カラカッサの屈辱

長い人生において人は幾多の危機に晒される。それが生命の危機だったり、社会的地位の危機だったり、自分の何らかの危機を脅かす状況に直面することがある。果たして僕らはその危機を乗り越えるだけの準備をしているかと言われれば、答えはNoである。なぜなら、僕らは危機が来ると分かっていながら、危機が来ないと心のどこかで考えているからだ。

街を歩いていていきなり刺されると思うか?家で野球中継を見ていていきなり隕石が直撃すると思うか?選挙に行って爺に殴られそうになるか?これらの危機が絶対に起こり得ないかと言えば違う。けれどもそれを想定し、準備をしている人はいないと言い切ることができる。

通り魔が出たら困るから、と鎖かたびら着て外出する女の子なんてくのいちくらいだろうし、隕石に備えて屋根を強化する人もいない、選挙にいくとき殴られる覚悟で行く人もいない。そう、全く準備をしない状況だ。

ただ、多くの危機は、それこそ準備どころか予想すらしていない時と場所で起こる。そういうものだ。

「コラー!この中にカラカッサってやついるだろ!殺してやる!」

ハート様みたいな体躯の良い男、ラッパーが好みそうなアウトロー的なファッションに身を包んだ巨漢の男が吠えた。そして僕の胸倉をつかむ。誰が、こんな恐ろし気な男に吠えられ、なおかつ「カラカッサ」などという意味不明な名前で呼ばれなければならないのか。確かに危機なのだけど、こんな危機、予想できるはずがない。

それは、地方の小さなパチンコ屋で起こった話だった。家が近所だったこともあり、僕はその小さなパチンコ屋に通い詰めていた。完全に人間のクズだ。頻繁に通っていると、だいたい店に来ているメンツは同じで、いわゆる「常連」みたいなものが形成されていることに気が付く。

異常に日焼けした真黒な男や、今にも死にそうな婆さん、ちんぽこみたいなキノコヘアーの若者、明らかに孫の体育のジャージを着てるとしか思えない爺さん、個性豊かな様々なメンツがオールスター軍団を形成していた。

普段、生活していたら絶対に会わないような、それこそ外を歩いていてもこんなのいないっていう濃厚なメンツに囲まれながらその店の常連と化していたんだけど、ある時、何気なく覗いたネット掲示板で衝撃的なものを見つけてしまった。

「○○店の話題について語るスレッド」

地域の話題を扱う掲示板が集まるサイトがあって、基本的にローカルな話題が中心で、○○って製作所の事務の雅子って女はヤリマンです!みたいな誰も得しない話題が大好物な僕はそれらの話題を探していたのだけど、そうしたら行きつけのパチンコ店について語る場所が出てきたのだ。

こんなマニアックな話題も扱ってるのか、ヤリマン情報だけじゃないんだと感嘆し、例えば、木曜日はどの台が出る傾向にあるとか、今日は出ない日だとか、そういったマル得情報が語られていると思い、そのスレッドを覗くと、衝撃的な話題が展開されていた。

「黒ブタ死なねえかな」

それは常連に対する悪口だった。異様に日焼けした男は、ちょっと小太りだったので「黒ブタ」と呼ばれていた。おそろしいのか面白いのかわからないが、基本的にニックネームで悪口が書かれている常連は、その名前からすぐに「あいつのことだ」と連想できるようになっていた。

死にそうな婆さんは「ご臨終」って名前で呼ばれていたし、ちんぽこみたいな頭した若者は「カントン包茎」って呼ばれていたし、孫のジャージを着ていた爺さんは「もう中学生」と呼ばれていた。それらの悪口が激しく展開されていて、

「今日も黒ブタ出してたな。あいつぜったい店のサクラだわ、死ねばいいのに」

「ご臨終はもう死んでたけどな」

「カントン包茎がおしぼりで顔拭いてて卑猥すぎて笑った」

「もう中学生のジャージ、ついに膝のところが破れる!」

こんな感じで展開されていたのだけど、その中でも「カラカッサ」と呼ばれる男が特に嫌われているようだった。

「カラカッサ死なねえかな」

「カラカッサって本気で臭いから店に来ないでほしい」

「タイムマシンがあるなら過去に戻ってカラカッサになるはずの精子をアルコール消毒したい」

と、ものすごい嫌われようで、なんだか不憫になってくるほどだったんです。でもね、他の常連はすぐに思い浮かぶのに、そのカラカッサなる人物だけは全然思い浮かばないんです。言いたくないですけど、ニックネームつけられて悪口書かれる常連って、まあ個性的で、そういう扱いされるのもなんとなく理解できるんですけど、カラカッサだけは本当に心当たりがない。本当にそんな嫌われるような奴いたっけと、注意しながら打っていたんです。

その日は、店に一台しか置いてない「梅松ダイナマイトウェーブ」って台を打ってたんですけど、周りを注意していてもそこまで嫌われそうな奴はいない。おまけにカラカッサっぽいやつもいない。本当にそんなやつ実在するのか、もしかしたら掲示板なんかでよくありがちな、実在しないんだけど、みんなノリで実在する風に書いてるネタなんじゃないか、そう思ったんです。

その日の夜、掲示板にアクセスします。

「今日、カラカッサ来てた?」

またカラカッサの話題。もうわかってる、これネタでそんな嫌われるようなやつ存在しないんだろ。

「きてたきてた、相変わらずキモかったわ、カラカッサ」

はいはい、そんなやつ存在しない。存在しない。

「今日は梅松ダイナマイトウェーブ打ってたわ。あいつ死ねばいいのに」

カラカッサは僕だった。

これは衝撃ですよ。店に一台しかない梅松ダイナマイトウェーブを僕が打ってたら、カラカッサが打ってたって書かれるんですから。完全に「僕=カラカッサ=クソ嫌われている」ですからね。

結構衝撃だったんですけど、まあ僕、嫌われるのそんなに珍しいことじゃないんでそれでも普通に店に通っていたんですけど、そうするとどんどん掲示板がエスカレートしていくんです。

「もう我慢の限界だ。誰かカラカッサを○せよ」

みたいな過激な感じになっていって、

「この間、帰りにカラカッサ見かけたから尾行したらコンビニでエロ本買ってて笑った。めっちゃウキウキでアパートに入っていった。俺、家知ってるで」

と僕のプライベートまで暴露されていったんです。ただ実害は特にないんで普通に店に通い、エロ本は尾行がついていないか確認してから買うようにしたんですけど、そうすると、今度は新たな脅威が店を襲ったのです。

突如来るようになったハート様みたいな体格の巨漢のアウトローが、傍若無人に振る舞うようになったのです。もうやりたい放題の暴れっぷりで、すぐに掲示板はそのハート様への悪口や苦情で溢れかえりました。

「ハート死ね」

「ハート逮捕されろ」

みたいな過激な言葉がいつものように飛び交っていたんですけど、いつもと違ったのは、そこにハート様が乱入してきたんです。

「なにここ、うけるんだけど?おまえらネットでしか悪口言えないの?文句あるなら店でかかって来いよ!」

完全に黒船来航ですよ。自分たちのテリトリーで悪口を言っていただけなのに、ご本人登場でみんな焦ったのです。さすがに物まねしていてご本人登場とは訳が違いますから、けっこうバツが悪い感じがしてみんな意気消沈していたんです。

ただ一人の男がそのハート様につっかかりました。

「テメーの行動でみんな迷惑してるんだろうが。お前が好きかってやるから俺たち常連が迷惑してんだよ。二度と来るなよ、デブ」

おお、勇気ある。そう思いましたね。それにはすぐにハート様も応戦します。

「はあ?なんでお前らみたいなネットで悪口言うしかないオタクに気を使わないといけないの?文句あるなら店で言えよ、いつでも相手したやるからよ!」

こういった議論は完全に平行線です。ネットで言い争っているところで、現実に出てきて言えよって論調で反論する人は多いですが、そもそもそういった考え方は決して交わることがありません。不毛な議論になることがほとんどですが、この場合は違いました。ハート様に果敢に挑みかかった男はさらに反論します。

「上等だよ!ってかテメーだってネットで反論してるだけってわかってるか?チキンじゃねえなら店で俺に反論してみろよ、俺を見つけだして反論してみろよ?できないか?この脂肪の塊が。脳まで脂肪でできてるんじゃねえか?」

もうハート様を煽る煽る。おまけに現実世界で勝負しようぜとハート様の誘いに乗っている。すげえ勇気あるなって思ったのですが、でもやはり匿名でやり取りしている掲示板です。ハート様がこの果敢な男を見つけ出す手段はない。

「ご立派だけどさー、俺はお前を見つけられないわけよ。見つからないと思って言ってるだけだろ、このチキンなオタクが。悔しかったらお前の特徴書いてみろよ」

ハート様の意見はごもっとも。でもね、こういう喧嘩みたいなやり取りって最高のエンターテイメントで、完全なる蚊帳の外からこれを眺めていると、もうハラハラドキドキしてすごい面白い。いいぞ、とか思いながら観戦していると、勇気ある常連が書き込みます。

「俺を見つけたいのか、だったら簡単だよ。その辺の常連に聞けばいい。カラカッサってどいつのことですかって?それが俺だ。簡単に見つかるよ」

ほう、この勇気ある男はカラカッサってやつなのか。勇気あるなーあのハート様と一戦交える気なのかーって思いつつ気づいたんです。カラカッサって僕じゃねえかと。もちろん、僕、そんな書き込みしていない。

これはね、ものすごい高度な嫌がらせですよ。ハート様をカラカッサのキャラで煽る。すると発奮したハート様がカラカッサに殴りかかる。あわよくば二大嫌われキャラを一掃できる大作戦です。とんでもないことですよ、これは。

次の日、パチンコ屋に行き朝の行列に並ぶと、予想通りハート様が発狂していました。

「コラー!この中にカラカッサってやついるだろ!殺してやる!」

この叫びに、何人かの常連は知らぬ顔をしていたのですが、カントン包茎の野郎が即座に僕を指さしました。そしてそのまま胸倉つかまれて、凄まれたというわけです。

「テメー次に掲示板に書きやがったら殺すからな」

とか脅されて、俺書いてないのにと思いつつもその日は殴られることはなく、梅松ダイナマイトウェーブを打って帰ったんですけど、僕とハート様のやり取りを列に並んでいた常連全員が聞いていたんでしょうね、掲示板にアクセスしたら全ての書き込みが投稿者カラカッサになってました。

「ハートに胸倉掴まれたけどすげえ口臭かった」

「脂肪の匂いしかしなかった」

「ハート様、鼻毛出てた」

「俺がカラカッサだって教えたカントン包茎しねよ。陰茎みたいな顔しやがって」

みたいな書き込みが、すべて身に覚えないのにカラカッサっていう名前で書かれているんです。まあ、最後のは僕が書きましたけど。

結局、次に店に行ったら確実にハート様に殺されるので、その店に行くことはなくなったのですが、まさか普通に店に通ているだけでカラカッサって名前つけられ、ヘイトを貯めて、よく知らない人に喧嘩まで売られる、なんて危機が訪れるとは思いもしません。

悲劇や不幸にあった多くの人が、その危機を予知していたでしょうか。おそらくほとんど予知していなかったと思います。それは裏を返せば、普通に生活している僕らにだって、予想だにしない不幸や危機が訪れるということです。たまたま掲示板を見て、その危機をある程度予想できた僕は幸運でした。できることなら、アンテナを張り巡らせてその危機を察知する。それが大切なのかもしれない、カラカッサはそう思うのです。

ちなみに、掲示板で知ったのですが、孫のジャージを着ていると思われていた爺さん「もう中学生」ですが、あれは孫のジャージではなく、盗んできたジャージだったみたいで、逮捕されたようです。書き込みによると、逮捕時は潔かったようで、彼は自分に訪れる危機をあらかじめ察知していたのでは、と書かれていました。

 

 

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