たったひとつの冴えたやりかた

彼女のことがとりわけ大きく見えたのはきっと錯覚だったのだろう。

黒板の前に立つ彼女は、先生の半分くらいの身長で、黒板に大きく書かれたおそらく彼女の名前であろう四文字の漢字よりも随分と小さかった。一般的なこの年代の小学生より少し小さいくらいの小柄な女の子だった。

「お父さんが火事で死んだので転校してきました」

ランドセルを背負った彼女がその小さな口から、あまりに普通に、それこそ先週の日曜日は家族でイオンに行きましたというくらいの当たり前のトーンで衝撃的なセリフを言ってのけた。それは彼女なりの最初に一発かましてやろう、という勝負のギャグだったのか、それとも何か頭のおかしい謎のサイキック転校生がやってきてこれからドタバタ学園コメディが始まるのか、様々な思いが頭の中を駆け巡ってどう反応していいのか分からない状態だった。

「山田さんのご家庭は不幸な事故がありました。そして、お母さんの実家があるこちらに引っ越してきたんです」

そんな状況を察したのか、担任の先生が状況を説明し、彼女の話は真実であると柔らかな表現で伝えた。今度はクラス全員が別な理由でどう反応していいのか分からなくなっていた。

その日の休憩時間、彼女の周りにはクラスのボス格グループの女子たちが集まっていた。

「山田さん、大変だったね」

「なんにでも力になれることがあったら言ってね」

「鉛筆とかノートとかある?」

口々にそう言うグループの女子たちはどこか満足げだった。山田さんはそれらのセリフに「大丈夫です」と淡々と答えるだけだった。その反応に不満だったのか、ボス格グループはつまらなさそうに彼女から離れていった。

山田さんは、やけに僕に話しかけてきた。

「教科書がないんだけど」

「あ、なくしちゃった?」

「いや、まあなくなったけど、そもそも前の学校と教科書が違うから」

「じゃあ俺の貸すよ。使わないし」

「新しいの貰えるとは聞いてるんだけど、まだみたいだからそれまで貸してね」

「いいよ」

席が近かったこともあったが、なぜか不自然に頼られていて、もしかしたら惚れられている?と感じたほどだった。

彼女は淡々としていた。淡々と日々の生活をこなしていた。女子からは少し孤立気味だったが、それでも普通の日常を過ごしていた。僕はそれが不思議で不思議で仕方がなかった。

そんなある日、学級会の席でクラスのリーダー的女子が手を挙げて発言した。

「今度の劇は中止にするか内容を変えるべきだと思います」

毎年、クラス単位で劇をやってその出来を競う「演劇発表会」なるものがあり、我がクラスは確か名前は忘れてしまったが火事から屋敷を守るために屋敷に味噌を塗りたくる金持ちの話をする予定だった。味噌を使い切ったのが原因で使用人の食料がなくなり、使用人を郷里にかえらせたことで屋敷の面倒を見る者がいなくなり、衰退してしまうという話だ。これがもとになり、失敗のことを「味噌をつける」と言い表す語源となった話だったと思うけど、リーダー格の女子は、その話に火事がでてくることがまずいと言い出した。

山田さんに配慮してのことだったと思う。火事で家とお父さんを失い、それまでの故郷を離れて訳の分からない田舎町に越してきて、仲良しのクラスメイトと別れ、これまた訳の分からないクラスに放り込まれてやや孤立する。そんな不幸な山田さんに配慮しよう、彼女はそんなニュアンスのことを言った。

「そうだよ、火事の話を扱うのは良くない」

「山田さんの気持ちに配慮すべき」

取り巻きの女子たちが続く。山田さんは黙って下を向いていた。

「素晴らしい。そんな配慮ができる皆さんを先生は誇りに思います」

担任の先生は大きく賞賛し、こうして予定していた劇は演目を変えることとなった。ただ発表会に日も近いため、全く別の話、というわけにいかなかったので元々の話を継承しつつ、火事の部分だけを取り除く形で変更がなされた。ちなみに、僕は火事の炎の役で、メラメラ~と言いながら屋敷の周りで踊る役だったので、変更になって少しほっとした。

しかしながら、その変更はなかなかスムーズにはいかない。屋敷が脅かされ、それを守るために味噌を塗るという点が重要なのである。火事から守るために燃えるはずのない味噌を屋敷に塗るというだけでも十分にサイコパスだが、火事以外の要因となるとさらに難しい。

「洪水にしたらどうかな?」

「駄目だよ、味噌が流れちゃう」

「じゃあ、雷にする?」

「どうやって味噌で雷を防ぐの?」

「それ言ったらなんで火事から守るのに味噌塗るの?」

「味噌塗っても燃えるものは燃えるよね」

「だよね」

そんな話し合いが延々と続いた。

「なんかもう面倒になっちゃった」

劇の中心人物だけが居残って話し合っている席で、リーダー格の女子が言った。

「だよね、だいたい今から脚本変えるの無理じゃない?」

「だよねー」

取り巻きが続く。

「まあ、仕方ないから変えるけどさー、これで優勝はなくなったね。こんな急に話変えたら絶対に勝てないよ。あーあ、ずっと優勝してたのにな」

「だよねー」

教室の隅で、前の学校での進度の違いを解消するために課題に取り組んでいた山田さんは、下を向いていた。

「まいっか、どうせ優勝できないし、わたしやる気なくなっちゃった。あーあ、私たち不幸だな」

リーダー格の女が大きな声で言う。

「あのさ、もう私たち帰るから。炎の役だった人で適当に火事の代わりのもの考えておいてよ」

「なんでもいいよ、適当で」

そう言って取り巻きは帰って行ってしまった。

さて、困ったことになった。火事が不謹慎である、配慮すべきと声を上げた人間は諦めて帰ってしまった。火事に変わる何らかの脅威を考えなくてはならない。おまけに味噌で防衛することが不自然でないものだ。

一人で考え込んでいると、山田さんがこう言った。

「火事でいいんじゃない?」

「え?いいの?」

突然のセリフに驚いた。

「いいもなにも、私はやめてくれなんて一言も言ってないけど」

「そういやそうだね」

思い返してみると、言っているのは周りだけだった。

「でも、嫌なこととか思い出さない?」

「そりゃ思い出すけど、私がこれからどれだけ生きると思う?どれだけ色々な場所に行くと思う?ずっと嫌なことを避けるわけにもいかないし、周りがそうしてくれるとも思わない。いつもまでも気にしてるの疲れる」

ひょうひょうと言ってのける小柄な彼女がすごく大きな存在に見えた。同時に彼女が過ごす淡々とした日常の理由がわかったような気がした。

「でも、火事は取りやめないとダメかもね」

彼女は言った。

「どうして?」

「先生もそれで満足してるし、なにより飯田さんもそれで満足してるわけだし。クラスのみんなも」

彼女は少し笑っていた。

「そうだね、俺たちでクラスのみんなに配慮して火事をとりやめてあげないと」

「そうだね。そんな考えもあったか」

今度は初めて見る満面の笑顔で笑っていた。

二人で相談した結果、一つの結論に達した。それは、おそらくこの状況で残されているたった一つの正解だったように思う。火事ではない脅威で味噌で防衛するもの。それは疫病だった。

屋敷の隣の家で人々を死に至らしめる疫病が蔓延する。それを防衛するため、防菌作用のある味噌を屋敷に塗りたくる。味噌の効果により疫病は防げたが、味噌を使い切ってしまったので屋敷の使用人に食べさせる食料がなくなり、使用人を郷里に帰らせたことで屋敷の世話をする人がいなくなり、衰退する、という話だ。味噌の防菌効果に目を付けた僕らの勝利と言えるだろう。

炎の役だった僕が、今度は疫病の役となり、赤い炎の小道具を紫に塗り替えて体の各部に付け、蔓延する疫病をおどろおどろしい感じで演じ切る。屋敷の味噌に気が付き、ぎゃーっと倒れこむ熱演まで大サービスだ。

演劇発表会も無事終わり、僕らは優勝はできなかったけど、なにかやり遂げたような感じはした。

数日して、山田さんはまた転校することになった。お母さんの仕事の都合が付き、住む場所もなんとかなったので、元いた場所に戻るらしかった。きっと元の学校に戻れるのだろう、彼女は嬉しそうに笑っていた。

最後の学級会で、山田さんがクラスのみんな一人一人に挨拶をするという担任が強制した儀式があった。山田さんは淡々と「私と仲良くしてくれてありがとう」「最初にはなしかけてくれてありがとう」と言っていった。そして、いよいよ僕の番になって彼女はこう言った。

「疫病、ありがとう」

僕ら二人でクラスの連中に配慮して考えた疫病のこと、ありあがとうって言ってくれた。少し余計に笑いすぎていた彼女は、等身大の彼女で小さい女の子だった。

僕らは不幸になるために生まれてきているとは誰の言葉だっただろうか。生きる上で不幸になることは決して避けられない。どんな状況にあっても人は不幸を感じるようにできている。僕らは絶対的に不幸になる予定で、それを恐れ、想像して、少しでもそれが和らぐように準備している。きっと明日も僕らは不幸なんだろうけど、それでもちょっとは面白いことや楽しいことがあると思う。きっとあると思う。だから生きていけるのかもしれない。

今頃山田さんはどこでどうしているだろうか。相変わらず僕も彼女も、いいや、みんな不幸であると思う。ただ、その中でも少しでも笑えることや楽しいことを見つけて、笑っていてくれたら、山田さんだけは他の人よりちょっと多めに笑っていてくれたいいなあ、と思う。

ちなみに、最後の山田さんのセリフだが、「疫病、ありがとう」が僕には「一緒に疫病とか考えたね、ありがとう」って理解できたが、他の連中には「あいつは山田さんに疫病と呼ばれたていた男だ。ひどいことして嫌われたに違いない」と理解されたらしく、劇での気味悪い疫病の演技も相乗効果となり、その後のニックネームは「集落を全滅させるほどの疫病」となり、女子から忌み嫌われる存在となった。僕が触った蛇口を女子は触りたがらないほどだった。完全に「味噌が付いた」というやつだ。