけの自分を見て、ひどく失望するんじゃ、そう思った。

「毎日笑っていますか?」

思えば、本当に笑っていないような気がする。あの時の自分は未来の自分が毎日笑顔でいて、夢を叶えていて、充実した毎日を過ごしていると予想していたのだろうか。それにしても、すげえ立派な子供だな。まるで僕じゃないみたいだ。これこそがタイムマシーンじゃないか。

あまりの出来の良い子供っぷりに、本当にこれ、俺が書いたのか、と疑いつつ、少し目に涙を溜めながら、最後に書かれた名前を読んだ。

「横田大輔」

おれじゃねー!これ、俺のじゃねー!

この涙をどうしてくれるんだと思いつつ、すぐに手紙に書かれていた電話番号に連絡すると、担任へとつながった。どうやら僕と横田君の手紙を入れ間違えてしまったようで、横田君からも連絡がきたとか言っていた。色々と紆余曲折があり、なんか今僕が住んでいる場所と横田君が住んでいる場所はそこまで遠くないらしく、それならまあ、会って交換しましょう、ということになった。

それから数日して、自宅から4駅くらい離れたターミナル駅で横田君に会った。横田君はすごく爽やかないわゆるリアルが充実しているっぽい大学生になっていて、すげえ爽やかに笑っていた。絶対にサンダーVのモーニングとか取りにいかなさそうな真っ当な人生を送っているっぽかった。

「悪いな、こっちまで来てもらって、いろいろ忙しくてさ」

横田君はゼミにサークルに、そして恋人とバイトに忙しそうだった。ただ、毎日が充実していてすごい楽しそうだった。よかったな、子供の時の横田君、彼は毎日笑っているようだぞ、そう思った。

しばらく現状報告をし、手紙を交換した。

「すげえいいこと書いてあるぞ」

そう言って横田君に手紙を渡すと

「お前のもすごいぞ」

横田君はそう言った。少しだけ胸が躍った。

帰りの電車の中でボックスシートに座り、正真正銘、本当に自分が未来の僕に充てて書いた手紙を読んだ。横田君曰くすごい手紙らしい。きっと、未来への自分に向けて比較的立派なことが書いてあるのだろう。なんだかんだいって、僕だってそういう輝かしい未来を夢見たはずだった。横田君ほどではないにしろ、きっと、胸がキュンとなるような、そういう内容が書かれているに違いない。過去の思い出と未来への希望、これは本当にタイムマシーンなのだ。

感動して涙を流してしまっても大丈夫なよう、周りに乗客が少なくなったのを見計らってタイムマシーンを開けた。そして泣いた。

「ちんこ、むけましたか?」

その一行だけだった。その一行だけだった。

やはり一刻も早く、タイムマシーンが開発されるべきで、そうなったらいの一番に僕の両親が恋に落ちるのを食い止めに行くべきなのである。

 

青春18キップとムーンライトながらを使うと4030円で東京から八代までいけるらしい

外は雨が降っていた。7月22日金曜日、午後10時。世間は昼間に発表されたポケモンGOに沸いており、ここ東京駅でもスマホ片手に歩いている人が散見された。

 

東京駅(東京都)22:52

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なぜこんな週末、花金の夜中に東京駅にいるのかというと、事情を話すととても話が長くなってしまうのだが順を追って説明していきたい。僕は前回6月にこのような記事を書いた。話はそこまで遡る。

期間限定で使える青春18キップというものを使えば東京から九州は福岡の小倉まで行けてしまう、という地獄のような記事だ。これは前々から言われていたことで、時刻表を読めば可能なことはすぐに分かる。けれども、実際にやってみたらどうなるだろうか、という想いから2年前に実施したものだった。

ただ、この記事を上げる際に、一つだけ懸念事項があった。それが「ムーンライトながら」の存在である。

ムーンライトながらとは、青春18キップの利用期間に特別運行される東京ー大垣(岐阜県)を走る夜行快速列車だ。普通こういったエクストラな列車は特急券が必要だったり青春18キップでは利用できなかったりするのだが、このムーンライトながらは520円の指定席券さえ買えば青春18キップでも乗れてしまうことから18キッパーの間で親しまれている。

前回の記事は東京駅4:55の始発から出発してどこまでいけるかということだったが、このムーンライトながらを用いれば夜のうちにかなりの距離を稼ぐことができる。僕が前回の記事をアップする前に抱いていた懸念はまさにそこで、この始発から開始した記事をアップすれば、ながらの存在を知っている剛の者からツッコミが入るであろうと予想されることだった。「ながらを使えばもっと先までいけますよ」と。

実際にアップロードを敢行すると、出るわ出るわ、「ながら」の雨嵐。抜粋させていただくと。

 

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完全に「ながら」に親族を殺されたレベルでツッコミを受けたわけなのです。

僕も「ながら」に乗ればもっと遠くまで行けることは分かっていたのですが、「ながら」は指定席券であること、さらに剛の18キッパーにはそこそこ人気があり、週末などは満席になることなどを考えると、そこまで気軽に使える代物でもなかったのです。

しかしながら、このままではまあ遺恨というか、すっきりしないものが胸の中に残るのも事実。このまま僕が年老いて死んでいく時に、僕のベッドを取り囲んでいる孫とかに「おじいちゃんはなんで「ながら」使わなかったの?小倉より先に行けたのに」と言われたら死んでも死に切れません。ということで、「ながら」の指定席券を取得し、やってまいりました。どこまでいけるか。

 

青春18キップとムーンライトながらを使うと4030円で東京から八代までいけるらしい

 

東京駅(東京都)22:52 (前回の到達タイム4:55)

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この日は夏の青春18キップ期間に運行されるムーンライトながらの運行初日であった。週末でもあり、指定席券争奪は熾烈を極めたが、なんとかゲットすることができた。

ムーンライトながらは東京駅から運航している。その出発時間は23:10分だ。まだ余裕があるこの時間になぜ東京駅にいるかというと、実は東京駅から「ながら」に乗るより安くなる方法があるからだ。

これは青春18キップの規定によるところ原因なのだが、青春18キップは「1日間普通列車乗り放題」のものだと解釈してもらって良い。ただ、こういった0時をまたぐ列車の場合、ちょっと事情が複雑になる。0時前と0時後は別の日という考え方から2枚の青春18キップが必要となってしまう。それを避けるため、0時になるまでは普通に乗車券を買い、0時から青春18キップを発動させる手法をとる人が多い。その場合、ながらは0時を超える停車駅が小田原駅なので、小田原までの乗車券が別途1490円必要となる。

ただし、ここで魔の時間差トリックを利用し、22:52東京駅発熱海行きの普通列車に乗っても小田原駅に0:31に停車するムーンライトながらに間に合う。さらにこの普通列車は大磯に0:00に到着するのでそこから青春18キップ発動となる。つまり乗車券は大磯までの1140円で抑えられる。

なにもこんなことしなくても、普通に東京駅からムーンライトながら乗り込みたいのだけど、剛の者が許さないと思うので一番安くなる手法を採用した。熱海行きの列車に飛び乗る。車内は週末ということもあり酔っぱらってるサラリーマンや、ポケモンGOに興じる若者などであふれていた。かなり混雑しているがたぶん、これから八代まで行こうとしているのは僕しかいないと思う。

 

小田原(神奈川県)00:18  (前回の到達タイムー6:21)

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ホームに到達すると、すでに「ながら」待ちと思わしき剛の者どもがホームで待ち構えていた。運行初日ということでカメラを構えている人も多かったように思う。中には「亡命?」と尋ねたくなるほどでかい荷物を持ったオッサンもいた。みんな「ながら」の到着を今や遅しと待ち構えている。

「ムーンライトながら、現在7分遅れで到着予定です」

ホームに遅れて到着というアナウンスが流れた。これは旅のしょっぱなから幸先が悪い。それでも今や遅しと待ち構えていると、そろそろ到着みたいなアナウンスが流れた。ついに「ながら」がやってくる。みんな「ながら」を待っていた。心なしかホームの皆が浮足立っているように思えた。

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「きたぞ、ながらだ!」

隣に立っていた剛の者ぽい人が叫んだ。ホームの奥の方にヘッドライトが見える。彼の服には「テニス」と英語で書かれていた。良く意味が分からないセンスだ。

「快速でありながら特急の車両を使うながらのヘッドライトは独特の185うんたらかんたらですぐわかるんだ」

テニスの独り言うんちくが続くが、やってきたヘッドライトは通過する貨物列車のものだった。テニスが少しはにかんだスマイルを見せていた。そしてそれに続いて大本命の本物の「ながら」が入線してくる。

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なにせ7分遅れで到着したものだからすぐにでも出発しそうな勢いだったので、撮影することはできなかった。上の画像は小田原駅ではなく別の駅で長い停車をした時に撮影したものである。「臨時快速」の表記が勇ましい。

さて、ついに念願のムーンライトながらに乗車した。ながらは全席指定席であるので座る席は決まっている。しかも満席状態なので二人掛けのシートには必ず誰かが座ることが予想される。どんな人が隣に来るか、僕はデブなので関取みたいな人が隣だときついなーとか考えていると、隣にはなんかそこそこの若者が座っていた。東京駅から乗っていた彼はもうすでにリラックスムードだ。

窓際に陣取る彼は何やら忙しそうだ。簡易テーブルを出してノートパソコンを広げ、窓際にももう一台小さいパソコン、手にはタブレット端末、スマホと携帯音楽プレイヤー、ありとあらゆる電子機器を広げてコックピットみたいになっていて、忙しそうにカチャカチャやっている。完全に電脳キッズだ。

何が彼をそこまで駆り立てるのかしらないけど、彼は福山雅治みたいなバズーカ風のカメラも持って降り、駅に停車するたびに降りて撮影をしていた。彼がホームに降りるたびにに通路側に座る僕は席を立たねばならなかった。それは別にいいのだけど、彼の駅に対する執着は相当なもので、なんと、通過する駅までカメラに収めようとするもんだから、スマホの地図を眺めていて通過駅が近づいてくると窓に向かってカメラを構え、一瞬だけ車窓に映る駅の風景をカメラに収めようとする。もちろん、結構な速度で通過するので上手に撮影できるわけではなく、そのたびに電脳キッズが舌打ちするのでなんか怖く、「今度の通過駅は上手に撮影でてきてほしい」と心の中で祈ることしかできなかった。

朝まで通過駅を撮影し、停車すれば飛び出して撮影、その合間はパソコンをカチャカチャたまにポケモンを捕まえる、と完全に電脳キッズの独壇場でムーンライトながらは漆黒の闇の中を駆け抜けていった。何度目かの停車の時に

「すいません何度も、僕邪魔ですか?」

と電脳キッズに聞かれたが、別に邪魔ではない、撮影したい気持ちはすごくよくわかるので

「全然邪魔じゃないよ」

と答えておいた。ただ、撮影に失敗した時の舌打ちは怖いのでやめて欲しいと思ったけど、素直に言えなかった。言えば良かった、でも面と向かって言えないよな、と後悔しつつ、「ごめんね素直じゃなくって夢の中なら言える」と心の中で唄っていた。思考回路ショート寸前である。ムーンライトながらは伝説を携えて進んでいくのである。

名古屋を過ぎたあたりから空が明るくなり、車窓からの景色を楽しめるようになる。あっという間に岐阜県、大垣に到着した。

 

5:53 大垣(岐阜県) (前回の到達タイム11:41)

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一気に岐阜県まで来てしまった。まるでこの世に静岡県など存在しなかったかのような飛ばしっぷりである。18キッパーの間で魔の地帯と恐れられる静岡、列車にトイレがないことがある魔物、熱海ー浜松間を飛ばせるメリットはかなり大きい。おまけにまだ朝の6時だ。

前回にも書いたが、ここ大垣駅では大垣ダッシュなるエクストリームスポーツが存在する。西を目指す人はここから米原行きに乗り換えるのが最も効率が良いが、米原行きは車両数が一気に減る。座席に座るために走るしかない。おまけに乗り換え時間も4分となかなかタイトなのでどうしても多くの人が殺到してしまう。結果、大垣ダッシュなるものができてしまう。

ムーンライトながらに乗っていた乗客のほぼ全てが隣のホームに殺到する。どの乗換でもそうなのだけど、基本的に路線がしょぼくなる乗換では急がないと席には座れない。ただ、僕はずっと記載しているの乗り換えでの駅名表示の看板を撮影するのでどうしても一歩遅れてしまう。なので座席争いには参加しない。危ないしね。デブだしね。結果、ほぼ全ての乗り換えでスタンディング状態となる。なので大垣ダッシュにも参加しなかった。

もちろん、米原行きは立ったままの状態となった。朝日が眩しくて少しクラクラした。

 

6:31 米原(滋賀県) (前回の到達タイム12:20)

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安全点検だったか何かで電車が遅れた。もともと乗り換え時間が2分程度しかないタイトな乗り換えだったが、さらに4分遅れて乗り換え時間は-2分だった。ただきちんと待ってくれているのであまり心配する必要はない。急いで駅名表示を撮影したので、他の駅より角度がきつい。

ここからは夢の乗り物、文明の利器「新快速」に乗車することになる。圧倒的速度で圧倒的本数、使いやすい電車としてはおそらく日本一ではないかと思う。新快速播州赤穂行きに乗り込んだ。京都も大阪も神戸も一気に通過するとんでもない列車だ。

生粋の18キッパーたちに加えて、一般の通勤通学の人たちも多く車内は混み合っていた。それでもどんどん進んでいくと乗客が減っていき、ボックス席に座ることができた。

京都駅に到達するととんでもない幸運が僕を襲った。同じボックス席に座っていたブラウン色のオッサンども3人が京都で降りたのと入れ替わりに若い娘3人が座った。3人ともおっぱいが大きかった。普通に考えて2×3=6、数にして実に6個のおっぱいである。ボックス席でこれだけおっぱいに囲まれるとは思わなかった。旅はしてみるものである。

さらにこの子たちは、電車内の冷房にご不満なのか、あつーとか言いながら薄着をさらに薄着にした。これドッキリなんじゃないだろうかと周りを見渡した。それぐらい不自然な展開だ。でもカメラっぽいものはなかった。これはよほど僕が前世に良いことをしたに違いない。たぶん猫とか助けたのだろう。途方もない魅惑の時間を過ごすこととなった。なんか推定Fカップが2つ、次にEカップ2つ、さらにEカップ2つ、つまり並べるとFFEEEEである。カラーコードで言うとこの色である。かなりかわいいピンクだ。乳首もこの色に違いない。そんなことを考えていると大阪駅に到着した。

6個のおっぱいは大阪駅で降りていった。この旅で最も楽しい区間であった。おっぱいに囲まれない旅など完全に意気消沈だ。なんで八代まで行かなければならないんだ、頭おかしいんじゃないか、と怒りすら覚えるが、それでも僕の旅は続く。

ここまでを読んで皆さんは不自然に思ったことがないだろうか。そう、トイレの話をしていない、ということだ。前回あれだけトイレトイレ言っていたのに、今回は一切書いていない。ここまで全ての列車にトイレはあったと思う。ただ、今回はあまりウンコをしたくならなかった。安心感があったからだ。ただ、おっぱいが下車した辺りから少しだけウンコしたい気持ちが沸いていた。

それでも安心だ。何度も車内放送でお手洗いは1号車と放送されている。いつだってトイレに行こうと思えば行ける。それはまさに大船に乗った気もちだった。もうこの表現は現代では大船なんてピンとこないから「新快速に乗った気もち」とかに変えるべきだと思った。ただ姫路を通過してから事情が大きく変わった。

「お手洗いは一号車ですが、現在、使用不能となっております」

それは死刑宣告に近かった。誰かが詰まらせたか壊したか、とにかくこの列車には現在使えるトイレがない。実は後ろの車両にもう一個トイレがあったのだけど、姫路からその車両は切り離されていた。急に突き放された形となり、僕の不安はマックスだった。世の中とは大抵がそうで、人は裏切るものである。そしてトイレも裏切るものである。

身悶えるような腹痛と戦い、なんとか人間としての尊厳を守りつつ、相生駅へと到着した。

 

9:33 相生駅(兵庫県) (前回の到達タイム15:22)

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ムーンライトながらの使用により、前回より6時間ほどタイムが先行していることとなる。かなり順調だ。

ここでは岡山行きの車両に乗り換えるのだが、かなり車両が少ない。おまけに18キッパーに加え、この日の夜に広島ZOOM-ZOOMスタジアムで開催される広島-阪神戦の観戦のためか、ユニフォームを着た人たちでかなり混み合っていた。もちろん席取り合戦に参加できない僕は立った状態になっている。

横に立っている少し年配の夫婦が気になった。実は18キッパーにこのパターンは多い。旦那が趣味として18キップの旅をしたくてしたくて仕方なく、その横に無理矢理連れてこられた奥さんっぽいひとが立っているというパターンは多い。旦那はウッキウキで時刻表を眺めているが、基本的に奥さんの目は死んでいて、高架上の新幹線ホームを眺めている。

この夫婦もそんな感じだったのだけど、一つだけ違うところがあった。旦那は「タイガーウッズ」と英語で書かれた意味不明な黒いシャツを着ていたのだけど、そのシャツの袖の辺りからチラチラと黄色と黒の塊が見えていた。ポケモン?と思ったが、よく目を凝らして見てみると、生きの良いハチであった。うお、ハチが肘についとる、そう思って眺めているといよいよ列車が出発するぞって雰囲気になってきた。

そこで対角に立っていた阪神タイガーズのユニフォームを着たマダムがタイガーウッズを指さして指摘する。奇しくもどちらも虎である。運命のいたずらというべきか。

 「ちょっと、蜂がついてるわよ!」

周囲が大騒ぎになった。タイガーウッズ旦那のほうもハリウッド版忠犬ハチ公の「HACHI」にでてくる発音で「ハーチー」って叫んだかと思うと全盛期の三沢のエルボーみたいに肘を突き出して右に左に揺さぶった。けれども、蜂は一向に離れない。

「ちょっと、ここで取っても迷惑でしょ、外で」

奥さんがそう言うので、まだ開いているドアに向かて駆けていくタイガーウッズ。列車の外で払おうとしたらしい。でも無情にも出発らしく、ドアは閉まった。行き場をなくしたタイガーウッズは肘を突き出した体勢で右へ左へ、それに合わせて周りの乗客も遠巻きに逃げる。それはまるでマイケルジャクソンのスリラーのようだった。テーレテーレ!ってずっと頭の中で流れていた。蜂はどっかとんでいった。マイケルジャクソンとタイガーウッズ、そしてバックダンサーの一行を乗せて列車は岡山へと向かっていった。

 

10時38分 岡山駅(岡山県)(前回は通過したため記録なし)

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そろそろお腹が空いてきた感じだったが、ここでも乗り換えはタイトであった。すぐさま糸崎行きに乗り換える。「糸崎」思い出すと頭がウッとなる駅名だが、すぐさま電車に乗り込んだ。乗客は多く、また立った状態だった。車内ではOL二人組が、婚活パーティーの話をしていたのでずっとそれを聞いていた。今度、男女で一緒にパンを作る婚活パーティーに参加するらしい。うまくいくといいね。

 

12:17 糸崎(広島県) (前回の到達タイム18:10)

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前回の記事で、ここで長い乗り換え時間があったが駅に何もなかったので食事できなかったと書いたらすごいお叱り受けたのであえて書きますけど、糸崎駅は駅前にセブンイレブンがあります!良い駅です!

今回は残念がら1分しか乗り換えがないタイトな状態だったので、糸崎駅に絶望することはなかった。12時18分の大野浦行きに乗り込んだ。

 

13:43 広島(広島県)(前回は通過したため記録なし)

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事前の下調べによると、ここまでかなりタイトな乗り換えを行ってきたが、実はもっと余裕をもっても最終結果は変わらないことは分かっていた。けれどもあえてタイトな乗り換えをしてきたのはここ広島駅でかなりの乗り換え時間を稼ぐためである。調査によると、次は14時42分の岩国行きまで余裕がある。つまりこの旅初の長い乗り換え時間、59分もの余裕がある。なんでもできる。翼を手に入れた気がした。

59分の乗り換え時間はマツダZOOM-ZOOMスタジアムを見にいったりしてるうちにあっという間に終わってしまった。広島を堪能し、予定通り14時42分発の岩国行きに乗り込む。

広島を出発し、しばらくはまあまあ車内が混み合っていたが、宮島口を過ぎたあたりからどんどんと乗客が減っていった。最終的には、僕のいた車両は僕ともう一人のカップルしかいなかった。

このカップルはなぜか外国人だったんだけど、こんなに空いてるのに僕の横に座ってきて、ブチュブチュとやり出してもうすごかった。そのうち駅弁でも初めようかといういちゃつき具合で、そのうち僕にも話しかけてきてヘイ、イエローモンキーこれがEKIBENだぜ!駅だけになHAHAHAHAHA、とか言っていたらどうしよう、パードゥンと返そう、とか何度もシミュレートしていた。白人の女のほうが足をむっちゃ虫に噛まれていたのが気になった。

 

15:31岩国駅(山口県)(前回は通過したため記録なし)

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下関行きに乗り換えた。

前回、山口県は魔のゾーンと報じた。長く詰まらない延々と続く山口県と報じたが、あれは大きな間違いであったと伝えなければならない。前回もそうだったが、いつも山口県を通過するときは夜であることが多い。ただ、今回、ムーンライトながらの利用により、15時に山口県に到達という状態だ。昼間に山口県を通過すると素晴らしいことがわかる。車窓から見える瀬戸内海とそこに浮かぶ島々は絶品だ。

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f:id:pato_numeri:20160725133603j:plain完全にムーンライトながらのおかげである。ありがとう、山口県。

 

18:38 下関市(山口県) (前回の到達タイム23:50)

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本州最後の下関駅に18時半に到達した。前回は23時50分の最後の乗り換えで、完全にラスボス前のセーブポイントだったが、今回はまだまだ、ここまででも異様に長かったが、旅はここからが本番だ。ラスボスの2個前くらいの、なぜか住民が主人公グループに敵対的で誤解を解かねばならない村くらいのところだろうか。

とにかく、少し乗り換え時間があったので飲み物を購入し、小倉行きへと乗り込む。いよいよ九州入りだ。

 

19:12 小倉駅(福岡県)(前回の到達タイム0:04)

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ついに小倉到達である。前回はここまでで0時を迎えたが、今回はムーンライトながらのおかげでまだ19時である。まだまだ先に進める。

とりあえず、南下していくにあたり鹿児島本線への乗り換えが19分あったので、ホームでうどんを食べることにした。完全に旅情である。前回の記事から追い求めていいた旅情がついにここにきて実現することとなった。

 

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小倉駅7番ホームのかしわうどんは有名らしく、客が多い。店員のおばちゃんも愛想がよく親切だ。ただセルフサービスの冷水器が精度が悪く、水を入れようとするとシャワーのように噴射されて手がびちゃびちゃになってしまう。

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かしわうどん370円。

完全に旅情である。余裕のあった広島駅で、モンスターボール欲しさにマクドナルドでベーコンレタスバーガーセットを食した時はどうなることかと思ったが、ついに旅情のうどんを達成することができた。

旅情は達成したが、旅はまだ終わらない。19時29分鹿児島本線荒木行きに乗り込む。さあ、ここからは未知の領域だ。

荒木駅へと向かう途中、車内アナウンスで「本日は臨時にスペースワールド駅にも停車します」と言われ、おお、週末だし夏休みだし、スペースワールド帰りの客がごっそり乗ってくるんだな、と少し身構えた。

停車したスペースワールド駅では、氷結を持ったオッサンが乗ってきただけだった。

 

21:29 荒木駅(福岡県)

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かなりタイトな乗り換えであった。乗り換え時間は1分。後ろに映っている車両が、乗り換えるべき荒尾行きで待っている状態だった。乗り換える前も後も同じ種類の車両で、ポスターまで同じで、さらに同じ座席に座ったので、なんか異空間に来たような不思議な感じがした。

途中、独りも乗客がいなくなってきてすごい不安になる。

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イメージとしては、銭婆に会いに行く時の電車な感じなのだけど、本当にこれは荒尾につくのだろうか、どこか異空間にいくのではないか、そんなことを考えていた。さすがに疲れていたのだと思う。

 

22:05 荒尾駅(熊本県)

f:id:pato_numeri:20160725140736j:plainまたタイトな1分乗り換えで今度は熊本行きに乗りこむ。こちらの列車は比較的混雑していた。花火大会でもあったのか、浴衣姿の若者が多かったように思う。

 

22:50 熊本駅(熊本県)

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ついに最後の乗り換えである。4分間の乗り換え時間で八代行きに乗り込む。

八代行きの車内でついに23時を超え、これで24時間電車で移動していたことになった。発狂しそうである。ながら車内の電脳キッズが遠い昔のことのように思える。そしてついに車内アナウンスが「次は八代」そう告げた。ついにフィナーレだ。

 

23:20 八代駅(熊本県)

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ついに到達した。

ここまでにかかった金額を計算すると、

青春18キップ1日分 2370円
ながら指定席券 520円
東京ー大磯乗車券 1140円

合計 4030円

「青春18キップとムーンライトながらを使うと東京から八代までいける」

ということである。

所要時間 24時間28分
乗り換え回数 13回
途中駅 206駅(停車した駅)

となる。

 

おまけ

ちなみに、八代駅はファミマがあるのだけど、到着する頃には閉店準備をしており、駅前はご覧の通り、

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 何もないのでご注意を。

野宿すら覚悟し、ポケモン捕まえながら歩いていたらネットカフェがあったので助かりました。

 

次の日の始発前の八代駅はこんな感じです。

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こういう旅をしているといつも思うことだが、おそらくもう一生会うことはない人々が電車に乗ってきて同じ空間を過ごす。車窓から見える一つ一つの明かりにはその人の生活と思い出がある。なのに僕はたぶんその人に会うことはない。それがなんとも不思議でそして面白い。

人々の生活はきっと面白いものなのだろう。誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが疲れて眠る。僕らは世の中に起こっていることの本当の一部分のさらに一部分に見たない部分しか知ることができない。そんな知らない誰かの知らない生活に少しだけすれ違える旅は、なんとも興味深くて面白いものなのだ。次回はもっと長い距離にチャレンジしてみたい、そう思った。

なぜ彼は先にいったのか

曲がりなりにも何らかの文章を書いている人間は常にアンテナを張り巡らせておくべきだ。それはプロのライターだとか、小説家だとか、エッセイストだとか、そういった文章を生業にしている人に限らず、趣味のレベルで発表している人もそうあるべきだ。

世の中には美しい言葉と優しいフレーズが溢れている。そして魅惑的な言葉たちがラインダンスを踊っている。それらはきっと誰かが誰かに伝わるように滲み出した魂のフレーズだ。それを受け止めてあげないということは、おっぱい丸出しで歩いている美女を無視するようなものだ。きちんとおっぱいを見てあげなければ失礼にあたる。

僕は、言葉を発した本人にそこまで深い意味がなかったような言葉でも、なんだかそこに哲学めいたものを感じて妙に考え込んでしまうことがある。それは素人であり趣味レベルであり下手くそとはいえブログなりで曲がりなりにも文章を発信している人間としての最低の責務のように思う。ただ、時にはその癖がとんでもない事態を引き起こすこともある。

あれはもう、10年くらい前になるだろうが、大阪で友人たちと遊んでいたときのことだった。久々の大阪、久々の友人、なんだか妙に舞い上がっていたのを今でも思い出す。

男が3人集まって風俗の話をしないわけがない。酒を飲んだ勢いで風俗に行こう、みたいに盛り上がったと思う。すぐに居酒屋を飛び出し、なんばの風俗店が密集する地域へと向かった。

酒の勢いでそういった密集地帯へと繰り出したが、当然ながらドーンと店に入る勇気はない。そういった地帯の通りを何度も行ったり来たりして、まるで怯える小動物のように小さくなって移動していた。

そうしたら、まあ、怪しげな、どう好意的に見てもゴミとか分別しなさそうなオッサンが近づいてきて、こう言った。

「お店お探し?飲み?抜き?こっちもあるよ?」

これって完全にコミュニケーションとして破綻してますよね。いきなり近づいてきてこれはない。挨拶すらない。まあ、怪しげな店を紹介してやるからついてこいやって言うわけですね。ここまで読んで、熟達した風俗マニアの方なんかは、ああ、これはボッタクリ風俗に連れていかれるな、って予想すると思いますけど、まあ、その通り、ボッタクリ風俗につれていかれます。けれども、今はそういう話をしてるんじゃない。ボッタクリかどうかなんてさしたる問題ではない。

確か、1万円ぽっきりっていうオッサンの話を信じて、僕らは怪しげな雑居ビルに連れていかれるわけです。入り口には小さなテーブルがあって、そこに座っている、ヒゲの男、それこそ、「ゲーム配信者?」とか質問してきそうなターバンの男風のやつに1万円払って中に入ると、カーテンで仕切られた小さな小部屋が沢山あるところに連れていかれます。

ここで友人たちとは別れて別々の個室に連れていかれるわけですが、カーテンを開けて個室に入ると、羊の死骸を置くみたいな小さなベッドがあってですね、そこで

「かわいい女の子きますんで、ぐふふ」

とか言う、これまた絶対に燃えるゴミの日に乾電池とか捨てそうな店員の言葉を信じて待つわけですよ。妄想とか、それ以外のところとか膨らませながら待っていると、シャッとカーテンが開いたんです。

「こんばんわ」

魔女?みたいなとんでもないクソババアがカーテンの隙間から顔出しているんですよ。ぜったいねるねるねるねのCM出てる、こいつみたいな老婆がこっちをのぞいとるんですわ。

「あんた、わたしみたいなおばちゃんはいややろ?若い子よんだるから追加で1000円払ってや」

みたいな話が分かること言うわけですよ。ごもっともだって思いながら1000円払うとそのままシュッとババアは消えるんですけど、仕切りがカーテンだけですからね、隣の個室でも同じやり取りしてる声が聞こえてくるんです。どうやらこのババア、私じゃ嫌だろってあちこち回って1000円を回収するのを生業にしてるみたいなんです。

まあ間違いなくボッタクリ風俗なんですけど、今はそういう話をしてるんじゃない。ボッタクリかどうかは全然関係ない。

しばらくというか、結構な時間待つと、まあ、さっきのババアよりは若いけど絶妙なブス、みたいなのが大登場してくるんです。どれくらい絶妙かっていうと、昔、友人の山本君が未成年なのにパチンコ屋でむちゃくちゃ出してたら、店の守り神みたいなヤクザがやってきて「兄ちゃん、未成年やろ、出しすぎやわ、あまりオイタが過ぎると、コンクリくくりつけて港に浮かぶことになるで」って脅されたんですね、普通ならブルっちゃうんですけど山本君はバカだったので、「コンクリくくりつけられたら浮かびませんね、重さで沈みます。だから港に浮かぶことになるという表現は不適切」みたいに絶妙に返して、店の外で殴られてました。それくらいの絶妙さのブスが来た。まあよくわかりませんよね。

とにかく、絶妙なブスが来て、まあ妥協するぜって思った矢先に、そのブスが言うわけですよ。

「あ、ちょっと忘れ物」

そういうや否やシュッとカーテンの向こうに消えるんです。で、全然帰ってこない。なんだこりゃって思って完全にタケノコ剥ぎ型のボッタクリ風俗なんですけど、まあ、別にその部分はどうでもいい。問題はこの後だ。

シャッとカーテンが開いて、やっと戻ってきたかと顔を見ると、さっきのねるねるねるのババアが顔を覗かしているんですよ。

「わたしじゃいややろ?1000円頂戴」

またお前か、と思いつつ1000円渡すとシャッと消えるんですね。

そんなこんなで、まったく性的サービスが受けられないままに時間だけが過ぎていき、何回か1000円も取られたりなんかしたんですけど、しばらくするとまたねるねるねるねのババアがやってきてこう言うんです。

「もう時間だけど延長するか?それなら延長料金必要だけど、絶対に延長したほうがいいと思う。いますごいかわいい子があいたからその子をつける」

みたいなことを言ってくるわけ。まだ金をむしり取ろうとするかと怒りすら覚えるんですけど

「そんな金はないから。それに友達もいるから延長はしない」

旨を伝えると、ババアが言うわけですよ。

「友達は延長した」

絶対にそんなわけないんですけど、友達も延長したんだからお前も早く店を出ても意味ないぞ、みたいな嘘を言ってくるんです。完全にボッタクリなんですけど、ボッタクリかどうかは大した問題じゃない。問題はこの後のババアのセリフだ。

「友達が延長するはずはない。そういう約束をしていたから」

僕が反論すると、ババアが言うわけですよ。

「もっとサービスがいい別の系列店にいかないか。私の顔で半額にする」

このババア、全然話が通じないどころかさらに別のボッタクリに連れていく気だ。底が見えねえ、いったいどこまでぼったくる気だ、と戦々恐々としつつ

「延長もしないし別の店にもいかない」

そうキッパリと断ると、ババアが言うんです。

「友達はもう先にいった」

ババア的には友達も行ったんだからお前も行こうぜって嘘ついてるわけなんですけど、なんか、僕はその表現に妙な哲学を感じてしまったのです。

友達はもう先に行った、かその表現はなんかいいな。妙に余韻がある表現だ。そもそも友達が先に行くという状況は感情めいた何かを感じさせる。つまり、裏になにか事情があったと読み手側に推測させることができるのだ。僕にもその友人にも、何らかの決意があった、そう読み取れるのではないだろうか。この表現はいい。

「いいよ、その表現」

僕にそう言われたババアは19歳ガンいいこ桜井君みたいな顔をしてキョトンとしていた。

「友達はもう先に行った、余韻がある。なぜ先に行ったのか、それは友を思いやったのか、でもそれはあえて語らないほうがいいと思う。なぜなら、読み手が想像する余地を残すべきであって、全てを説明する必要はないからだ。もちろん、わかりやすさとは大切だ。独りよがりな表現は良くないけれども、すべてが説明されることはあまり得策ではない。今のテレビを見てみろ、説明だらけ、テロップだらけ、あれは実に品がない。全て解説されるとその通りの味方しかできない。何通りも解釈があって、それぞれ受け止め方で本質が変わるような表現を目指すべきだ。今のあなたの言葉にはその表現があった。友達は僕のために先に行ったのか、それとも自分のためなのか、またはほかの誰かのためなのか、そしてどこにいったのか、そういう想像する楽しさがある。ここではないどこかへ行った彼をここまで思う行為、これはもう哲学だ」

すごい面倒な奴だと思われたのか、そのままボッタクリ風俗からは解放された。

案の定、友人たちは延長も、別の店にも行ってなくて、店の外で小動物のように震えていた。たぶん同じ目にあったのだろう。とんでもないババアに何度か1000円を払ったに違いない。

「いやーあのババアすごかったな」

「すごかった」

「ありゃ1000円払ってでもお断りするわ」

そう会話していると、ずっと黙っていた友人が

「俺はあのババアに抜いてもらった」

と驚愕の言葉を放った。

「友達はもう先にいった」

確かに先にいっていた。やはり読み手に様々な想像をさせて、余韻を残すこの言葉は上質の表現なのだ。

空が明るくても月はそこにある

窓の外を見るとまだ空は明るいのに薄っすらと月が輝いていた。本来は夜にこそ発揮されるべき薄く白いその輝きは、まるで何らかの理由や訴えがあるかのように思えた。

昼間の月はその存在自体が悲しい。僕らは自然と月は夜に輝くものであると考えていて、本来はそこにいてはいけないくらいに思っている。昼間に月が見えようものなら、やや場違いくらいに思うはずだ。

ただ、月は普通にそこにいる。昼間だろうがなんだろうがそこにいることは多い。ただ自分で光ることが来出ず、ただ太陽の光を反射することしかできない月は、昼間の空にいても気づかれないことが多いだけなのだ。

こうして太陽との角度の妙と空の明るさによって、そこにいるのに気付いてもらえない昼間の月が見られるこの瞬間はなんだか悲しい。別に月は禁を破っているわけではないのに、そう捉えられてしまうからだ。本当に、昼間の月は淡く、薄く、悲しいものなのだ。

こうして空に月が見えるということは、少しだけ空が暗くなってきたことだろう。つまり、日も傾き、もうすぐ日没を迎えるということだ。そんな深い時間なのに、僕らはまだ教室に残されていた。

帰ることができなかった最大の要因は、「帰りの会」だった。これは毎日その日の授業を終えた後に催される会で、日直が司会となって開催される。あくまでも児童たちが自主的に開催している会という体裁をとっており、担任教諭はオブザーバー的に様子を見守っているというスタイルだった。

通常、この帰りの会は何も問題がなく滞りがなければすぐに終わる。朝の会で立てた「活発に発言する」などの目標が達成できたのかの確認や、注意事項の伝達、各種当番の確認など、長くても10分もあれば終わってしまう内容だった。

しかしながら、これはあくまでも平和な日の帰りの会メニューであり、実際は、滞りなく進行する日は稀だった。言い換えると、この会は常に紛糾していた。10分で終わる、なんて言われたら鼻で笑われるくらい長く重いものになっていた。

その原因の一つが、全ての帰りの会メニュー終了後に司会である日直が、 「他に連絡のある人はいませんか?」 と皆に尋ねるコーナーの存在だった。ラジオでいうところのリスナー投稿コーナーに近い。

大抵、でしゃばりな婦女子などが、どうでもいいような連絡事項を伝えるために手を挙げたりして面倒くさいことこの上ない展開になる。生き物係の女の子が、ありがとうって伝えるならまだしも、「みんなで飼っていた亀の太郎が死にました。みんなで黙祷しましょう」 などと、とんでもないことを言い出す。早く帰って遊びたい僕らはたまったもんじゃなく、ソワソワしながら黙祷したりなんかした。一度くらいなら太郎のために黙祷だってするが、それが何週間も続くので完全に狂気じみていた。こういった良くわからない要素が徐々に帰りの会を長いものにしていった。

しかしながら、もっと僕らの帰りを遅くし、なおかつ完全に意味不明な魔のメニューが帰りの会には存在していた。 それが「今日の困ったこと」というコーナーだった。これは考えたやつを中世に送り込んで磔にしてやりたいくらいどうしようもないコーナーだった。

なんでも、その日困った体験をした人が、皆の前でその体験を赤裸々に告白し、その困った体験がクラスの誰かが原因で引き起こされているならば、皆でその原因である人を告発し、正す。というなんとも有難いやら迷惑やら分からないコーナーだった。誰かが困ったら、皆で議論し誰もが困らないようなクラスを作ろう。そういう趣旨があったようで、確か女子の中心的な人物の発案で始まった新コーナーだった。磔にするべきである。

「今日、昼休憩の時に、赤井君と坂本君が廊下を走っていて私にぶつかりそうになりました、とっても困りました」

でしゃばり女子が、待ってましたとばかりに手を挙げて告発する。大抵このコーナーで告発する人物は決まっていて、ほとんどが女子だった。そして糾弾されるのは男子と相場が決まっていた。

女子達は一丸となって赤井君と坂本君を攻めたてる。赤井君も坂井君も最初はばつが悪そうに照れ笑いしているけど、その責めっぷりにどんどん顔色を失っていく。

「赤井君は昨日も走っていました!」

「その前の日も走ってました!」

容赦ない追撃とはこのことだ。赤井君も坂井君も完全に意気消沈。それでも女子は止まらない。

「ちゃんと謝ってください!」

とヒステリックにまくしたてる。 それを受けて、赤井君と坂本君は少し照れながら立ち上がり、

「廊下を走ってすいませんでした」

などと頭を下げる。そこに罪悪感はない。確かに廊下を走ることは悪いことかもしれない。けれども、このやり方では女子に責められ、ただ嫌な思いだけをして形だけ謝っているに過ぎない。本当の根っこのことろで走ったことを悪いと思っているかというとかなり疑問が残る。子供心にこれに何の意味があるのか物凄く疑問だった。

議論が一通り落ち着くと、担任の教諭(40代女)の登場である。教諭は全てをまとめにかかる。廊下を走った彼らに再度注意を促し、告発した女子をそれとなく誉める。そして、皆も廊下を走らないようにしましょう。 などと言って話をまとめ、終了である。 これで晴れて帰りの会は終了し、僕らは解放され、家に帰ることができるのだ。もちろん、赤井君と坂井君も、裏山の敷地を多学年の連中に取られないよう、廊下を走って消え去っていく。

そんなある日、またいつものように帰りの会が進行し、魔の「困ったことコーナー」が到来した時、一人の女子が手を挙げ、僕を指さしながらこう告発した。

「今日、ドッジボールのときに、pato君が中山君の顔にボールを当てていました!私、見ました」

途方もない告発だ。あまりこういうことを言いたくないが、ドッヂボールとはボールを当てるゲームだ。その過程で不幸にも顔面に当たってしまうこともあるだろう。決して褒められたことではないが、取り立てて責められるべきことでもない。

中山君とはクラスの女子に大人気のナイスガイで爽やか小学生だった。女子一番人気の中山君が被害者ということで女子達はいつも以上にヒートアップしていた。

「はやく謝ってください」

「はやく謝ってください」

「はやく謝ってください」

「はやく謝ってください」

もう女子達は謝れの大コールだった。女子たちがウェーブを初めてその熱気がスタジアムを取り巻き始めてもおかしくないほどの一体感だった。けれども、僕にだって反論の余地はある。

「ちょっと待て、俺は確かに中山君の顔面にボールを当てた。でもその場で中山君に謝ってる。それでも許さないと中山君が怒るのはまだわかる。でも、お前ら女子が怒るのは意味が分からない。なんか迷惑かけたか?」

帰りの会のルールでは発言の際には挙手をして司会の許可を得ることになっていたが、そんなルールも忘れて立ち上がり熱弁を振るった。

僕の長い人生において、これほどの正論を吐いたのはこの時だけかもしれない。それほどに的確で適切な反論だった。勢いづいていた女子一同は、少し困った表情を見せた。確かに……私達は迷惑してないわ……。勢いでコールに加わっていた大半の女子達は、困惑といった表情だった。一生そこで反省してろ、そう思った。

「迷惑かけてるわよ!」

告発した女子が再度立ち上がった。その目はまだ死んでいなかった。

「由美子ちゃんはね、中山君のことが好きなのよ。中山君が顔に当てられるの見て、由美子泣いちゃったんだから!!由美子ちゃんに迷惑かけてるのよ!!」

完全な逆恨みじゃねーか。そんなこと言われてもどうしようもない。

しかしながら、これで女子達には大義名分ができたことになる。

「そうだ!そうだ!謝れ!謝れ!」

の大合唱が始まった。由美子ちゃんなんて惨劇を思い出してか、再度泣き出す始末。死ねブス。

もはや手におえる状態ではない。別に悪いことしたとは思っていないが謝って終わりにしたい。でも、由美子ちゃんに謝る義務はない。というか、絶対に謝りたくない。僕のプライドが謝罪を拒みつづけた。謝れば帰れるのに僕は謝りたくなかった。

激しく交わされる議論、もはや収拾がつかなくなったとき日直が切り出した。

「じゃあ、謝るかどうか多数決をとります」

多数決とはこの世で最も愚かな意思決定方法である。まるで全ての正義かのように扱われているが、合理性のみを追求した最もまずいやり方だ。使用する場面を謝るととんでもないことになる。

この提案を拒否したいところだが「議論が割れた場合は多数決。その結果には従うこと」という鉄の掟が帰りの会にはあった。これだったら揉めたらコインでという旅団の掟のほうがまだ良い。

もはや逆らうことはできない。 結果は41対3の大敗だった。 こうして、僕はわけもわからず由美子ちゃんに謝ることになった。女子達は大喜び。 その他の男子達も「やっと帰れる」とばかりに大喜び。もはや拒める状況ではなかった。

「中山君の顔面にボールをぶつけてごめんなさい」

僕は由美子ちゃんに謝った。たぶん人生においてトップクラスに入る意味不明な謝罪だったように思う。

もはやこのクラスの帰りの会は民主主義や裁判なんてご立派なものではなく、ある種の魔女裁判のように機能していた。告発されたら道理に外れていようが、どう弁明しようが有罪である。逃れる術はない。そして、もっともっと残酷な事件が起こるのだった。そう、あの惨劇が。

帰りの会。また、いつものように女子が手を挙げお待ちかねの「困ったことコーナー」が始まった。告発タイムである。常連のラジオリスナーのような軽快さで女子の告発が始まった。

「最近、松井君の周りが臭いです。松井君はちゃんとお風呂に入ってください」

とんでもない告発だ。クラス中がざわめいた。

こう言ってしまっては失礼かもしれないが、 松井君の家は貧乏だった。うちの家も貧しかったが、その上をいく貧しさのように感じられた。僕は貧しい者同士、勝手に松井君にシンパシーを感じていた。

松井君はいつも汚らしい服を着ていた。しかも毎日同じだった。確かに風呂にもちゃんと入っていなかっただろう。少し垢っぽい感じがいつもしていたし、髪だってボサボサでフケだらけだった。

松井君の住んでいる借家には風呂がなかったのだ。銭湯に行く余裕もあまりなかったようだった。ボロボロのジャージをまるで制服のようにどんな場面でも着ていた。

しかし、いくら松井君が汚なく、臭いとはいえ、それは人として言ってはならないことだ。人には人の、松井君には松井君の事情というものがあるのだ。しかも、帰りの会という公の場で声を大にして告発してよい内容ではない。

この当時、帰りの会で謝る男子に気を良くした女子達は、かなり暴走気味になっていた。毎日、なにか告発して、男子をやりこめてやりたかったのだ。彼女たちはいつも満足げな表情をしていた。

しかしながら、男子だって、いつも帰りの会でやり玉に挙げられるのは嫌なものである。おまけに意味不明の謝罪をさせられるとあれば、そうならないように品行方性になっていく。もう廊下だって走らなくなったし、ドッヂボールでイケメンを狙わなくなった。そう、告発する内容がなくなったのだ。

本来の趣旨からすれば理想の世界の到来のはずだ。なにせ、困ってる人がいなくなったのだから。けれども、男子が品行方正になって困ったのは女子だった。颯爽と告発し、謝罪される快感は麻薬のようで、一度味わったらそうそうやめられるものではなかった。告発したい告発したい、男子に謝らせたい、彼女たちの想いは爆発寸前にまで達していた。

そして、この告発に至ったのである。何度も言うが、松井君だって家庭の事情があってのことだし、人として言っては いけないことである。しかし、女子達の暴走は留まることを知らない。

「そうよ、くさいわよ!」

「それに汚いし!いつも同じ服だし!」

「謝ってよ!」

汚くってごめんなさい、不潔でごめんなさい、と謝れというのだろうか。なにか間違っている。それを受けた松井君は悲しそうにうつむいているだけだった。なんだか僕はすごく心が痛かった。見ていられなかった。

僕は松井君が好きだった。彼は無口な方だったが、心優しいし、ギャグセンスは抜群で、たまに発する言葉の一つ一つが面白いし貴重だった。それに松井君は絶対に人の悪口を言わなかった。そんな松井君ぼことが好きだった。誰もが毎日風呂に入ってお洒落をして良い香りを振りまけるほど裕福なわけではないのだ。

松井君は今にも泣き出しそうだった。もう見ていられなかった。このままでは松井君が傷つきボロボロになってしまう。どうすれば松井君を救えるのだろうか。そうだ!先生だ!こんなことがあっていいはずがない。このような信じがたい告発を先生が見逃すわけがない。その内、この議論を先生が止めてくれるだろう。その上、女子達を叱りつけてくれるだろう。松井君を救えるのは先生しかいない。

そう期待してオブザーバーである先生に視線を移すと、 「うんうん活発な議論だわ。青春だわ」とでも言いたそうに微笑を浮かべて議論を見守っていた。だめだ、このババア。

松井君が今こうして傷つけられているというのに、まったく気づいていないどころか、よくやったといわんばかりの顔をしている。全てが狂っている。教室もクラスメイトも、先生も、全てが狂っている。そして、一番狂っているのは僕だった。

「早く謝りなさいよ!臭いのよ!」

女子達はもはや集団ヒステリー状態だった。 男子だって、面白半分に「臭い!臭い!」と囃し立てていた。

「はやく謝っちまえよ、帰れねーじゃん」

と少しニヒルを気取っている奴だっている。もはや松井君に味方はいなかった。この広いクラスに独りぼっちである。そう、僕はこんな状況にあって何も言えなかった。一番狂っていたのは僕だった。

僕は卑怯だった。怖かった。松井君と同じようにうちも貧しく、僕だって決して綺麗で清潔というわけではなかった。同じ服も結構着ていた。だから松井君をかばってお前も臭いって言われるのが怖かった。

慣例どおり、無情にも多数決が始まった。

「松井君が不潔過ぎるので、謝るべきだと思う人は手を挙げてください」

一斉に女子達の手が上がった。男子も手を挙げた。手を挙げなかったのは僕と松井君と最も親しかった友人それに松井君だけだった。大敗だ。

松井君は、不潔というだけでクラス中に謝ることになった。教壇に立ち、皆の方を向く松井君。涙が頬を伝っていた。どうしようもない卑怯な自分がそこにいた。

「僕が不潔で皆に迷惑かけてごめんなさい」

彼がどういう気持ちでこのセリフを言い、頭を下げたのだろうか。

「聞こえません!」

後ろの方で女子が叫ぶ。聞えているはずだ。ワザと聞こえないと言って何度も謝らせる。もうやめてくれ、これ以上松井君を傷つけないでくれ。何度も何度も泣きながら「不潔でごめんなさい」と謝る松井君を見て、僕も涙が出てきた。

「ほんとに臭いよね」

「そうそう、死にそうなぐらいに臭いよね」

「死ねばいいのに」

戦いに勝った女子達が勝ち誇ったかのように言う。さぞかし気分の良いことだろう。そしてまとめるために担任のクソババアが出てきた。

「はい、今日は活発な議論でしたねー。松井君も清潔にしてこなきゃだめよ。皆もちゃんと清潔にしてくるようにね」

コイツはほんとにバカでどうしようもない。

次の日から、松井君は学校に来なくなった。僕は何度も家まで誘いに行ったが、会ってはくれなかった。彼にしてみれば、何もすることができなかった僕も、よってたかって彼を傷つけたクラスメイト達と同罪なのだ。

松井君を誘いに家まで行くとき、まだ空は明るいのに淡く薄い月が見えた。月はそこにいたのである。それはまるで僕のようだとおも思ったし、松井くんのことのようにも思えた。僕らはそこにいてはいけない存在なのかもしれない、そう思えたのだ。

いまだに昼間の空にぽっかりと月が浮かんでいると、松井君のことを思い出す。薄く白いその輝きは、やはり悲しく、そして綺麗なのだ。その美しさが僕の心を締め付けるのだ。

太陽は罪な奴

この間、休みを利用して新江ノ島水族館に行ったんですけど、すごいのな、なにがすごいって江ノ島の海が。

水族館の裏手はそのまま砂浜になっていて、海の家が立ち並んでいて、水族館を鑑賞した後もひょいと海の家に行ってご飯を食べられたりするんですけど、僕が連想するようなオールドタイプの「海の家」って感じのものは少なくなっていて、なんていうかアウトロー的な店が軒を連ねていたりするんです。

その店の外にも中にもアウトロー的な方々が生息しておりまして、ドゥンドゥンという音楽が爆音でかかる中、お前絶対に危険ドラッグやってんだろって人が我が物顔で歩いているわけなんですよ。

もしかしたらなんですけど、ここではむっちゃ危険ドラッグが流通していて、下手したら2千円札より円滑に流通している可能性があるんですけど、海で焼きそば食ってかき氷食ってってイメージとは程遠く、なんかガパオライス食ってジーマ飲んで、みたいなアウトロー感があったんです。

そんな中、とびきりおしゃれっぽい感じの店に入りましてね、海の家というよりは、しゃらくさいアウトローが集まるバーみたいな雰囲気の店に入ったんですけど、もちろん店内は、ドゥンドゥンという音楽が流れてて、店員なんてバリバリタトゥー入ってて顔に金属いっぱいついててですね、注文すら取りにきやがらねえ。

たまりかねて、こっちからカウンターに出向いて注文したんですけど、この店員どもが「うっす」とか言って聞いてるんだか聞いていなんだか、なぜか厨房にいる別のアウトローにオーダー伝えた後にハイタッチしてるし、本当に意味が分からなかったんです。

そんなこんなで運ばれてきた品物を、ザザーンザザーンという波の音を聞きながら食っていたんですけど、そうすると、隣に10人くらいの大所帯のアウトローが座ってきたんです。

アウトローどもは店に入ってきた状態でビンのビールをラッパ飲みしててですね、すげえうるさいんですよ。海に来てテンション上がってるのか、すげえうるさい。大体男7、女3くらいの配分なんですけど、男は完全にエグザイル的だし、女だって、絶対に手をつないでジャンプして空中に浮いてる写真をフェイスブックに上げてる感じですよ。そいつらが会話してるんです。

「今日のバーベキュー、最高かよ」

「それな」

みたいな会話してるんですね。どうも仲間内でバーベキューに来て、それは終わったか何かで、飲みたりないからこの海の家にきた、みたいな感じなんですけど、完全にアウトローなんでしょうね、タトゥーをどこに入れるか、みたいな会話で盛り上がってるんですよ。

「おれ、今日はマジで楽しかった」

「おれも」

「安心できるメンツってお前らだけなんだよねー」

「久々に集まれてマジ感謝」

みたいな会話が展開されていて、どうやらそれぞれ別の生活を歩んでいる昔の仲間が久々に集まってバーベキューをしたらしく、近況報告みたいなものが始まったのです。

こうなんていうか、アウトローはアウトローで大変なんだなって思ったんですね。向こうだって僕のようなデブのオッサンの生き様なんて知ったこっちゃないでしょうが、それと同じように僕もアウトローの生き様は知らないんですね。で、どうも彼らを見ていると、普段いかにアウトローなのかがちょっとしたステータスみたいになってるんですね。

「この間、ごちゃごちゃうるせえ上司、睨み返してやったらマジびびったてたわ、あのハゲチャビン」

まずグループのリーダー格っぽいアウトローが、スコットノートンみたいな肉体をしたアウトローが切り出します。

「パネェ」

「さすがジャクソン」(確かにこう呼んでた)

ただ、そんな好戦的な俺もこのメンツでは牙を抜かれる、マジ落ち着く、みたいな感じで会話が展開していくわけです。すると、その横の、ガンバ大阪井手口陽介っぽい人が言います。

「俺はこの間、ラーメン屋に並んでたんだけど、行列に横入りしようとしてきたハゲチャビンを怒鳴りつけてやった」

この人たちはどれだけハゲチャビンに恨みがあるのか知りませんけど、ここでまた武勇伝ですよ。

「パネェ」

「さすがRD(アールディー)」(確かにこう呼んでた)

なんか順番にいかに自分が暴れたかをカミングアウトしていく流れになって、電車でうるせえホスト風を怒鳴ってやったとか、アマゾンの箱がでかすぎるから宅配の奴怒鳴ってやった、DVD一枚をダンボールで運んできやがる、とかですね、そういった武勇伝が続いていたんですよ。で、武勇伝の後にはそれでもこのメンツだと落ち着く、みたいな流れになるんです。

で、いよいよ、僕がちょっと注目していた一番端に座る男の順番になったんです。

「ん?どうだ?ヨウヘイ」

どうもその男はヨウヘイって呼ばれているんですけど、なんていうかあまりこのメンツに溶け込め切れてないんですね。早い話が、あまりアウトロー感がなくて、どちらかといえばこっち側っぽい。色白でもやしっ子みたいな感じですし、アウトロー列伝にもあまり心躍ってない様子がしたんです。

そんな彼でも武勇伝を言わなければならない雰囲気なんですが、彼にそのようなものがあるとも思えない。どうもグループ内でも彼の立ち位置はそうみたいで、どうせないだろ、お前に武勇伝なんてって感じでジャクソンもRDもニヤニヤしてるんです。

そしてついに、ヨウヘイが口を開く。ついに彼の武勇伝が語られた。

「おれさ、この間、AV女優のサイン会行ったんだよ。人気のある女優で4時間くらい待ったかな。で俺の番になったんだよ。でも目の前には大好きなAV女優いるんだ。でもな、俺、握手せずに帰ってきたわ」

RDとか、はあ?みたいな顔してるんです。私19歳でがんになったときいい子でいるのをやめました、って言われた時の桜井君みたいな顔してるんです。他の女子やアウトローも「ハテナ?」って顔してて、ジェイソンなんて

「それのどこが武勇伝だよ。だっせー!」

とかバカにしてて、グループがドッと盛り上がったんです。

「さすがヨウヘイ」

「ウケル。サイン会(笑)」

「見事にオチ持っていったな。全然武勇伝じゃねえ」

そう盛り上がる面々の横で僕は一人震えていた。ガタガタと震えていた。

「こりゃあとんでもねえ武勇伝だ」

まず、AV女優のサイン会や握手会に行ったら、絶対に握手する。許されるならチンポくらい出す意気込みで臨むはずだ。なのに、4時間も待って握手しない。これはもう悪魔が産み落とした闇の子と言っても過言ではない。

ヨウヘイはきっと認めたくなかったのだ。自分が夢中になっているAV女優が、初めて画面以外を通して目の前に現れたとき、その実在性を認めたくなかった。そして、その彼女が実在する一人の人間であると感じたとき、自分がどれほど卑怯な人間なのか痛感したのだと思う。

4時間待ったのだ。それもいつも抜きまくってるAV女優だ。どんなにその実在性を否定したとしても、普通なら、まあ握手くらい、となる。そこを彼は誤魔化さなかった。自分を押し通した。それは上司を睨むより、何も悪くない宅配の人を怒鳴るよりとんでもない武勇伝だ。自分を押し通したのだ。

「やっぱヨウヘイはウケるな」

「ヨウヘイおもしろい」

お前らごときがヨウヘイ様を呼び捨てにするな、そう思ったが、RDとかマジ喧嘩強そうなので黙っていた。

夏の海に集うアウトローたち、その中にもとんでもない武骨な精神力を持ったナイスガイがいることが僕にとってはとても嬉しかった。照り付ける太陽に波の音、本当に太陽は罪な奴なのだ。

夏の魔物

夏といえばホラー、という感覚が実のところよくわからない。

怖い話やなんかを聴いて怖い思いをして、ぞーっとなってなんや寒くなったわ、暑いに夏にはこれが一番やな、となるために夏はホラーなんだと思うけど、あいにくデブにそれは通用しない。

例えばお化け屋敷に行ったとしたら、怖い思いをして走り回って叫んで、出るころには汗グッショリ、なんならちょっと湯気でてる。Tシャツの色もちょっと変わってるくらいだ。涼しくなったわーとは絶対にならない。

そういったわけで、夏にホラーなんて本来なら逆に暑くなって汗だくになるのですが、世間一般ではホラー特番なんかも増えてですね、やはりそういう雰囲気になってきますから、夏はホラーなんでしょう。というわけで今日はちょっとそういう話をしてみたいと思います。

僕がまだ子供だった頃、町の片隅に見るからに恐ろし気な洋館が立っていた。それは昔、産婦人科の医院だったらしいが、とうの昔に廃業していて完全なる廃屋だった。レンガ造りの古めかしい壁にツタが覆い茂り、見るからに何か出そうな外観だった。

もちろん、もともと産婦人科だったという極上のいわくもあるわけで、夜になるとホルマリン漬けの胎児が動き出すだとか、分娩中に死んだ母親が子供を探してさ迷い歩くだとか、もっともらしい噂が独り歩きするようになっていた。

当然、知る人ぞ知る有名な心霊スポットとして日々、不良グループやカップルなんかが隣町や隣の県からやってきて楽しんでいく一大観光地になっていた。もしかしたら、誰か行くんだかしらないよく分からない記念館なんかよりも重大な観光資源だったかもしれない。

そういった有名な心霊スポットなのだけど、終わりが来るのは早かった。土地と建物を誰かに買われて取り壊されることになったのだ。やはりいわくつきの土地と建物、ということでただでさえ田舎なので安いのに、破格というレベルで安く買い取られたらしい。

いくら安いといっても地元で結構名が轟いている心霊スポットを買うヤツなんているのか、誰だよ、その物好き、頭おかしいんじゃないか、どこのだれだよって思うけど、なんてことはない、買ったのはうちの父親だった。

うちの親父は自営業をしていて、それを自宅でやっていたのだけど手狭になっていたので新しい拠点が必要だと考えていた。そこで激安だった心霊スポットを購入し、そこを更地にしてプレハブを建てることにしたのだ。

祟りとか呪いで取り壊せない、とかそういうことがあるかと思ったが、別にそんなことはなかった。単に不気味ってことで噂が独り歩きしていただけの場所なので、そういった呪いの類はなく、すぐに更地になってプレハブが建った。僕が高校生の時だ。

これに喜んだのは、実は僕だった。思春期真っただ中だった僕は、家にいるのが煩わしく、このプレハブで過ごすことが多くなった。家からも離れていて親の干渉がない。さらにはトイレも台所もあって畳の部屋まである。おまけにクーラーも完備だ。気楽すぎてここで暮らすことしか考えられなくなっていた。

親父が仕事を終えるとこのプレハブは誰も使わなくなる。そこに移動していって自由な夜を満喫する。もともとは著名な心霊スポットだった場所ということもあって最初はすこし怖い気持ちもあったが、次第に慣れていった。ただ不可解なことが全くなかったと言ったら嘘になる。

金縛りにあったり、ドアの向こうから数千人くらい歩いている雑踏のような音が聞こえてきたり、金縛りにあい、どうしようかと思っていたら、自分の周りに散乱していた書類を踏みしめる音だけが聞こえてきて、その音が螺旋状に自分に近づいてきたりと、そういった不可解なことがあった。けれども、今日はその中でも最も怖かった話をしたい。

その日は、なんだか疲れていてすぐに寝た。プレハブの中には畳の休憩所みたいな小さな部屋があり、そこに布団を持ち込んで寝ていた。あまりの暑さにクーラー全開で寝ていたのだけど、一晩中つけっぱなしは良くないので程よい時間に切れるようにタイマーをセットしていた。

ただ、その時間設定があまりよくなかったみたいで、暑苦しさに目が覚めてしまった。たぶん、カーテンの隙間から見える暗さからいって真夜中のようだ。このプレハブでこんな時間に起きてしまうと、たいてい金縛りにあう。いやだなーこわいなーと思いつつ布団の中でうだうだしていると、声が聞こええてきた。

「・・・クス」

「・・・クス」

うわー、なんかでてきたー、声が聞こえるーいやだなーこわいなーと思いながら布団の中で震えていると、その声はさらにはっきり聞こえてきた。

「・・・ックス」

「・・・ックス」

「セックス」

絶対セックスって言ってる!

どういうことだ。なんで霊がセックスって言うんだ。もしかしてなんだけど、霊って結構女性であることが多いし、僕の好きな黒髪の地味目な女性であることが多い。僕らは無意識のうちに幽霊を真面目なものだと捉える傾向にある。つまり、彼女たちはこの世に出てくる原因となった恨みだとか呪いだとかを真面目に覚えていてそれをはらすために人々を怖がらせると考えるのだ。けれども、これは幽霊の中でも優等生なのではないだろうか。つまり、もっと幽霊にも不真面目な奴がいて、例えば何らかの呪いがあるのに出てくるんだけど、でもセックスしたいや、みたいなヤリマンの幽霊が存在していてもおかしくないのである。だいたい、この現世で真面目に一つのことに打ち込める人間なんてそうそういない。みんな何か別なことに心移りする。なぜ幽霊になると真面目に呪いに打ち込めると考えるのだろうか。そちらのほうがおかしい。幽霊になったのに競馬に狂う、幽霊になったのに強いイベントの日にパチンコ屋に並ぶ、そんなことがあるようにセックスに打ち込む女幽霊もきっといるはずなのである。

なんてことだろうか、セックス狂いの女幽霊が来た可能性がある。これはちょっと一大事だ。おそらくこのまま展開していくと、僕は大きな決断を迫られるだろう。つまり、幽霊と性行為をするのか、それとも人間の女性がいいと拒むのか、その決断をきっと強いられる。

ガサガサ

声は聞こえなくなったが、明らかにプレハブの周りを動く気配がする。完全にセックス霊が来ている。プレハブ周りの雑草が描き分けられるガサゴソといった音が聞こえる。どうも、その音から察するに気配は1つではない。最低でも4つはありそうだ。

まいったなー4体のセックス霊か、どうするか。頭の中にはハーレムもののAVが予習復習のように流れ始めていた。

ガタガタガタ

この畳の部屋からは直接見えないが、入り口の引き戸を強引にガチャガチャやる音が聞こえてきた。普通なら恐怖に叫びたいところだが、セックス霊だと思うとあまり怖くない。

「よし、決めた!」

霊でもいい。そう思った。これはもう経験しておくべきだと思った。むしろ、最初に霊で練習しておくほうがプレイの幅も広がりそうだ。意を決して僕は布団から起き上がり、入り口へと向かった。電気をつけると霊がびっくりすると思ったので、暗闇の中を進んでいった。霊でも電気を消してって恥ずかしそうに言うのかなって思った。

ただ、入り口付近に霊の姿はない。なるほど、さすが霊だ、霊的にじらしてきやがる。入り口のドアを開けて外に出て、裏手に回った。本当に茂みの中に4つの人影が見えた。本当にいた。

5P

そう思った時、その人影が叫んだ。

「うわー、ごめんなさい」

「ゆるしてくださいゆるしてください」

その人影は2組のヤンキーカップルだった。どうも、隣の県から来てる人たちみたいで、肝試しに行こうぜってなって怖い廃産婦人科の洋館の噂を聞きつけてここの来たらしい。ただ来てみたら洋館ではなく、プレハブだったのでおかしいと思って色々と調べていたら、僕が出てきて腰が抜けるほど驚いたらしい。

なるほど、最初に聞こえたセックス的な声は、こいつらこの後にそういうお楽しみの話をしていたんだな。

僕は恥じた。追い込まれて、もう初体験は霊でいいと決断するまでに至った自分を大いに恥じた。それはよくよく考えると寒気がするほど怖いことなのだ。そう、霊とかそういうのではなく、そこまでしてセックスしたい自分が怖い。自分の中に封印された悪魔みたいなものを感じて怖くなった。この自分の思いが一番のホラーだった。一番怖い。

ここはもう心霊スポットではない、とヤンキーカップルに告げたのだけどどうもまた廃産婦人科だという情報だけが再ブレイクしたらしく、この夏は毎晩のように肝試しにヤンキーやカップルが来ていた。もう説明するのも面倒なので、そういうやつらが来るたびにシーツかぶって霊のふりして追いかけまわしていた。ひどいときはロケット花火を打ち込んでくるヤンキーとかいたので、500メートルくらいは全力疾走で追いかけまわしてやった。完全に汗だくだ。

やはり夏のホラーとは涼しくなるなんて代物ではなくて、汗だくになるものなのだ。