宇多田ヌケル

名古屋の繁華街、新栄にある老舗のファッションヘルス、「宇多田ヌケル」が業界に与えた影響は凄まじいものだった。

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宇多田ヌケルの下の階に宇多田ヌケル2が入っていることからも、明らかに業績好調で増店されたことが伺える。このネーミングセンスはただただすごい。

まず、その響きが素晴らしい。宇多田ヌケル、である、すごい抜けそうな感じがするし、ちょっと脱力してしまって肩肘張らなくていい感じもする。おまけに、この店がオープンしたのは宇多田ヒカルのアルバムが驚異的売り上げを記録し、世間が宇多田ヒカル一色に染まった時期だったように思う。つまり、十分に世相を反映した店名なのだ。

風俗とは世相を反映した社会のバロメーターである。

これはまさにその通りなのだ。特に性風俗に関しては、とかく僕らの本能に訴えかける部分が多く、その表現はダイレクトであることが多い。つまり、こういった性風俗は「わかりやすさ」が何より大切なのだ。深いことを何も考えず、すっと心に入ってくる単純明快さが求められているのである。

例えば、風俗の説明に文学的な素養があったら、これはもうわかりにくい。よっしゃー風俗サイト調べるぞーとサイトにアクセスして、店の説明文が

「暗い沖の空に累々と重なる雲は、重たさと繊細さを併せていた。というのは、境界のない重たい雲の累積が、この上もなく軽やかな冷たい羽毛のような笹縁につづき、その中央にあるかなきかの仄青い空を囲んでいた、そんなお店です」

こんなん、読んだ客もよし、この店にしよう、とはならない。なんやこれ、となる。それよりもっと分かりやすく

「若い女!おっぱい!激安!大サービス!」

みたいにダイレクトにいってくれたほうが心にすっと響きやすい。とにかく分かりやすさ、ダイレクトワードが必要なのだ。そういった意味では、この「宇多田ヌケル」は考えた人が墓に入ったとしても、墓石に彫り込んでいいほどの功績である。分かりやすい店名、それが大切なのだ。その店名に対してこんなエピソードがある。

僕が大学生だったころ、なんていうか、リアルが充実しているっぽい人たちが集まるサークルに所属していたことがあった。男女入り乱れて海に行ったり山に行ったりバーベキューに行ったり、毎週末飲み会だったり、そういったザ大学生みたいな集まりに、ザ・場違いみたいな僕が所属していたのだ。

僕はもしかしたらセックス的なことができるかも?と期待して入ったのだけど、もちろん、みんなで海に行くとかも人数合わせでしか誘われなかったし、飲み会とか連絡すらこなかった。サークル内でいろいろと男女交際が巻き起こっているのに、完全無欠の蚊帳の外、なんで所属しているのかわからない状態だった。

しかし、そんな男女仲の良いサークルにも不穏な空気が流れ始めていた。早い話、こういった男女の集まりは時間の問題であらゆることが飽和に達する。誰と誰が付き合っていただとか、誰と誰が一夜の過ちを、そんな噂に尾ひれがついて、さらにそれに嫉妬する人がいて、ものすごい欲望がとりまく。それが表面上だけでも取り繕えているのならば良いのだけど、そんなのは時間の問題で、小さな綻びが大きな騒動に発展することもある。そうなると、男女間の人間関係だけに、相当に根が深い。

そのサークルも、完全に人間関係が飽和に達していた。もうきっかけがないだけで、それさえあれば完全に瓦解するであろう状態だった。過冷却状態にある水に衝撃を与えると一気に凍りだす現象に近いことが起こるだろうことが予想された。

そのきっかけは学園祭だった。来るべき学園祭でサークルでも何か店を出そうという話が持ち上がったが、男子グループはフランクフルト屋をやろうと言い出した。それに女子グループがおしゃれなカフェをやりたい、みたいに反発した。普段なら男子グループが折れて女子に合わせていたのだけど、その時だけは男子が譲らなかった。

「絶対にフランクフルト屋をやる。もうフランクフルトも発注した」

何が彼をそこまでフランクフルトに駆り立てるのか。それは分からなかったがその熱意は相当なものだった。この圧倒的な熱量に女子グループも折れ、フランクフルトの軍門に下ると思われた。所詮、女はフランクフルトを受け入れるのである。そう思っていたが、この時の女子は違った。

「絶対にフランクフルトは売らない。私たちはカフェをやる」

それは魂の慟哭に近かった。飽和した人間関係は男女を決別させた。こうして僕らのサークルは男女分かれて店を出すことになったのだけど、なぜか僕は男子で一人だけ女子のカフェチームに所属することになった。フランクフルトは売らなかったのだ。

「あいつらのこと頼むな!心配だからさ」

リーダー格の男子が女子のことを心配して僕に言う。なんていうか、喧嘩はしてるけどどうしても女子のことが心配になっちゃう懐の深い俺、みたいなアピールがすごくて、てめーのフランクフルト焼いてろって思った。

さて、女子が集まってカフェを出店ということになり、10人くらいの女子の中に一人だけ僕のような野武士が混じるという状態になった。気分は風俗店の用心棒だ。

いよいよ話し合いが始まるのだけど、設備や電力の関係から、カフェといってもそこまで大したものが出せるわけではない、ということが分かった。買ってきたジュースや、インスタントのコーヒー、ちょっとしたクッキーなどを出すくらいになりそうなのだけど、そこで中心的存在の女子が言い出した。

「お店の名前はどうしようか?」

店の名前に関する提案だ。普通ならサークルの名前を付けるのが妥当だが、フランクフルト屋のほうで使うっぽかったし、それだけは絶対に嫌だと彼女たちは言った。そこでなにかオシャレっぽいかわいい名前を付けよう、ということになった。

そこで僕は、よくわからない名前を付けるより分かりやすい名前のほうがいい、そう提案した。学園祭だけの一発勝負の出店だ、分かりにくい名前を付けることはそれだけ損になってしまう。徐々に認知度を高めていくということは全く期待できないので、絶対に分かりやすい名前がいい。

「女だらけのカフェ」

という名前にすべきだ。そう主張した。全員女で運営するカフェ、その特性を前面に押し出すべきである。そうすればそれを期待した男どもで賑わうはずだ。学園祭のカフェにコーヒーの味を求めて来店する奴はいない。絶対に女店員とかを目当てに来店するはずだ。それならば、ここは女ばかりですよーとアピールする店名が絶対に良い。

「何言ってんの、そんなダサい名前は嫌だ。それってフランクフルト売るよりダサい」

僕の主張は女子からの熱烈的な拒否にあった。

「やっぱりオシャレな名前にしよう」

「そうねオシャレな名前がいい」

それでは、絶対にダメだ。どうせお前らはフランス語とかオシャレな奴つけるんだろう。「エマーブルにしよう」「プチって表現は入れたくない?」まるで農地を開拓して建てた学生マンションにつけそうな名前がポンポン出てくる。

「絶対に分かりやすい名前がいいって。そんなんじゃマンションだと思われる。カフェだとわかる名前がいい」

再度僕が主張するが、聞き入れられない。それでもオシャレな名前の中でも意見が一致しないらしく、なかなか白熱した議論が展開されていた。

「そういえば、ヨシミの家って犬飼ってたよね、あのかわいい犬、名前なんだっけ?その名前にしようよ」

意見を戦わせることに疲れたのか、誰かがそう提案した。なるほど、ペットの名前から取るというのか。どうせオシャレでカワイイ名前をつけてるだろうから、その名前を頂こうという算段だ。

「アナスタシアって名前だよ」

なるほど、ヨーロッパでよく使われる女性名だ。なかなかオシャレだ。

「いいね、アナスタシア、もしくはアナって名前でよくない?」

だめだ、それじゃあなんの店なのかわからない。それでは集客は見込めない。

「でも、ミツキの家にもカワイイ犬がいるよ」

ヨシミの犬の名前を使うならミツキの犬の名前も使わなければ不公平ではないか。そんな提案がなされた。

「名前なんて言うの?」

「ルナって名前だよ」

「その名前もかわいい」

ローマ神話における月の女神、もしくは広島東洋カープに所属する ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(内野手)である。いい名前だ。

完全に意見が真っ二つにわかれた。アナスタシア派かルナ派か。名前が全く決まらず、またここでも分裂を見せるのかと思われたそのとき、一人の女子が提案した。

「ねえ、アナスタシアとルナ、混ぜた名前にしない?アナとルナでアナルとか

それはアカンだろ。

「いいね、ルナを逆さにするところオシャレ」

「なんかね、店名とかって三文字がいいってゼミの教授も言ってたよ」

「じゃあ決まりじゃん、アナルに決まり」

本気で言ってるのだろうか、なんだか怖くなった。チャラチャラしたサークルに所属している女子たちである。サークル内で付き合ったり別れたりしている、絶対に、今日はこっちの穴でしよう、とか言われてるはずだ。それなのにアナルを知らないなんてありえない。カマトトぶってんだろ、そうだろ。気づいてるんだけど言い出せないんだろ。

「むっちゃかわいいー、アナルに決まり!」

知らない、らしい。こうして女子だけのカフェ、アナルがオープンすることとなった。オシャレな店名が書かれた筆記体の看板を僕が製作したのだけど、フランス語っぽく書かれているのに、そこに書かれているのはアナルだ。ちなみにアナルとは本来の使い方としては形容詞だ。

いよいよ学園祭が始まり、女子たちのアナルは大盛況だった。分かりにくいか分かりやすいで言ったら分かりにくい店名であったが、多くの人の興味をそそったのだ。ただ、閉店後に誰かに真の意味を聞いたのか、女子たちは泣いていた。

店名とは大切なものである。分かりやすい店名、興味をそそる店名、これらは時に内容以上に大切な場合がある。今の時代は、じつは名前を付ける機会が多くなっている。情報発信の機会が多くなったのか、ブログやハンドルネームなど、自分のセンスで付ける名前を付ける機会が多い。ブログに「多目的トイレ」なんて意味不明な名前を付けている僕が言えた義理ではないが、分かりやすい名前を付ける、それも大切なのかもしれない。

ただ一つ言えること、それは何も知らずに「いらっしゃいませ、アナルにようこそ」
と言わされている女子大生、これはもう結構抜ける、もう、ただただヌケル。完全に宇多田ヌケル、ということなのだ。