クリスマスイブの六畳のアパートには寂しさだとか悲しさだとか、そういった悲しきものが充満していたような気がする。正確なことは覚えていないのだだけど、確かにそんな感情を抱いていたような記憶があるんだ。
大学の友達は、皆でスキーに行った。恋人がいない者同士、寂しくクリスマスイブって行事を過ごし、嵐が過ぎ去るのを待つ予定だったが、どうやら僕に内緒で開催された合コンという神事からグループ交際に発展したらしく、スキーに行くことになったらしい。どうやらそこで「決める」つもりのようだ。俺も行くよと申し出たが、やんわりと断られた。そりゃそうだ、何らかの理由があるから僕を合コンに誘わなかったのだろうから。
それはまさしく不意打ちだった。
何もクリスマスイブを恋人と過ごしたり、そうでなくとも仲間と過ごしたり、ジョイフルな何かで過ごさなければならないという強迫観念があるわけではない。別にとりとめのない、普段と何ら変わることのない日常の一日として過ごすことだって可能だ。けれども、それはある程度の心の準備があって可能なことだ。さらに、今回のように信じていた友の裏切りが重なると、メンタルだて通常のままではいられない。
動揺もしていたのだろう。混乱もしていたのだろう。窓の外に降り始めた柔らかそうな雪も心の乱れを手助けした。僕はいつの間にか電話を手にしていた。
プルルルルルルルル
誰でもいい。とにかく会話がしたかった。何かを話したかった。確認したかった。自分は一人じゃない、そう確信できる一握りの何かが欲しかった。
手元にエロ本があった。その広告ページに「ツーショットダイヤル」というものがあった。電話をすれば女性に繋がる、そこでエロい話ができるというアダルトなサービスだ。1分100円だとか、決して安価ではない料金を取られるが、初回登録時に2000円分の無料ポイントをくれると大々的に書いてあった。つまり20分は無料で使えるらしい。今の僕には、例え20分でも他人と、それも異性と話ができるのは大きい。何かに縋るような思いだった。
結構めんどくさい登録処理を終え、いよいよ女性との会話に入る。女性が待機するコーナーは3つあるらしかった。どの部屋に入るかを選ばなければならない。
「お友達部屋 女性と楽しく会話」
「恋人募集部屋 いい人がきっと見つかる」
「アダルト部屋 ちょっとエッチな会話」
この3つだ。やはり初心者なので「お友達部屋」から行くべき、そう思った。アダルト部屋なんてどんな魑魅魍魎が蠢いているかわかったもんじゃない。歴戦の猛者みたいなやつらが巣食っていることだって考えられる。それに貴重な20分を使ってはいけない。ここはライトに友達部屋で行くべきだ。クリスマスイブの寂しさに狂った初心者の女性、この辺を狙うべきである。
1番をプッシュすれば友達部屋に繋がる。押そうとしたその瞬間、神か、いいやサンタか、とにかく人間を超えた神々しい何かの声が聞こえた。
「ほんとにそれでいいのか?」
お友達募集?そんなもののために貴重な20分を使うのか?そう問いかけられているような気がした。
窓の外の雪を眺めた。今日は積もりそうだ。
「アダルト部屋にするか」
3番を押した。
「お相手と繋がるまでしばらくお待ちください」
無機質な音声が流れる。それとは対照的に、ポップなアップビートの音楽がうっすらと流れていた。電話の音質で届けられるその音楽はより一層チープなものに聞こえた。
「お相手と繋がりました。やさしくもしもしと話しかけてくださいね」
きた!
一気に緊張が増した。優しくもしもし、優しくもしもし、心の中で唱える。
プッ!
そんな機械音声から間髪入れず、相手の優しいもしもしが僕に届いた。
「もしもし」
お婆ちゃん?
そう思うしかない、老婆としか思えない優しいもしもしが聞こえた。完全に老婆だこれ。
「もしもし、こんばんわ」
僕も負けじと優しく語り掛ける。
「イッヒッヒ、クリスマスイブにこんなところに電話かけてー。悪い子ねー(棒読み)」
電話の向こうの老婆はそう言っていた。ちょっと僕を坊や扱いしたような感じで言われた。少し年上のお姉さんに、ちょっとアンニュイな感じでこう言われたらそれだけで大興奮なのだけど、なにせ、祖母レベルだ。こういうのはちょっと心にクる。
こういったツーショットダイヤルの相手の女性は多くの場合がサクラの女性だ。つまり体が疼いて仕方がない雌から電話が殺到、とこの広告に書いてあるようなことはほとんどなく、この業者からいくらかの金をもらって対応している。女性から見たらたぶん歩合制みたいなもので、男との会話を長引かせれば長引かせるほど金が入る仕組みになっている。
お婆ちゃんもきっとお金が欲しかったんだと思う。それで、クリスマスイブに、こんなところに……クッ……
世の中が悪い。政治が悪い。そう思った。どうして老人がこんなことをしなくちゃならないんだ。怒りすらこみ上げてきた。
「あー、今日はエッチな気分だわ。体が火照る(棒読み)」
電話の向こうの老婆は張り切っていた。こういったツーショットダイヤルにはチェンジ機能というものがある。気に入らない相手と繋がった場合は「#」を押すことで相手をチェンジできる。おそらく、その声で瞬時に老婆と判定される彼女はここまで数多くのチェンジに遭ったに違いない。それでは稼げない。でもこいつはチェンジしない、イケる!老婆は本当にはりきっていた。
「今風呂上がりだからー、裸に近いカモ(棒読み)」
僕は自分のおばあちゃんことを思い出していた。優しかったおばあちゃん。決して自分の生活だって楽じゃなかったはずなのによくお小遣いをくれていつも僕の頭を撫でてくれた。電話の向こうで棒読みを披露している女性とおばあちゃんが重なった。窓の外の雪は一層激しさを増していた。
「もう我慢できないから自分でしちゃおうかなー(棒読み)」
「あんあんあんあん、いいわー(棒読み)」
たぶんこういう会話をしろとかそういったマニュアルがあるのだと思う。老婆はそれに忠実にエロいお姉さんを演じている。もう止まらないといった感じで喘ぎ始めた。涙があふれた。誰が悪いわけでもない。あえていうならば世の中と政治が悪い。
「今日はクリスマスイブです」
老婆の喘ぎを遮って僕の話を始めた。
「どうしてクリスマスイブは誰かと過ごさなければいけないんでしょうかね。こうやって一人でいると寂しいんでしょうね。でも考えてみたら、別に誰かといなくたっていいんですよね。孤独であること、孤立すること、それって結構大切なことだと思います。けれども、やはりこうやって雪が降っちゃってテレビも浮かれていると寂しい」
僕の言葉に、老婆の棒読みの喘ぎが止まった。さらに続ける。
「電話をかけたら誰かに繋がる。それって結構大切なことだと思います。とくにこんな日はね。だから、こうやって誰かの相手をしてくれる、そんなあなたは尊くて立派だ」
もし、クリスマスイブに恋人や仲間と過ごさなければならない、なんて常識があるならば、そんなものはクソ喰らえだ。でも、やはり誰かと繋がるのは暖かく、温かく、心落ち着く。
「今日あたなに繋がって、僕は救われたような気がします」
無言の時が流れた。
それからしばらくして、老婆が話し出した。それはマニュアル通りの棒読みではない。彼女の言葉、だったように思う。
「私の話を聞いてくれる?」
彼女の問いかけに即座に答える。
「聞くために電話してるんです」
すぐに彼女は何かを決意したように語り出した。
「あのね、わたしね、ずっと誰かに言いたかったことがあるんだけど、こういう日だから言いたいのかな、ずっと思ってたことがあるんだ」
お婆ちゃんの家の窓からも雪が見えるだろうか。そんなことを考えていた。お婆ちゃんは何か言いたいことを誤解なく伝えようと必死に言葉を選んでいる。そんな気がした。
「えっとね、あのね、そのー」
そしてついにおばあちゃんがハッキリとこう言った。
「ナッパ!」
その瞬間、ぶつっと会話が切断された。
え!?ナッパ!?
「あーん、ポイントがなくなっちゃいました。この続きはポイントを購入してから楽しんでね」
無料ポイントがなくなってしまったらしい。「ナッパ!」その続きにある言葉はなんだったのか。気になって気になって仕方がない。何をどう考えても「ナッパ!」から続く言葉もストーリーも思い浮かばない。
クリスマスイブに恋人や仲間と過ごさなければならない、何かをしなければならない、なんてそんな常識があるならば、そんなものはクソ喰らえだ。何も変わることのない寒い年末の一日、そう過ごせることが大切なのだ。
お婆ちゃん、ナッパってなんなんだよ。音もなく降りてくる大粒の雪にそう問いかけ呟いた。
「メリークリスマス」
白い雪は何も答えなかった。
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けれども、それでもだれかと繋がるのは嬉しい。ということで、今年のクリスマスイブにはイベントを開催します。
ヌメリナイト2016ー渋谷のヌメリークリスマスー