(文章を書く人に伝えたい100のことPart54)
記事を書く上で明確に意識しなくてはならないものがあります。それが「自分に返ってくるのか」という点です。
返ってくるって何が? と思うかもしれませんが、厳密に説明しようとするとちょっと難しい表現になります。単純に身も蓋もない言い方をすると「書いたという事実」です。これが返ってくるのか返ってこないのか、これは明確に意識しなくてはなりません。
例えば、週刊誌を見てみましょう。なんでもいいです。じゃあ、週刊SPA!にしましょう。その辺で立ち読みしてきてください。週刊SPA!の記事にはひとつひとつ、誰が書いたか記名がされています。ほとんどがページの左下に書かれています。
たまにめちゃくちゃ下劣な記事の場合はこの記名の部分を「SPA!パパ活徹底攻略調査班」などとかいて名前を伏せることがありますが、基本的に記名がなされています。
ただ、多くの記事の場合、この記名を見て「ああ、誰々さんの記事か~」ってなる人はあまりいません。いたとしてそれはほぼ同業者であり、圧倒的多数の読者は誰が書いた記事かを意識して読みません。反面、同じSPA!内にある著名な人が書いたりするコラムコーナーは誰が書いたのか意識されます。
記事がめちゃくちゃ面白かった場合、それが特集記事の場合、あの記事面白かったとなりますが、誰が書いた記事なのかは論じられません。論じるのは同業者と身内。
著名な人が書く連載コラムの場合「○○さんのコラム面白かった」となるわけです。これが返ってくる記事と返ってこない記事の違い。
ここで誤解してはいけないのが、誰が書いたか意識されない記事はダメで、意識される記事は良い、ということではありません。記事にはそれぞれの役割があります。
では、返ってくる記事と返ってこない記事、そこにはどんな違いがあるのでしょうか。それは「この人が書いているという事実」それだけです。簡単な言い方をするとそれは個性なのかもしれません。
週刊誌の特集記事なんかは、その記事の内容を伝えることが主目的であり、書いている人の個性はノイズにしかなりえません。逆に、連載コラムコーナーなどは、個性のない文章よりは個性のある文章でないと、その人が書く意味がありません。
で、その個性なのですが、文章の個性を勘違いしている人にありがちなのが、奇抜な一人称を用いたり、奇抜な語尾を用いたり、そういった形で個性を出そうとすることです。ただ、それは個性ではありません。単なるへたくそです。
では、記事の個性とはなんでしょうか。それを紐解く前に、今度はWebの記事について考えてみましょう。
週刊誌の例を出しましたが、Webの文章でも同じことが言えます。特にWeb記事は返ってくる文章と返ってこない文章の差が激しいです。なぜなら記事に対するフィードバックが明確に激しいからです。
めちゃくちゃバズる記事があっても、極端な話、それは例えば取材対象がすごくて、そのパワーだけでバズった場合は、誰が書いたの? となることが少ないです。何度も言いますが、誰が書いたのか気になるのはほぼ同業者です。
そうではなくて、着眼点がすごい、調理方法がすごいという場合も、やはり誰が書いたの、とはあまりなりません。大部分の読む人にとって、誰が書いたのかはあまり重要なことではないのです。
けれども、そこで「自分が書いた」と存在感を発揮することは重要です。それが返ってくる記事ということになります。
これがあると、次も読んでみようかとなるひともいますし、興味なさそうなタイトルだけで○○さんが書いたものだし、と敬遠されないこともあります。なにより書いた人のSNS等のフォローに繋がる可能性があります。もちろん他の記事依頼にも繋がるかもしれません。
では、個性を出すにはどうしたらいいか。それはズバリ「ちょっと異質」です。
もともとも著名な方が記事を書く場合、もうそれは多くの人が誰が書いたのか認識してくれます。ただそうでない場合、やはり圧倒的に認知されません。
じゃあ認知されようとめちゃくちゃ奇抜なことをすると、たぶんダダ滑りします。目も当てられないことになります。やめたほうがいいし、たぶんボツになります。大切なのは「ちょっと異質」です。
僕が依頼されてよそのサイトに記事を書くようになったときに明白に意識したのが「ちょっと異質」です。はじめて書いたのがSPOTというサイトです。そこでの記事を見てみましょう。
最初に書いた記事がこれです。僕の記事を多く読んでくださってる方は驚くかもしれません。けっこう真っ当に旅の記録を書いているのです。
SPOTに書くことになった際に、あまりほかの記事から逸脱してはならないと、けっこう真っ当に書きました。ただし、他の記事より少しだけ「異質」となるように、面白エッセンスを少しだけ多めにしました。
こういう面白味のある旅レポートもありやな、誰が書いたんだろと、「少しだけ異質」で自分に返ってきたところで、完全なる異質をぶちこみます。
2発目に書いた記事がこれ。
狂った旅の記事を書くことで完全に自分に返ってくるわけです。「この人は狂った旅記事を書く人」という認知こそが、自分に返ってくるということです。
Books&Appsでも同じことをしています。Books&Appsに書くことになった際に、そこにある文章を徹底的に読み込み、雰囲気をつかみ、そこから「少し異質」にします。
Books&Appsに最初に書いた記事がこれ。
Books&Appsは特にビジネスパーソンに向けたノウハウ的な記事が多かったので、少しだけビジネスノウハウ的テイストを入れて、おふざけの要素を入れます。これが「ちょっと異質」です。
Books&Appsでちょっとふざけた文章を書く、この人は何なんだと自分に返ってきたところで
2発目でぶち込みます。
これらは完全に自分に返ってくることを意識して、1発目で「ちょっと異質」そして2発目で明白に「異質」にして爆発させます。
僕は今では色々なサイトに寄稿していますが、すべてのサイトで共通して意識していることがあります。それが「異質」です。
かならず、そのサイトの他の記事からは少し外れる内容を書いています。それが自分に返ってくることになるので。
何度も言いますが、自分に返ってくる記事が優秀で、返ってこない記事がダメということではありません。記事には役割があります。
ただ、もし自分に返ってくる必要があると感じたのなら「少し異質」を意識して書き始めるといいかもしれません。
ちなみに「少し異質」をやるのはそう簡単なことではありません。いばらの道です。なぜなら、サイトのカラーから外れるテイストは当たり前に嫌がられる傾向にあるからです。それをねじ伏せるパワーを記事に潜ませる、それが可能なように研鑽することこそ、長い目で見たときに「自分に返ってくる」ということなのかもしれません。