悪の華

文章の組み立て方として、「この表現が使いたいからこの文章を書く」というものがある。本来なら書きたい内容があり、それを伝えていく上で様々な表現が使われるのが真っ当であるはずなのだが、稀に「この表現が使いたい」から出発することがあるのだ。

例えば、全然意味が分からないけど「ごまっとう」という後藤真希松浦亜弥藤本美貴が組んだ最強ユニットの名称が頭に浮かんでしまったとしよう。これをどうしても使いたい、これを使った文章を書きたい、そんな起点から始まることがある。

普通に考えて「ごまっとう」は日常生活で使う単語ではない。ならば「ご」と「まっとう」に分けて使うような流れにしたらどうだろうか。「まっとう」ならまだまともに使える単語だ。けれども、それに「ご」を付ける展開は想像できない。ならば「ご」を付ける展開を正当化するために、あらゆる単語に「ご」をつける状態にもっていくべきである。単語に「ご」を付けるのは比較的丁寧な言い方をする時だ。御霊前などの「ご」の部分に着目してもよい。なんか「ご」をつけると丁寧になるよね、という導入から話を展開し、「ご」を付ける流れを正当化していく。

そこで「ごまっとう」に狂っていた大学時代の友人のことを思い出す。熱烈な「ごまっとう」ファンであり、痴漢の常習者だったクレイジーな彼をメインで取り上げることにする。彼が痴漢で捕まった時のエピソードを絡めて、あまりに生々しい話なので色々な単語に「ご」をつけて丁寧にする、みたいな感じで進めていく。御痴漢、御尻さわさわ、御正義感の強い体育会系の男に右腕をつかまれる、御否認、御示談金などやりすぎというくらいやっていい。この辺で少し笑いを提供することを心がける。で、最終的にこいつはまっとうじゃない、いや、ごまっとうじゃない、という感じで「ごまっとう」を使って文章を締める。こうすることで念願の「ごまっとう」をオチという最も効果的な場所で使えるし、話の流れにも澱みがなくなる。

こういったスキームで話を書くことがあるのだけど、問題は、単語だけ浮かんで何の話も展開できなかった時だ。諦めて別の話を書くほど僕の頭の中は器用にはできていないので、その単語の呪縛に捕らわれてしまうことになる。「親友の死」「幼き日のトラウマ」「両親の失踪」そういった単語に呪縛されているならば何らかの影を背負った主人公チックであるし、ヒロインを助ける場面で呪縛から解き放たれるカタルシスを描くことができるが、「ごまっとう」に呪縛されていたらあまり笑えない。

そういった事情もあって単語を思いついてしまうとどうしようもないので、なるべく思いつかないよう、思い浮かばないようにしているのだけど、ひょんなことから「悪の華」という単語を思いついてしまった。

悪の華

言わずと知れたBUCK-TICKのアルバムタイトルおよび曲名である。もともとはシャルル・ピエール・ボードレールの詩集からきているタイトルだが、僕からしたらBUCK-TICKのそれであるというイメージが強い。

中学生当時、ちょっと不良をかじってる連中はみんなBUCK-TICKを聴いていた。言うなればちょっとワルでかっこいい象徴、それがBUCK-TICKだった。つまり「悪の華」というものは文字通り悪(ワル)の象徴であったのだ。

そんな単語が浮かんできたが、これを文章に使うとなると非常に難しい。当時はかっこいい悪の象徴であったが、この現代ではすこし古さが否めない。古くて青臭いなんていうとBUCK-TICKファンの人に怒られるかもしれないので、もっともらしいことを適当に言っておくと、本物の悪が跋扈する現代社会において悪の華ではいささか弱い。こう言っておけばたぶんファンも怒らない。

どんな展開においても「俺は悪の華だから」とかぶちこむと、ちょっと陳腐な感じになってしまう。「ごまっとう」ならその陳腐さが逆に面白いが「悪の華」とちょっとかっこつけてるのに陳腐というのは致命傷だ。

どう展開しても面白くなりそうにないというのは深刻で、ずっと考えてると、なんだよ悪の華って意味わかんねえよ、と腹立ちすら覚え始める。

まず、「悪の華」というくらいだから華が咲き誇る情景が必要だろうか。小悪党が大きな悪に目覚める展開がいいだろうか。色々考えるのだけどどうしても展開が弱い。もっと絶対的な悪みたいなものを集中的に攻める展開はどうだろうか。この世には悪役も必要だ、それも華のある悪役、まさに悪の華、どうだろうか。やはり展開が弱い。

そんなことを考えながら街を歩いていると、すごくウンコがしたくなってお腹が痛くなってきた。駆け込み寺と言わんばかりにコンビニに突入する。助かった、救われた、トイレへと突進すると、無慈悲なほどにドアノブの表示は赤だった。誰か入っている。

これだからコンビニのトイレは恐ろしい。多くの場合がブースを一つしか兼ね備えていないので、トイレに到達しても満員御礼ソールドアウトという展開が往々にしてありえる。しかも、複数ブースがあるのならば、そのうちいくつかはちょっと待てば空きそうだが、一つしかない場合は全く空かないということもあり得る。

死ぬ思いをしながらトイレの前で仁王立ちし、じっとドアノブの赤い表示を見守る。この赤はまるで華のようだ。トイレに入ることを拒む赤い悪の華、ちと弱いな。

長い、とにかく長い。一つしかないトイレに籠った先客が全く出てこない。どれだけ待たせるんだ。絶対に中でパズドラやってやがる。そんな気配がする。一つしかないトイレに陣取り、ずっとトイレの中でスマホをいじる。これは殺人罪に近い。中東だったらトイレのドアごとマシンガンで吹き飛ばされても文句言えない。まさに、悪、悪の華と言うしかない。うん、ちと弱いな。

さらに10分ほど待っていると、個室内からピロロロロロという音が聞こえてきた。「おう、俺、うんうん、ちょっといまはコンビニ」こ、こいつ、トイレの中で通話してやがる。俺を殺す気か。ただちょっと先にトイレに到達したってだけで悠々と会話する奴と、死ぬ思いで神と会話しているやつ、この格差はなんだ。これが悪でなくて何が悪か。まさに悪の華。ちと弱い。

さらに10分ほど待つと、やっと出てくる気配がした。ガラガラとトイレットペーパーを巻き取る音。長い。どんだけ巻き取ってるのか。ミイラ男でも作る気か。それともトイレットペーパーで簡単に作れるバラの花のオブジェ、みたいな工作をしているのか。まさに悪の華。ちょっといいけど意味わかんねえ表現だな。

ガチャ

やっとできた!

中に入っていたのは筋肉ムキムキのヒップホップが公用語みたいな男だ。文句の一つでも言ってやろうと思ったが怖そうなのでやめておいた。鼻にピアスとかついててまさに悪そう、完全に悪の鼻。おっと、これは弱いとか以前に漢字が違うね。

うおー、俺は耐え抜いたぞ!トイレに駆け込み、まだヒップホップの残り香のある個室で一気に噴出する。下痢だった。思いっきり出た。立ち上がってみてみると、便器の水の中で広がる下痢は綺麗な花びらのようで、消化されていなかったコーンは花の模様のようだった。こいつが複数を引き起こして僕を苦しめたのだ。まさに悪の華のように便器の中を漂っていた。お、これだ、この表現だ。いいね、やっと使えた。

ということで、思いついた表現を使うことを前提に組み立てる文章。実はウンコって結構万能な品物で、どんな表現もたいていウンコを使うとそれっぽくなるので、こういった使いたい表現があるときはウンコを絡めると良い。是非とも試してみて欲しい。

もちろん、冒頭でも述べたように、本来なら書きたい内容があり、それを伝えていく上で様々な表現が使われるのが真っ当であるはずなのだが、こういうやり方もあるのである。あ、本来なら書きたい内容があり、それを伝えていく上で様々な表現が使われるのがご真っ当であるはずなのだが、こういうやり方もあるのである、だった。