推し麺
髪を切っている時の会話が苦痛で仕方がない。
ほとんど知らない人と会話をするのが苦手だ。最近になって気が付いたのだけど、そもそも僕は相手がある程度僕のことを知っている、という前提の上でしかコミュニケーションが取れない。ほとんど僕を知ってくれていない人相手だと何を話していいのか分からなくなるのだ。
相手は僕のことをどう思っているだろうか。デブだからすげえ食いしん坊だと思ってるかもしれない。それならば食いしん坊キャラでいくしかない!そんなことまで考えてしまうことだってある。基本的にウンコネタはよく知らない人には引かれちゃうからな、鉄板でウケるネタあるけど封印しておこう。そんな風に気を回すことだってある。
「情報の共有」
コミュニケーションにおいてこれは大切だ。相手がどこまで知っているのか、自分がどれだけ知っているのか、共通している情報を探り、予測して、コミュニケーションに活かす。空気が読めない、会話が続かない、などと悩んでいる人の原因の大半はこれだ。自分のことを何も知っていない相手に、熟知していないと理解できないような会話をする、こうやってコミュニケーションの行き違いが生じるのだ。
では、その前提となるべき共有情報が間違っていたらどうだろうか。とんでもない悲劇が待ち受けているのである。
安かったのでスーパーの横にくっついているような美容院に行った時のことだった。顔剃りの時にスタンド攻撃を受けたポルナレフのことが完全にトラウマで、顔剃りのない美容院を好んで利用する。入店するとイケメン風の店長っぽい人が対応してくれた。
「今日はいかがいたしましょう」
僕はこの、髪型注文も結構苦手で、どうやって注文していいのか分からなくなってしまう。トップは長めでサイドは刈り上げない程度に短めで、みたいなこだわりのオーダーができないのだ。なんか、ブサイクのくせにそこまでこだわっても変わらへんで、と思われそうで注文できない。
そうやってマゴマゴしていると、たいていヘアカタログみたいなものを差し出されるのだけど、これまたそれを見ながら笑ってしまう。イケメンがキリッとしている写真は何の参考にもなりゃしない。髪型の下にブサイクな顔が緩んだ表情でくっついていないと意味がいない。もっとパチンコ屋で開店待ちしているゴミどものヘアカタログとかそういうのを作ってほしい。
「まあ、適当で。普通でお願いします」
最終的にはそういうオーダーになり、イケメン店長が「何食べたいって聞いたのに何でもいいって答えられるのが一番困るわ」って言う母ちゃんみたいな顔になってスタートする。
ここまでは普通の展開なのだけど、ここからがおかしかった。チョキチョキと髪を切っているのだけど、店長がこう切り出した。
「どうです? 最近ラーメンの方は?」
基本的にこういった場面では心を鷲掴みにされるような会話を投げつけられることはない。あってもなくてもどちらでも良いような無難な会話しか生じない。けれども、あまりにトリッキーなこの会話に完全に心を鷲掴みにされてしまった。なんでいきなりラーメンの話から入るのか全然理解できない。
「いやまあ、普通ですけど」
よく分からないので髪型のオーダーと同じく「普通」で乗り切ろうとするのだけど、店長はそれを許さない。
「いやね、この間紹介してもらった店良かったっすよ。スープがさっぱり、なのに濃厚、またああいうの紹介してくださいよ」
なんだなんだ、こいつシャブでもやってんのか、と思った。なぜか僕がスープがさっぱり、なのに濃厚な店を紹介したことになっている。そんな店知らないし紹介した覚えもない。そもそもこの店に来るのは初めてで店長に会うのも初めてだ。
おそらくなのだけど、これは誰か別のラーメンマニアと間違えられているのだと思う。ゴリゴリのラーメン通、みたいなのがこの店で髪を切り店長に店を紹介した。ここまではなかなかありがちな事象なのだけど、なぜか店長は飛び込みで来た僕をそのマニアと勘違いした。同じようなデブなのか、同じような顔なのか知らないが、まあ、似ていたのだろう。
良く知らないラーメンマニアの名誉を守らなければならない、そう思った。
僕がここで下手なことを言ってしまってはそのラーメンマニアの名誉を傷つけてしまう。これは下手なことを言えないぞ。ただ、ここで強烈に否定して店長の気分を害してしまうのもあまり得策とはいえない。なぜなら、あくまで僕の生殺与奪の権利は店長が握っているからだ。
「ちがいますよ。別のラーメンマニアと間違えるのでは」
「大変失礼しました」
(ちょっと間違えただけじゃないか。むかつく顔しやがって、ちぢれ麺みたいな髪型にしてやる)
こうなったら大変じゃないですか。
「ちがいますよ。別のラーメンマニアと間違えるのでは」
「大変失礼しました」
(ちょっと間違えただけじゃないか。むかつく顔しやがって、奥歯みたいな髪型にしてやる)
こうなったら困るでしょ。だからやんわりと誘導していって店長に気づいてもらうのがベストなんですよ。
「どうです。他におススメの店とかありますか?」
店長がもうケロッグ我慢できないみたいな感じで訊ねてくる。チャンスだと思った。ここであまりマニア向けでない店を紹介したら間違いに気付いてくれる可能性が多分にある。マニアが好まない感じのチェーン店をおススメすればいい。
「○○とか最近アツいかなー」
よし、これでマニアではないとそれとなく分かってくれる。ベスト!
「あー、○○? え? あそこってチェーンですよね」
店長も不審に思った様子。完全に狙い通りだ。
「なるほどなー、一周回ってあの店、みたいな感じですか? 確かにチェーン店だけど妙なこだわりありますもんね。そこに目を付けるとはさすがだなー」
なんか、一周回ってあえてミーハー路線に行くマニア、みたいな感じに捉えられている、ゴリゴリのAKBマニアが色々なマニアックな娘を推すけど最終的にまゆゆに帰ってくる、みたいになってる。よくわからんけど。
とにかく、最初に否定しなかったものだから完全にその店長の中では僕がゴテゴテのラーメンマニアみたいになってましてね。僕も責任感が強いものですから店長の期待を裏切ってはいけないと、なぜか髪を切りに行く前にラーメンに関する予習をしていく、という良くわからないことになっていまして、
「ラーメンの麺には多加水麺と低加水麺ってのがあってですね、僕はスープとよく絡む低加水麺が好きなんですけど、最近は多加水麺が流行ってですねー」
とか、暗記してきたラーメン蘊蓄を語るんですよ。
「すげー、さすがっすねー知識も豊富」
みたいに店長も大喜びですよ。
髪を切りに行くたびにペラペラのネットで検索したラーメン蘊蓄を暗記していくものですから、そのうちネタがなくなっちゃってですね、つい最近では
「日本で最初に中華麺を食べたのが常陸水戸藩の第二代藩主・徳川光圀、つまり水戸黄門で」
ラーメンマニアというよりはクイズ研究会みたいな状態になってたんですけど、いよいよ完全にネタがなくなっちゃって、
「地元で愛されている○○軒の店主はむかしアルバイトの女の子の手を出して離婚騒動になったことがある。その時に2日間だけ店を閉めた」
ゴシップ誌みたいな情報を引っ提げて髪を切りに行ったのが昨日ですよ。日曜の昼下がりに切りに行ったら開口一番、店長が言うわけですよ。
「申し訳ありませんでした。正直に言いますが、当店ではファイルでお客様の情報を管理していて、それをもとに髪型の注文、会話の内容、読んだ雑誌を管理しているのですが、なぜかお客様のファイルが間違ってました」
これで全ての謎が解けた。別のラーメンマニアのファイルと取り違えられていたのか。どうりで会話も噛み合わないし、注文してないのにラーメンマニアっぽい髪型にされると思った。
「いや、でも本当にラーメンマニアで、多加水麺がモチモチで」
適当に話し合わせていたと思われたら恥ずかしいので、でも実際にラーメンマニアだからってところを強調してしまうんですけど、注目はここからですよ。
これまでは「ラーメンマニア」っていう間違った情報を共有したうえでコミュニケーションを行っていた。でもここからはそれが解消された形で会話が展開される。店長の腕の見せ所だ。
と思っていると、店長が押し黙ってしまった。もしかしたら何を話していいのか分からない状態になっているのかもしれない。僕が気にしていると思って縮こまっているのかもしれない。縮れ麺のように。いまうまいこと言ったね。
ならば、別に気にしてないよ、というアピールのために僕から話題を振ってあげよう。何の話題が良いか。そうだ、ラーメンの話をしてる節々で店長がAKBの話題を出していた、タイムリーだしこれでいこう。
「いやー昨日は指原が勝ちましたね。総選挙」
これが情報共有。これがコミュニケーション。
「え、ええ」
店長もAKB好きですし、旬な話題に喜んでいる模様。
「店長の推しメンだれでしたっけ? 僕は岩田華怜さんですけど。もう卒業しちゃったんですけどね。店長は?」
「えっと、うーんと、まゆゆ? かな」
「あー、一周回ってまゆゆ的なあれですか?」
「そうですね。3票も投票しちゃいましたよ、ははは」
「2位で残念でしたねー」
じつに実のある会話が交わされた。髪型もすっきりし、心なしかラーメンマニアっぽい髪型から脱したような気もした。
間違った情報を共有して会話をする。それは何も知らない人と会話をするより苦痛なのだけど、それはそれで面白いのである。ちょっとラーメンに詳しくなったしね。
帰り道にラーメンを食べる。これは低加水麺かと思いつつ、そういえばAKBマニアなのは美容院の店長ではなく、良く行く居酒屋の店長だった。