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広島カープと僕

8月24日、東京ドームにある歌が流れた。その歌の歌詞はまるで別の意味を持っているようだった。この日、2位巨人に勝利した広島カープに優勝へのマジック20が点灯した。優勝マジックが点灯すること自体が広島カープにとって25年ぶりの快挙だった。

学生時代を広島で過ごした僕にとって、広島カープは特別な存在だ。あまりファンじゃなくてもファンになってしまうような、そういった土壌が広島にはあった。言うに及ばず、やはり大学の教授陣や職員たちもカープファンであることが多かった。みんな口には出さないが、カープの快進撃が続くと嬉しそうだったし、負けが込んでくると悔しそうだった。

定年間近のお爺ちゃん職員さんがいた。彼は実習工場と呼ばれる場所に常駐する職員で、我々学生や職員が実験に使用する機械なんかを依頼に応じて製作する役割を持っていた。作業所の一角に部屋を構え、油の匂いが充満する狭い室内に旋盤やらボール盤やらが並んでいる。その部屋の中央で油まみれの作業着を着て汗だくになって機械部品を製作している、そんな爺さんだった。

職員の多くはカープファンであることを口に出すことはあまりないと言ったが、この爺さんだけは違っていた。カープファンであることを隠そうともしなかった。完全にあからさまだった。

僕らは製作してほしい部品をある程度わかるようにイラストにして持っていくことが多かったのだけど、カープが勝った次の日などは爺さんもかなりの上機嫌で、

「おう、この図じゃわかりにくいな。今度はもっとちゃんと書いてこいよ」

などと優しく語りかけてくれて、良い雰囲気で製作してくれるのだけど、負けた次の日などは最悪だった。まず、開口一番怒鳴る。

「あ?なんだ?これは図か?え?お?こんなもので作れると思うか?え?お?」

と完全にヤクザが獲物を詰める時そのもので、泣かされるほど怒鳴られた挙句、結局部品も作ってもらえないという状態に陥ることが多々あった。

結果、僕ら学生はその実習工場に行って部品を作ってもらわなければならないという時は、前日からプロ野球中継やスポーツニュースを凝視し、カープ勝ってくれ!と祈るような気持ちで見ていたのである。カープが負けたらもうその実習工場にはしばらく近づかない、それくらいの気概だった。

そんな気持ちでカープを見守っていたら、やはり熱烈なファンになっていくもので、僕ら学生もなんともなしにファンになっていった。もちろん、実習工場で部品を作ってもらわなければならないので勝って欲しいのだけど、それ以上にカープという球団のことが好きになり、優勝して欲しいと純粋に思えるまでになっていたのだ。

しかしながら、悪いことに当時のカープはあまり強くなかった。「カープは鯉のぼりの季節まで」という格言がまかり通るほど、最初はそこそこ頑張っているのだけど、5月くらいから失速していくのがお決まりのパターンだった。つまり、負けてばかりだった。

部品を作ってもらわなければならないのにカープは連敗続き。実習工場に近づけない日々が続いた。魔の要塞と化した実習工場はひっそりしていて、まるで死の匂いが充満している戦場のようだった。誰も近寄らない暗闇の奥からガシャコンガシャコンと旋盤が動く音だけが聞こえていた。

もうカープが何連敗しただろうか、明日こそは部品を作ってもらわなければと野球中継を見るのだけど、勝ちそうな気配すらない。もう完全に終戦ムードで、負けることが当たり前みたいな感じになっている。いつものペナントレースだ。けれども、一回でも勝ってくれないと困る。実習工場に行かねばならないのだ。頼むから勝ってくれ、懇願するような気持ちで眺めていたが、全然勝てなかった。

「達川時代のカープ」この単語は未だにファンの間で集団狂気の代名詞として語り草になっている現象だ。詳しくはここを参照されたい。

www2.atwiki.jp

悪いことに当時は完全に「達川時代のカープ」であった。

それでも、なんとか久々にカープが勝ちそうな状態になった。試合の終盤までカープがリードし、あとはいかに綺麗に試合を締めるのか、そんなチャンスが訪れた。そこで僕は考えた。

「このまま今日はカープが勝つだろう。そうなると、連敗中にずっと製作依頼できなかった連中が明日は押し寄せることになるだろう。そうなると実習工場は長蛇の列だな。下手したら明日中に終わらず打ち切られるかもしれない。そうなったらまたカープが勝つの待ってたらいつになるかわからんぞ」

僕が導き出した答えは、朝一に実習工場を襲撃する、だった。老人だけあって彼は鬼のように朝早く出勤してることはわかっていた。6時くらいには実習工場で作業を始めていたはずだ。そこに依頼に行けば一番乗りになるだろう。そうと決まれば早起きしなければならない。すぐに野球中継を消し、眠りについた。

次の日、5時に起きて実習工場に向かった。やはりというかなんというか、実習工場には人影すらない。ほかの連中を出し抜いたことに言いしれない優越感を感じた。時間は6時前、まだ爺さんも来ていないが、昨日はあのままカープが勝ったはず、そろそろ上機嫌で出勤してくるはず。ワクワクしながら待っていると、手にスポーツ新聞を持って爺さんが出勤してきた。

「おはようございます」

完全に俺の勝ちだ。これで部品を作って貰える。爽やかに、かつ勝ち誇った感じであいさつをしたが、老人の反応は芳しくなかった。むすっとしていて挨拶すら返してこない。

鍵を開けてもらい、実習工場の中に入る。おかしい、カープが勝ったはずなのになんだこの不機嫌さはなんなんだ。心がざわつくのを感じた。老人がデスクの上に無造作にスポーツ新聞を投げ置く。衝撃の見出しが躍っていた。

「カープ、劇的逆転負け」

同時に終戦だとか達川無残みたいな文字が躍って紙面を賑わせていた。どうやら、もう勝てるだろうと早寝してしまったが、その後、劇的に逆転負けしたらしい。

殺される。

そう思った。ただでさえ、負けた次の日は近づいてはいけないのに、劇的逆転負けの次の日なんて、旋盤で削られてもおかしくない。命を取られる危険だってある。とんでもない場所にきてしまった。

殺られるならその前にこっちから先に殺ってやるか。棚の上にあった鉄の塊が目に入った。それくらい命の危険を感じて思い詰めていた。

「おい!」

老人に強い口調で呼ばれた。僕はビクッとなった。絶対に怒鳴られる、そうなったらもう、殺るしかない。あの鉄の塊で……。ビクビクしながら近づいていくと、老人は、僕が持ってきた汚いイラストを見ながら、部品を作ってくれていた。そして、作業をしながらポツリと言う。

「91年に広島カープが優勝したのを知ってるか?あの時は強くてなあ」

老人は、少しだけ目に涙を浮かべていた。なんだか僕はすごく切ない気持ちになった。

広島の人にとって広島カープがどれだけ大きな存在なのか実のところは僕にはよくわからない。けれども、広島が優勝してくれて、この老人がとんでもない上機嫌になって依頼していない部品まで作ってくれる日が来たらなんだか面白いなあ、そんな気がした。

あれからさらに長い年月が過ぎ、それでも広島カープが優勝することはなかった。そして2016年、8月24日、ついにマジックが点灯する。広島カープの応援歌、「それいけカープ」の歌詞の四番には優勝を強烈に意識した歌詞が記載されている。

晴れのあかつき 旨酒をくみかわそう 
栄冠手にするその日は近いぞ
優勝かけて 優勝かけて
たくましく強く躍れ
カープ カープ カープ 広島
広島 カープ

25年ぶりに、この歌詞が本当に意味を持って歌われたのだ。この25年間、全く意味を持たず夢物語だったこの歌詞が、現実的なものになった日だった。

当時で定年間近だったご老人だ、今、この歌を元気に聞けているかどうかもわからない。けれども、あの老人が元気でこの歌を聴いていて、いま、とんでもない上機嫌だったらいいなあ、そんな気持ちでカープの快進撃を眺めているのだ。

頑張れ、広島カープ、優勝へのマジック4!

 

 

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