セミと秋ナスとイチローあとなんか長い話

職場の上司から届いたメールには、長々と業務の指示に関する記述が書かれていたのだけど、その文末に以下のような意味不明な文章が書かれていた。

「3つの果実があったとします。その果実はどれも甘くみずみずしい。あなたはそれを食べる日を楽しみに待っている。ただ、それをかわいそうな子供に分け与えるとします。子供は3つ全部でなくとも1つだけでも分けてもらえればそれだけで病気の母親が助かると言っています。あなたならどうしますか?」

なんか怪しい宗教なりマルチなりをはじめたと疑いたくなる文面だが、これ、実はいつもの上司特有の戦術で、言いにくいことを言わなければならない時にくっそ遠回しに言ってくるってやつだ。

問題の文面、解読するには少しコツが必要だ。主体をなすのは「3つの果実」だが、甘くみずみずしく誰もが楽しみにしている3つのもの、そう、今週末に控える三連休のことを指している。その三連休の一つを誰かに差し出せば、その誰かが助かると言っている。つまりこれは、申し訳ないんだが、三連休のうちのどこか一日を出勤してきてくれないか、という申し出だ。すげえ分かりにくい。

ただ、力関係を利用して強引に「三連休は出勤してくること」と突破してくる偉い人が多い中、申し訳なさそうに遠回しに言ってくるこの人には好感が持てる。だからいつも、この人の言いたいことを汲み取って、こちらから「三連休っすね。どこか一日出勤しましょうか?」か僕が言い出すまでが既定路線だ。

ただ、少しだけ邪な気持ちが僕の中に芽生えた。ダイレクトに出勤を命令された場合、ダイレクトに承諾するかダイレクトに断るかだ。ただ、このように曖昧に遠回しに言われた場合、遠回しに返答したらどうなるだろうか。その部分には大変興味がある。すぐに返事を書いた。

「3つの果実を一つ、困っている人にあげるという話ですが、その3つの果実いずれもが等価の果実であるとは思えません。リンゴは同じように見えてすべて違います。大きさも甘さも色も。それと同じでこれら3つの果実も同じでしょうか?だからまずこの3つの果実の違いを定義し、それらを吟味して、本当に上げた人のためになる果実を差し出すべきで、それができない現状では差し出すのは得策とは思えません」

例えば3連休と言ってもその3日の休み全てが同じ休みではありません。1日目はココロオドルでしょうし、二日目は少し疲れているかもしれません、三日目は連休明けのことを考えて少し気が重いかもしれませんね。それらを同じ果実に例えるのがおかしい、まずはそこから考えるべきでは?という提案です。つまり、断っているということです。

すると、遠回しな言い方が伝わらなかったと思ったのか、上司がさらに別の手段で攻めてきます。

「秋ナスは嫁に食わすな、という言葉をご存知ですか?あれは、昔、家の中で嫁の地位が低くて、秋ナスのような旬の美味いものを嫁なんぞに食わせてはいけない、もったいない、と姑あたりが言った言葉という説がありますが、別の意味もあります。ナスは体を冷やす効果があります。跡継ぎを生む嫁が美味いからとナスを食いすぎ、体を冷やしてしまってはいけない、と嫁を気遣う言葉であった説もあるのです。同じ言葉なのに蔑むか気遣うか、別の意味があるのが興味深いですね」

なるほど、そう来たか。これはつまり、3連休出て来いというのは、嫌がらせのように聞こえるかもしれないが、実は3連休出てきて職場を回すのは君しかいない、期待しているよ、という意味なんだよ。全く真逆の意味があるんだよ、という主張でしょう。つまり、やはり遠回しに三連休出てきてほしいという頼みに違いない。すぐに返事を書きます。

「秋ナスを嫁に食わせない、それは嫁を蔑んでいるのか、気遣っているのかという話ですが、もし気遣っているとしても「跡継ぎを生むから体を冷やしてはいけない」という姑の利己的部分が垣間見えます。むしろこちらのほうが悪質で、嫁を一人の人間と見ていない。単に跡継ぎを生むだけのマシーンのように考えているのではないか。気遣うように見せて自分のことしか考えていない。こちらのほうが随分と悪質ではないでしょうか」

期待しているから三連休出てきて、これは僕に対する期待とみると美談だが、単純に文句を言わなさそうなので期待している、だけに過ぎない。それは随分と利己的ではないか、そういった遠回しの断りです。

するとしばらく時間をおいて、また上司から来ました。

「イチローがメジャー通算三千本安打を達成しそうです。ここで連続マルチヒットでもして一気に達成してほしいところですね。ただなかなかスタメンに入れないところがもどかしいです。メジャーでは休養を重視する傾向にあります。他の選手が休養の時にスタメン入りし、結果を残したいところですね。彼が出塁すれば盛り上がります。かれが努力に勤める姿は他の選手にも良い影響をあたえる。あのような偉大な選手は他にはいないですよ。チームメイトにも頼られているイチロー。あのような人が部下になることを望むものです」

もちろん、ここまでの文章はこれだけを送ってきているわけではなく、他の業務上の指示の最後に書かれているのだけど、これはなかなか難解だ。これを三連休出勤してほしいと読み解くことは難しい。イチローなら連休でも出てきてくれるという主張ではない。イチローはたぶん連休は連休で休む。これはなかなか高度でかなり上級者でないと解読することは困難だろう。いちおう、わかりやすく色を付けるとこうなる。

「イチローがメジャー通算千本安打を達成しそうです。ここで続マルチヒットでもして一気に達成してほしいところですね。ただなかなかスタメンに入れないところがもどかしいです。メジャーでは養を重視する傾向にあります。他の選手が休養の時にスタメン入りし、結果を残したいところですね。彼が塁すれば盛り上がります。かれが努力にめる姿は他の選手にも良い影響をあたえる。あのような偉大な選手は他にはいないですよ。チームメイトにもられているイチロー。あのような人が部下になることを望ものです」

これにはこうやって答える。

「セミは何年も地面に潜っていて、地上に出たとき、自分が一週間の命だと知っているのでしょうか。断じて違うと思います。その一週間を意味深いものだと考えているでしょうか。ないと思います。ただ何も考えず飛び回り、何も知らずに一週間目に死ぬのです。そこに理由や哲学はない。セミはただセミなのです。僕らにも寿命はあります。ただ寿命や先の心配をしてわだかまりの中で生きていくのは悲しいことです。いま、地面から飛び出したと思って日々を生きていくのは難しいことです。ただ暑い中、ミンミンいってわかりあえば良いのです。少なくとも僕はそう思います」

色を付けるとこうなる。

「セミは何年も地面に潜っていて、地上に出たとき、自分が一週間の命だと知っているのでしょうか。じて違うと思います。その一週間を意味深いものだと考えているでしょうか。ないと思います。ただ何も考えず飛び回り、何も知らずに一週間目に死ぬのです。そこに理由や哲学はない。セミはただセミなのです。僕らにも寿命はあります。ただ寿命や先の心配をしてだかまりの中で生きていくのは悲しいことです。いま、地面から飛び出したと思って頑張ったすることは難しいことです。ただ暑い中、ミンミンいって生きていけば良いのです。少なくとも僕はそう思います

すぐに上司が返してきて

「セミはきっと知っていると思います。彼らがなぜあんなにも鳴くのか。それはまるで命の叫びのように感じられます。俺はここに存在していたんだ、確かにここにいるんだ。見てくれ、聞いてくれ、感じてくれ、そういうものではないでしょうか。同じように我々も生きた痕跡を残すべきなのです。どうやって生きたのか、どう過ごしたのか、その痕跡を、鳴き声を残すべきだとは思いませんか」

「おっしゃることは理解できます。セミの声が生きた証、。素敵な考え方だと思います。ただ我々が木にとまって大声で叫んでもパトカーを呼ばれるだけで、ちょっと説教されて帰されるくらいです。裁判記録も残らないでしょう。名は残らないのです。人間が生きた証を残すのは大変なことです。セミのように簡単にはいかないのです。だから人生は面白い。難しいほどゲームが面白いように」

これ、三連休の出勤要請と、それを断ってる会話ですからね。遠回しすぎてもう訳わからない。

「確かに、人間が生きた証を残すのは大変です。ただ一つだけ残す方法があります」

「なんでしょうか」

「誰かの記憶に残ること。それは生きた証ではないでしょうか。人はどれだけ他人に影響を与えたか、それが生きた証になるのではないかと考えます。つまり人に影響を与えるのです。」

「なるほど、どのようにして影響を与えるのでしょうか」

「真っ当に生きることです。奇抜なことをして人の記憶に残ったとしても、それはすぐに消えてしまいます。単にパフォーマンスでは、鮮烈に記憶されたとしてもすぐ消えてしまう。ただまじめに真っ当に生きる姿を見せる。そのほうが末永く人の記憶に残り、生きた証となるのです。だからセミは真っ当に地道に鳴き続けている。余生のすべてを使って」

「真っ当に生きる。それが一番難しい。簡単に言われても、それが難しいことはすぐに分かります。一体、どうすればいいのでしょうか。」

何度も言いますけど、三連休の出勤要請と、それを断ってる会話ですからね、ソクラテスと弟子の会話くらい意味不明になってる。いよいよ上司も業を煮やしたのか。

「三連休出勤してくれば真っ当に生きられます。私の記憶にも残ります」

「断ります」

元も子もないダイレクトできやがった。最初からそう言えよって思うのですけど、こちらもダイレクトに断ってやった。

物事を遠回しに言うスキル、これは大切なことのように思います。けれども、言いにくいことを遠回しに言うのは逃げであることがほとんどです。時にはダイレクトに逃げずに。でも、遠回しに言う気遣いも忘れずに。そういった難しさがあるのです。

さて、三連休の出勤を断りましたが、別に予定もないですけど、お金もありません。することがないので、誰か酒と飯を奢ってほしいと思うのですけど、ダイレクトに言うと厭らしいので、遠回しに、三つの果実は全て僕のものになったが調理ができない。調理器具もないし、調理方法も知らない。誰か器具を出してくれて一緒に味わってくれる人はいないか、そういって今日の日記を締めたいと思います。