この街にいる場所なんてどこにもなかった

いま、皆さんの場所からは何が見えるでしょうか。

僕は常々、人生とは居場所を作るゲームのようなものではないか、そう考えています。人は多かれ少なかれ、必ず居場所を作ります。それが自分の家だったり部屋だったり、真に安らげる場所の本拠地としての居場所だったり、学校や職場における教室やオフィスなど与えられるスペースも外の世界での居場所であるといえるのです。

そういった実際に存在する物理的スペースだけでなく、精神的なスペースも立派な居場所といえるでしょう。人間は他者との関わり合いを持って社会性を実現する生物です。必然的に仲間や知り合い、友人、同僚、上司と部下、恋人、顔見知りなどなど完全なる他人とは違う何らかの関わり合いを持った人が形成されます。そういった多種多様の関わり合いの中に、ポツンとあいたスペースに自分が収まる。それこそが居場所なのかもしれません。

人は、意識していなくとも自分に合った居場所に収まることができます。例えば、何人かのグループが形成された時、極めてナチュラルにみんなの意見をまとめたりしてリーダー的ポジションに収まる人もいるでしょう。それが彼の居場所なのです。リーダーの腰ぎんちゃくみたいな場所にしっかり収まって生き残りを図る人もいれば、俺は協調性はないと言わんばかりに逆らう人もいるでしょう。わたしは美人だけどブサイクにも優しくするわよ、心が清らかでしょ、って僕に話しかけてくる立ち位置の人もいれば、陰でヒソヒソと僕の容姿の悪口をいうブス二人組もいるでしょう。だいたいそういうブス二人いたり片方は体のどこかにolive des oliveを身に着けてるのな。そんなにオリーブです!オリーブって言わんでもわかってるよ。はいはい、オリーブ、オリーブ。ホント、ブスほど人の容姿に厳しい。なんだよ、俺の耳がキモイとか陰口言われたってどうしようもねえよ。

話が逸れてしまいましたが、人は社会との関わりの中で必ず自分が収まるべき居場所、に収まるのです。勘違いされがちなのですが、俺は孤独だから居場所がない、この街にはいる場所なんてない、みたいな、olive des oliveが職場の皆にクッキーを配っているのに俺だけなかった、俺は居場所には収まっていない、みたいな主張をされる方がいるのですが、実はそれも、孤独、孤立といった居場所に収まっているに過ぎないのです。

いま、皆さんがいる場所から何が見えますか。いま、あなたと関わりのある人を何人か思い浮かべてみてください。きっと、そこがあなたのいる場所なのだと思います。できれば、それが自然にスポッと収まるべき場所で息苦しくないのであるのならば、無理せず理想的に生きることができているのではないかと思うのです。

僕が中学生の頃でした。居場所にもがき苦しんでいる一人の女の子がいました。

彼女は少しクラスメイトから孤立しがちでした。ブスなんですけど、本来は明るい子で、誰とでも仲良くできて親切な優しい子だったはずなのですが、何らかの理由で女子グループ内で孤立していた。こうなると非常に不幸だ。本来は明るくて社交的でそれなりの居場所に収まる人が孤独という居場所に収まっている。それはきっと耐え難いことだったのだろう。僕のような孤立すべき人間が職場で孤立するのとはわけが違う。

彼女はきっと考え抜いたと思う。自然に収まるべき居場所にいられなかったとしたら、これはもう勝ち取るしかない。戦っているべき居場所を手に入れるしかない。彼女は必死に考えた。そして起死回生の秘策に出る。

「わたし、実は前世が見えるんだよね」

この言葉は田舎暮らしの女子中学生には効果覿面だった。なにせ前世なのである。人は輪廻しているという前提でのお話であるが、なんとも胸がワクワクするはなしじゃないか。周りの女子たちは一気に彼女の不思議な力の虜になった。

「ねえねえ、私の前世はなに?」

「んー、ヨーロッパの貴族だね。社交会で踊る姿が見える」

「キャー!素敵!じゃあ私は?」

「んー、フランスの田舎町で洋服の仕立てをやってる人が見える」

「ギャーッ!素敵!」

もう絶叫ですよ、絶叫。どうせクソ適当なこといってるんでしょうけど、なぜブスがブスの前世をみるとヨーロッパに集中するのか。これはもう言い切ってもいいんですけど、ブスがブスの前世を見ると絶対にヨーロッパ出てくるぞ。

けれども女子たちのグループでは大好評だったみたいで、一気に彼女はスターダムにのし上がっていったのです。それが面白くなかったのは、おそらく彼女を孤立させていた主犯なんでしょうね、女子グループのボスみたいな存在の女子でした。彼女もまた前世ブスの躍進により自分の居場所がなくなることを恐れて戦いに出たように見えました。

「前世とかほとんどインチキなんでしょ?ホントだって言うなら私の前世を見てみてよ」

ほとんどインチキ、って部分に、時間を止めるAVは9割が偽物っていう文言を思い出さずにはいられないのですが、ついにボスとブスの居場所を賭けた戦いが始まります。ブスは少し顔を歪めて目を瞑り何かを見ているような仕草をします。

「見えた。スイスのオリーブ園で働く街一番の美人だね」

オリーブです!オリーブ!

またヨーロッパかよと思いつつ、「街一番の美人」と付けるあたりが彼女が上手に軟着陸して居場所を作ろうとしているようで健気です。でも、さすがにヨーロッパ連発はまずいんじゃないか、そもそもボスは前世を信じてないっぽい。それで大丈夫なのか、とハラハラしながら見ていると

「ふん、どうやら本物のようね」

どうなってんだよ、こいつら。どういう頭の構造してるんだよ。もしかして、ボスの中では自分の前世はスイスのオリーブ園で働く美人って前々から感じていて、それを言い当てられたから本物みたいな雰囲気なんですよ。もう何が何だかわからねえよ。

「でも、まだ信じられない。今度は男子の前世を見てみてよ」

とかボスが言い出すんです。ちなみに、こういったブスが男子の前世を見ると、戦国時代に集中します。

「じゃあまずは山田から」

「んー、山田君は、うーん、戦国時代に織田信長に仕えた武士だね」

ほらね、やっぱり戦国時代よ。もうちょっと色々ないのかって思うんですけど、それを受けてボスが高笑いですよ。

「やっぱり偽物だ!山田ごときが武士であるはずがない!山田はせいぜい農民よ、もしくは人間じゃない生き物までありうるわ!」

僕はここまで山田の人権を傷つける女を見たことがない。一体彼が何をしたというのか。でもブスも負けていない。

「そう、確かに山田君は武士の器じゃない。前世はすごい幸運だったの。でも前世の前前世はほのかちゃんの言う通り、トノサマバッタだったよ」

僕はここまで山田の人権を傷つける女を見たことがない。一体彼が何をしたというのか。それを聞いて山田涙目になってるじゃねえか。トノサマバッタ、泣いてるじゃねえか。

「どうやら本物のようね、トノサマバッタまで見えるなんて」

「うん。男子を見るのはちょっと苦手だけどね」

もう何の会話してるか理解できないんですけど、ついに矛先が僕に向くことになりました。

「じゃあ、あいつ、の前世を見て」

クラスで忌み嫌われて孤立という居場所にいた僕が指名されました。

「わかった」

ブスがまた念じるような仕草を見せます。きっと山田以下の物が飛び出すに違いありません。トノサマバッタ以下ですから、ゴキブリとか、ダンゴムシあたりがくるかもしれません。

「見えた!」

「なに?」

二人のやり取りに注目していたクラス中に緊張が走ります。きっとトノサマバッタ以下が来る。ゴキブリとかムカデとか来る、それがあいつの居場所だ、誰もがそう思いました。そして、ついにブスが口を開きます。

寛永の大飢饉だね」

それは、歴史上の出来事。生き物ですらない。

江戸時代初期の1640年から1643年にかけて起こった飢饉。江戸初期においては慶長から元和年間にもしばしば凶作から飢饉が発生しているが、そのなかでも最大の飢饉島原の乱とともに江戸幕府の農政転換にも影響した。

おいおい、さすがにそれはまずいだろ。生き物ですらない歴史上の出来事が前世って意味わからない。なんで俺だけそんな扱いなんだと思うと同時に、ブスのことが心配になりました。絶対に偽物と糾弾される。化けの皮がはがれたわとか言われる。それだけ前世が寛永の大飢饉はまずい。

「本物のようね」

なんでおめーは納得してるんだよ。いみわかんねーよ。

こうしてブスは前世が見える女として、社交的な明るい自分としての居場所を取り戻し、ボスも、そんな彼女を認めたボスとしての居場所を守ることができた。

人は。居場所を持って生きる生き物だ。それが自然に収まるべき場所であるのならば喜ばしいことだが、他者との関わり合いである以上、その居場所を脅かし、揺るがす存在だってありうるのだ。もし、今皆さんが見える居場所を思い返してみて、息苦しかったり居心地が悪かったとしたら、それは居るべき場所ではない。居場所を取り戻すべく、戦わなければならないかもしれない。

さあ、目を閉じて、自分の居場所を思い返してみよう。

僕は目を閉じると、飢饉に苦しむ江戸の人たちの姿が見える。やっぱり前世が寛永の大飢饉なのかな。