時間の矢をゴミ箱に投げ捨てろ

時間は矢のように過ぎていくから、失った時間はもう二度と取り戻せないから、だから僕らは無駄なく日々を生きていかなければならない。そう、目標に向かって前進、1秒だって無駄にはできない。漠然と生きている時間なんて僕らにはない。

こんな考え方は非常に暑苦しい。僕らはもっと時間を無駄にして良いし、まるでゴミ箱に捨て去るかのように無為な時間を過ごしていいのだ。1分1秒も無駄にしない生き方なんて、どうせそんなに長く続きはしない。言うなればつま先だけで椅子に座ったような態勢をとるトレーニングだ。時間の問題でへばってしまうだろう。

人生とはゲームなのかもしれない。ゲームクリアというエンディングが少しおぼろげであまり喜ばしいものではないゲームだとすると、例えば時間を大切にする生き方は、ゲームを買ったその日に攻略wikiを読みながら進め、隠しアイテムや収集アイテムを取りこぼさずに進んでいくやり方なのかもしれない。効率よく、無駄なくクリアに至るが、ゲームを楽しんだかといえばよく分からない。

隠しアイテムも取りこぼしまくり、収集アイテムも100個くらいあるはずなのに3つしか取れていない。それでもゲームの壮大なストーリーに没頭し、次はどうなるのかとハラハラドキドキしながらクリアできたとしたら、大変非効率だけどそれは随分と羨ましい。どちらかといえば僕はその無駄に生きることが好きなようだ。

ある電気街に、絵画の販売を生業とするギャラリーがあった。そこは小物を売っているような店内の雰囲気があり、比較的美人な女性が店先でポストカードを配っていて、軽やかに入店してしまいそうな雰囲気がある。差し出されたポストカードを手に取ると、なぜか女性は手を離さない。ポストカードを挟んで引っ張り合いみたいな状態になってしまう。

「実はいまアンケートやってまして、それに答えていただけますか?」

これが常套手段らしく、そのままギャラリーへと誘われる。ただ、1階の雰囲気は本当にポストカードなどを売っている雑貨屋みたいな感じなので警戒せずに入店してしまう雰囲気がある。

「二階へどうぞ」

アンケートに答え終わると、なぜか隠されていた階段が忍者屋敷のごとく登場してくる。ここからが本番だ。建物の2階は本格的ギャラリーとなっており、絵画(正確にはシルクスクリーン)が悠然と並べられている。

「では最初から見ていきましょう」

なぜか当たり前のことのようにお姉さんが案内してくるので、よくわからないと思いつつも絵の説明を受ける。

「この絵は作者の心情、そして社会の流れを表していて」

などと1枚1枚丁寧に説明される。大変勉強になるが、すごい長い。フロアには20枚くらい絵があって、それも大変がイルカがバシャーとなってるやつなので飽きてくる。一通り絵画の説明が終わると1時間くらい経過していたよう思う。やっと終わったと思っていると

「では3階へ」

なんと3階もあるらしい。3階にも同じくらい絵画が飾られていて、同じようにイルカがバシャーとなっている絵を説明される。だいたい1枚の絵画につけられている値段が70万円くらいなのだけど、値札にはなぜか「震災支援特別価格」と赤い字で書かれている。はたして売り上げの一部を義援金とするのか、その辺の説明は全くない。

また1時間くらいかけて絵画の説明が終わる。やっと帰れると思っていると、案内してくれたお姉さんが言う。

「では、今まで見た中で一番印象に残った作品を教えてください」

正直に言うと何一つ印象に残っていないのだけど、そうとは言えない雰囲気だ。適当にイルカがバシャーとなっている絵が気になったと言っておく。

「ではその作品のところまで移動しましょう」

2階のフロアに舞い戻り、その作品の前に立つとお姉さんが椅子を持ってくる。

「作品の前に座ってみてください」

「どうですか?」

どうもなにも、イルカがバシャーっとなってるね、くらいしか感じ取れない。でも芸術を理解しない不粋な奴と思われたくないので

「まるで絵が語りかけてくるようです」

とか適当に言っておく。

「そうでしょう、そうでしょう絵とは語りかけてくるものです。想像してみてください。この絵があなたの生活の一部にあることを」

この絵が・・・。我が家に・・・?

「ほら、想像してみてください。家の床、壁、家具、その一部にこの絵が飾られているのです。どうです。素晴らしいでしょう。芸術とは人生を豊かにしてくれるのです」

申し訳ないが、想像できない。飾るのも面倒で6畳のアパートの床に投げっぱなしで、そのうち残していたカップラーメンの汁がこぼれて大変なことになるんだ。

「ちょ、ちょっと想像できません」

僕がそう言うと、お姉さんは般若のような表情に変わった。

「それはあなたの人生に潤いがないからです。潤いがない人生は美しいものを美しいと感じられません。それはあなたが人生を無駄に生きているからです。自分の人生ですよ、大切に生きてください」

「はあ」

なぜ説教されているのかよくわからなかった。けれども、どうやらこのイルカバシャーを買う気にならないのは僕の人生に潤いがないかららしい。購入すればすごく素敵な人生を過ごせるようだ。

「どうです?人生を取り戻しませんか?」

なぜ僕が人生を失ったことになっているのかよくわからないが、購入しないとダメなようだ。

「でも、70万円はちょっときついですよ。無理です」

軽自動車が70万円、まあ必要なら買おうかなという感じだ。自転車が70万円、好きなマニアなら買うだろう。靴が70万円、狂気の沙汰だ。では、絵が70万円、申し訳ないが僕の価値観では買うかどうかの判断にすら至らない。頭おかしいんじゃないか。けれども僕がそう言うと、お姉さんは大きなため息をついた。

「お金なんていちばんくだらない理由ですよ。ヨーロッパの貴族が芸術を語る際にお金のことを心配しますか?」

しらねえよ、ヨーロッパの貴族じゃねえし、日本のデブだし。

「ローンだってできます。むしろローンにすべきです。いま、人生を無駄に生きてるのは日々の目標がないからです。ですが、ローンを返済しないとなったらどうでしょう?」

「……目標ができる」

「Yes!!人生を無駄なく生きることができるのです!さあ、どうですか?」

この時点で入店から3時間くらい経っている。もう買うまで返さないといった熱い魂を感じる。

「お言葉ですが、こうやって考えることで時間を無駄にしてますよね?だからダメなんです、だから人生に彩がないんです。私が見た限り、成功するお客様は決断が早い。絵を見て、あ、これ買おう、運命だから、って感じですよ。そういう方が人生を効率よく生きて成功するんでしょうね」

僕は決断した。時間を無駄にすること、それは結構大切なことだと、それを教えてあげないといけない。同時に、いかに自分がこのイルカがバシャーとなっている絵で適当なことを言えるのか試してみたくなった。ものすごい適当なこと言って時間を無駄に過ごしてやる。

「時間は無駄にしていいと思います」

僕がそう言うと、お姉さんの言葉が止まった。

「いや、なにもお姉さんの意見を否定してるわけではなく、この作品がそう言ってるような気がするんです」

椅子から立ち上がり、イルカがバシャーとなってる絵に近づく。

「この絵を見てください。この水しぶきのところ。本来、水しぶきによって後ろの風景が歪んで見えないといけない。なのにこれは歪んでいない。これがどういうことだかわかりますか」

本来、見えるべき歪んた風景が歪んでいない。これはつまり、AVのモザイクを表している。モザイクは映っていはいけないものを歪めることで発言する。しかし、青少年だった僕らにとってそのモザイクは邪魔だった。とにかく邪魔だった。だからみんなでお金を出し合ってモザイク除去機というのを通販で買ったんだ。すげえワクワクしたな、あのモザイクが除去できるんだ。氷高小夜のモザイクを除去できるんだ。ワクワクして届くのを待った。なんか手紙が来た。モザイクを除去する機械は規制されているので、誰にでも送れるわけではない。ここに示す口座に追加の金を払った人だけに送る、そう書いてあった。すぐに出資者を集めて会議だ。また追加の金を払うのか、それとも諦めるのか。答えは一つしかなかった。追加の金を払った。へんな機械が来た。配線が難しかった。それでもつないだ。AVを再生した。モザイクは消えなかった。そうやって生きたことが無駄だったか。きっと無駄だった。金も時間も情熱も、すべてが無駄だった。けれどもなんだろうな、やらなきゃよかったって思えないんだよ。なんだか、それすらも美しく、無駄に生きたことが僕らの勲章みたいになってる。効率よく生きることはイルカさ。この絵の中心に描かれ、躍動と生命を感じさせるイルカだ。でもな、この水しぶきの不自然さは俺たちのモザイク除去機を表してるんだ。それが無駄で必要ないものだったなんて言わせない!

「は、はあ」

それからしばらくして、「FLMASK」っていうとんでもないソフトが登場して、これは静止画のみに限った話だったし、「FLMASK」でかけたモザイクのみ対象ってものだったけど、なんと、モザイクが除去できたんだ。すげえなって思った。パソコンを使ってあの日の夢を実現できる。そう思った。これからの時代はパソコンだって思ったら、なんか怪しいAVを売るってメールが来たんだよ。12本で1万円だって謳い文句でカタログまでついてきてな。すぐに人数集めて相談よ。買うか買わないかの相談?よせやい、買うだろ。問題はどの12本をチョイスするかだ。もうちょっと喧嘩になった。絶対にこれは外せないって膠着状態になって、それだったら24本買おうかみたいになるんだけど、それでも絞れず喧嘩よ。結局、莫大な時間をかけてチョイスして金払った。空テープしかこなかった。だまされたんだ。無駄だった。金も時間も情熱も、すべてが無駄だった。けれどもなんだろうな、やらなきゃよかったって思えないんだよ。なんだか、それすらも美しく、無駄に生きたことが僕らの勲章みたいになってる。効率よく生きることはイルカさ。

「えっと、あの、そろそろ」

いいから黙って聞いて。それからしばらくして、YourFileHostってサイトが彗星のごとく現れて・・・

延々としゃべりましたよ。どれくらいしゃべったのか正確な時間はわからないんですけど、途中からお姉さん、毛先をクルクルしだしてたんで、まあ長かったんだと思います。

で、その系譜はXVIDEOSに受け継がれたわけだ。これが元気玉みたいなもので、なんていうのかな、ユートピアって呼ぶには程遠いのだけど、それこそ、世界中の男がそこで無駄な時間を過ごしている。でも、それが本当に無駄かっていうとそうではなくて、それはイルカが回遊するように、

っとここまで話したところで

「すいません、そろそろ閉店時間なので」

って言われました。

「話の途中なのでまた明日も来ましょうか?」

そういうと、

「いや、いいです」

って断られました。

僕らはきっと時間を無駄に、それこそ投げ捨てるように生きていい。1分1秒に追われ、効率よく生きて部屋に絵画を飾るより潤いはあるような気がする。

店を出ると、すっかり夜の帳が落ちていた。電気街の夜は早い。お目当ての店はもう店じまいしていた。何やってるんだろう、何しにここまで来たんだと思いつつも、時間は無駄にしてよいと思うのだった。またあしたこの電気街にきて、マニアックな店でモザイク除去機でも探してみようか。すごい時間の無駄だろうけど。