夏の匂いを残してパンツが消えた
セミの声がいつもより大きく感じられた。まるで耳鳴りのようだ。金属剥き出しの錆びついた階段をカンカンと昇る。
「いやーまさかあんなところで会うとはな」
「偶然ってすごいな」
たまたま夕飯を買いに行ったスーパーで横田にあった。2年ぶりだった。もう一人の親友、山本が死んでから自然と会わなくなり、連絡もとりあっていなかったので、ものすごく驚いた。
「なに? 近所に住んでるの?」
「いや、家は結構遠い。すごい田舎で山の中だし」
「へえー、じゃあたまたまなんだ」
アパートの鍵を開け、ドアを開ける。そこには信じられない光景が広がっていた。
「よう!」
ドアを開けると、そこには山本の姿があった。屈託のない表情で胡坐をかいてテーブルの前に座っていて、軽快に右腕をあげている。軽やかすぎるし、なぜか全裸だった。
「ようじゃねえよ、なに? お前生きてたの? え? え?」
意味が分からなかった。山本は2年前に交通事故で死んだはずだ。葬儀にも参列したし、特に親しかったということで火葬場にもついていった。
「おい横田、山本って死んだよな?」
「は? 何言ってんのお前?」
横田は不思議そうな顔をしてこちらを覗き込んでいる。どうやら山本の姿が見えないらしい。
「おまえ、あれ見えないの?」
「何のこと? それより早く飲もうぜ」
どうやら冗談でもなんでもなく、本当に山本の姿がみえないらしい。
「突っ立てないで早く入れよ。酒飲もうぜ」
山本は涼しげな顔でそう言った。横田には山本の姿は見えない。そして、山本は2年前に確かに死んだ。総合的に考えて山本は霊魂的な何かなのだろう、俗に言う幽霊というやつだ。
「なつかしいなあ、二年ぶりか」
屈託のない笑顔で山本は笑いかける。色々と観念して、そのままテーブルに座った。
「いいか横田。信じられないかもしれないがここに山本がいる。そこに座ってる。多分幽霊だと思うけど、本当にそこにいるんだ。今も笑ってる。俺おかしくなっちゃったのかな」
横田は隣に座りながらさらに涼しげな顔で言った。
「なんだあ、そんなことか。つまり、山本の霊がそこにいるんだな。なんで出てきたのかは知らないけど、お前にだけ見えるってことは何か用事があってきたんだろ。聞いてやれよ」
霊を受け入れるののが早い。物分かりが良すぎる。まさかジョークかなにかだと思っているのだろうか。釈然としないながらも、まあ、そんなものなのだろうかと思いつつ、とりあえず山本に質問した。
「なんで全裸なの?」
山本はすぐに答えた。
「俺も幽霊になれば白い着物みたいなものが支給されるかなって思ったんだ。みんなそういうの着てるだろ。でも、どうやらそういうのはないみたい。というか、霊界みたいなもの全然ないの。もっと組織的に霊を統括してる組織とかあると思ったらそういうのないの。勝手にやっててくださいって感じ。気づいたら霊になってて全裸だった」
そういうものなのかと思った。
「とにかく目のやり場に困るわ。俺のパンツ貸してやるからはけよ」
山本の後ろにあった畳んでいない洗濯物の山を指さした。
「そうだな。俺もなんか落ち着かないし遠慮なく借りるわ」
山の上から花柄のトランクスを取り出しゆっくとはいた。
「おちつく」
「俺も落ち着くわ」
そこに横田が声を上げた。
「ちょとまってくれ。おかしいだろ、それ」
変なことを言い出すときの横田の顔だ。こいつも山本と同じく会うのは2年ぶりだが、全然変わってない。
「俺は山本の姿が見えないけど、会話を聞くに山本がパンツはいたんだよな」
「うん」
「ちょっとよそ見してたからわからなかったんだけど、そのパンツどうなった? 今山本はどうしてる?」
「座ってるよ」
「じゃあ立つように言ってくれ」
よくわからないが、山本に立つように伝える。すぐに山本はその場で立ち上がった。
「やっぱり何も見えない。じゃあさパンツはどこにいったんだ?」
なるほど。山本がはくまでは確かにパンツはこの部屋に存在した。けれども、山本がはいた瞬間に横田からは山本ごと見えない存在になってしまっている。よくよく考えたらこれはおかしい。
「俺もパンツだけ宙に浮くと思ってたけど、どうやら身に着けると霊が見えない人には服ごと見えなくなるらしい」
なんとも不思議な話だ。
「ちょっと実験してみよう」
横田が提案した。すぐに山本にパンツを脱いでもらう。
「あ、見えた。何もないところから花柄のパンツがでてきた」
「よし、じゃあ次はゆっくりはいてみて」
山本に指示する。
「あ、消えた」
どうやら山本が手に持った瞬間に消えるらしい
「じゃあ、そこにある氷結ストロングの缶は?」
確かに気になるところだ。すぐに山本に持ってもらう。
「消えた」
どうやら山本に触れたものは、霊が見えない人から見たら消えてしまうらしい。
「なんか消そうと思ってるわけじゃないけど、すげー疲れるわ。自分の体が薄くなったのを感じる」
「じゃあこのテーブル触ったらどうなる?」
「消えないな」
今度はいくら山本が触っても消えないらしい。
「なるほどなあ」
横田は何か納得したようだった。そういえば横田は昔からこういうところがあって、なんでも理論的に考える癖があった。
「たぶん、霊には触ったものを消す能力があるんだろう。じゃないと霊が見えない人には服とかカツラとか銀歯とか浮いて見えちゃうからな。でも、あまりに大きいものは消せない。だって、いま山本が座ってるんだから本当はこのアパートごと消えてないとおかしいだろ」
なるほど、なかなか納得のいく仮説だ。さらに横田は続けた。
「多分だけど、物を消すって行為は霊的な力を消費するんだろう。パンツ程度なら問題ないが、酒の缶を消したら薄まったような感じがするって言ってるんだろ? あまり重いものを消すと霊エネルギーがなくなる。だから無意識に大きいもの、重いものは消さないようになってるんだよ、たぶん」
横田はいつもこうだった。頭が良くて考えが柔軟だ。その反面、俺は慎重すぎる性格で、山本は何も考えない無頓着な性格だ。
「だから重いものを消さないように気を付けるように山本に言ってくれ。せっかく霊として出てきたのに消滅しちゃったら困るだろ。たぶん重いものも消そうと思えば消せる。そのかわりエネルギーを使い切って消滅するんじゃないか」
そのまま山本に伝える。
「なるほど、横田らしいな。気を付けるよ。そう伝えてくれ」
「わかった」
俺たちは小学校からずっと一緒だった幼馴染だ。いつも学校帰りに遊びながら3人で帰ったものだった。3丁目の墓場の横のブロック塀は進むにつれて高くなる階段みたいな構造になっていて、そこが俺たちの遊び場だった。
「向こうの端まで落ちずに歩けたら勝ちな」
無鉄砲な山本に、
「理論的に考えて速く走った方が安定する。自転車と同じ理論だよ」
理論的に考える横田。
「ちょっと待てって落ちたら怪我するぞ。やめようぜ」
慎重すぎる俺。
バラバラの性格が俺たちのバランスをとっていたのだと思う。ただ一つ、バラバラな僕らにも共通している事があった。それが、真子の存在だ。
「こらー! ブロック塀で遊ぶなって先生言ってたでしょ! 降りなさい!」
クラスメイトで同じく俺たち3人の幼馴染だった真子。勝ち気で明るく、少し乱暴なところがある女の子だった。ただ、笑顔で素敵なヒマワリのような女の子で、俺たちは3人とも真子のことが好きだった。言わなくても他の二人も真子のことが好きなんだろうなってなんとなく分かっていた。
「真子は元気か?」
山本が急に真面目な顔して言った。すごい真面目な顔で言われても、パンツいっちょなので真剣さが伝わってこない。
「わからない」
すぐにそう答えた。
「お前が事故にあってから俺たちも会ってないからな。なんだか出し抜いているみたいで遠慮しちゃってな。自然とそうなっちまった」
そう続けると横田が反応した。
「なんだ、真子の話か?」
「ああ」
そう答えると横田は黙ってしまった。俺たちは山本の葬儀で真子にあった。真子は山本の死を悲しみながらも気丈に笑っていた。ただ、俺も横田も、あまり話はしなかった。山本が真子のことを好きだったことは知っていたからだ。
同じく、自分たちも真子のことが好きだった。ただ、真子は山本のことが一番好きなんだろうなってなんとなく感じていた。将来は真子と山本は結婚するんじゃないか、喜ばしくもあり、少し胸の奥が痛むような複雑な心境だった。山本が死んだ今、真子に思いを伝えることはなんだか山本の死をチャンスと捉えているような気がして嫌だった。
別に申し合わせた訳ではなく、自然と真子とは連絡を取らなくなった。そのうち横田とも連絡を取らなくなり、いつの間にか疎遠になっていた。その横田と2年ぶりに偶然会い、さらに山本が霊になって現れた。真子の話になるのは当たり前のことだった。
山本がパンツ一枚のくせに真剣な顔で続けた。
「バカなんじゃねえの、お前ら。出し抜くとかそういうのじゃねえだろ。そもそも、真子の気持ち考えたことあんのかよ。真子は、真子は」
そこまで言って黙ってしまった。
「真子に会いに行こう。今から会いに行こう」
山本の声は聞こえないはずなのに、まるで聞こえていたかのようなタイミングで横田が言い出した。何を言ってるんだ。会いに行くとか無理に決まってるだろ。
「連絡先も居場所も分からないよ」
そう言うと、すぐに横田が反論した。
「山本が分かるだろ。霊だし。霊的な何かで居場所くらいわかるだろ」
「わかるのか? 霊的な何かで」
「わかるだろ、霊だし」
けっこうそういうものらしい。
「でも、もう夜も遅いし」
そう反論すると今度は山本が反論した。
「ふざけんな、こっちは霊だぞ。夜遅くなってからが本番だ」
こう言われてしまっては反論できない。俺たち3人はすぐに出発することにした。
「外出するんだし、もうちょっと服着るか? さすがにパンツ一枚は」
「いいよどうせ誰にも見えないようにするし。見せる人と見せない人を分けるやり方がなんとなくわかってきたところだ。マニュアルとかあるといいんだがそういうの一切ないから困るよ」
そういうものらしい。
酒を飲む前でよかった。おんぼろの軽自動車に乗り込む。助手席には山本の、霊、後部座席に横田が乗り込む。山本は何か念じるような素振りを見せ、国道に出ろだとか、高速に乗れだとか指示してくる。本当に真子の居場所を感じ取れるらしい。ただ、霊的パワーをすごく使うとも言っていた。
「なあ、この世の中には幽霊って溢れてるのか?」
山本に質問した。幽霊と会話できる機会なんてめったにない。聞いておきたい問題だ。
「俺もさ、幽霊になれば街に溢れる幽霊が見られると思ったんだよ。でも、全然見えないの。どうやら幽霊同士は感知できないようになってるらしいわ。他の幽霊に干渉しないようになってんだろうな」
「そういうもんなのか」
あまりに孤独である。そう思った。できれば霊界みたいなものがあって、そこで安らかに霊同士で仲良くしていてくれたら、そう思ったが、死んでからはずっと孤独らしい。それが霊となって出てくる人だけに限った話なのかは分からない。
「ここ心霊スポットらしいな。それも比較的新しい。でもやっぱ何も見えないや。いるかどうかも分からん」
助手席に座った山本がそう言った。高速を降りて山道をしばらく走った先にあったダムにさしかかった時だった。霊の口から「心霊スポット」なんて言葉が出てくることがなんだか奇妙だった。
「霊としてさまよってるときに偶然、女子高生が話してるの聞いたんだけど、ここで身を投げて死んだやつがいて、その霊が地縛霊となってこのダムにいるらしい。こわいねー」
霊が何を言ってるかという感じだが、なんだか矛盾しているかもしれないが隣に霊がいると思うと心霊スポットもあまり怖くない。
ただ、霊には霊が見える、なんてことはない、それが意外だった。横田は後部座席で眠っていた。
「山本は助手席に座ってるのか? 霊は車に乗るときはバックミラーに映るかボンネットの上にはりついてるか、上半身だけですごい速度で追いかけてくるかだろ、助手席は霊らしくない」
冗談ぽくそう言っていたが山本には伝えなかった。疲れているのか、バックミラー越しに顔をみると少しいびきをかいて寝ているようだった。
「ついたぞ、あの町に真子がいる」
山間から街の光が見えた。そこそこ大きな街だ。長い長い下り坂を経て街へと到達した。
「右折だ」
「次は左折」
「その先に真子を感じる」
山本が指定したのは深夜営業のファミレスだった。
「ここに真子がいるのか?」
いつの間にか横田が目覚めていた。
「そうらしい、入ってみるか?」
すぐに横田が答えた。
「いや、その必要もないだろ。みろ、あれ真子だろ」
大きな窓から店内の様子を見ることができた。そこにはウェイトレス姿で働く真子の姿があった。
「仕事中に来られても困るだろ。仕事終わるまで待とう」
横田の言葉に納得し、そのまま車内で待つことにした。
「こんな深夜まで働いているのか」
遠目なのではっきりとは見えなかったが、なんだか真子の笑顔がないような気がした。
どれだけ待っただろうか。もう明け方近くになった時、ファミレスの裏口から出てきて自転車に乗る真子の姿が確認できた。話しかけようとしたが、真子はスーッと走り出してしまった。
「素早いな、追いかけよう」
「ああ」
信号機が多く、なかなか真子に追いつけない。なんとか姿を見失わないように追いかけるのが精一杯だった。
「あそこの家に入ったぞ。ここに住んでるのかな」
今にも朽ち果てそうな汚いアパートだった。こんなところに真子が住んでいる? なんだか理解が追いつかなかった。
「みろ、表札がある。真子の名前だ。でも男の名前も書いてあるな。真子、結婚してるのか?」
横田に言われるまま表札を見る。確かに、男の名前と一緒だ。そうか、真子は結婚したのか。そう思った瞬間、大きな音がアパートの中から聞こえた。
ガシャーーーン!
何かが壊れる音、そして同時に悲鳴が聞こえた。
「な、なんだ!?」
「家の中で何かが起きてる。それに今の、真子の悲鳴だろ」
「どうすりゃいいんだ」
まごまごしていると横田が言った。
「山本に見にいってもらえ。壁とかすり抜けられるだろ、霊だし」
確かにそうだ。すぐに山本に頼む。
「人の家に勝手に入るの趣味じゃないんだけどな。でも非常事態だ。行ってみる。すり抜けられるだろ、霊だし」
俺の部屋に勝手に入ってたじゃないかと思いつつ、すーっと壁に消える山本の姿を見ていた。1分もしないうちにまたスーッと壁から出てきた山本はこう言った。
「すぐに入れ、ドア破ってでも入れ。緊急事態だ」
「いや、人の家に勝手に入るのまずいだろ」
躊躇していると横田も叫んだ。
「早く入れ、手遅れになるぞ」
勢いに押されるようにドアノブに手をかける。カギは掛かっていなかった。すぐにドアは開いた。
「殺してみなさいよ!」
「てめー上等だ! 殺してやる!」
男と女が言い争う声が聞こえる。ただ事ではないことがすぐにわかった。
「おじゃますね」
一応、小さく声をかけ靴を脱いであがる。ゆっくりと居間まであるくと衝撃の光景が広がっていた。
包丁を構える女に、金属バットを構える男。女の方は、やはり真子だった。
「真子……?」
「え? 嘘? どうしてここに?」
そこにあの日の真子の姿はなかった。笑顔が眩しく、勝ち気で、ヒマワリのような真子は存在せず、暗い表情をして右目を腫らして死んだ魚のような瞳をした真子の姿しかなかった。
「あの男がタチの悪い男みたいだな。真子に働かせて自分は遊んで暮らしてるみたいだ。他に女も作ってるみたいだし、DVだって日常茶飯事だ」
「ほんとなのか?」
男は明らかに強そうだ。そしてタチが悪そうだ。
「てめー勝手に人の家に入ってきて何ひとりでくっちゃべってるんだ。頭おかしいのか? あれか、真子に惚れて家までつけてきたストーカーか?」
男はバットを持っていない方の手でアゴ髭を触りながらそう言った。
「私の幼馴染よ!」
真子は叫ぶように言った。男は真子を睨み、それからニヤリと笑った。
「ほー、その幼馴染さまがどんな用件でここに? まさか真子を救いに来た王子様って言わないよな。残念だが真子は俺の女だぜ」
横田が言う。
「最低のクズ男だな」
山本も言った。
「真子を救おう」
俺も同意見だった。
「ああ、やろう」
僕らはバラバラの性格だ。でも、真子のこととなると考えることは同じだ。戦うことを決意した。
「上等じぇねえか、このもやしっ子が!」
男がバットを振りかぶって襲い掛かってくる。おそろしいスウィングスピードだ。間一髪でよけることができたが、そのままカーペットに足を取られて転んでしまった。
「死ねや!」
目の前に立ちはだかった男が大きくバットを振り上げる。明らかに頭を狙っている。
「やめて!」
真子が男に体当たりした。男の動きは止まったが、逆に真子が弾き飛ばされてしまう。同時に真子が持っていた文化包丁がそのまま男の足元に転がった。男は悠々とそれを拾い上げる。包丁がカーテンの隙間から差し込んできた朝日を反射してきらりと光った。
「どうだ、ヒーロー。これでもまだかっこつけるか? いま謝って帰れば許してやるぞ。刺されるといてえぞ」
山本は笑った。その笑いは真子と男には届いていなかった。それでも山本は続けた。
「残念ながら、俺たちは真子の笑顔を守るためだったらなんだってする」
横田が続けた。
「たとえ化けて出たって真子の笑顔は守る」
そして、俺が続けた。
「死んでも真子の笑顔は守る」
山本が付け加えた。
「まあ、俺はもう死んでるけど」
静寂が訪れた。男の荒い息遣いと真子の息遣い、そして俺の呼吸だけが部屋の中に響いていた。
「覚悟しろやあああああああ!」
男が包丁を構えたまま突進してくる。よけられないかもしれない。死を覚悟した。その瞬間、山本が俺の肩に手を置いた。
「まかせろ」
不思議な感覚が身を包んだ。それと同時に男がパニックになった。
「き、消えた!? どこにいきやがった!?」
どうやら俺の姿が消えたらしい。肩に手を置いた山本が俺のことを消したらしい。消そうと思えば重いものでも消せる。まさにその通りだった。
あとはもう簡単だった。姿が見えずに右往左往する男を、バットを拾い上げて殴るだけだった。男は恐怖に泣き叫びながら気を失った。
「お前、重すぎるよ」
山本の声が聞こえた。それから体を包んでいた不思議な感覚が消えた。
「ねえ、どうして消えたの? え? どうして?」
どうやら効果が消えてしまったようだ。真子が顔をくしゃくしゃにしてすがりついてくる。
「とにかく逃げよう。この男が目覚める前に逃げるんだ」
「うん」
すぐに荷物をまとめてアパートを飛び出す。
「おい、いくぞ、山本。逃げるぞ、出て来いよ」
けれども、山本の姿はどこにもなかった。
横田が言った。
「山本はたぶん消滅した。重いものを消すと霊力使うって言ったろ。お前を消して霊力使い切って消滅した」
「そんな嘘だろ? おい山本、出て来いよ。昔話とかまだしてないだろ。せっかく幽霊になったのに。おい、出て来いよ」
「きっと山本は真子のこと知ってたんじゃないかな。自分が死んだ後の世界でこうして真子の笑顔が失われている。それを知って真子を助けるためにお前の前に霊となってでてきた。だから消滅して本望なんだよ。霊なんていつまでも彷徨っていい存在じゃない。望みをかなえたのなら消滅すべきだ」
「横田・・・」
真子が大きなボストンバックを手にやってきた。
「準備できたよ」
「そうだな、いこうか」
車に乗り込む。助手席に真子が、後部座席に横田が乗り込む。車内は沈痛なムードだったが、真子が喋りだした。
「ありがとう。まさか君が助けに来てくれるなんて」
「あ、うん」
「でも、どうして私が住んでいる場所わかったの?」
「それはその、話すと長くなるんだけどいいかな?」
バックミラーを確認する。
「話していいよな、横田」
問いかけるも返事はない。後部座席に横田の姿はなかった。真子は不思議そうな顔をしている。話を変えるように真子が切り出した。
「そうそう、このダムは有名な心霊スポットでね、わたしファミレスで働いてるでしょ。よく女子高生が話してるの。なんでも、友達を事故で亡くした男が自分のせいだって自殺したんだって。なんでも待ち合わせしててそこの向かう途中に事故にあったんだって」
「へ、へえ」
「なんかね、別の友人と幼馴染をくっつけるサプライズを計画してて、内緒で二人で会うことにしたんだって。でも、自分のせいで事故が起きて、その友人と幼馴染の間もギクシャクして、それを悔やんで自殺したみたい」
「それで、その霊がこのダムに現れるみたいなの。落としたハンカチが消えたり、服が消えたり現れたりするみたい。怖いよね」
「そうか。それで」
また車内が沈黙で満たされる。真子が話題を変えるようにまた切り出した。
「びっくりしたよ、一人で助けに来るんだもん。あんなに臆病だったのに。そろそろ教えてよ、どうして私の居場所がわかったのか」
僕はにっこり笑って答えた。
「どこから話せばいいかな。とりあえず、これだけは知っててほしい」
「なに?」
「幽霊がパンツをはくとパンツが消える」
「なにそれ」
すっかりのぼりきった太陽が、ダムによって堰き止められてできた湖の湖面と真子の笑顔を照らしていた。すこしだけ夏の匂いがした。子供のころに感じた、あの夏の匂いが。