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源さんとロックフェス




源さんは突然言い出した。

彼の名前はたぶん源さんではない。いつも丸の中に源と書かれた意味不明なシャツを着ていたから常連たちの間で勝手にそう呼ばれていただけだった。そんな彼が、まるで選手宣誓のようにして居並ぶ常連たちに高らかに宣言した。

「俺はロックフェスに行く」

その宣言に誰もが震えた。

ここはパーラーヴィクトリー、その片隅の世を憚るような小さな入り口に開店を待つ行列が形成されていた。当時はHANABIというスロットが非常に熱く、僕は大学をさぼって毎朝このパーラーヴィクトリーに並びに来ていた。行列の面々は完全に常連で、依存症のババア、どう好意的に解釈しても絶対に盗んだとしか思えない自転車で乗り付けるジジイ、来る途中でアラブ出身の天狗と戦ったと平然と言ってのける虚言癖の若造、大学をさぼりすぎて仕送りを止められた大学生(僕)というメンツで、店の名前はパーラーヴィクトリーなのに、そこにヴィクトリーを手にしたやつは誰もいない、というなんとも皮肉な状況が生まれていた。

その中でも源さんは最もヴィクトリーから遠く、もういい歳した爺さんで孫とかに囲まれていてもおかしくないというのに、パチンコにのめりこむあまり妻や息子が逃げ出したのはもちろんのこと、かわいそうだと拾ってきた野良猫すら4日で逃げ出したという逸話を持つ剛の者だ。

「兄ちゃん、今何時だ?」

源さんはいつもそう言って列に並ぶ僕に話しかけてきた。

「あと5分で開店ですよ」

僕は腕時計を見てそう答える。

「そっか、やっぱこの時間が一番ワクワクするな」

こういった会話が交わされるのだけど、別に源さんは時間を気にしているわけではない。僕に時間を訊ねるふりをしつつ、しっかりと行列に横入りするのだ。

しばらく談笑していて、いよいよ店の奥から店員が出てきて開店は近いという雰囲気が流れてきたとき、源さんが列を離れて声高らかに宣言した。

「みなさん、お聞きください!」

僕を含めた常連たちは「またか」と思った。どうせ源さんの引退宣言である。「私は今日限りでパチンコを引退します。思えばパチンコで家族を失いました。家も失いました。でもまだ取り戻せると思うのです。だから今日限りで引退します」僕らはこの宣言を少なくとも8回は聞いている。その宣言の次の日にはしっかりとちょっとさわやかな顔をして「いま何時だ?」って行列にやって来るのだから、もう誰も信じなくなっていた。

どうせまた偽りの引退宣言だろう、そう思って聞き流していると、源さんは言った。

「俺はロックフェスに行く」

そうか、ロックフェスに行くのか、僕はそう思ったが、悪いことにその瞬間に開店したため、皆は狙い台に一目散。誰も源さんの話を聞いていなかった。

狙っていたHANABIも不発に終わり、そろそろ家に帰ろうかと待合ロビーに視線をやると、源さんが直立不動で立っていた。まるで悪いことをして立たされている子供のように、ただ立っていた。源さんは自分を戒めるためか、パチンコに負けるとこうやって自らを罰するように立っていることが多くあった。

「今日はどれだけ負けたの?」

源さんにそう話しかけると、源さんは言った。

「俺はロックフェスに行く。パチンコはもうやめだ」

もはや会話が成立していなかった。

次の日も、行列に源さんの姿があった。声高らかに「ロックフェスに行く」と宣言する源さんに、常連たちは震えた。ついに来るべき日、Xデーが来たと震えた。これまでに訳の分からないことを言いだすことは多々あったが、それはある程度間隔が空いていた。ただ、ここにきて二日連続での狼藉。ついに源さんがボケたと確信した。

「あーよかったね、是非とも行ってください」

依存症のババアは子供に言い聞かせるように源さんをあしらった。

「ロック?ロックの神様はジミヘンだろ。さっきサイゼリアの所にいたよ」

虚言癖の若者は、嘘すぎて逆に清々するレベルの大胆な嘘をついた。

源さんへの対応が非常に面倒だという空気が蔓延し始め、なぜか僕が源さんの話を聞くことになった。HANABIが不発に終わり待合ロビーに行くとやっぱり源さんは直立不動で立っていた。

「なんでロックフェスなの?」

そう問いかける僕に対し、源さんは直立不動のまま熱弁しだした。どうやら深夜に何気なくテレビをつけたら、アメリカのロックフェスの特集をやっていたらしく、いたく心を奪われてしまったようだ。そして、自分の人生はここにある、そう思ったらしい。

「俺の人生、ゴミくずみたいなもんよ、嫁にも子供にも逃げられた。孫ができたって連絡すりゃありゃしねえ、死んだことにされてんだ。拾ってきた猫にも逃げられるしな」

源さんは寂しそうな眼をしていた。

「人は後悔を抱いてい生きている。後悔ってのは迷いだ。ああすればよかった、こうすればよかった、そう思うのは簡単だが、現実と理想の境目には大きくて固いブロック塀があるんだ。人はそのブロック塀に悩まされる。それをぶっ壊すのはロックだと思う。いいやロックしかない。ロックこそが、俺の後悔を打ち消してくれるんだ!」

源さんの話を聞きながら、声をかけたことを激しく後悔した。すげえ面倒くさい。なるほど、これが人生におけるブロック塀ってやつか。これを壊すにはロックしかないのか。

「ロックフェスってやつにいきてえんだよ、テレビで見た、あれこそが俺の後悔を打ち壊してくれるんだ!」

懇願する源さんの、ノーとは言えなかった。結局、僕が調べて近場でありそうなロックフェスを探し出し、チケットを入手する、ということで話がまとまった。

ロックフェスを調べる、今でこそスマホなんかでちょちょいのちょい、簡単にチケットなんかもとれる時代だが、当時はそこまで全ての情報がネット上にあるという時代ではなかった。むしろネット上なんてアングラそのもので、ヒ素カレーのコラージュ画像で盛り上がってるような時代だった。

また、今では全国各地でロックフェスが多数開催され、明かりに集まる小さい虫のように皆で盛り上がったりするのだろうけど、 僕の記憶の限りでは当時、日本国内ではそこまで盛んにロックフェスが開催されていなかったように思う。

調べるのが死ぬほど面倒で、おまけに結果も全然出てこない。はっきり言って投げ出したかったけど、源さんが「人生を取り戻せる」とまで言ったロックフェスだ。なんとかしてあげたかった。

片田舎に唯一存在するプレイガイド的な場所に行って探してみるも、やはりロックフェスのチケットはなかった。時期も悪かったかもしれないが、やはりそんなに盛んじゃなかったのだと思う。もう本当に面倒で面倒で、とにかく腹が立ってきて、源さんはロックフェスで人生取り戻せる、猫も帰って来る、そう言ったけど、そんなわけあるかと怒りがこみ上げてきた。そんな時、あるチケットが目にとまった。

「世界の名品が大集合!即売会あり!珍品名品大集合!一流の腕時計が揃い踏み、クロックフェスタ」

都市部のデパートの催事場で催されるらしいこの腕時計の祭典、これはよく見ればロックフェスである。クロックフェスタだ。300円の券が安くなって220円になっていたのですぐに買った。もうこれでいいやって思った。源さんに渡した。源さんはすごく喜んでいて、これで猫も帰って来る、そう言った。

「明日は俺、ロックフェスに行くからパチンコ休むからな」

そう言った源さんの笑顔が僕の心を締め付けた。源さんにとってパチンコが仕事的な位置づけで、休むという表現を使われたこともショックだったし、それはロックの祭典ではなく、腕時計の祭典なんだ、と言えなかったことも心苦しかった。僕は心の中でロックの神様、ジミヘンに謝罪した。

二日後、源さんの腕には新しい腕時計が光っていた。

「テレビで見たのとは違ってたけど、最高のロックだったぜ」

そう言って腕時計を見せびらかす源さんに「それはクロック」とは言えなかった。

人は後悔の中に生きている。ああすればよかった、こうすればよかった、そんな思いが後悔となる。ただ、腕時計の針を巻き戻すように時間が戻るわけではない。妥協点を探し出し、それを未来に繋げるべきで、それがロックなのだ。そう言った意味で前に進んだ源さんの腕時計は本当にロックだったのだ。

「今何時だ」

朝の行列で源さんがそう訊ねてくることはなくなった。逆に「あと3分で開店だぞ」とご自慢の腕時計で教えてくれるようになった。前向きな源さんの姿がそこにあった。そして、源さんの家に本当に猫が帰ってきたらしい。

「腕時計様様だよ」

そう言う源さんの顔は、この店で唯一ヴィクトリーを手にした男の顔だった。

後悔と共に生きてはいけない。時計の針は戻らないのだから。