僕だけが臭い街

常日頃から自分だけは臭いんじゃないかって思っている。

たぶん、自分ではわからないのだけど、体臭だとか加齢臭だとか朝に食ったにんにく卵黄だとか精液だとか様々な悪臭がミックスされた悪臭カクテルのような臭いを振りまいているに違いない。そう確信しているのだ。

周りの連中は僕を見ると離婚する時のアメリカ人女性みたいにしかめっ面だ。間違いなく臭いによって不快に感じているのだろうけど、みんな大人なので指摘はしない。周りは臭いと思っているのに、自分では気が付かない、これは意識が違うだとかそういったレベルのお話ではなく、住む世界が違う、というステージの話になってくる。見えている世界と感じている世界、いうなれば宇宙が違うわけで、そういった小さな異世界の歪は沢山あるのに肩を寄せ合って生きていかねばならない現代社会は、様々な不幸の温床と言えるのだ。

小学校高学年くらいの頃だろうか、僕は性に関する目覚めが極度に遅かった。周りのクラスメイトが性的なエトセトラに興味を持ち出しているというのに、そういった世界があることも知らず、いかに効率良くザリガニを捕まえるか、みたいなことばかり考えていた。

女体、性行為、おっぱい、そういったものに興味を示すのは生物としての本能なのだけど、目覚める時期は個人差がある。今思うと特に兄などの男兄弟がいるやつが目覚めが早かったように思う。おそらく兄経由でそういった情報を仕入れ、なるほど、女体に興奮するのか、と概念に気が付くからだと思う。無理やり本能を呼び起こすやり方に近い。そういった面では僕は長男だったので情報ルートがなく、完全に本能だけでの目覚めを待っていたので、結果として遅くなった。

「おい、俺たちの宝を持ち寄って見せ合おうぜ!」

グループの誰かがそう提案した。いつも遊んでいる4人のグループだ。今思うと、この4人は毎日仲良く遊んでいたのだけど、僕だけ見ている世界が違っていた。他の3人は完全に性に目覚め、明らかに女体や性行為という桃源郷に興味を持ち始めていた。けれども、僕だけはそもそもそういった概念を有していなかった。

「宝を持ち寄るのか、よーし、あのとっておきの宝をもっていくぞ」

そう決意した僕は、小さな箱に宝を入れて山本の家に行った。

「へへへ、今日は親はいないけど、念には念を入れてな」

山本は照れくさそうに笑いながら厚手のカーテンを閉めた。いつも遊んでいた山本の部屋が急に淫靡な雰囲気に包まれたような気がしたが。なんだかいつもとは違う違和感のようなものを感じていた。

「まずは俺から」

山本が学習机の引き出しからエロ本を出した。写真系のエロ本で巻頭カラーはセーラー服を着ているおばさんが半裸で天井から吊るされているグラビアだった。口にボールみたいなものまではめている。

「おお、すげえ!」

「ふふん、兄貴の部屋から盗んできたからな」

今でこそ、性に目覚めればいくらでもインターネットやら何やらでエロに触れることができるが、当時はインターネットなんか存在しないし、田舎なのでコンビニすらない状況だ。エロ本コーナーですら存在しなかったし、よしんば売っているところ発見したとしても鉄壁の守りで子供には売ってくれなかった。性に目覚めた子供にとってエロ本はファラオの秘宝のありかを示した古文書よりも尊かった。

「じゃあ次は俺の番な」

太田が小汚い複数枚の写真を取り出す。

「おお、すげー!」

一同が沸いた。完全に性行為の瞬間を捉えたエロ写真だった。

「兄貴が通販で買ったらしいんだけど、大事そうに隠してたから持ってきたぜ」

太田は得意気だった。

「俺なんてもっとすげえぜ」

負けじと岩本が出したのは漫画エロトピアだった。劇画調のエロマンガである。マンガなんてコロコロとジャンプぐらいしか知らない僕らにとって努力!友情!勝利!なんて欠片も存在しない、性行為!ぶしゃー!よかったぜ奥さん!みたいなマンガは衝撃的だった。藤子不二雄Aみたいなグロい絵で描かれるエロは隕石衝突ぐらいにインパクトがあった。

みんな興奮状態で、半ズボンをパンパンにしている。けれども、性に目覚めていない僕は何がお宝であるのかいまいちピンと来ない。彼らの反応を見ていればそれがすごく貴重なものであるのは理解できるのだけど、自分には理解できない。アフリカ奥地の原住民が訳の分からない像を神として崇めているのを見ている気分だった。

「お前の番だぜ、お宝を出せよ」

住む世界、見えている宇宙が違う、そう思った。なんだか3人が違う世界の住人のように思え、彼らと僕は薄い半透明の膜みたいなもので仕切られているような気がした。同時に、僕はこれからこういったエロの世界で生きていくんだろうな、そのうち僕も性に目覚めてそういったものに夢中になるんだろうな、と近しい未来を連想し、親の顔がちらついて少し寂しい気持ちがした。

けれども、今の僕はほぼ性に目覚めていない。お宝を持ってこいと言われて迷わずエロアイテムを持ってくるほどにはピンク色に染まってはいない。様々な思いが交錯する中、僕はついに持ってきたお宝を差し出した。それを見て、太田が声を上げる。

「カナブン?」

僕が持ってきたのはちょっと変わった色のカナブンの死骸だった。用水路の近くで拾ったお宝だ。普通のカナブンはババアのファッションみたいなつまらない色をしているが、このカナブンは少し緑がかった色をしている。もしかして新種で、認められたら用水路の名前を取ってジャブジャブカワミドリカナブンって名付けようと思ったほどだ。

山本が軽蔑の眼を僕に向ける。なんだか自分がひどく幼い気がして恥ずかしかった。皆はもうそんな昆虫とか卒業して、「イケナイ行為ほど興奮するものよ」なんてマダムがあへーってなってるセリフに興奮しているのに、僕だけ緑のカナブンである。成長という時間の流れから置き去りにさているようにすら感じた。

負けてはいけない。そんな気持ちが溢れてきた。これから僕は性に目覚めるだろう、そうなったとき単に兄貴がいるから少し早く目覚めただけのこいつらに負けてはいけない。性に目覚めるということは全てのオスが敵になるということだ、こいつらには負けてはいけない。今ここで優位に立っておかねばならない。カナブンで優位に立つ、そう決断した僕の行動は一つだ。

「遅れてるなー、このカナブンに興奮するんじゃん、みてよ、この足、いろっぽいわー、興奮するわー!」

次の日から僕のニックネームは「変態昆虫博士」「カナブンファッカー」でした。なんか噂に尾ひれがついて、蛾の粉を鼻から吸ってるとか、オニヤンマを主食にしてるとか訳の分からない噂が蔓延したのです。女子なんか僕を見るだけで虫を食わされるって逃げてたもんな。

住む世界が違う、それなのに同じ世界で生きていかなければならない。平等でなくてはならない。それは理想郷でもなんでもなく、不幸しか生まないのだ。

だから、僕はきっと臭い、けれどもそれにも僕は気が付いていない。でも職場を中心に周りにいる人たちはそれを指摘してくれない。これはもう、住む世界が違うのだ。僕だけが臭い街で、それを知らない僕。それは不幸しか呼ばない。だからしっかりと指摘して欲しい、などと考えていたら

「patoさんって変な臭いしますよね」

と指摘してくれる同僚が。やっと同じ世界に生きることができる。さらに同僚の指摘は続く。

「なんか、カナブンみたいな臭いするわ」

カナブンに興奮するからそんな臭いがするんだろって言おうと思ったけど、職場でまでカナブンファッカーと呼ばれるのは妙なトラウマが呼び覚まされるので、じっと黙っていた。

僕だけが臭い街。カナブンが飛び交うその街で一人寂しく生きている。