フェティシズム×フェティシズム

以前から自分はちょっと何らかの病気じゃないかと思うことが多々あった。

例えば、待ち合わせシーンにおいて、13時に友人と新宿で落ち合うことにしたとしよう。そうだな、場所は適当に新宿のアントニオ猪木酒場の前で待ち合わせとしよう。そうなった場合、遅刻はしたくないので10分前には猪木酒場に到着しようと目標を立てる。たぶん、新宿駅から歩いて10分くらいだと思うが、道に迷ったりすることを考慮して余裕を見て新宿駅からは30分歩くと予想する。駅に着くまでの電車が遅れることを考慮して1本前、いやそれでは足りないので2本前にしよう、と考える。その電車に乗るまでに我が家からバスで駅まで行くことになるのだけど、そのバスも接続が悪かったり遅れたりしては困るので2本早いので行くことにしよう。バスが来ないとかアクシデントも考えられるので、バスが来ない場合でも徒歩で駅に向かって間に合うように家を出よう、もしかしたら忘れ物をして取りに戻るかもしれない、ならばその分の余裕もみよう、となり結果としてものすごい早い時間に家を出てしまう。実際には、何もアクシデントなんてなくて、あったとしても電車が数分遅れた程度でスムーズに待ち合わせ場所まで到達するのだけど、結果として約束の時間より2時間も早く到着してしまう。アントニオ猪木酒場の前で2時間仁王立ちだ。

ここで注意してほしいのは、僕は別に時間にうるさいとか、すごい几帳面とかではない。むしろルーズなほうだ。プレステ4の電源を切るのが面倒で、いつもワイヤレスコントローラーがアクティブ状態で充電が空になるまで放置されているレベルのルーズさなのに、なぜか待ち合わせだけがこうなのだ。待ち合わせをし、俺2時間前からここにいたわと相手に言うと、それは何らかの病気と必ず言われる。

それ以外にも、フェティシズム、いわゆるフェチに関する考え方の変遷も自分としては病的な何かを感じる。

以前の僕は、女性の髪の毛フェチであった。女性の髪が好きで、それに対して極度の性的興奮を覚える傾向にあった。ただ、一つだけ不満点があって、それが「あらゆるフェチの中で下着フェチが最強」という説で、この仮説に基づいて下着フェチより下位の髪フェチに甘んじている自分をひどく不甲斐なく思ったものだった。

なぜ下着フェチが最上位かというと、例えば下着フェチの人の家に突然宅配便がきて、なんだろう、アマゾンかなとか思いつつ開けてみたら女性の下着がこんもり入っていたとしたら、これはもう天からの贈り物で、それが天使のブラだったりしたら狂喜乱舞するはずだ。そういった意味で下着フェチは幸せでああり、上位に位置するのだ。

これが髪フェチの僕のもとに宅配便がやってきて、なんだろう、楽天ショッピングかなとか思いつつ開けてみたら、箱の中にごっそりと髪の束が入っていたらどうしますか。たぶん、ヒィ!とか言いながら腰を抜かす。

髪フェチならまだいいほうで、女性の脚線美に興奮する脚フェチの人のところに宅配便がやってきてなんだろうZOZOタウンかなとか思いつつ開けてみたら、ゴロンと脚が入っていたらどうしますか。もう事件ですよ。死体損壊および死体遺棄の可能性がある。

そういった事情もあってあらゆるフェチの中で下着フェチが最強って信じて疑わなかったのですが、最近はその考えも揺らいでいて、実は海水浴フェチが一番上位じゃないかって思い始めたんです。はい、そうですよね。なんだよ海水浴フェチって。そもそもなんでそれが最上位なんだよ、って思いますよね。その気持ちわかります。でも、ちょっと落ち着いてください。まあ落ち着いてください。ちゃんと説明しますんで落ち着いてください。

まず、フェチというものが何なのかっていう部分から話が始まるんですけど、そもそもは「モノに神聖や呪力を見出して崇めるという信仰・崇拝の在り方を意味する」というところからきているんですね。つまり何らかを信仰するか崇拝するかってことなんです。つまり、ものすごく個人の内面を吐露した宣言である可能性があるんですね。

普通に生活していたらあまり「僕は何々を崇拝しています」という宣言はあまりしないんですけど、これが「フェチ」というベールに包まれるとそこまで不自然ではなくなるんです。そうなってくると、誰かが「私は何々のフェチです」と宣言することは内面の吐露に繋がり、なんというか、その人の本質を見たような気がするんです。

つまり、いつの間にか僕は誰かが何かのフェチだと宣言することに興奮する、誰かの何かフェチフェチみたいな状態になってしまったんですね。そういうのを見るとすごい本質を見た気分になって最高なんです。

ただ、髪フェチもそうですし、脚フェチもそうです、うなじフェチとかそういったフェチって、本当に内面の吐露かって言われると、なんか違うんです。そういうありきたりなフェチって、なんらかの意図が介在するわけじゃないですか。内面の吐露というよりは自分のキャラ付けに言ってる部分も多いんですよ。売れないアイドルが突如ゲームマニアを自称するのに近いです。なんか自分でしっかりとフェチと認識してる事象って嘘っぽいんですよ。

そうなってくると、自分では気づいていないのに何らかのフェチであるという事象に興奮するようになるんですね。特に女性が、自分では気づいていないというか、隠されたフェチを持っているのが理想なんですが、そういうのあったとしても僕が気付くわけないじゃないですか。だから、どう考えても別にフェチではないんだけど、それフェチやでって勝手に決めつけて眺めることに興奮するようになるんですね。

となるとね、女性が好きそうな単語で検索するじゃないですか。で、それに関する感情を記述している女性のブログなんかを見ながら、勝手にそれフェチやでって指摘して興奮してるんですよ。

例えば、女性は友達とか好きじゃないですか。友達とか大切にするじゃないですか。本心はどうだか知りませんけど、表面上は大切にするでしょ。すると友達で検索しますよね。いろいろ出でてきますよ、「今日は彩佳とカラオケオール、友達って素敵だな、なんか元気出た」とか出てきますよ。それ読んで、それ友達フェチやでって指摘するともう最高なんです。検索するでしょ「友達で押し通すつもり」ていう文章が出てきたりしますわな、そうするとそれも友達フェチやでって指摘して満足するんです。

例えば女性は春とか好きですよね。春で検索すると「春物の服着てウキウキ。春って大好き」みたいなのでてきます。それって春フェチやでって勝手に決めつけたり、「ありがとう文春、センテンススプリング!」とか出てきますわな。それも春フェチって決めつけるともう絶頂なんです。

こうやって色々な事象をそれフェチやでって勝手に決めつけて楽しんでるんですけど、その中でも海水浴をフェチと決めつけるのがもう本当に最高で、なんていうかほとんどの女性が海水浴に関してはたいてい意気込みを大きく持ってるんですね。水着を買ったり、夏に向けてダイエットしたり、けっこう長いスパンで宣言しがちなんですよ。

だからちょうど今くらいのまだまだ夏まであるみたいな時期から検索をかけて、夏前くらいに絶頂を迎える、海水浴に向けて意気込みを語る人にそれ海水浴フェチやでって画面に向かって指摘するのが至高。おまけに長い期間楽しめるんです。そういった意味で勝手に決めつける海水浴フェチ、これが最高じゃないかって思うんです。正確に言うと海水浴フェチと勝手に決めつけるフェチですね。

そんなことを悶々と考えながら、先日も2時間前から待ち合わせ場所に立っていたんですけど、やってきた相手に、「お前待ち合わせフェチなんじゃねえの?」って言われました。病気じゃなくてフェチなんだって指摘されるとすごく安心すると同時に、なんかすげえ興奮した。勝手にフェチと決めつけるより勝手にフェチと決めつけられるフェチなのかもしれない。とにかく、これから夏に向けて毎日「海水浴」で検索していきたい。