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セックスはキスで決まるぞ

セックスはキスで決まる。

この言葉の言いたいところは、おそらくは出だしで全てが決まってしまうということだろう。セックスにおいてはプレリュードであるキスが何より重要であるという、なかなかに含蓄のある言葉だ。実はこれ、僕のセリフではなく、同僚の山本君のセリフなのだが、彼がこのセリフを口にした背景を語るとなかなかに面白い。

彼は、誰がどう見ても1000%童貞丸出しであるのだけど、本人はなぜか童貞であることを隠して稀代のプレイボーイであると主張する。街を歩いていたらギャルに逆ナンされてホテル直行よ、とか、ヤクルト売りに来たおばちゃんが急に色っぽい目つきになって、などとどんなエロ漫画に影響されたのか知らないが、あり得ないエピソードが山盛りの悲しきピエロなのである。

そうじゃないだろ、俺たちは街でギャル見たらカツアゲされそうで怖いから隠れるし、おばちゃんがヤクルト売りに来たら断れずに買うけど目すら合わせないだろ。頼むから悲しい妄想はやめてくれ。そういった妄想をするのは自由だ。ああ、自由だ。僕だって、文化祭で全校生徒の前でギターソロとか、最後のナンバーはとても大切な人に贈ります、いくぜ、オンリーユー!とか言う。学校がテロリストに占拠されて屋上で昼寝していた僕だけが拘束されず自由の身、通気ダクトを伝ってテロリストを倒す、って妄想をする。けれどもそれを口にしちゃあいけねえ。

そんな山本君が、長年のセックスライフで得た知見、みたいな感じで「セックスはキスで決まる」と言うのだけど、どこまで本当なのか分かったもんじゃない。たぶん、通気ダクトテロリストくらいのファンタジーなのかそもしれないが、「何事も始めが肝心」という部分には激しく同意したい。おそらくセックスはその行為自体よりも導入が大事だと童貞山本、略して童本は言いたいのだろうけど、実はこれはセックスだけではない。ここだけは言い切れる。

多くの事象がそれに当てはまるが、中でも文章というものはその最たるものではないだろうか。文章とは、読んでもらえなければその価値はゼロである。文章の後半に自分の伝えたいことや抱腹絶倒の面白エピソードを忍ばせたとしても、そこまで読んでもらえなければこれはもう、存在しないものと同じである。

ということは、人々の興味を惹く冒頭の一文が必ず必要なのである。これはもう美学に近いのだけど、良い導入の一文は、その一文だけで文章全体を一気に興味深いものにしてくれる。ただし、それでいて宣伝臭くないものでなければならないのだ。

情報端末が発達した現代社会、ネットワーク網が整備され、ブログなどが多くの人に広まった。それは同時にあらゆる人が文章を書いて発表することが可能となり、現実に我々が目にすることができる文章は爆発的に増加した。それと同時に増えたのが、美学のない文章である。

もちろん、それが悪とは言わないし、美学がなくても面白いものはいくらでもある。自分の文章が出来が良いものとも思わないし、興味を惹く導入文が書けているとも思えない。けれども、自分の中で譲れない美学というものを持つって文章を書くべきなのである。それが人に伝わる必要はないのだけど必要なものなのだ。

美学は時に制約となる。こう書きたいのだけど、それは美学に反するのでできない。その制約の中で工夫するから面白い。サッカーは手が使えないから面白い。足技の妙技に魅了されたりもする。これがなんでもありの無法地帯だったら、別の意味で面白いだろうけれども、今のサッカーとしての魅力は皆無だ。

そうした美学の中で大切にしているのが「導入の一文」である。なるべく興味を惹きそうな文章でありながら、それでいて宣伝臭くないものを心がけている。それでも全然美学に沿った文章が書けなかったりして、自分を恥じたりち繰り返しの毎日だ。

全ての文章は最初の一文で決まる。これはやはりセックスがキスで決まるのと同じなのだ。だから僕は良い一文を思いつくとスマホにメモするようにしているのだけど、そんなことをしていると一つの問題が生じてくる。

「何を書こうとしていたのか分からない」

言うなればこれは良くない一文なのである。思いついてメモしたときは、この一文から文章を組み立てていこうという気概があるのだけど、あとから見返すとなんじゃこりゃとなる文章が稀にある。これは文章が全体を統括できていない証左である。ということで、今日は、導入の一文をメモしたのはいいのだけど何を書こうとしたのかわからなかったものをメモ帳の残骸からピックアップして紹介していこうと思う。一体僕は何を書こうとしていたのか検証していきたい。

 

「県境のトンネルを抜けると、そこは風俗街だった」

なかなか良い出だしである。なんとなく風俗街で乱痴気騒ぎのエピソードが予想されてワクワクしてくるが、あいにく、そんなエピソードは経験にない。そもそも、県境に風俗街があるのか、そこにはトンネルがあるのか、ちょっと調べてみたが該当する場所が出てこなかった。それでは僕は何を書こうとしたのか。ここから全く関係ない話に展開させようとしたのか。全く分からない。

 

「4丁目の並木通りを走るバスを見て山本君は言った。「回送ってなに町にあんの?」」

一文でない気もするが仕方がない。早い話が山本君は馬鹿である。それは紛れもない事実であるのだけど、問題はここからどんな話を書くつもりだったのか。全く予想できない。まあ、たぶん山本君の悪口だと思う。

 

「悲しいという感情は嬉しいことがその前に必ずあるわけだからね。うらやましいね。」

なんかしゃらくさいことを言おうとしている様子は伺えるのだけど、それ以上何が言いたかったのか理解できない。ただ、この流れで行くと、俺には悲しいも嬉しいもない、なにせ感情がないからな、とか中二病特有の俺は無感情のモンスターみたいなことを言い出しかねないので、その辺はかなり怖いところだ。忘れて良かったんや。良かったんや。

 

「お口エッチ(おくちえっち)とオロエッチ(おろえっち)は似ている」

最近、フェラチオ的な行為を「お口エッチ」と言うらしい。確かにオロエッチという同級生がいて、そいつと絡めた話を書こうとした気配は伺えるのだけど、オロエッチは寺の息子だった。寺の息子とフェラチオを結び付けようとしている当たり、忘れて良かったエピソードに違いない。なんにせよ、書かなくて良かった気配は伺える。

 

「血尿テンプテーション、聞いたことがあるだろうか?」

聞いたことがあるわけないだろ。何ちょっとキリッとして問いかけてるんだ。これメモした奴は何考えてるんだ。頭おかしいんじゃないか。美学が聞いて呆れる。そもそもテンプテーションとは「誘惑」という意味である。血尿と誘惑が全く結びつかない。連想ゲームでもしようとしていたのだろうか。それとも血尿の素晴らしさを説くつもりだったのだろうか。

 

「散歩、チンポ、インポ、杉並区」

これメモしたとき安っすいクスリでもやってたんじゃないか。意味わからな過ぎて暗号を疑うレベル。幻覚を見ていたのかもしれない。バッドトリップてやつだ。もはや文章を書ける状態であったかも疑わしい。杉並区の放つ異彩がすごい。

 

「山本君はセックスまでの描写がすごい細かいけど、挿入するとすげえ淡白で笑う」

この一文がメモ帳から飛び出してきた時、僕の体に電流が走った。なぜこんなメモしたのか忘れたし。これを導入にして何を書こうと思ったのかさっぱり思い出せない。ただ、この一文は前から僕が漠然と思っていたことだったのだ。それを指摘したかったのだけど、なんか本人にしたら悪い気もするし、それを認めること自体、山本君をバカにしているような気がしてやってはいけないような気がしていたのだ。

けれども、こうしてメモ帳に残した一文として改めて分かった。僕の考えは正しかったのである。過去の自分からのメッセージに向き合うことができたのである。山本君は自分がプレイボーイであると自称し、セックス話をするのだけど、完全にこの一文の通りなのである。

セックスはキスで決まると自称するだけあって、キスの描写なのはネットリとしつこいくらいに。服を脱がせる描写もかなり細かい。そこから愛撫をし、と続いていくのだけど、肝心の部分が経験がないからか、すごいことになる。例を挙げると

佐和子と出会ったのは渋谷だった。カフェで休憩をしていると向こうの席から熱視線を送ってくる女がいた。すぐに連絡先を書いた紙を準備する。そしてトイレに行くふりをして、そっとその紙を落とした。佐和子は大学の友人と会話をしつつ、カフェラテを飲んでいた。話の合間にスマホをいじる仕草を見せていたので凝視していると、こちらのスマホから通知音が聞こえた。「もうすぐ友達と別れるのでそれからでいいですか?」話が早い女はいい。これが面倒な女になると、グダグダと何の生産性もない話が続いて

(中略)

ホテルに入ると、すぐに佐和子を抱き寄せた。

「ちょっと、まってシャワー」

「いいから」

「だめだって」

「いいから!」

二度目は少し強めに言った。気が強そうに見えて強くわ入れることを望んでいると予想した通り、すぐにおとなしくなった。けれども、まだ納得がいかないように口を開こうとする佐和子の口を荒々しく塞いだ。

佐和子の唇は、まるで取れたての果実のように柔らかく、それでいて弾力があり、ほのかに体温が伝わってきた。観念したのか、ゆっくりと舌が入ってくる。舌は唇よりさらに暖かかった。それでいて柔らかく、まるで意志を持った生き物のように少し戸惑いながら動いていた。季節で言うと春だろうか。どこか肌寒さを感じながら、それでいて暖かい、さらには決して強すぎず、ほのかに花の香りが漂ってくる。まるで自分が春の到来を喜ぶテントウムシのようだった。佐和子のキスは春なのだ。

(中略)

佐和子の服を脱がせると、真っ白なシーツよりさらに白い裸体が現れた。一点の曇りもない彼女の体は、まるで保護色のようにシーツに溶け込んでいる。少し悪戯をしてみる。佐和子の甘い吐息が二人の間の空気を波立たせ、彼女の右腕がシーツに波紋を作り出した。そして、みるみる体が紅潮し、シーツと裸体との境目が現れだした。まるで捉えられたテントウムシのようだ。快楽の世界に戸惑っているようにすら見える(こいつテントウムシ好きすぎだろ)

(中略)

佐和子のテクニックはぎこちない。あまり経験がないのだろう。けれども、それが残念かと言えばそうでもない。気持ちがこもっているのである。つくづく、こういった行為は精神世界にあるものだと実感する。肉体的な充足よりも精神的充足である。佐和子が一生懸命する姿を眺めているだけで興奮が高まってくる。佐和子は一生懸命に、俺の茎の周りを愛おしく扱っている。それはまるで菜の花の茎を上り下りするテントウムシのようで妙に愛おしかった(こいつテントウムシ好きすぎだろ)。いよいよ準備万端だ。

「いいんだね?」

その問いかけに佐和子は深く頷いた。近くで見つめあう。佐和子の瞳の中に自分がいた。きっと俺の瞳の中には佐和子がいる。いよいよだ。俺は今や鉄の棍棒のようになった一物をそっとさわこにあてがった。

入れた。イッた。

結局、連絡先を交換しなかったので佐和子とはそれきりだったが、できればまた会いたい。

挿入からの描写が少なすぎだろ。テントウムシ多すぎだろ、と山本君のセックス武勇伝を聴きながらいつも思っていたのだけど、見事に過去の自分がメモとしてメッセージを残してくれていたことに感動した。この冒頭の一文からこういうことを書きたかったのだと思う。

冒頭の一文とは、美学である。そしてメッセージなのである。何らかの美学を持って文章にあたる、そうすれば違う世界が見えてくるかもしれない。

ちなみに、こういった過去のボツネタ総集編みたいなもので一本の文章を書いてお茶を濁すことは完全に僕の美学に反するので、今これを書きながら恥ずかしくて顔真っ赤である。まるでテントウムシのように(こいつテントウムシ好きすぎだろ)。