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エンペラー松本は空の向こうに

セミの声はいつだって煩かった。けれども不思議なことに今、窓の向こうから聞こえてくるセミの声より思い出の中のセミの声のほうが幾分か静かな気がする。何層にも折り重なったセミの声の中で僕らはどんな青春時代を過ごしていたのだろうか。そう思うとなんだか無性に切なくなる。

「俺さ、絶対にディープキスしてやるんだ」

松本君は少し強く拳を握りながらそう言った。暑い夏の日、溶けたアイスの水滴が手の上に落ち、その冷たい感覚でハッとなった。

「言うまでもなくディープキスってのはキス界の大勲位なわけじゃん」

中学生にとってキスという行為はなかなか神話性のあるものだ。その中でも松本君は少し変わっていて、この世に蔓延するあらゆるキスを分類し、なぜか内閣府が贈る勲章の位みたいなものを勝手に授与していた。この辺の感覚は全然理解できないのだけど、とにかくそういうことらしかった。

キスの最下層に位置するフレンチ的なやつは文化勲章、などと決めて表にまでまとめていて、何らかのジョークの類なのかと思う人もいたようだけど、彼はいたって真面目で、本当に真剣な眼差しでディープキスのことを語っていた。

ある日、そんな松本君が「エンペラー松本」と呼ばれることになる事件が起こった。我が中学の体育祭では休憩の合間にフォークダンスを踊ることになっていた。それは男女ペアを組んで手を繋ぐという、思春期の子供たちにとって一大スペクタクルみたいなものだった。

組むことになる女子は身長順で自動的に決まるのだけど、松本君は誰もが羨むマドンナ的存在のクラスの女子と組むことになった。クラスの不良がそのことですごいキレていたので、どれだけ羨ましいポジションだったのかある程度は予想できると思う。

僕が組むことになった女子はギニュー特選隊のリクームさんに似ているブスで、おそらくリクームさんも同じことを思っていたのだろうけど、まあ不本意な相手だった。

僕と松本君、リクームさんとクラスのマドンナ、勝ち組と負け組の明確な差異がそこには存在したのだけど、体育祭を直前に控えて松本君がよくわからないことを言い出した。

「フォークダンスのペア、変わってくれないか」

なんでも、リクームさんと組みたいらしく、マドンナと組むというポジションを僕に譲ってくれるらしい。完全にトチ狂っているのだけど、理由を聞いてみるとこれまたすごかった。

「俺はフォークダンスでディープキスを決めようと思ってる。そこで思うんだけど、たぶん美人はガードが堅いんだよね。クラスの不良とか親衛隊も怖い。それだったらガードの緩いブスのほうが実現性があるんじゃないか」

普通にサッと聞いただけでも4か所ぐらい突っ込みどころがあるのだけど、僕はなんか感動してしまって、相手は誰でもよくてとにかくディープキスがしたいんだ、と、情熱をかける松本という存在が、なんだか尊くて気高いものに感じられてしまったんだ。

彼はフォークダンスのくいっと相手を引き寄せる所作のところで勢いそのままリクームさんにディープキスをしようと企んでいたらしく、何度か練習していた。そしていよいよ本番、ディープキスの日がやってきた。

けれども、あれだけ練習し計画を練ったのに、すごい緊張したのか気が動転したのか、松本は入場門を出た場所でリクームさんに迫った。スマートでも何でもない、ただただ昆虫のようにディープキスを迫った。すぐに異変に気付いた屈強な体育教師に取り押さえられ、松本はその後の体育祭全てのプログラムを本部テントで過ごすことになった。

その際に、椅子がなかったのか、けっこうゴージャスな椅子に座らされることとなった松本、しかも全く悪びれる様子もなく、まるでサウザーのように椅子に座っていたので、「エンペラー松本」を拝命することとなった。

「なあ、俺たち、大人になったらディープキスとかできるのかな」

遠い空を眺めながらエンペラー松本はそう言った。グラウンドの砂が風に舞い上げられ、砂の匂いがした。

あれから沢山の月日が流れた。空にはどれだけの雲が流れ、この世界ではどれだけのディープキスが消費されていったのだろうか。セミの声だけが変わらないBGMとして僕の背中に届いていた。そんな僕に一本の電話が届いた。

「中学時代の同窓会をやろうと思う。松本君に連絡ついたりする?」

クラスの優等生的存在だった男子からの電話だった。わざわざ僕の実家を訪ね、連絡先をきいたらしい。いろいろな伝手をたどってかつての同級生に連絡をつけているらしいが、どうしても松本君にだけは連絡がつかなかったらしい。

彼はエンペラーなのだ。エンペラーは孤高であり、孤独な存在である。悪い言い方をすると、彼は気持ち悪いので友達がいなかった。唯一、やれディープキスは大勲位などと会話していた僕だけが友達だった。

「悪いな、松本君の連絡先は知らない」

僕も卒業後に何度かエンペラーに連絡をとろうと試みたことがあった。けれども、携帯電話なんてない時代だったし、そうそう簡単にはできなかった。実家にも訪ねて行ったけど、そこは綺麗に駐車場になっていた。彼はラストエンペラーとなったのだ。もう、エンペラー松本には会えない。

「あそこの家のお母さんと数年前に墓で会ったぞ、今は家族で○○地方に移り住んでいるらしい」

ウチの親父からそんな情報がもたらされた。僕はすぐに検索サイトを駆使して捜索を始めた。別に同窓会だとかそういったことはどうでもいい。ただ僕の心の中の探求心が燃え盛ってしまったのだ。エンペラー松本は今でも元気にしているのか。あの日の夢を叶えることができたのか。ディープキスはできたのか。

判明した地方の目ぼしい都市名とエンペラー松本の名前で検索をかけていくが見つからない。彼は卓球も好きだったのでそういった方面で活躍していないかと調べてもみたが、それでも見つからなかった。このインターネットの世界は万能ではない。まるで何でも全ての情報が手に入ると錯覚しがちだが、実際に置かれている情報は現実世界のそれに比べてあまりに小さく少なく、おぼろげだ。ネットの世界はこの世界ではないのだ。

やはりもう、僕はエンペラー松本に会えないのだ。会えないけれども元気でいて欲しい、そして願わくば、不自由なくディープキスができる環境にいて欲しい、そう願うばかりだった。

もうエンペラー松本を見つけることは不可能だけど、いろいろと検索しているちに、松本が住むといわれるこの地方のことに興味が出てきた。綺麗な風景に美味しそうな郷土料理、変わった風習の祭りなど、観光協会のページを見てどんどん興味が出てきた。これは一度行ってみないといけない、そう考えていると自然と、その地方の風俗情報サイトに目が行った。

そのサイトは、その地方の風俗店を網羅しており、おまけに、ユーザーが口コミという形でレビューを投稿できるようになっていた。今現在は潰れてしまってアクセスできないのだけど、当時は活発にレビューが投稿されていた。風俗店のユーザーレビューというものは総じて面白い。こんな調子で名文とも言える文章たちが眠っている。

投稿者 舐め犬
利用店舗 XXの誘惑
感想
小生、覚悟はしておりました!細身でGカップなどこの世に数えるほど存在しない、いわば希少な宝石のようなものなのですが、このお店のホームページにはまるで当たり前のように存在しております。嘘であろうと感じつつ、吾輩が突入してまいりました。特攻隊ってこんな気持ちだったのかもしれませんね(笑)。結果は、細身どころか脂身というか、ササミというか、まあ、不本意なものです。でもアナルを責められてアヘェって声出ちゃいました(笑)。コスパ的なところも考慮して78点というところでご勘弁ください!

舐め犬、アヘェって声出してる場合じゃねえぞ、と思うのですけど、こういった風俗レビューの多くは、一人称が変わっていておまけに安定しないという特徴がある。特に「小生」「吾輩」「愚息(生殖器視点で書くことがある)」などの表現が使われやすい。さらに(笑)(爆)などの表現が多用されることも多く、総じて勢いがある。「希少な宝石」などの比喩が綺麗な傾向があり、「78点というところでご勘弁ください!」の締めなどは誰に謝っているのか意味不明なところがポイントが高い。

こいつはなかなか、こいつはつまんねーなーなどと、風俗サイトのレビューをレビューする感じで眺めていると、一つのレビューが目に留まった。

利用店舗 ○○学園
感想
とてもカワイイ女の子でした。料金もリーズナブルで電話対応も良く、何よりコスプレが充実しています。自信をもってお勧めできるお店ですが一点だけ苦言を。サービスの最初でDK、いわゆるディープキスが標準でついているはずですが、これがおざなりでした。これはいけません。ディープキスとは気分を高めるために不可欠な行為であり、標準プレイ内容で謳っている以上、せめて25秒はやらなければいけません。ですが、あのように2秒に満たないようではディープキスとは言えません。深海のような深いキスを望むのに、見てくれだけ豪華な女の子が浅いキス、これでは大陸棚です。改善を望みたいところです。

「25秒以下はディープキスじゃない」
「あんな浅いキス、大陸棚だ」

どこかで聞き覚えのあるフレーズに、異様なまでのディープキスへのこだわり、投稿者の名前もなんだかある人物を連想できるようなものでした。まさかまさかと思いつつ、同じ人物の他のレビューを探してみると

利用店舗 ○○の人妻
感想
このお店はリーズナブルなだけあってサービス全体はあまり期待できませんし、女の子もそこまでではありませんが、今日ついてくれた女の子はとにかくディープキスがよかった。42秒はあったかな。これはもう、大勲位ものです。そもそも最近は……

これ絶対エンペラー松本だわ。

検索ができないサイトだったので片っ端からレビューを読んで、この松本の書き込みを探したのですが、出るえわ出るわ。色々なサービスなどにこだわってる感じを醸し出していますが、最終的にはディープキスの長さと深さで全てを判定しているところからいって、完全にエンペラー松本です。

利用店舗 XX女学院
感想
残念です。何がって、そこまで言わせないでください。ディープキスですよ。どうしてこんなにもディープキスへの意識が低いのでしょうか。残念に思います。あまりにもひどかったので後のことは全く覚えていません。

こういった失意のレビューもあれば

利用店舗 ○Xの誘い
感想
素晴らしいの一言です!何がって?もちろんディープキスです!まるで羽衣を舐めているようなディープキス!とにかくディープキス!ディープインパクト!いやはや降参ですよ、これは。降参してタップしちゃいました(笑)

羽衣を舐めてるとか微妙に意味わからないですし、ディープインパクトのあたりはもう何が何やら、降参とかの下りは自分でも何かいてるのかわかってないんじゃなかな。

そんな彼の名レビューの中で一番興奮してるっぽいのが以下のやつで

利用店舗 ○Xのしたたり
感想
唇に触れたのは柔らかなダイヤモンド
今まで君が守っていたモノどうすればいいのだろう
僕はただ腕の中に君を受け止めるだけ
動けないよ
12秒

これ、HKT48の「12秒」の歌詞じゃねえか。もはやレビューじゃねえ。しかも25秒以下はディープキスじゃないんじゃねえのか。

ついにエンペラー松本を見つけてしまい、インターネットってすげえって思うのだけど、このサイトはその特性から、投稿者に連絡を取ることができないようになっている。つまり、ただ定期的に投下される彼のディープキスレビューを眺めることしかできないのだ。(もうサイト自体潰れててそれもできないけど)会うことはできない。

ただ、きっとそれでいいのだろう。僕らは会う必要はない。なぜならば、エンペラー松本はあの日の夢を叶えて、いっぱいディープキスをしているってことが分かったのだから、もうそれで十分なのだ。

遠い日の夏、セミの声。やはり思い出の中のセミの声は煩くない。心地よく心に響くその音は悪い気はしない。エンペラー松本がディープキスと騒ぐ思い出の中の音だって、セミの声と同じく、遠いあの日の心地よい音階なのだ。