ラブホテルだった
ラブホテルである。
目の前にあるのは希望の光、未来の礎、情熱の回帰、魂と魂のぶつかり合い、肉体と肉体の絡みあい、酒池肉林、狂乱の宴、見まごう事なきラブホテルである。
お およそラブホテルとは縁のない人生を送ってきた。さすがにあまりに縁がないとその存在は視界というか意識から完全に抜け落ちる。みんな、仏具屋の場所を覚 えているだろうか。覚えていないだろう。別に仏具屋が街中にないわけではない。そこに確かに仏具屋はあるのだ。ただ、必要でないから意識から抜け落ちてい るに過ぎない。
それと同じで、ラブホテルである。完全に意識から抜け落ちておった。人によってはラブホテルが主 戦場であったり、馴染みの深い場所であったりするだろう。そういった人々はいわゆる人生の勝ち組である。そんな人もいるというのに自分にとっては仏具屋と さして変わらない。絶望すら覚える。
さて、暖冬だと思っていたこの冬は、その偽りの姿を脱ぎ捨て、関東地方に猛 烈なる雪を降らせた。繁華街も白く染まり、人々はまるで忍び込む賊のような足取りで繁華街のレンガ造りの通りを歩いていた。この雪の性悪なところは、すぐ に雨に変わったところである。ドカっと雪を降らせ、ザバッと雨になる。氷点下の大気によってあっという間にスケートリンクのようなアイスバーンを形成し た。
ツルツル滑る。滑らないところもシャーベットのようでシャワシャワだ。靴の中が冷たくて気持ち悪い。メイン 通りはあまりに雪が踏み固めらていて危ない。それならば踏み固められていない裏通りを通るべきだ。吸い込まれるように路地から路地へと流れていった。もう 雪は止んでいた。
裏通りのさらに路地の隙間に昭和の匂い漂うラブホテルがあった。こんなところにラブホテルが あったのか。何度となく通った道であるのに完全に意識から抜け落ちていた。なんてことはないラブホテルである。雪の積もったラブホテルである。いまだに自 分の人生にあまり関わり合いがない。
閃いた。風呂に入れるのではないか。ラブホテルで風呂に入れるのではない か。暖かいお湯で風呂に入れるのではないか。体は芯から冷えている。靴の中は絶望的に水浸しで、そろそろ冷たいという感覚すらなくなってきた。なんという ことだろうか、初めてラブホテルが意味のある存在に成り上がったのだ。
丁寧に雪かきされた門をくぐる。人一人が 通るのがやっとの狭い通路だ。休憩は4800円、宿泊は7200円とでかでかと表示されている。高価だ。休憩であってもしゃぶしゃぶ食い放題に2回は行け てしまう。チャーハンなら8杯はいけるんじゃないだろうか。平日の2週間分の昼飯を賄えてしまう。それだけの休憩だ。
真っ暗なエントランスに出ると、そこには小さな窓口があった。罪を告白したくなるような窓口である。「すいません」と話かけた。少し間を空けて返事が帰ってくる。「はい?」顔の見えない宣教師は話しかけられたことが不思議といったトーンで答えた。
「一 人で入っても大丈夫ですか?風呂に入りたくて」ここはラブホテルである。恋人たちが愛を語らい、時には舐め合ったり、時には出したり入れたり、ムチを打っ たりする場所である。ピンサロの待合室で男たちが火花を散らしているときカップルが入ってきたらどうだろうか。嫌だ。やはり相応の場所というものはあるの だ。事前に断らなければならない。いつだって紳士で真摯であるべきなのだ。
「大丈夫ですよ?お連れ様はあとできますか?」
「いえ、連れはいないですけど」
まるでラブホテルで合流することが当たり前であるような口ぶりに面食らった。待ち合わせは銀の鈴の前とかではないのだ。時代はホテルエンペラーの303号室なのだ。どうせセックスするカップルが大半なのだから、そのほうが合理的なのかもしれない。
「ひとり?」
「はい、風呂に入りたくて」
「まあ大丈夫ですけど」
太鼓判をいただいた。これでピンサロにカップルで突撃するような無粋な真似をしなくてすむ。どれ早速部屋に。
「いま満室ですよ」
無常なる言葉。なるほどなるほど。みんな風呂に入りたいのだ。そりゃあこの雪にこの寒さ、みんな考えることは同じである。どうせすぐ空くに決まってる。
「待ちます」
「ではあちらの待合室で2番ですので」
促 された先にはノレンがかけられた3つの小部屋があった。2番のノレンを押しのけて中に入ると、ポツンとベンチの置かれた1畳ほどの部屋があった。なるほ ど、ここで待つのか。なかなか合理的にできている。ちょこんとベンチの中央に座り、虚空を見つめてただただ待った。どれだけ待っただろうか、その間ずっと エントランスでの話し声が聞こえていた。
「えー、満室?仕方ない、待とうか」
「では3番に」
「えー、満室?待合室も?しょうがない待とうか」
「もうしわけありません」
み んな足が冷たいのか次々とやってくる。なんだかガヤガヤとエントランスが騒がしくなってきた。不審に思ってチラリとノレンをめくると、いつの間にか行列が できあがっていた。全部カップルである。足を洗いたいとかとんでもない。みんなセックスをしたいのである。セックスの行列である。
お じいちゃん、みていますか。あなたが守った国はセックスの行列ができるほど平和になりました。数えてみる。7組並んでいた。両隣の待合室もどうせセックス だろう。9組だ。2回はセックスするとして18回のセックスだ。1回のセックスで100回出し入れすると仮定すると1800回出し入れするつもりなのであ る。おっぱいも合計で5000回は揉まれることであろう。
セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、セックス、足洗いたい、セックス、である。完全に足を洗う男こそが場違いであり、エラーなのである。
隣の待合室の声が漏れ聴こえてくる。
「あんっ、だめだよ、まーだ」
「ここさーすげえんだぜ、鏡だらけの部屋あんの」
「えー、恥ずかしい」
「ばっか、何言ってんだ、鏡見ながらやんのがいいんだろ」
足はもう、洗わなくていいかな。なんかとんでもない悪いことしているような気持ちになってきた。
「鏡に映った二人見てみろよ、興奮すっから」
「鏡に映ったふたり……」
恥ずかしがる女の声。そんな会話に合わせて小さな声で「情けないよっで、たくましっくもあるっ」と歌っている自分が悲しい。ここにいてはいけないのだ。
逆の待合室の声も聞こえてくる。
「ちょっと、今見たら隣、おっさん一人なんだけど」
「デリヘル呼ぶんだろ」
「わー、きもーい、そういう人いるんだね」
「おれの職場にもいるよ、風俗狂いのおっさん。なんか普段はオナニーで我慢してるけど、金が貯まるとデリヘル呼ぶらしい、それが傑作でさー」
「なになに」
「そのおっさん、普段は仏壇の線香に火をつけて燃え尽きるまでいくのを我慢するんだって」
「なんで?」
「そしたらいったとき超気持ちいいんだって」
「きもーい、きゃはははは」
気が付くと、待合室を飛び出してラブホテル前の道路を走っていた。滑った、転んだ。セックス行列は外にまで伸びていた。
「一人でできたよ、あの人」
「デリヘルだろ」
また雪が降ってきた。僕の頬には雨が降っていた。グチュグチュと歩くたびに靴が音をたてる。家に帰ってオナニーをして寝よう。なんだ、こんなところに仏具屋があるじゃないか。線香買って帰って試してみよう。