害毒な言葉たちのユーグレナ

言葉というコミュニケーションツールがどんどん軽いものになっているのを感じる。今やネットを介した言葉のやり取りが主流となり、多くのコミュニケーションが数バイトのデーターとなって飛び交っている。そこに体温は介在しない。

そこに人の体温を感じられないのなら人はどれだけでも残酷になれるし冷酷にもなれる。人類史上、一個人が無秩序な攻撃性を最大に持っているのが現代だ。それが簡単に拡散されるものだからもはやコントロールできないところまできているのではないか。その広がり方はまるで毒のようで、多くの害をもたらすこともある。まるで害毒、そう感じてしまう。

ある公的機関の人に聞いた話だが、何らかのミスをしてしまい、ものすごいクレームがきたことがあったらしい。そのクレームはメールでやってきて、途方もない罵詈雑言の嵐で、お詫びのメールを出しても、その返信に対してのクレームが物凄かったらしい。いくらミスをしたほうが悪いとはいえ、その鋭利な言葉の数々はちょっと嫌になるくらいひどいものだったらしい。

これはちょっと直接出向いて謝らなければならないと思ったその人は、連絡を取り家まで訪ねて謝罪をした。あれだけメールでヒートアップしていた人なので、直接言ったらどんな酷い言葉を浴びせられるか、少し覚悟して家を訪れたらしい。

しかしながら、実際に会って謝罪すると、すごく物わかりのいい人で、あのメールでの暴力的言葉が存在しなかったように穏やかに「謝罪してくれたのなら納得しました。次からは気を付けてください」となったそうだ。まるで憑き物が落ちたかのように感じたらしい。

果たしてこれは、直接出向いて謝罪するという誠意が彼の心を解きほぐしたのだろうか。いいや、その要素もなかったとは言わないが、やはり最も大きかったのは直接対面した、という部分だろう。

特にメールや何かでクレームをつけていると自分の攻撃性が高まりがちだ。しかも、相手は平身低頭謝り続けるものだからどんどんと攻撃性が高まってくる。いつのまにか自らも制御できない害毒発生装置になっている可能性があるのだ。

そこに実在の人が会いに来る。そこで初めて実感することもあるのだろう。ミスをした人、自分が辛辣な言葉を投げつけていた人もまた人間なのだ、と。自分とそんなに変わらない、この世界でもがき苦しんでいる人間なのだと痛感する。そこでさらに暴力的な言葉を浴びせる人は何かが壊れているのかもしれない。けれども、多くの人がそこで収まるはずだ。

「大切なことは実際に会って」

どんなネット社会が発達しようとも、この不文律は変わらない。もちろん、大切なことゆえに情報の行き違いがあってはならないという部分もあるが、最も大切なのは言葉に体温を通わせることなのである。僕たちが伝えているのは言葉に含まれた情報だけではない。そこに存在する自分という人間も同時に伝えているのだ。

以前、こんなことがあった。

ある複雑な構造をしたターミナル駅の改札で気品の良い、上品なそうな夫人に声をかけられた。確か、駅ビルに入っている何かの店に行きたいのだが、さっきから探しているのに全然行けない、みたいなことだったとと思う。

その言葉の物腰は柔らかく、なにか落ち着いた、澄みきった空気のようなものが感じられた。穏やかであり、柔らかく、優しい、春先の木漏れ日のような日々をこのご婦人は生きているのだろうと思った。この雰囲気はメールや何かでは絶対に伝わらないだろうと思った。

問題は、ご婦人の探している店である。確かその店は駅ビルと見せかけて厳密には駅ビルではない、ただ隣に立っているだけの商業施設の中にあり、この改札がある階からは行けないようになっている。一旦外に出て階段を降り、下の入り口から入りなおさないといけないのだ。

そのことを伝えようと思ったのだけど、ご婦人の上品な雰囲気に圧されたのか、なんだか僕も上品な言葉を使わなくてはならない!と意気込んでしまい。

「そのお店でしたら、下のお口から入らないといけません」

あのですね、素人ナンパ物のやつで男優が、あれー下のお口がもうこんなになってるよ、ちがいます、ちがわないよね、ちがいま、へえ、じゃあこれはどうかな、いや、これってなんですか、インタビューじゃないんですか、インタビューだよ、CSの特番、ちょっと、あ、あれー下のお口が。みたいな状態じゃないですか。上品に言おうとしてすごい下品なこと言ってるんですよ。

その言葉の物腰は猥褻で、なにか落ち着きのない、淀んだ空気のようなものが感じられた。粘着質であり、気持ち悪く、下品な、徹夜明けの黄色い朝日のような日々をこの僕は生きていると感じられる言葉だった。

さらに僕、むちゃくちゃ狼狽しましてね、もう気が動転して何が何やら分からないんですけど

「いや、その下の入り口という意味で、決して猥褻な意味があるわけではなく」

とさらに墓穴を掘る弁明をする始末。ただ、ご婦人は柔らかい物腰で礼をして立ち去っていきました。これも言葉に含まれた体温なのだと思うのです。これがネットを介した体温のないやりとりであったら、これはもう、やれ下のお口やら、やれ生殖器やら、大騒ぎですよ。下手したらログを晒され、道順を聞いただけなのに生殖器で答えてくるセクハラ、みたいになりますよ。でも、そうはならなかった。それは僕の言葉に体温がこもっていて、ニュアンスがきっちりと伝わっていたからだと思う。やはり、言葉に体温を通わせることは大切なのだ。

ただ、実際に会って言葉を交わしたとしても、それが必ずしも体温が通っているというわけではない。こんな経験もしたことがある。

あれは昨年の夏、一人で富士山に登ろうとバスに乗っていた時の話だった。シーズン真っただ中の富士山はあまりに登山客が多いため五合目までの道路が封鎖され、一般車両は通行できなくなる。麓の駐車場からシャトルバスが出ていて、そのバスに乗って五合目まで行き、登山開始となるのだ。だいたい、バスの乗車時間が1時間くらいだったように思う。

バスに乗り込み、五合目までの1時間で少しでも仮眠をとって体力を温存しようと考えた。これから始まる登山のことを考えれば少しでも体力を温存したい。目をつぶって寝よう寝ようとしていると、後ろからの会話が耳に入った。

「でさーLINEってすごく便利なの」

「へーそうなんだ」

男女の会話であるが、まったく心のこもっていない会話だった。なんというか、お互いに台本の読み合わせをしているような感じで、体温みたいなものが感じられないのだ。

「だからさ、スマホにしなよ、それでわたしとラインしよ」

「うーん、でもいまの携帯気に入ってるしな」

やはりそこに体温はない。というか眠りたいんだからもうちょっとトーンを落として会話して欲しい。

「ラインにしてくれたほう連絡取りやすいし、店のホームページも見やすいよ」

「そうかあ」

どうも、会話の内容から察するに、夜のお店のお姉さんとそのお客さん、これが店外デートで富士登山に来た、みたいな感じがするのです。だからなのか、お互いの言葉には本当の心情が乗っていないように感じた。

「でもさー、メールでよくない?そのLINEってのは何かメールと違うところあるの?その辺のところ具体的にどうなの?それで納得できたら考えてみることもやぶさかではない」

男性が棒読み状態でくってかかる。なんか面倒くさそうな客だ。結構ご年配なので、どうしてもLINEの導入に抵抗があるようだ。

「えっとね、あるよ。ほら、こうやって会話形式でやりとりできるよ」

「うーん、あまりメリット感じないなー」

男性のほうは納得いかない様子。女性がさらにLINEのセールストークを続けます。

「そうそう、相手が読んだかどうか分かる機能があるの。メールって相手が読んだかわからないでしょ、でも、LINEだと相手が読んだかわかるの」

「へー、それは便利そうだな」

男性のほうもちょっと食いついた様子。

「でしょでしょーほらみて、こうやってメッセージ送るでしょ、で相手がそれ読むと、ここに「がいどく」って表示されるの」

バスの中に戦慄が走った。

「それは既読(きどく)のことでは?」

すべての乗客がそう思ったはずだ。絶対に、運転手まで「きどく」って心の中で思ったはずだ。

「でね、たまにこのがいどくをつけてるのに返事くれない子とかいて、みんなでむかつくねって言ってるんだけど、それってちょっとプレッシャーじゃん、わたしも読んだら返事しないと悪口言われるし」

「あー、確かにそれはあるな」

「でも、それ以外は本当にいいよ。やっぱりがいどくがつくって安心するもん」

バスの中が予断を許さない状況になってきた。これまでは、これから登山なのにうるせえなあ、静かにしろよという雰囲気をみんな抱えていたのに、今や、男がいつ「それはキドクって読むんじゃない?」と指摘するのか、そのタイミングに注目が注がれた。

男性はなかなかのご年配だ。それなりに人生経験も積んでいるだろう。既読を正確に読めるはずだ。まだまだ経験の浅い若いアッパーパーなお姉ちゃんをそれはキドク!と一喝、どこでそれが繰り出されるかだ。

さらにプライドの高そうなお姉ちゃんなのでその後の対応も注目される。僕の予想としては、知ってたわよそれくらい、でもいま、これをガイドクって読むのがお店の女の子の間で流行ってるの、という返しだ。これしか彼女のプライドを満足させるルートは存在しない。もう登山どころではない勢いだ。

「キドク、キドク、キドク」

そんな思いを抱えてバスは富士五合目までのワインディングロードを登っていく。ついに女が動き出した。

「でね、この間、お店のグループで話していたんだけど、ぜんぜんガイドクがつかない時があって、いつもならガイドクすぐつくのに、その時は1時間ぐらいガイドク一つもつかなくて、やっとガイドクがついたときに、もーブロックされてるかと思ったよーって言ったら、みんなミーティングの時間でね、私だけ休みだったからそりゃガイドクつかないよーって、ほんとに傑作で」

衝撃のガイドク5連発ですよ。これ誘ってんのかな。剣の達人がわざと隙だらけの上段の構えをして、こう、脇を打ってきたところを華麗に躱してみたいなアレかな。とにかくこれだけ連発されたら男性だってきっと訂正するはず、そう期待していると、

「そうだね、そうやって読んだかどうかわかると便利な反面、寂し気もちになったり不安になることもあるだろうね。やはり僕も君にメッセージを送って読まれなかったら悲しいもん。すぐにガイドクつけてくれるなら僕もLINEやるよ」

乗ったー!指摘せずにそのまま乗ったー!

「もう、たーちゃんならすぐにガイドクつけるって」

「ほんと?」

「ほんと、うふふふ」

「じゃああしたスマホ買いに行く」

「いいなー」

「一緒に行く?」

「わたしも新しいのにしたい」

「オッケー」

「大好き」

みたいになっとるんですよ。イチャイチャしてるんですよ。

そんなこんなで、まったく一睡もできず富士山五合目の登山口に到着したのですが、僕はね、このまま彼女が恥をかいて生きていくのは可哀そうだと思いましたね、富士山の五合目にはたくさんのショップがあるんですけど、そこで買い物している女性の横でわざとらしくスマホを取り出してですね、

「うっわー、好きな子にLINE送ったのにぜんぜんキドクつかないな。キドクつかないわー。キドクコドク

みたいなセリフを棒読みで言ったんですよ。これで彼女に恥をかかせることなく、プライドも傷つけずに伝えることができたって。そしたらトイレからたーちゃんが帰ってきましてね、

「どうした?」

「なんか気持ち悪い人が独り言をいってて気持ち悪い」

いままでどんな彼女のセリフより体温の通った言葉だった。そこまで言われたら僕も変な独り言を言う人みたいなキャラ設定になってしまったので、さらに演技を続けて

「いやー、登山口の下で告白のLINE送ったのになー、やっぱ丁寧に言おうとして登山口の下を下のお口って言ったのがまずかったか」

とかブツブツいいながらその場を後にしました。

言葉とは大きな力を持っています。それだけに、ネット上やメールなど体温を通わせるのが難しい状況では気を付けて使わなければなりません。害毒な言葉が氾濫する昨今、今一度、見返してみるのも良いのかもしれません。できることならば害毒発生装置ではなく、光合成のように優しい言葉を送り出していきたいものです。

害毒な言葉はいらない。そして、既読をガイドクと読むこともいらないのです。