神様のフガシティ

場外馬券場には神様が住んでいる。

僕がよく行く場外馬券場の名物オヤジの言葉だ。毎週末、馬券を買いに場外馬券場へと赴くと、自然と同じ行動をしている自分に気が付く。同じルートを通り、同じ売店で競馬新聞を買う。同じフロアで新聞とにらめっこし、同じ券売機で馬券を買って同じように外す。ある種のルーティーンが存在する。

周りを見回すと、同じようにルーティーンを繰り返しているのか、同じような顔ぶれが同じような行動を繰り返していることに気が付く。あのオッサンは先週もここにいた。あのババアなんて何度見たかも分からない。いつの間にか顔見知りみたいな状態になっているのだ。

そんな繰り返される顔ぶれの中でも特に濃厚な個性を持っている人は、名物キャラとして語り継がれる。僕がよく行く場外馬券場にも二人の名物オヤジが存在する。その一人が、「Windowsオヤジ」だ。

このオヤジは妙に馴れ馴れしくて、全然知らない人でもガンガン話しかけてくる。ちょっと新聞とにらめっこしながらどの馬にぶっこむか悩んでいると、いつの間にか横に立っていて、「買う馬は決まったか?」と話しかけてくる。「いえ、まだです」と返そうものなら何らかのスイッチが入ったかのように喋りだし、最終的には「俺は調教師と幼馴染だから特別な情報が入ってくる。今日は特別に教えてやろう、次のレースは10番を買え。絶対に来るから」と持ち掛けてくる。

競馬場や場外馬券場でこうやって話しかけてくる人は基本的に怪しくて、例えば当たった時とかに何割よこせとか言い出したり、予想を聞いたんだから金を寄こせと言って来たりするのだけど、このWindowsオヤジはそういうことは一切ない。ただ純粋に買う馬を勧めてくるのだ。

「いいか、絶対に10だ、10にしろ。後悔するぞ、10にしろ。とにかく10にしろ」

なぜか、いつも勧めてくるのは10番の馬で、あまりに強引なのだ。その様はまさにアップデートを迫るWindowsで、そんな事情で命名させてもらった。ちなみに、何度か遭遇して勧められるたびに10番の馬を買っているのだけど、今までに当たったことはない。

もう一人の名物オヤジが、「神頼みオヤジ」だ。基本的におとなしいオヤジなのだけど、なぜか馬券を買うときに券売機の前でバシュッと結界を張るみたいな動きをしたのち、二回お辞儀、その後、ものすごい大きな音で二回手を叩いてまた1礼をする。その手を叩く音は凄まじく、フロアのだれもが一瞬、発砲事件でもあったのかと思うほどだ。どうやら券売機を神棚か何かに見立てて神頼みをしているのだ。で、その一連の動作が終わった後に大きな声で

「どうか馬券を当ててください!」

という。僕はここまで大きな声で自分の欲望を言ってのける人をあまり見たことがない。とにかく、馬券を買うたびにその仰々しい神頼みが始まるので鮮烈に記憶に残ってしまうのだ。

そんな折、いつものようにルーティーンで場外馬券場に行き、いつものフロアに行くと、やっぱりWindowsオヤジはいろいろな人に話しかけて10番を買うように勧めていた。慣れている人も慣れていない人も、Windowsオヤジに対して煙たそうな顔をしていたが、彼はお構いなしに次々と話しかけていた。もちろん、僕も「絶対に10を買え。金くれるなら俺が勝手に買ってきてやる」くらいの勢いだった。夜のうちに勝手にアップグレードするOSみたいだ。

まあ、勧められたから買うけどさあ、この10番の馬、絶対に勝たないと思うぞ、と券売機で購入していると、パンパンッ!と柏手を打つ音が聞こえた。神頼みオヤジだ。

「俺の馬券だけでいいので当ててください!」

僕はここまで欲望丸出しの心の声を口にしている人を見たことがない。相変わらずこのフロアはWindowsオヤジも神頼みオヤジも健在だ、と思っていると、予想だにしない怒号が聞こえてきた。

「てめー!いつもいつもうるせえんだよ」

神頼みオヤジに絡んでいくオヤジの声が聞こえた。あいにく大レースの日とあってフロアに人は多く、姿が見えなくて声だけが聞こえる状態だったので誰が神頼みオヤジに絡んだのかわからなかったが、さらに続きの怒号が聞こえてきた。

「神に頼んだってどうしようもねえんだ。10番買え、10番。当たるからよ」

Windowsオヤジだ。

とんでもないことだ。このフロアの二大巨頭がついにあいまみえることになってしまった。それは、好きなAV女優が二人いて、こっちはロリ系で好きだし、こっちはエロ系で好きだしって勝手にすみ分けてたら、SOD二大スター衝撃の共演、片方が上半身攻めて片方が下半身、男優目線のカメラで、みたいなことをやり始めた時のテンションに近い。

「誰に頼もうが俺の自由だろうがよ」

神頼みオヤジも食い下がる。

「いつもうるせーんだよ、おめーは!パンパン手を叩きやがって、鯉だって餌もらえると思ってこの階までのぼってくるわ」

「のぼってくるわけねーだろ」

「のぼってくるわ」

「こねーよ」

なんでこいつら鯉が上ってくるこないで言い争っているんだ。論点が違うだろ。

「だいたいな、この世に神なんかいるわけねーだろ」

Windowsオヤジが吠える。論点が戻った。そして僕もこの意見には賛成だ。この世に神はいない。

あれはちょっとマイナーな神社に行ったとき、閑散としている境内でウンコをしたくなった時だった。見回すとマイナーな神社ゆえにトイレも何もない。もうこれは漏れると半ば覚悟した時、神社横の社務所みたいな場所を見つけた。たぶん人が常駐しているであろう雰囲気がしたので、ドアを開けて「すいませーん」と呼びかけると、中から神社関係者っぽいおばさんがでてきた。すいません、トイレ貸してくれませんかと呼びかけると冷徹に「うちそういうのやってないから」と断られた。神の社と書いて神社である。その神社でこの仕打ち、神はいないと悟った。神様はいない。だって祈ったもん。祈ったもん。

「神はいるぞ。いつも我々を見てくださってる。場外馬券場には神が住んでいるんだ」

「いるわけねえだろ」

「いるんだよ。ほら今日だって3回も馬券が当たっている。これは神のおかげ」

「それはお前が競馬上手いだけじゃねーか」

「それほどでもない」

「いいや、うめーよ。結構難しいレースじゃん」

「そうかな?」

「うめーよ。尊敬するわ」

「そう?」

なにこいつら喧嘩してたんじゃねえのかよ。なに草原で殴り合ってお前やるなお前こそお前なら佐和子を任せられる俺転校するんだイギリスに向こうのヤンキーに負けるなよおう大和魂見せてくるぜ帰ってきたらまた喧嘩しようなみたいになってんだよ。

「でもな、神なんていないんだよ」

「いるんだよ」

「いるんなら俺は離婚されてねえ」

「俺は離婚されたけど神を恨んだりはしない」

どっちも離婚されてんのかよ。やっぱいないんじゃないか、神は。

一瞬仲直りしかけたのに、また神の有無で喧嘩がおっぱじまる。どんどんとヒートアップしていき、いよいよ殴り合いが始まりそうといった雰囲気で、フロアを守る緑服(係員)も近づいてきたとき、フロアのビジョンに流されていたレースの映像から大きな声が流れてきた。

「勝ったのは10番、意外や意外。なんと人気薄の10番です!」

10番が勝った。

これにはWindowsオヤジ大歓喜。雄たけびを上げた。吠えた。

「ほれみろ、10が来たぞ!俺の言った通り10だ!」

そしてなぜか神頼みオヤジも大歓喜。

「俺が神に頼んだおかげだ!10番が来た!」

おめーも10買ってたのかよ。なら仲良くしろよ。

「よし、飲みに行こう!」

「行こう!神が実在することについてじっくり話してやる」

「俺もなんで10なのかじっくり話してやる」

そのまま二人は仲良くフロアから消えていった。なんなんだこいつら。

場外馬券場には必ず名物オヤジと呼ばれるオヤジが各フロアに配備されている。もしかしたら神も住んでいるのかもしれない。勧められるままに購入した物凄い配当のついた10番の馬券をもって、僕もそう思った。