バレンタインは二度死ぬ

正直に言ってしまうと、別にチョコなんてものはどうでもいい。

貰えようが貰えまいが、そこにある真実は1つ。チョコはチョコであってそれ以下でもそれ以上でもない、単なるチョコなのだ。これは何もキツネがすっぱいブドウがどうこう言っているわけではなく、単純にそうであるのだから仕方がないの。よくよく考えたら、チョコ、どうでもよくないっすか。

おっぱい30揉みとゴディバのチョコどっちがいいですか?って言われてチョコを選ぶ人はいない。いや、20揉みでもおっぱい選ぶし、満月に近い時期だったら15揉みでも妥協すると思う。それくらいチョコなんていうのはどうでもいい存在に成り下がっている。

この時期になると異様にチョコを欲しがる殿方が増え、なかばネタのようになっているのだけど、冷静に考えてほしい。そんなにチョコが欲しいならコンビニで買ってくればいい。そう考えるとコンビニでおっぱいは揉めないので10揉みでもそっちを選びそうだ。

ただ、相手が自分のことを考えてチョコを渡してくれる、その行動が尊いのであって、チョコは別にどうでもいいのだ。

ある年のバレンタイン。この年は最悪だった。職場で同人誌に狂ってそうなブスが突如としてチョコを配り始めた。チョコテロである。チョコレートテロルである。

義理ですからといいつつ男性社員に頒布するその様は異様であった。そしてまた、僕にだけ渡さない様は異様であった。僕には義理すらないのである。

チョコが欲しいわけではない。考えてみて欲しい。皆の前に突如神様が現れて左端から順に「あなたはA」「あなたはC」と言っていく。そのアルファベットの意味は分からなくとも、なんだろう、人間としての格付けか何かだろうか、神、やるじゃん、と胸が弾んでくるだろう。そして自分の番になった時、「あなたはジョン万次郎」といわれたらどうだろうか。その後も淡々と神によってアルファベットが付与されているのに、自分だけジョン万次郎である。

とにかく、このテロルにはそれに近い恐怖があった。そして悲しみがあった。チョコが欲しかったわけではない。そんなものよりは7揉みでいいからそっちが欲しい。バレンタインの喜びと同じだけ悲しみの数がある、皆さんはそれを忘れてはいけない。

それを見かねた職場のオバちゃんが、少し顔を赤らめながら僕に包み紙を渡してきた。

「どうせそんなことだろうと思ったよ、ほら、これもって帰りな。きっと気に入ると思うよ」

赤い包み紙はズシリと重い。正直に言わせて貰うと泣いた。とにかく泣いた。嬉しかったのだ。貰えた事が嬉しかったんじゃない。僕だけ貰えないだろうと予想して、渡してやろうと準備していてくれたことが嬉しいのだ。誰かに気にかけてもらえたことが嬉しいのだ。

「ありがとう」

もう仕事中も集中できなかった。さすがにおばちゃんは抱けないけど、僕はこの心遣いを胸に明日からも強く堂々と生きていこう。そう誓った。

はやくチョコを食べたい。すぐに食べたい。仕事帰りの僕は少し早足になっていた。そして、家に変えるや否や、すぐに包み紙をあける。ありがとう、おばちゃん、抱けないけどおっぱい揉むくらいならする。本当にありがとう。チョコ味わってだべるよ。ありがとう。ありがとう。包み紙を開けた!

宗教勧誘のDVDだった。

「感想を聞かせてください」ってメモも入ってた。世界に羽ばたくっぽい文言が勇ましいDVDだった。

そのDVDを当時プレイしていたモンスターファーム2がCDだけじゃなくDVDからもモンスターを練成できるという触れ込みだったのでさっそくセットし、モンスターを練成してみたら、そこそこ強いのができたのでまあまあ嬉しかった。

「まあまあ強いモンスターができましたよ!」って少年のような顔で報告したら、その日からそのおばちゃんにも無視されるようなった。

とにかく、バレンタインとは気持ちなのである。チョコを貰うくらいならおっぱい7揉み、いや5揉みでもいい。もう、揉まなくていいから見せてもらえるだけでもいい。