空と海と大地と呪われし姫君

どうして乙姫は浦島太郎に玉手箱を渡したのか。

竜宮城で楽しいひと時を過ごした浦島太郎が陸上に戻ると、何百年という年月が経過していた。そして、決して開けるなと言って渡された玉手箱を開けると、中からもうもうと煙が立ち込め、お爺さんになってしまう。前々からうすうす思っていたがこの話だけを聞くと、浦島太郎は完全にとばっちりであまりに不憫である。

そもそも虐められていた亀を助けたお礼に竜宮城に誘われ、タイやヒラメの舞い踊り、そろそろ帰るかと帰ったら自分だけ時間から取り残されていてショックのあまり玉手箱開いてズドンである。一連の浦島太郎の行動に一片たりとも瑕疵はない。

乙姫サイドの視点で見てみると、虐められるほど弱い亀を陸上にいかせたばかりか、助けてくれた恩人を忘却の時間に放り込み、さらには開けたら大変なことになる箱をわざわざ持たせる。きっと老化した浦島太郎を物陰から見ていて邪悪に微笑んでいるに違いない。乙姫は完全にサイコパスだ。昔話の時代だから良かったものの、現代だったら保険金目当てで5,6人は殺しかねない悪徳さだ。

浦島太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話>

やはり、何度読んでみても浦島太郎に一切の瑕疵がないし、乙姫はサイコパスだ。開けるなと念を押して玉手箱を渡すくらいなら渡さなければ良かったのではないだろうか。多くの昔話が子供たちに伝える何らかの教訓を含んでいるが、浦島太郎だけはそれがなく、ただただ理不尽なのである。言いつけを守らずに箱を開いたからそうなったという部分が教訓的ではあるが、その代償としての老化はあまりに理不尽である。これでは子供が納得しない。なぜ乙姫は恩人に対してそのような犯行に走るまでに至ったのか。

その謎を解明するには、僕の経験が役立ちそうだ。少しだけ話しておきたいと思う。

以前にも述べたが、僕が通っていた大学は極度の田舎町にあり、娯楽なんて市内に点在するパチンコ屋くらいしか存在していなかった。お金もなかった僕の唯一の娯楽は、月に一回ポストに投げ込まれている無料の情報誌だった。地域のお店やスポットなどを紹介するタウン情報冊子みたいなのが定期的に投函されていて、それを読むのが何よりの楽しみだった。

その情報冊子には、読者の皆が投稿するコーナーがあって、「地域の声」みたいなコーナーで、いつも情報誌があって助かっています。毎月家族全員で楽しみにしています、とサクラとしか思えない投稿が掲載されていたのだけど、その中に「募集コーナー」というものがあった。

そこでは地域住民がいらなくなった物品、主にゴミなのだけど、「本棚が欲しい方、引取りに来てくれる方で」とか「いらなくなったバイクを譲ります。なおエンジンはかかりません」みたいな、いかにゴミを押し付けるかみたいな灼熱の戦いが繰り広げられていた。もちろん「子犬が沢山生まれたので里親募集」みたいな有意義な募集もあったのが、その大半がゴミの押し付け合いで、取引が成立しなかったのだろう、そういった物品譲渡に関することは掲載されなくなっていた。

それと引き換えに「文通相手募集」という投稿が目立つようになり、主に若い女性が出会いを求めて投稿するような穴場へと変化していった。けれども、こんなチンケな情報誌を真剣に読んでいる人間などそんなにいるはずもなく、まともな人間は去っていって、とんでもない文通募集ばかりが掲載されるようになった。

「戸籍がいらないっていう方、連絡ください」

「天にも昇る気持ちを味わいたい方、文通しませんか?薬品系ではありません」

アブダクション経験者、語り合いましょう。当方は小四の時にアブダクション経験済みです。未だに宇宙からのメッセージが…」

「ボウリングボールの反乱」

みたいな、なんの雑誌かな、と言いたくなるような、あ、そう遠くない未来にこのコーナー廃止になるな、みたいな予感が走る投稿ばかりが並ぶようになったのです。最後のボウリングボールなんて意味わからないし募集ですらない。せっかく楽しみにしているコーナーなのに廃止されてはたまったものじゃありません。ならばその前にこの中の誰かと文通を成立させてみよう、と思い立ったのです。

さすがにディープなのは怖いですし、ボウリングボールは意味わからないしで、比較的マイルドな投稿に狙いを定めようと吟味した結果、

「占いの勉強をしています。協力者を募集します。前世などに興味がある方もお話しましょう」

みたいな投稿を見つけたのです。これならあまり危険度は高くなさそう。おまけに占いを勉強しているというのはなんだか若い女性であるような気がする。出会いのチャンスである。僕はすぐさま投稿番号を指定して編集部に手紙を送った。

数日すると相手から返事の手紙が帰ってきて、その手紙には「会いましょう」という言葉と携帯番号が書かれていた。今のように携帯電話でメールをやり取りする機能はなかったが、かろうじてショートメールでやり取りすることができた。もちろん、同じ地域情報誌読者なので、住んでいる地域も近く、とんとん拍子で会うことが決まった。

僕はかなり楽しみだった。占いというものに興味があったし、自分の前世とかを教えてもらえるかもしれない。なにより、若い女に出会えるのである。占いを口実に、向こうもその気で、見える、前世の悪い気があなたを蝕んでいます、そ、そんな、どうやったら祓えますか、これは色情魔がついてます、祓うには私とセックスなさい、って展開も十二分にありえるのです。これは楽しみになってきた。

待ち合わせは、小さなスーパーの駐車場だった。少しおめかしして呆然と立っていると、そこに女がやってきた。展開を早めるために一切の描写なしに語ってしまうと、ブスだった。さすがにそれじゃああんまりなんで描写させてもらうと、タロットカードの「THE SUN」のカードの太陽みたいなブスだった。俺は親切だからみんな検索すると思うんで、検索結果へのリンクを貼っておく。

タロット THE SUN - Google 検索

「いきましょう」

とTHE SUNに促されてTHE SUNの軽自動車に乗るように指示されます。もうこの時点で、前世の色情魔を性のイニシエーションでって期待は完全に打ち砕かれて、もうこうなったら自分の前世だけでも聞いて家に帰ろうって思ったんですけど、車内ではなんか会話すら許さない雰囲気なんですよね。すごい張りつめた空気が蔓延していて、気分が悪くなるようなお香のにおいが充満しているんですよ。そんなエキゾチックな雰囲気なのに、カーステレオからはたぶん河村隆一だったと思うんですけど、彼の熱唱が流れてくるという状態でした。

これはやばいものに足を踏み入れてしまったかもしれない。

このまま意味不明な宗教施設に連れていかれて、儀式に必要だとかなんとか言われて首を撥ねられるかもしれない、そんな恐怖で震えました。車はTHE SUNが無言なままズイズイと進み、いつの間にか山道に。絶対これ悪魔儀式だわ、っていう不安がマックスの状態です。もう占いとか前世とかいいから勘弁してくれって思って神に祈ったんですけど、すると急に車が停車したのです。見ると、林にか囲まれた少し開けた場所でした。

「ここで降りてください」

そう言うTHE SUN。どうなるか予想してみてくださいよ。この後の展開がどうなるか予想してみてくださいよ。物陰から信者が出てきて儀式に使われた?違うね。悪魔を召還する儀式が始まって、僕は生血を全部抜かれてしまった?違うね。なんだと思う。きっとみんなの全ての予想を裏切ると思う。

「畑泥棒がここに来るので見張っててください」

もう意味わかんねえよ。

なんでもここはお婆ちゃんがやってる畑なのだけど、心ない人たちが夜中にやってきて、作物を持っていくらしい。確かにけしからん奴らだ。でも、僕が見張る道理が分からない。僕は占いの練習台と前世について知りたかっただけなのに。

「協力者を募集っていったじゃないですか。協力してください」

なるほど、今一度、募集文章を見返してみると

 「占いの勉強をしています。協力者を募集します。前世などに興味がある方もお話しましょう」

これだったのが

「占いの勉強をしています。(畑泥棒を撃退する)協力者を募集します。前世などに興味がある方もお話しましょう」

こいつあたまおかしい。誰だって、前後に、占いと、前世の、話を、されたら、それ関連の、協力者、だと、思う、だろ。俺が悪いのか、悪いのか、行間の(畑泥棒を撃退する)を読み取れない俺が悪いのか、違うだろ、見張る義理はない、って思ったのだけど、せっかくここまで来たし、お婆ちゃんの作物を盗むやつは許せないので見張ることに。

THE SUNはそのまま軽自動車で家に帰っちゃって、真っ暗な畑に一人残されることに。すごく大地のにおいががして星空が綺麗で、風が吹くたびにずっと遠くまで木々が揺れている音がしてた。俺、なにやってるんだろうな。占われに来たのになんで畑の守護神やってんだろうな。

だいたい、そんなしょっちゅう畑泥棒が来るわけない、それよりあまりに空腹なので僕の方が畑泥棒になりかねない、とか思ってると、2時間くらい経過したときガーッと軽トラがやってきて畑の横でゴソゴソやってるんですよ。うおーほんとに来たと思いつつ

「すいませーん、どうかしましたかー?」

と話しかけると、畑泥棒、腰抜かすほど驚きましてね、「ぎゃー!」とか言ってた。そりゃそうですよ、真夜中で絶対に誰もいない畑の闇夜からタロットカードの「悪魔」みたいなやつが出てくるんですから。俺は親切だからみんな検索すると思うんで、検索結果へのリンクを貼っておくぞ。

タロット - Google 検索

ものすごい勢いで逃げていかれましてね。なんとか畑を守ることに成功したんです。朝になるとまた軽自動車でTHE SUNがやってきて、朝日と共にやってきたんで少し笑ったんですけど、夜中に泥棒がやってきたこととか報告すると

「本当にありがとうございました、祖母も喜びます」

とか結構普通の女子っぽい感じでかわいいんですよ。おまけに、ちょっと頬を赤らめながら

「これ、お礼に作ったんです。でも初めて作ったんで、まずいと思うし、お腹壊したりすると思うので絶対に食べないでくださいね。絶対に食べないでください。全然うまくでいなかったんで」

って俯きながら手作りのクッキーが入ったタッパー渡してくるんですよ。かわいいじゃねえか。食べないで欲しいなら渡さなければいい、玉手箱みたいじゃねえかと思いつつ、待ち合わせたスーパーまで送ってもらいました。街に戻ったら800年くらい時間が経過していたらどうしようと思いましたが、8時間経過しているだけでした。

「本当にありがとうございました。クッキーは食べないでください」

と言われて別れました。

さて、このクッキーは何なのでしょうか。

冒頭で触れた浦島太郎のお話は、かなり理不尽なことになっているのですが、実はそれには理由があります。昔話は時代の変化とともに何度も改変が加えられているのですが、もともとは、乙姫から浦島太郎への「愛」が語られていました。その愛の部分を一切なかったことにしているので、物語の最後に理不尽さが残るのです。

もともとは、乙姫と浦島太郎は愛を約束しあっているのです。その上でも陸上に帰ると浦島太郎が言うので、愛のしるしに玉手箱を渡す。けれども、浦島太郎は愛を誓い合った乙姫を裏切り、陸上の娘と結婚しようと考え始めます。その結婚資金に玉手箱の中身を売って金にしようと画策します。あんな豪華絢爛な竜宮城でもらった土産だ、金になるものが入っているに違いない。そうして、煙を浴びて老化してしまいます。愛を裏切った際に発動する罠として玉手箱が渡されていた、というわけです。この辺を一切消してしまうので、現代の話は訳の分からない理不尽さだけが残って乙姫がサイコパスになっているのです。

では、ここに畑を守ったお礼として頂いたクッキーがあります。絶対に食べるなと言われています。まさに玉手箱でしょう。でも、食べるなって照れていってるだけでしょうし、よく手作りチョコ渡す女の子もまずかったら捨てていいからって顔真っ赤にして言って、捨てちゃったら泣いたりするわけでしょ、ちくしょーかわいいじゃねえか、俺は食べるよ、彼女を信頼して食べるよ、食ってやるさって食ったら、信じられないレベルで本当にお腹を壊しました。乙姫より理不尽だな、これ。

玉手箱は愛を裏切った時に発動する罠だった。そして、情報誌の文通コーナーはきっと罠だらけだったのだ。この世は罠だらけ、気を付けなければならないのである。

全然関係ないけど、帰りの車で、このままでは畑を守っただけだ、なんとか僕の前世だけでも聞きださないと、と妙な焦りを感じた僕はしつこく僕の前世を教えてほしいと頼んだら、しぶしぶ見てくれて。なんだろう、歴史上の偉人か、それとも侍とか、ひえー、織田信長とか言われたらどうしよう!とか思ってたら「前世は会津若松です」って言われた。偉人でも人でもなく、それは地方だ。

会津若松市 - Wikipedia