なぜ彼は先にいったのか

曲がりなりにも何らかの文章を書いている人間は常にアンテナを張り巡らせておくべきだ。それはプロのライターだとか、小説家だとか、エッセイストだとか、そういった文章を生業にしている人に限らず、趣味のレベルで発表している人もそうあるべきだ。

世の中には美しい言葉と優しいフレーズが溢れている。そして魅惑的な言葉たちがラインダンスを踊っている。それらはきっと誰かが誰かに伝わるように滲み出した魂のフレーズだ。それを受け止めてあげないということは、おっぱい丸出しで歩いている美女を無視するようなものだ。きちんとおっぱいを見てあげなければ失礼にあたる。

僕は、言葉を発した本人にそこまで深い意味がなかったような言葉でも、なんだかそこに哲学めいたものを感じて妙に考え込んでしまうことがある。それは素人であり趣味レベルであり下手くそとはいえブログなりで曲がりなりにも文章を発信している人間としての最低の責務のように思う。ただ、時にはその癖がとんでもない事態を引き起こすこともある。

あれはもう、10年くらい前になるだろうが、大阪で友人たちと遊んでいたときのことだった。久々の大阪、久々の友人、なんだか妙に舞い上がっていたのを今でも思い出す。

男が3人集まって風俗の話をしないわけがない。酒を飲んだ勢いで風俗に行こう、みたいに盛り上がったと思う。すぐに居酒屋を飛び出し、なんばの風俗店が密集する地域へと向かった。

酒の勢いでそういった密集地帯へと繰り出したが、当然ながらドーンと店に入る勇気はない。そういった地帯の通りを何度も行ったり来たりして、まるで怯える小動物のように小さくなって移動していた。

そうしたら、まあ、怪しげな、どう好意的に見てもゴミとか分別しなさそうなオッサンが近づいてきて、こう言った。

「お店お探し?飲み?抜き?こっちもあるよ?」

これって完全にコミュニケーションとして破綻してますよね。いきなり近づいてきてこれはない。挨拶すらない。まあ、怪しげな店を紹介してやるからついてこいやって言うわけですね。ここまで読んで、熟達した風俗マニアの方なんかは、ああ、これはボッタクリ風俗に連れていかれるな、って予想すると思いますけど、まあ、その通り、ボッタクリ風俗につれていかれます。けれども、今はそういう話をしてるんじゃない。ボッタクリかどうかなんてさしたる問題ではない。

確か、1万円ぽっきりっていうオッサンの話を信じて、僕らは怪しげな雑居ビルに連れていかれるわけです。入り口には小さなテーブルがあって、そこに座っている、ヒゲの男、それこそ、「ゲーム配信者?」とか質問してきそうなターバンの男風のやつに1万円払って中に入ると、カーテンで仕切られた小さな小部屋が沢山あるところに連れていかれます。

ここで友人たちとは別れて別々の個室に連れていかれるわけですが、カーテンを開けて個室に入ると、羊の死骸を置くみたいな小さなベッドがあってですね、そこで

「かわいい女の子きますんで、ぐふふ」

とか言う、これまた絶対に燃えるゴミの日に乾電池とか捨てそうな店員の言葉を信じて待つわけですよ。妄想とか、それ以外のところとか膨らませながら待っていると、シャッとカーテンが開いたんです。

「こんばんわ」

魔女?みたいなとんでもないクソババアがカーテンの隙間から顔出しているんですよ。ぜったいねるねるねるねのCM出てる、こいつみたいな老婆がこっちをのぞいとるんですわ。

「あんた、わたしみたいなおばちゃんはいややろ?若い子よんだるから追加で1000円払ってや」

みたいな話が分かること言うわけですよ。ごもっともだって思いながら1000円払うとそのままシュッとババアは消えるんですけど、仕切りがカーテンだけですからね、隣の個室でも同じやり取りしてる声が聞こえてくるんです。どうやらこのババア、私じゃ嫌だろってあちこち回って1000円を回収するのを生業にしてるみたいなんです。

まあ間違いなくボッタクリ風俗なんですけど、今はそういう話をしてるんじゃない。ボッタクリかどうかは全然関係ない。

しばらくというか、結構な時間待つと、まあ、さっきのババアよりは若いけど絶妙なブス、みたいなのが大登場してくるんです。どれくらい絶妙かっていうと、昔、友人の山本君が未成年なのにパチンコ屋でむちゃくちゃ出してたら、店の守り神みたいなヤクザがやってきて「兄ちゃん、未成年やろ、出しすぎやわ、あまりオイタが過ぎると、コンクリくくりつけて港に浮かぶことになるで」って脅されたんですね、普通ならブルっちゃうんですけど山本君はバカだったので、「コンクリくくりつけられたら浮かびませんね、重さで沈みます。だから港に浮かぶことになるという表現は不適切」みたいに絶妙に返して、店の外で殴られてました。それくらいの絶妙さのブスが来た。まあよくわかりませんよね。

とにかく、絶妙なブスが来て、まあ妥協するぜって思った矢先に、そのブスが言うわけですよ。

「あ、ちょっと忘れ物」

そういうや否やシュッとカーテンの向こうに消えるんです。で、全然帰ってこない。なんだこりゃって思って完全にタケノコ剥ぎ型のボッタクリ風俗なんですけど、まあ、別にその部分はどうでもいい。問題はこの後だ。

シャッとカーテンが開いて、やっと戻ってきたかと顔を見ると、さっきのねるねるねるのババアが顔を覗かしているんですよ。

「わたしじゃいややろ?1000円頂戴」

またお前か、と思いつつ1000円渡すとシャッと消えるんですね。

そんなこんなで、まったく性的サービスが受けられないままに時間だけが過ぎていき、何回か1000円も取られたりなんかしたんですけど、しばらくするとまたねるねるねるねのババアがやってきてこう言うんです。

「もう時間だけど延長するか?それなら延長料金必要だけど、絶対に延長したほうがいいと思う。いますごいかわいい子があいたからその子をつける」

みたいなことを言ってくるわけ。まだ金をむしり取ろうとするかと怒りすら覚えるんですけど

「そんな金はないから。それに友達もいるから延長はしない」

旨を伝えると、ババアが言うわけですよ。

「友達は延長した」

絶対にそんなわけないんですけど、友達も延長したんだからお前も早く店を出ても意味ないぞ、みたいな嘘を言ってくるんです。完全にボッタクリなんですけど、ボッタクリかどうかは大した問題じゃない。問題はこの後のババアのセリフだ。

「友達が延長するはずはない。そういう約束をしていたから」

僕が反論すると、ババアが言うわけですよ。

「もっとサービスがいい別の系列店にいかないか。私の顔で半額にする」

このババア、全然話が通じないどころかさらに別のボッタクリに連れていく気だ。底が見えねえ、いったいどこまでぼったくる気だ、と戦々恐々としつつ

「延長もしないし別の店にもいかない」

そうキッパリと断ると、ババアが言うんです。

「友達はもう先にいった」

ババア的には友達も行ったんだからお前も行こうぜって嘘ついてるわけなんですけど、なんか、僕はその表現に妙な哲学を感じてしまったのです。

友達はもう先に行った、かその表現はなんかいいな。妙に余韻がある表現だ。そもそも友達が先に行くという状況は感情めいた何かを感じさせる。つまり、裏になにか事情があったと読み手側に推測させることができるのだ。僕にもその友人にも、何らかの決意があった、そう読み取れるのではないだろうか。この表現はいい。

「いいよ、その表現」

僕にそう言われたババアは19歳ガンいいこ桜井君みたいな顔をしてキョトンとしていた。

「友達はもう先に行った、余韻がある。なぜ先に行ったのか、それは友を思いやったのか、でもそれはあえて語らないほうがいいと思う。なぜなら、読み手が想像する余地を残すべきであって、全てを説明する必要はないからだ。もちろん、わかりやすさとは大切だ。独りよがりな表現は良くないけれども、すべてが説明されることはあまり得策ではない。今のテレビを見てみろ、説明だらけ、テロップだらけ、あれは実に品がない。全て解説されるとその通りの味方しかできない。何通りも解釈があって、それぞれ受け止め方で本質が変わるような表現を目指すべきだ。今のあなたの言葉にはその表現があった。友達は僕のために先に行ったのか、それとも自分のためなのか、またはほかの誰かのためなのか、そしてどこにいったのか、そういう想像する楽しさがある。ここではないどこかへ行った彼をここまで思う行為、これはもう哲学だ」

すごい面倒な奴だと思われたのか、そのままボッタクリ風俗からは解放された。

案の定、友人たちは延長も、別の店にも行ってなくて、店の外で小動物のように震えていた。たぶん同じ目にあったのだろう。とんでもないババアに何度か1000円を払ったに違いない。

「いやーあのババアすごかったな」

「すごかった」

「ありゃ1000円払ってでもお断りするわ」

そう会話していると、ずっと黙っていた友人が

「俺はあのババアに抜いてもらった」

と驚愕の言葉を放った。

「友達はもう先にいった」

確かに先にいっていた。やはり読み手に様々な想像をさせて、余韻を残すこの言葉は上質の表現なのだ。