iPhoneからXperiaに変えて僕に起こった10の変化

iPhoneは素晴らしい革新的デバイスだ。それは多くの人が異論のないことだろうと思う。真に偉大な発明は人類の生活や文化を一変させるといえ、そう言った意味ではiPhoneが人類に与えたインパクトは最も偉大と言える。

そんな偉大なるiPhoneを長年愛用してきたが、ひょんなことからMNPで携帯会社を移ると同時に機種変更をすることになり、ここらでいったん距離を置いてみるのもいいものかとAndroid機種に変更することにした。特に深い理由はないがSonyもまあまあ好き、と言う理由からAndroid搭載機の中でも人気のあるXperia端末を選択した。

たかが携帯端末、たかがスマホである。それ以上でもそれ以下でもないというのは十分に理解できるが、今やこれらのデバイスは僕らの生活に濃厚に密着している。これらを変化させるということは生活を変化させるに等しい行為なのである。

では、iPhoneからXperiaへと交換してどのように生活が一変したのか、ちょうど機種変更から1年経過したこの日に個人的感想をレポートしてみたいと思う。

 

1.新機種の発表に脅迫されなくなった

iPhone所持時代は最低でも1年に1回は新機種が発表されていた。もちろんAndroid端末もXperiaも新機種は継続的に発表されている。しかしながら、これらはあまり大きく報じられることはない。だが、iPhoneはそれこそ夕方のニュースレベルで大々的に新機種発売が報じられることが多々あるのだ。

iPhoneを所持してそれらのニュースを見ると「買わなければならない」という強迫観念が心の中に生まれる。5Sを所持しているなら6を。6を所持しているなら6Sをときりがない。ついでにiPadもいかなければいけない気持ちが沸き上がってくるから不思議なものだ。ある種の脅迫めいた何かが新機種から押し寄せてくるのだ。

けれどもXperiaを所持していると、それらのiPhoneのニュースにあまり心が動かされない。おまけに新しいXperia端末が発売されたというニュースなんかは積極的に取得していかないと入ってこない。つまり、普通に生活していれば、今何が発売されているのかもあまりわからないのだ。そう、新機種から決別することができたのだ。狩人のように新機種を追いかける必要がなくなったという点では安息の日々が訪れたともいえるのだ。

 

2.安定性を見直すこととなった

これは完全に個人の事情になるのだが、僕の中でAndroid端末は安定性が悪いという印象があった。実はiPhoneを所持する以前にINFOBARスマホを所持していた時代があったのだが、どこでどう操作を間違えたのか、電話帳とツイッターのアカウントを紐付けしてしまい、一気にツイッターフォロワー1万人のアカウントが洪水のごとく電話帳へと流れ込んだことがあった。

結果、電話帳を開くのに処理が重すぎて10分、メールを開くにも10分、で、メールを見るのは1分とか、待ち時間ばかりが長すぎて人気テーマパークのアトラクションみたいになっていた苦い経験があるのだ。

そんな事情もあってAndoroidは安定性が悪いという自分勝手な印象を持っていて、少しビビっていたが、久しぶりに戻ってきたAndoroidはそんなことはなかったし、非常に安定していた。もちろん、ツイッターと連携なんていう魔のボタンも存在しない(たぶん)。非常に快適な操作性が維持されていたのだ。

 

3.スマホのことをスマホと呼ぶようになった

以前の僕は、スマホを家に忘れてきた場合、「あ、iPhone忘れてきちゃった」と独り言を言うことがあった。けれどもXperiaに変えた今は「あ、Xperia忘れてきちゃった」とは言わない。きちんと「スマホ忘れてきた」と言うのだ。どのような心境の変化があったのか分からないが良いことだと思う。

これは例えば、風俗狂いの同僚の話を面白おかしく報告する際に、「同僚の奴が風俗に狂っていて」と総合的な呼び方をすれば良いのに、わざわざ詳細に「同僚の鈴木隆久(32)がデリヘルアクアのミクちゃん(24)にはまっていて」と誰も幸せにならない詳細情報を伝えるようなものである。スマホスマホと呼ぶと全てのことがうまくいくのだ。

 

4.思い出を大切にするようになった

以前の私は思い出をゴミの日に集荷場に出すような刹那的な生き方をしていた。旅先や仲間と集まった時、道端で綺麗な花を見つけた時と、一時の感情が盛り上がってiPhoneで写真を撮ることが何度かあった。このシーンは必ず思い出になる、写真に収めなければならない、撮らなければきっと後悔する、という思いが確かにあったのだ。

iPhoneのカメラは素晴らしく色褪せることのない思い出を高画質に刻み込んでくれる。けれども、それらを振り返って見ることはほとんどなかった。思い出はその時だけの使い捨てであったのだ。

しかしながらXperiaにはMovieCreatorというアプリが初期から標準搭載されていた。もちろん探せばiPhoneにもそのようなアプリはあるだろうが、最初から入っているという点が重要なのである。

このMovieCreatorの優秀な点は、ある程度枚数が貯まるか、一定期間が経過すると、撮影した画像を勝手に編集し、感傷的な音楽と共にスライドされるムービーにしたててくれるのだ。ムービーできたで、押し付けるように通知してくる点も高評価だ。これは否が応でも思い出を振り返るしかない。思い出を使い捨てににはさせないという強い意志すら感じる。

例えば君と恋人がどこかに旅行に行ったとしよう。彼女の笑顔を沢山スマホで撮影した。すると「今日の思い出」みたいな感じでムービーが勝手に作られるのだ。それを開くと

テロンテロン 格式高いクラシックのような音楽が流れる

それに合わせて次々と彼女の笑顔が

少しおどけたポーズの彼女も

これらがオシャレにレイアウトされてスライドが切り替わる

時には花の映像も

テロンテロン

彼女と楽しんだ鎌倉の風景

過去を振り返らない主義の私でさえもこれは楽しかったあの日に思いを馳せてしまう。そういった思い出に浸るツールが最初から入っている。思い出を大切にできるのだ、そう、Xperiaならね。

 

5.痔になった

これはiPhoneXperiaも関係なく、まっこと私事で申し訳ないが、単刀直入に言うと、痔になった。iPhoneからXperiaに変えた直後に痔になったわけだから全く関連性がないとは強く言えないところであるが、科学的根拠がないのでここは憶測の域に留めておきたい、けれども何らかの可能性は否めない。

例えば、神社でノグソなどの罰当たりな行為をした直後に鳥居を出たらトラックに轢かれたとしたら、誰しもが「バチがあたった」と考えるだろう。神社のノグソとトラック轢死は何ら関連性がないが、それでも関連して考えてしまう。それと同じで、Xperiaに変えた直後に痔になったとしたら、無関係と考える方が不自然である。

少しお尻が痛いかな?と騙し騙しの日々が続いていたが、ある日、パンツを脱ぐとパンツが真っ赤だった。闘牛士もちょっとこれは赤すぎるとクレームをつけるレベルで真っ赤だった。一瞬何が起こったのか分からなかった。宇宙人にアブダクションされて記憶を消されたことも疑ったが、普通に考えて痔が出血したのだろうと思った。

考えてみて欲しい。自分の体から大量の出血をしている。その場合どうするか。たぶん、多くの人が傷口を見るだろう。無意識のうちでも傷口を観察し、その傷がどれだけシリアスなのか自己判断を下す、多くの人がこれをするはずだ。かすりきずなら放置するし、大きな傷だったら病院に行くだろう。とにかく本当に痔であるならばその傷口を確認しなければいけない。

ここが痔の厄介なところで、自分で傷口を見ることができない。視認できない正体不明の場所から血が流れ出る。これはドラクエで毒の状態のままダンジョンの奥深くまで潜るようなものである。いつの間にか死に至ってもおかしくないのだ。

鏡を駆使してなんとか傷口を観ようと、女尻のパッケージみたいなポーズにもなるが、それでも確認できない。その時、ある閃きが私の体を貫いた。その閃きは稲妻のようで衝撃で少し痔から多めに出血したような錯覚に陥った。

Xperiaがあるじゃないか!

鏡で確認できないなら、自分の痔を撮影すればいい。自撮り棒みたいなものがあれば尚良かったが、それでも女尻ポーズから懸命に手を伸ばせば撮影も不可能ではない。痔の撮影もできる、そうXperiaならね。

どこかで聞いた話だが、かのスティーブジョブズはインタビュアーが取り出したiPodにカバーが付いているのをみて残念そうな表情をしたという。こだわりを持ってデザインし、傷がついた状況や手触りまで愛してデザインしたデバイスにカバーを付けられることをひどく残念に思ったらしい。

ということは、そこまでこだわったデバイスで痔の撮影をすることを好ましく思わない可能性もある。そう、iPhoneでは痔の撮影なんてできやしない。でもXperiaなら・・・。もちろんXperiaだってこだわって作られていて、痔の撮影なんかされたら残念がる人はいるだろうが、僕の中でその個人の顔は浮かんでこない。顔が浮かんでくるか浮かんでこないかってのは結構重要で、人間て本当に厭らしい生き物なのだけど、そういった残念がる人の顔が浮かんでこないとなると結構なことがやれてしまう。痔の撮影だってできる、そう、Xperiaならね。

角度が難しくて何十枚と撮影したが、なんとか痔の状態を確認するに至った。深刻でシリアスな状況である。

 

6.洗練されたデザインにうっとりできるようになった

iPhoneはいうまでもなく洗練されたデザインである。しかしながら、おちついてXperiaのデザインを眺めてみると、なかなかどうして、そんなに捨てたものではないことに気が付くく、そして、これらのもつ、遠い郷里のような慕情は、革新的デバイスとは一線を画すものであり、夕暮れのようなそこはかとない焦燥感を覚えさせてくれ、

テロテロンテロン

おや、なんか思い出ムービーが勝手に作成されたようだ。おかしいなどこかに遊びに行ったわけでもないからそんなに画像を撮ってないのになんでムービーができてるんだろう。とにかく見てみるか。

テロンテロン 格式高いクラシックのような音楽が流れる

それに合わせて次々と痔の画像が

少しおどけたポーズの痔も

ちょっと怒ってるのか膨れた表情の痔も

これらがオシャレにレイアウトされてスライドが切り替わる

時には出血して花のような映像も

テロンテロン

痔と楽しんだ女尻の風景

痔からドーンとフォントが出てきてMay 3 Afternoonとか表示される。

かわるがわる数十枚の自分の痔のスライドショーを見ることができる。そう、Xperiaならね。

 

 

iPhoneは偉大なる革新的デバイスだ。iPhoneが人類に与えたインパクトは最も偉大と言える。けれども私に与えた最大のインパクトは痔のスライドショームービーが勝手に生成されてくるXperiaによるものなのだ。そう、Xperiaならね。