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アドバイスアドバンス

「ええ、ビックリしましたね。驚きましたよ。それはありえないって。ええ、確かにアドバイスしましたよ。なんだかすごい緊張してるみたいだから、ちょっと掴みのジョーク入れたらどうかってアドバイスしたんです」

「いやねえ、私も出過ぎた真似かなって思ったんですけどね。、もう見ちゃいられなくてアドバイスしたんですよ。なんだかブツブツと掴みのジョーク、掴みのジョーク言ってて気持ち悪いでしょ、普段から意味不明にブツブツ言ってる気持ち悪い人でしょ、いつか事件起こすんじゃないかって冷や冷やしてたわよ。だからアドバイスしたんですよ、あまりにベタなジョークは滑りやすいから、ブラックな感じにしたらどうかって」

「ああ、はい。言いました。ブラックな感じにしたらどうかって、ちょっと失礼くらいの紙一重のジョークが導入部分では最適かって思ったんです。僕はアップルとかのプレゼンを見てますけど、結構失礼な感じのジョークってうけますよ。聞く方は予想してないですからね」

「見ちゃいられない緊張でしたね、ブツブツと失礼なジョーク、失礼なジョークってうわ言のように呟いていて、だから言ってあげたんですよ、失敗したっていいんじゃないかって、確かに偉い人たくさんのプレゼンですよ。でも、座って聞いてるのは野菜だって思えって。神様レベルが聞いてると思ったら余計に緊張しますもんね」

「挨拶は大事だぞって言いました。掴みのジョーク入れるにしても挨拶の後に入れるべき、そう言いました」

「ミスった時のフォローが大切と言いました。一番良いのはミスをミスと感じさせないというフォローです。例えば、英語の綴りを間違えてると気づいたときに、もちろんすぐに訂正するのがベストなんですけど、そのままずっと間違えて行って誰も気づかなかったらハッピーじゃないですか、それくらい図々しい感じでいけって言ってやりましたよ」

「いつもの自分を出せって言ってやりました。日本代表だって自分たちのサッカーできなかったから負けたとか言うでしょ、いつもと違うことやろうとするからボロが出るんですよ。だからいつもの自分でいい。何も演出する必要はないって言ってやりましたね」

「わたし?わたしはいつもそうですが、好きにやってこいって一言だけアドバイスですよ。信頼してますからね。そう、あのプレゼンは確かに大切でした。ものすごいメンツが聞いてますからね。でも、いちいち口を挟んでも仕方ないでしょう。好きにやってこいと言いましたよ。ただまあ、少しだけテクニックは教えましたね、一番前に座ってる人の良さそうな人を弄るとけっこうウケるぞって。え?わたしが悪いんですか?まさか」

「ええ、そうなんです。なんかみんなにアドバイスもらっちゃって。自分ってもしかしたら結構愛されてるのかなって思ったんです。でもね、アドバイスって基本的に適当なこといってるんですよ。結局は他人のことですからね。そう痛感しました。そう、あんなことになるなんて……。ええ、自分が悪いのは分かってます。確かに緊張しすぎでした」

満員の観衆、その全てがグレーや紺の色使いであることが少し面白かった。全員が落ち着いた色のスーツを着て座っていて、ポマードとトニックと防虫剤の匂いが充満している、そんな空間だった。この空気を缶詰にして売り出したら、少し父性を求めているOLなんかに売れるんじゃないか、そう思った。

会場の照明が少しだけ落とされる。落ち着いた色合いの人々も一斉に談笑をやめ、こちらを向く。今度は真っ黒な頭髪だけが綺麗に並んでいる状態になった。黒、黒、黒、白が少し入った黒、黒、黒、肌色、黒、黒、肌色といった塩梅だ。

司会者によって僕が紹介される。いよいよ出番だ。緊張で胸が高鳴る。沢山のアドバイスを心の中で復唱しながら登壇した。「掴みのジョーク」「ブラックな感じ」「失礼な感じ」「聴取は野菜」「挨拶」よし、行くぞ!ついに登壇し、マイクに向かって第一声を発した。

「おはようございます、クソ野菜ども」

例えば、ほとんど人が入ってこないような森の奥深くに入ったとしたら、そこは無音だろうか。いいや、きっと音がする。野鳥が鳴いているかもしれない。どこかで水が流れる音がするかもしれない。風の音が、空気がそっと動く音だって聞こえるかもしれない。人が立ち入らない森の奥だってそうなのだから、きっとこの世には無音の場所なんてない。こんな考えが嘘だと思えるほど、会場は静まり返って無音だった。

(無音の場所がこんなところに)

そんなこと言ってる場合じゃない。ウケなかった、滑って、それどころかざわつきすらなく完全に無音、すべったどころの話じゃない。

(ここはやっちまったのだから謝った方が)そう考えた刹那、またアドバイスが心の中でリフレインした。「ミスった時のフォローが大切、そのままいけ」そう押し通すべきだ。ここで謝ったら単にバカな人じゃないか。ここで押し通し、自分はこういう発言を演出として用いているとわからせるべきだ。

「なんだあ、元気ないな。あれか野菜は野菜でも腐った野菜か」

遠くで小鳥がさえずる音が聞こえた気がした。

京都東山区にある三十三間堂には1001体の千手観音が並んでいる。俗に「三十三間堂の仏の数は33033体」といわれるが、これは全然数が足りない。実は、法華経などには観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれている。つまり、この1001体の観音が33の姿に化身するので1001×33で33033体なのである。お偉い聴衆たちはまるで三十三間堂の観音のように微動だにしなかった。そうだ、京都に行こう、まるで三十三間堂にいるような錯覚に陥った。

もう何が起こってるのか分からなかったが、とにかくまたアドバイスがよみがえった。「いつもの自分を出せ」「一番前の客を弄れ」よし、あのハゲチャビンを弄ろう。いつもの僕を出して弄ろう。

「ちょっとーなに、その表情は、まったくもー、僕がアメリカの凄腕ハッカーだったらハッキングであなたの素性を丸裸にして、ブリトニースピアーズの名義であなたの家で勝手にパーティーを催すよ。ったく、それくらいのことだよ、これは。でもね、僕はアメリカのハッカーじゃないんですよ。ブリトニースピアーズでもない」

もうレベル高すぎて意味わかんねえよ。

1001体の三十三間堂の観音たちはやはり微動だにしなかったが、何体か阿修羅っぽいものが混じってるような感じだけは読み取れた。

そこからは何とか取り繕ってプレゼンをしたらしいけど、あまり覚えていない。ただ、僕の次にプレゼンをした爽やかそうなイケメンが、すごい丁寧に挨拶してプレゼン初めて、合間に挟んだちょっとしたジョークとかすげえつまらないのにドッカンドッカンウケていたのだけは覚えている。

アドバイス、それは本当に親身になってされている場合でも、結局は何の役にも立たない。所詮、人は人、他人から発せられる言葉は小鳥のさえずり以上の意味を持たない。本当にその人をすべて理解し、状況も、それまでの心情も、全て理解したうえでアドバイスすることなどほとんどないのだから、言葉は悪いが、適当に言ってるにすぎないのだ。それを真に受けすぎると、とんでもないことになる。本気で言っているアドバイスなどほとんどないのだ。

ただ、この会合が終わった後、結構偉い人に、ジョークっぽくも結構真顔で言われたアドバイス、

「次の仕事探した方がいいんじゃないか?」

これは結構本気のアドバイスだったと思う。

琉球大学の悪魔

少し大きめの国道をひた走っていると、なんでこんなところにこんなお店が?と言ってしまいたくなるような店舗に遭遇することがある。それはブティックだったり、電気屋だったりするのだが、いずれも街中で見ればそれほど違和感を感じないのに、違和感ありまくりの山の中にポツンとあったりするのだ。

こんな山奥でマダム系のブティックが成り立つのだろうか。山奥といってもちょっと頑張れば町に出られて大型家電量販店で買えるというのに、この電気屋が成り立つのだろうか、そのような疑問が沸々と湧き上がってくる。失礼なのは十分承知で言うが、やはり採算が取れているとは到底思えない、そんな店舗が確かに存在するのだ。

もしかしたら、それらのうちのいくつかは「信念」に基づいているのかもしれない。それが人のためなのか、自分のためなのかは分からないが、何かしらの信念に基づいて店を開けているのかもしれない。この店がなくなったらこの街に店が一つもなくなってしまう、自分が守らねば、たった一人でもこの店をあてにしてくれているあのお婆さんのために開けておかなければいけない、都会にいった息子が夢破れて帰ってきても継げるように、そんな様々な信念があるのかもしれない。

信念とは時に残酷なものだ。しかし、そこに信念があるのかないのか、思いの有無はあらゆる場面で重要になる。

僕が大学生の頃だった。当時は世間一般にやっとこさインターネットってやつが普及していた時代で、みんなその便利さや物珍しさに夢中になっているような時代だった。特に大学生はそういった新しい便利なものに敏感で、インターネットの世界にはそういった敏感な人が多くいたような感じがした。

その時、僕が夢中だったのは大学生が集まるという名目のコミュニティサイトだった。全国各地から大学生がやってきてお互いにコミュニケーションをとる、掲示板やらチャットやらがあるサービスだった。特に僕はチャットルームってやつに夢中だった。

そこは暇な大学生なので、チャットルームに行くと昼だろうが夜だろうが必ず何人かの人間がいた。そこでとりとめのない話をするのが何とも心地良かった。

しかしながら、平和というものは長くは続かない。ただ漠然と雑談をしているだけの平和な大学生チャットを打ち破る悪魔が襲来した。それが「琉球大学の悪魔」である。そう名乗る彼は、今で言う「荒らし」行為により平和なチャットを恐怖のズンドコに叩き落す存在だった。

彼の荒らしの手法は独特で、チャットでどんな会話をしていようが何だろうが文脈や空気に関係なく、「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」としか書き込まないことだった。挨拶すらしない。とにかくその発言しかしなかった。具体例をあげると以下のようになる。

佐和子:「こん」

カズキ:「こん」

佐和子:「あーやっとテスト終わったー、死んだー」

カズキ:「お疲れ(笑)」

佐和子:「絶対2つは落としたと思う(笑)」

カズキ:「ドンマイ」

佐和子:「でもこれで夏休み!」

カズキ:「そうそう、覚えてる?夏休みになったら俺に会ってくれるって」

佐和子:「覚えてるけど……」

カズキ:「けど?」

佐和子:「恥ずかしい」

カズキ:「なんだそりゃ」

佐和子:「だって、わたしかわいくないし、カズキみたいなもてる人と釣り合わないよ」

カズキ:「もてねーよ(笑)」

佐和子:「だからちょっと会うの怖い(笑)」

カズキ:「大丈夫。俺だって怖いけど、それでも佐和子に会いたい。もうバス取っちゃったし(笑)」

佐和子:「えー、とっちゃったんだ。うーん、じゃあ仕方ないかな」

カズキ:「よろしくお願いします」

佐和子:「うん」

カズキ:「会ったら俺、佐和子に伝えたい事あるから」

佐和子:「カズキくん……」

カズキ:「俺、俺、佐和子のことが」

琉球大学の悪魔:「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

いつだってこんな感じだった。

当然、気味悪いし、意味不明だし、雰囲気ぶち壊しだし、で、琉球大学はどんな悪魔を飼ってるんだて話になり、この琉球大学の悪魔はチャットでも嫌われるようになっていった。彼がチャットに来ると不自然なくらいにみんなが退室していくのだ。会話が盛り上がっていても悪魔が来たら退室する、次第に彼は憎悪の対象となっていった。多くの人が移住を検討し始めるまでに至っていた。

ただ、僕は、この琉球大学の悪魔のことをあまり憎めなかった。なぜならセンスがあるからだ。「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」という言葉だけで荒らす彼の手法は多分にセンスがある。これが「うんこぶりぶり、でるー!」だけであったら、彼はその辺の荒らしであっただろうが、ぶりぶりの後にもう一個ぶりをつけるセンスは普通じゃない。なんだかそれは単に荒らし行為とは一線を画した魂の叫びのようなものを感じたからだ。

琉球大学の悪魔がくると、それまで盛り上がっていたチャットがピタリと止まり、みんな退室していく。自然と僕と悪魔が二人っきりになることが多かった。そこで僕は彼の心の叫びを聞くべく、積極的に話しかけてみた。

ゴンザレス田中(僕):「よう」

ゴンザレス田中(僕):「なんでうんこぶりぶりしか書かないの?」

ゴンザレス田中(僕):「おれは君のそのセリフにはすごくセンスがあると思ってる。よかったら何を考えてるか聞かせてほしい」

ゴンザレス田中(僕):「君を糾弾するとか、荒らしをやめろとかそういうのじゃないんだ。君が何を思い、何を知って欲しいのか知りたいんだ」

僕の問いかけに、琉球大学の悪魔はこう答えた。

琉球大学の悪魔:「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

もはやこれは荒らしを超えた何かで、僕なんかには想像もつかない確固たる何かがある、そう感じた。

それから数日経ってのことだった。いつものようにチャットルームに巣食って女子大生とヤリチンの会話を眺めていると、やはり琉球大学の悪魔がやってきた。サッと波が引くように人々が退室していき、すぐに僕らは二人きりになった。

ゴンザレス田中(僕):「エロい会話始まりそうだったのにタイミング悪い」

琉球大学の悪魔:「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

彼は同じセリフしか言わなかったが、「すまんな」そう言っているように見えた。全くいつもと変わることのない風景なのだけど、この日は少し様子が違った。

入室:「琉球大学のアケミ」さんが入室しました

チャットのシステムが入室者をアナウンスした。悪魔の動きが止まったようにみえた。

琉球大学のアケミ:「あー、やっぱりいた!」

琉球大学のアケミ:「ちょっとー!どういうこと!ミサの気持ちも考えてあげてよ!」

琉球大学のアケミ:「ねえ返事して」

入室者は矢継ぎ早に発言をしていった。どうやら悪魔に向けて言っているようだった。名乗っている大学名が同じことと、会話の内容から、おそらく悪魔の現実の知り合いがチャットルームにやってきたようだった。

アケミを落ち着かせ話を聞く。悪魔は狼狽しているのか、ずっと黙ったままだった。なんでも、アケミは悪魔の現実の知り合いらしい。そこで、その現実の悪魔のことを好きなミサという女の子が悪魔に告白をしたらしい。好きだと伝えたらしい。

しかしながら、悪魔は逃げた。返事も言わず逃げた。ミサは泣いてしまい、それに怒ったアケミが悪魔の友人を問い詰め、悪魔はここのチャットルームに常駐しているという情報を聞いてきたらしい。一気にチャットルームがドタバタ青春ラブコメの匂いで満たされてきた。

琉球大学のアケミ:「なんで逃げるのよ!」

琉球大学のアケミ:「高橋君に聞いたけど、あんただってミサのこと好きだったらしいじゃない!なんで逃げるの?」

琉球大学のアケミ:「自分の好きな子をほっといてこんなチャットルームで」

アケミの問いかけに悪魔は沈黙していた。ただ、あらゆる会話に対して常に荒らし行為で応戦していた彼がこれだけ沈黙している、それはもう答え合わせに近かった。彼はミサの告白から逃げたのだ。

ゴンザレス田中(僕):「なあ、告白とかはちゃんと対応したほうがいいと思うよ、悪魔」

僕もそうやってフォローするのだけど

琉球大学のアケミ:「関係ない人は黙ってて!」

そんな僕をアケミは一刀両断。アケミのヒートアップは止まらない。

琉球大学のアケミ:「まあいいわ。もうすぐここにミサがくるから。ちゃんと答えてあげて」

なぜ悪魔は退室しないのだろう?そんな疑問が僕の中に生まれた。沈黙するくらいならこのチャットルームから逃げてしまえばいい。なのに彼は逃げない。どうしてだろうかとただただ疑問だった。

アケミから一方的な言葉が続き、それからしばらくすると、この事態のクライマックスを迎えるキーパーソンがついに入場してきた。

入室:「ミサ@うさぎ」さんが入室しました。

名前の後にうさぎをつけるあたり、かなりあざとい女である。

琉球大学のアケミ:「ミサ、この琉球大学の悪魔ってやつが満田だよ。思いをぶつけな!」

ミサ@うさぎ:「うん」

彼女たちにはそれぞれ信念があった。人を好きになる気持ちも、それを応援しようという気持ちも、それは信念である。彼女たちの信念の前では悪魔の本名が満田だとバラされたことなど些末なことなのである。


ミサ@うさぎ:「私、やっぱり満田君のことがすき。付き合ってください」

ミサはその信念に基づいて言った。聞けば満田だってミサのことが好きだったらしいじゃないか。もういいんだ。付き合ってあげなさい。まったくお前ら見てるとイライラするぜ、早く付き合っちまえよ、って発言するドラマの脇役みたいな気持ちでチャット画面見守った。そして、ついに満田が発言する。

ミサの純粋な思いからの信念、アケミの友を思う真っすぐな信念、それらに応えるべく、ついに満田が動いた。

琉球大学の悪魔:「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

出してる場合じゃねえぞ、満田。

彼はここでも琉球大学の悪魔を貫き通したのである。

琉球大学のアケミ:「だめだこいつ、救えないね。もうほっとこう」

ミサ@うさぎ:「うん」

琉球大学の悪魔:「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

もういい、もういいんだ、満田。いや、琉球大学の悪魔。お前は最後まで悪魔だった。お前は良く戦った。いつもと同じ発言だったがディスプレイの向こうで涙ながらに悪魔が文字を打っているのが分かった。なんだかこちらのディスプレイもぼやけてよく文字が見えなくなっていた。

退室:「ミサ@うさぎ」さんが退室しました。
退室:「琉球大学のアケミ」さんが退室しました。

無常なる文字が表示されていた。

ゴンザレス田中(僕):「俺は結構満田のこと好きだよ」

僕がそう発言すると、彼はやはりこう答えた。

琉球大学の悪魔:「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

彼にどんな信念があったのかわからない。けれども彼は決めたのだ。このチャットではうんこの発言しかしないと決めたのだ。そこに好きな女が来ようが、告白して来ようが、彼は信念を曲げなかった。そんな彼を荒らしと断罪することなどできやしなかった。

今でも町外れの何で営業しているのか分からない店舗を見ると、琉球大学の悪魔を思い出す。もしかしたらこの店は彼のような信念で営業しているのかもしれない。採算が取れるとか、そういったのとはもう次元が違うのだ。そう、彼らはそう決めたのだから、それを実行している、それに過ぎないのかもしれない。

「頑張って営業してな」

心の中でそうつぶやくと

「うんこぶりぶり、ぶり、でるー!」

どこかからそんな声がきこえてきたような気がした。

都市伝説は君のそばに

都市伝説というものに目がない。

古くは「口裂け女」などに代表される、口頭で伝えられる噂話や伝承の一種で、早い話が口コミだ。人から人に伝えられる情報、そういった意味では食べログとあまり変わらないのかもしれない。

都市伝説という単語は、1988年、ジャン・ハロルド・ブルンヴァンの著書「消えるヒッチハイカー」を日本語訳した際に「Urban Legend」という単語を翻訳したのが最初だと言われている。この「都市」にかかる部分は、何も都市で起こる不思議なことを指しているわけではなく、都市化された近代の、という意味合いが強いらしい。

つまり、伝説や昔話など、古い時代から語り継がれてお話ではなく、近代になって語り継がれるようになったお話ということらしい。

インターネットが存在しない時代、人々の情報はテレビか新聞、そして伝聞であった。一方的に垂れ流されるメディアの情報と違い、伝聞は伝える側と伝えられる側、双方の意思が介在する。何らかの意図があって情報が伝えられるわけだ。

そういった意図を持った情報の伝搬、その集大成が「都市伝説」なのである。つまり、蔓延するこれらの情報は必ず何らかの意図があるわけだ。そう考えるとなかなか興味深い。

例えば代表的な「口裂け女」なんてのは、遅くまで遊んでいるとそういった恐怖が襲来してくるという子供たちへの警告みたいな意図が容易に想像できるし、伝播の過程においても「怖がらせてやろう」という意図が確実に読み取れる。

「○○公園に恋人同士でいくと別れるから行ってはいけない」なんていうほのかな都市伝説も、その、あれですね、言いにくいですけど、けっこうモテない人のやっかみみたいな意図があったはずなんですよ。もしくは浮気している男がいて、女の方は遊ばれてるってことに気付いてなくて、有名なデートスポットに行こう行こうと言ってて、でも男はそんなところ言ったらバレちまう、行けない理由を考えないと、そうだ、行ったら別れるって噂があることにしちまおう。

「なんかさ、○○に好きな人といくと別れるって都市伝説があるらしい。おれ、佐和子と別れたくないよ、行きたくない」

「ジュンクン……」

こんな意図があるのかもしれません。

こういった都市伝説の伝播は間違いなく意図が介在するのですが、その中でも最も大きいものが「おもしろいから」なわけなのです。こういった嘘が出回ったら面白いだろう、これに右往左往する人を見て楽しもう、そんな愉快犯的意図が最も多いわけなのです。

もう随分と昔の話で、まだ僕が自分の車を所有していた時の話なのですが、意気揚々と職場へと出勤すると、職場のブスがすごい発狂してました。彼女は都市伝説マニアというかそういった噂話に敏感に反応するタイプの女性で、勝手に心の中で「都市伝説潮吹き女」と呼んでいるのですが、志村けん死亡説みたいな都市伝説が流れた時は8時だよ全員集合の全集を見ながら勝手に追悼したタイプの女性でした。

そんな彼女が、またもや入手した都市伝説を手に大騒ぎしていたのです。

「いま、関西から当たり屋グループがこの地区に来ているみたいです。気を付けてください!」

車なんかがわざと当たってきて賠償しろと金品を要求してくる当たり屋、それを組織的にやっているグループがこの地方に攻めてきた、みたいな内容でした。

実はこれ、田舎町では定期的に流れる噂話で、完全に都市伝説の類なのですが、なぜかいつ流れてきてもこの噂は「関西の当たり屋グループ」なんですね。関西人にはそういう気質がありそう、というイメージなのでしょうか。

「気を付けてください!これが私が入手した当たり屋グループの車のナンバーです。これを見かけたら注意です」

この都市伝説の怖いところは、いつも複数台の車のナンバーが当たり屋グループのナンバーとしてセットで回ってくることです。これがあることでまるで本当のことのようなイメージが出てくるのです。

「今回の当たり屋グループは悪質で、土地とか全部取られてしまった人もいるみたいです」

ブスがナンバーの一覧を解説してくれます。一覧に並ぶ車のナンバーは「なにわ」ナンバーとかが列記されていて、こういっちゃなんですがいかにも本当っぽい。なんやこらー!とか言いながら金品を要求してきそう。なんだかなーって思いながらずらーっとナンバーを眺めていると、一覧の最後にとんでもないものが。

なんてことはない、普通のナンバーなんですけど、どこかで見覚えがあるような、どこかで見たような、つい最近も見たことあるようなナンバーがそこに記されているのです。

まさか、本物?

こういった噂話は眉唾物と決めてかかっていましたが、見覚えのあるナンバーがあることで急に信憑性が増してきました。まさか、このリストは本物なのだろうか。それにしても、このナンバー、見覚えがありすぎる。どこかでみた、絶対見た。このナンバー。

って、これ俺のナンバーじゃねえか。

そういえば、数日前に、職場のみんなでバーベキューに行くとか何とかで、車を出せる人、みたいな募集があって、僕も車を出すことになったのです。で、集合場所で分かりやすいように車のナンバーを申告したのですが、どうやらその申告したナンバーをブスがメモし、色々やっているうちに当たり屋グループの噂を聞いて急いでナンバーをメモしたんでしょうね。で、リストに僕のナンバーが混じってしまった。

「あの、これ、俺の」

と言いかけたんですけど、ブスは発狂してて

「もう私怖くて怖くて、思いつく限りの知り合いにリストまわしました!市役所にも言ったし、警察にも言いました!」

と大発奮。

「あの、このリスト」

「この中には事故した後に目が見えなくなったと言って法外な値段を請求してくるボス格の当たり屋がいるらしいです。そいつは本当に要注意です」

と完全にリミットブレイクした状態だったので言っても無駄だろうと思い、そのまま業務開始となりました。

仕事も終わり、さあて、帰ろうかなと駐車場に向かうと、件のブスの姿が見えました。

「あ、お疲れさま」

「あ、お疲れさま」

互いに労いの言葉を掛け合い、ブスは軽自動車に乗り込みます。僕も自分の車に乗り込もうとすると、ブスが思い出したかのように話しかけてきます。

「あの、当たり屋には本当に気を付けてくださいね。なんならもう一度ナンバーのリストを見てください」

と言いかけて、何かに気付いたのです。そう、リストにあるナンバーと僕のナンバーが同じということに。

「あ、ちょうどよかった、あのリストなんだけど……」

僕がそう言いかけたところで彼女は叫びました。

「当たり屋ーーー!」

なんでやねん。このブス。

結局、何度か説明し、おそらく僕のナンバーをメモした紙の上にさらに追加で当たり屋のナンバーをもメモしたらしい、ということで理解してもらえたのですが、もうブスがかなりナンバーリストを回した後だったので、しばらくは僕、関西から来た大物の当たり屋グループってことになってました。

噂や伝聞、というものはそこに何かしらの意図が存在します。むしろ、意図の存在しない情報は存在しません。噂話を広めるときは、その裏にある意図を読み取り、これは誰かの悪意などの手助けをしてるのではないか、誰かを困らせないか、一度そう考える必要があるのです。昔と違い、簡単に情報が伝わる現代だからこそ、そこに注意しなくてはならないのです。

ちなみに、いつの間にか関西の当たり屋グループの一員となっていた僕の車のナンバーですが、いつの間にか尾ひれがついて、その地方のナンバーをつけて偽装する、ボス格ってことになってて、目がないと主張してくる最重要危険当たり屋、として何回か通報されたらしくパトカーに停められました。

都市伝説には目がないと冒頭で言いましたが、まさか都政伝説で目がないことにされるとは。困ったものです。

 

 

 

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広島カープと僕

8月24日、東京ドームにある歌が流れた。その歌の歌詞はまるで別の意味を持っているようだった。この日、2位巨人に勝利した広島カープに優勝へのマジック20が点灯した。優勝マジックが点灯すること自体が広島カープにとって25年ぶりの快挙だった。

学生時代を広島で過ごした僕にとって、広島カープは特別な存在だ。あまりファンじゃなくてもファンになってしまうような、そういった土壌が広島にはあった。言うに及ばず、やはり大学の教授陣や職員たちもカープファンであることが多かった。みんな口には出さないが、カープの快進撃が続くと嬉しそうだったし、負けが込んでくると悔しそうだった。

定年間近のお爺ちゃん職員さんがいた。彼は実習工場と呼ばれる場所に常駐する職員で、我々学生や職員が実験に使用する機械なんかを依頼に応じて製作する役割を持っていた。作業所の一角に部屋を構え、油の匂いが充満する狭い室内に旋盤やらボール盤やらが並んでいる。その部屋の中央で油まみれの作業着を着て汗だくになって機械部品を製作している、そんな爺さんだった。

職員の多くはカープファンであることを口に出すことはあまりないと言ったが、この爺さんだけは違っていた。カープファンであることを隠そうともしなかった。完全にあからさまだった。

僕らは製作してほしい部品をある程度わかるようにイラストにして持っていくことが多かったのだけど、カープが勝った次の日などは爺さんもかなりの上機嫌で、

「おう、この図じゃわかりにくいな。今度はもっとちゃんと書いてこいよ」

などと優しく語りかけてくれて、良い雰囲気で製作してくれるのだけど、負けた次の日などは最悪だった。まず、開口一番怒鳴る。

「あ?なんだ?これは図か?え?お?こんなもので作れると思うか?え?お?」

と完全にヤクザが獲物を詰める時そのもので、泣かされるほど怒鳴られた挙句、結局部品も作ってもらえないという状態に陥ることが多々あった。

結果、僕ら学生はその実習工場に行って部品を作ってもらわなければならないという時は、前日からプロ野球中継やスポーツニュースを凝視し、カープ勝ってくれ!と祈るような気持ちで見ていたのである。カープが負けたらもうその実習工場にはしばらく近づかない、それくらいの気概だった。

そんな気持ちでカープを見守っていたら、やはり熱烈なファンになっていくもので、僕ら学生もなんともなしにファンになっていった。もちろん、実習工場で部品を作ってもらわなければならないので勝って欲しいのだけど、それ以上にカープという球団のことが好きになり、優勝して欲しいと純粋に思えるまでになっていたのだ。

しかしながら、悪いことに当時のカープはあまり強くなかった。「カープは鯉のぼりの季節まで」という格言がまかり通るほど、最初はそこそこ頑張っているのだけど、5月くらいから失速していくのがお決まりのパターンだった。つまり、負けてばかりだった。

部品を作ってもらわなければならないのにカープは連敗続き。実習工場に近づけない日々が続いた。魔の要塞と化した実習工場はひっそりしていて、まるで死の匂いが充満している戦場のようだった。誰も近寄らない暗闇の奥からガシャコンガシャコンと旋盤が動く音だけが聞こえていた。

もうカープが何連敗しただろうか、明日こそは部品を作ってもらわなければと野球中継を見るのだけど、勝ちそうな気配すらない。もう完全に終戦ムードで、負けることが当たり前みたいな感じになっている。いつものペナントレースだ。けれども、一回でも勝ってくれないと困る。実習工場に行かねばならないのだ。頼むから勝ってくれ、懇願するような気持ちで眺めていたが、全然勝てなかった。

「達川時代のカープ」この単語は未だにファンの間で集団狂気の代名詞として語り草になっている現象だ。詳しくはここを参照されたい。

www2.atwiki.jp

悪いことに当時は完全に「達川時代のカープ」であった。

それでも、なんとか久々にカープが勝ちそうな状態になった。試合の終盤までカープがリードし、あとはいかに綺麗に試合を締めるのか、そんなチャンスが訪れた。そこで僕は考えた。

「このまま今日はカープが勝つだろう。そうなると、連敗中にずっと製作依頼できなかった連中が明日は押し寄せることになるだろう。そうなると実習工場は長蛇の列だな。下手したら明日中に終わらず打ち切られるかもしれない。そうなったらまたカープが勝つの待ってたらいつになるかわからんぞ」

僕が導き出した答えは、朝一に実習工場を襲撃する、だった。老人だけあって彼は鬼のように朝早く出勤してることはわかっていた。6時くらいには実習工場で作業を始めていたはずだ。そこに依頼に行けば一番乗りになるだろう。そうと決まれば早起きしなければならない。すぐに野球中継を消し、眠りについた。

次の日、5時に起きて実習工場に向かった。やはりというかなんというか、実習工場には人影すらない。ほかの連中を出し抜いたことに言いしれない優越感を感じた。時間は6時前、まだ爺さんも来ていないが、昨日はあのままカープが勝ったはず、そろそろ上機嫌で出勤してくるはず。ワクワクしながら待っていると、手にスポーツ新聞を持って爺さんが出勤してきた。

「おはようございます」

完全に俺の勝ちだ。これで部品を作って貰える。爽やかに、かつ勝ち誇った感じであいさつをしたが、老人の反応は芳しくなかった。むすっとしていて挨拶すら返してこない。

鍵を開けてもらい、実習工場の中に入る。おかしい、カープが勝ったはずなのになんだこの不機嫌さはなんなんだ。心がざわつくのを感じた。老人がデスクの上に無造作にスポーツ新聞を投げ置く。衝撃の見出しが躍っていた。

「カープ、劇的逆転負け」

同時に終戦だとか達川無残みたいな文字が躍って紙面を賑わせていた。どうやら、もう勝てるだろうと早寝してしまったが、その後、劇的に逆転負けしたらしい。

殺される。

そう思った。ただでさえ、負けた次の日は近づいてはいけないのに、劇的逆転負けの次の日なんて、旋盤で削られてもおかしくない。命を取られる危険だってある。とんでもない場所にきてしまった。

殺られるならその前にこっちから先に殺ってやるか。棚の上にあった鉄の塊が目に入った。それくらい命の危険を感じて思い詰めていた。

「おい!」

老人に強い口調で呼ばれた。僕はビクッとなった。絶対に怒鳴られる、そうなったらもう、殺るしかない。あの鉄の塊で……。ビクビクしながら近づいていくと、老人は、僕が持ってきた汚いイラストを見ながら、部品を作ってくれていた。そして、作業をしながらポツリと言う。

「91年に広島カープが優勝したのを知ってるか?あの時は強くてなあ」

老人は、少しだけ目に涙を浮かべていた。なんだか僕はすごく切ない気持ちになった。

広島の人にとって広島カープがどれだけ大きな存在なのか実のところは僕にはよくわからない。けれども、広島が優勝してくれて、この老人がとんでもない上機嫌になって依頼していない部品まで作ってくれる日が来たらなんだか面白いなあ、そんな気がした。

あれからさらに長い年月が過ぎ、それでも広島カープが優勝することはなかった。そして2016年、8月24日、ついにマジックが点灯する。広島カープの応援歌、「それいけカープ」の歌詞の四番には優勝を強烈に意識した歌詞が記載されている。

晴れのあかつき 旨酒をくみかわそう 
栄冠手にするその日は近いぞ
優勝かけて 優勝かけて
たくましく強く躍れ
カープ カープ カープ 広島
広島 カープ

25年ぶりに、この歌詞が本当に意味を持って歌われたのだ。この25年間、全く意味を持たず夢物語だったこの歌詞が、現実的なものになった日だった。

当時で定年間近だったご老人だ、今、この歌を元気に聞けているかどうかもわからない。けれども、あの老人が元気でこの歌を聴いていて、いま、とんでもない上機嫌だったらいいなあ、そんな気持ちでカープの快進撃を眺めているのだ。

頑張れ、広島カープ、優勝へのマジック4!

 

 

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富士登山のススメ

中央自動車道をひた走り、山梨県河口湖インターを抜けて左手に富士急ハイランドを望みながら、富士山5合目までスバルラインをひた走る。深夜ということもあって、富士吉田五合目に車で入ることはできず、かなり手前の奥庭という駐車場に駐車するように指示された。ここから五合目まで歩いて上る必要があるらしい。計画より早めに登山が始まることとなってしまった。

車を降りると、予想以上の寒さが我が身を包んだ。山に登るわけだしまあまあ寒いだろう、そう想像した寒さより2ランクくらい上の寒さに少し絶望的な気分になる。

奥庭駐車場にはトイレが完備されている。真っ暗な闇夜に浮かび上がるトイレは少し心強い気分にさせてくれる。しかも比較的新しい造りであり、利用者もそんなに多くないためか綺麗だ。これから始まる登山を考え、少しでも体を軽くするという意味でウンコをしておくことを勧める。

5合目に向かって歩き始める。登山道とは違い、舗装されたアスファルトだ。街灯はないが異常なほどに星空が明るいので危なくはない。30分ほど歩くと富士五合目に到着した。本来の登山開始地点となるべき場所である。

富士五合目には売店や登山用品店など、ちょっとしたパーキングエリア並みに店舗が揃っている。深夜ということもあって全て閉店していたが、一段低い場所にある駐車場に備えられた公衆トイレが煌々と明かりを放っている。綺麗で近代的なトイレである。

5合目とは言ってもこの時点で標高は2300m程度ある。水は貴重品である。トイレに使われる水もそんなに多くないのか、若干、匂いが気になるトイレである。みんな綺麗に使うよう心がけることが大切だ。基本的に、これより先の登山道のトイレは、処理に費用が掛かるため原則として有料である。それを心に留めておく必要がある。

いよいよ高山病対策のためこの五合目で少し時間をつぶし、いよいよ登山開始となる。登山道へと入っていくと緑豊かで緩やかな勾配のハイキングコースのような道のりが続く。楽勝じゃないかとここでペースを上げすぎると後々大変なことになるので少しペースを抑え気味に歩く。

30分も歩けば6合目に到着する。6合目には安全指導センターみたいなものがあり、係の人が常駐して登山マップを配ったりしている。その先には公衆トイレとしてよく工事現場に置かれているような仮設トイレが4つほど並べられているので、できればここでウンコを済ませておきたい。使用料は200円である。

6合目を超えると富士山の景色は一変する。ほとんど岩肌となり、植物などはあまり見られなくなる。勾配も急になり、なかなかしんどいぞ、という気分になってくる。次の山小屋までは頑張ろう、という気持ちが湧いてきて山小屋が心の支えとなってくる。息を切らしながら7合目、山小屋「花小屋」へと到達する。

花小屋はトイレ完備の山小屋であるが、その使用料は200円である。バイオ式の処理方法を採用しており、比較的綺麗である。できればここでウンコを済ませておきたい。全く関係ない話だが、登山ルート全ての山小屋はポケモンGOのポケステに登録されていて、ジムまで存在する。

花小屋で少し休憩を取った後に出発するが、ここからは比較的山小屋が密集した地帯となる。つまり、次の山小屋は目と鼻の先であり、もう見えている。とりあえずあそこまで行ってみようか、という気分になってくるので良い。

少し登ると本当にすぐに「日の出館」という山小屋に到達する。こちらもトイレを完備しており、使用料は200円である。可もなく不可もなしといったトイレである。先ほどの花小屋で行きそびれた人は是非ともここでウンコをしておきたい。

また次の山小屋が見えている状態で、気分的には新宿駅のホームの端から代々木駅のホームが見えているような感じなので、なんとか頑張って登る。するとすぐに「七合目トモエ館」に到達する。本当にこの辺はラブホ街のごとく山小屋が密集している。

七合目トモエ館のトイレは200円で水洗式が採用されている。ここまで行きそびれた人も是非ともここでウンコを済ませておきたい。

少し登ると「鎌岩館」という山小屋に到達する。山小屋とは思えないほどに造りがしっかりとした建物であり、かなり頑丈そうな印象を受ける。木目調の室内が清潔感を演出している。

トイレもやはり頑丈で綺麗な造りであり、是非ともお勧めしたい。使用料は200円で水洗式である。時間にもよるが、ここまで山小屋連発であるので、トイレは比較的空いているような印象を受ける。

少し登るとすぐに「富士一館」という山小屋に到達する。この富士一館の名前の由来は、今のように近代的な建物の山小屋が作られるようになった一番最初の山小屋、という意味らしい。そんなことはどうでも良く、トイレ使用料は200円である。次の山小屋まで若干の距離があるのでできればここでウンコを済ませておきたい。

いままで連発で山小屋があったが、どうもそれに慣れてしまっているようで次の山小屋までちょっと距離がありすぎるんじゃないかと考えたりする。それでも冷静に考えると距離は短いほうだ。少し疲れが見えてくるが頑張って登ると「鳥居荘」という山小屋に到達する。トイレは200円である。少し距離があったので溜まっている人も多いだろう。できればここでウンコを済ませておきたい。

また少し距離が開くが、頑張って登っていくと「東洋館」という山小屋に到達する。ウッドデッキを備えた近代的な山小屋で、下から眺めていると要塞のようにすら見える。トイレは洋式で200円。次の山小屋までそこそこ間隔があるのでできればここでウンコを済ませておきたい。

これまでの間隔に慣らされていると、ここの距離は長いように感じる。八合目「太子舘」は標高3100mにある。3000mを超えてのウンコはなかなか経験できないことであるので、できればここでウンコを済ませておきたい。使用料は200円で水洗の洋式である。

蓬莱館 200円 和式水洗
白雲荘 200円
元祖室 200円
八合目富士山ホテル 200円 綺麗
胸突江戸屋 200円 洋式 バイオ・循環式水洗
本八合目トモエ館 200円 水洗
御来光館 200円 バイオ式

全てのトイレでできればウンコを済ませておきたいが、特に御来光館は頂上までで最後のトイレである。必ずウンコをしておきたい。トイレの場所が若干わかりにくいので、注意深く探すか店の人に聞いてみよう。そしていよいよ頂上である。

頂上のトイレは使用料が300円である。みんなここまで疲労困憊で到達するためか綺麗に使おうという意識が薄れるのか、頂上のトイレはお世辞にもあまり綺麗とは言えない。時間によっては行列を作るほどのこともあるので十分に注意が必要だ。

下山ルートは基本的に山小屋がないが、いくつかのポイントで登りで通ったルートに合流して山小屋を利用できるようになっているのでそこでトイレを利用すべきである。

7合目まで降りてくると下山道独自のトイレ施設が現れる。下山道七合目公衆トイレで使用料は200円でバイオ水洗形式である。ここまでくればいよいよ下山も終わりである。6合目からは登りと同じルートに合流するので、トイレの心配もあまりない。

以上、富士登山のレポートである。できれば体調を整えて富士登山をすることをお勧めする。下痢状態で登り、全てのトイレを利用すると、4000円近くかかってしまい、間違いなく生涯の中で一番トイレに金を使った日になってしまうからだ。

来年の登山シーズンも是非とも違う登山コースのトイレを調べにいきたい。

 

 

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エンペラー松本は空の向こうに

セミの声はいつだって煩かった。けれども不思議なことに今、窓の向こうから聞こえてくるセミの声より思い出の中のセミの声のほうが幾分か静かな気がする。何層にも折り重なったセミの声の中で僕らはどんな青春時代を過ごしていたのだろうか。そう思うとなんだか無性に切なくなる。

「俺さ、絶対にディープキスしてやるんだ」

松本君は少し強く拳を握りながらそう言った。暑い夏の日、溶けたアイスの水滴が手の上に落ち、その冷たい感覚でハッとなった。

「言うまでもなくディープキスってのはキス界の大勲位なわけじゃん」

中学生にとってキスという行為はなかなか神話性のあるものだ。その中でも松本君は少し変わっていて、この世に蔓延するあらゆるキスを分類し、なぜか内閣府が贈る勲章の位みたいなものを勝手に授与していた。この辺の感覚は全然理解できないのだけど、とにかくそういうことらしかった。

キスの最下層に位置するフレンチ的なやつは文化勲章、などと決めて表にまでまとめていて、何らかのジョークの類なのかと思う人もいたようだけど、彼はいたって真面目で、本当に真剣な眼差しでディープキスのことを語っていた。

ある日、そんな松本君が「エンペラー松本」と呼ばれることになる事件が起こった。我が中学の体育祭では休憩の合間にフォークダンスを踊ることになっていた。それは男女ペアを組んで手を繋ぐという、思春期の子供たちにとって一大スペクタクルみたいなものだった。

組むことになる女子は身長順で自動的に決まるのだけど、松本君は誰もが羨むマドンナ的存在のクラスの女子と組むことになった。クラスの不良がそのことですごいキレていたので、どれだけ羨ましいポジションだったのかある程度は予想できると思う。

僕が組むことになった女子はギニュー特選隊のリクームさんに似ているブスで、おそらくリクームさんも同じことを思っていたのだろうけど、まあ不本意な相手だった。

僕と松本君、リクームさんとクラスのマドンナ、勝ち組と負け組の明確な差異がそこには存在したのだけど、体育祭を直前に控えて松本君がよくわからないことを言い出した。

「フォークダンスのペア、変わってくれないか」

なんでも、リクームさんと組みたいらしく、マドンナと組むというポジションを僕に譲ってくれるらしい。完全にトチ狂っているのだけど、理由を聞いてみるとこれまたすごかった。

「俺はフォークダンスでディープキスを決めようと思ってる。そこで思うんだけど、たぶん美人はガードが堅いんだよね。クラスの不良とか親衛隊も怖い。それだったらガードの緩いブスのほうが実現性があるんじゃないか」

普通にサッと聞いただけでも4か所ぐらい突っ込みどころがあるのだけど、僕はなんか感動してしまって、相手は誰でもよくてとにかくディープキスがしたいんだ、と、情熱をかける松本という存在が、なんだか尊くて気高いものに感じられてしまったんだ。

彼はフォークダンスのくいっと相手を引き寄せる所作のところで勢いそのままリクームさんにディープキスをしようと企んでいたらしく、何度か練習していた。そしていよいよ本番、ディープキスの日がやってきた。

けれども、あれだけ練習し計画を練ったのに、すごい緊張したのか気が動転したのか、松本は入場門を出た場所でリクームさんに迫った。スマートでも何でもない、ただただ昆虫のようにディープキスを迫った。すぐに異変に気付いた屈強な体育教師に取り押さえられ、松本はその後の体育祭全てのプログラムを本部テントで過ごすことになった。

その際に、椅子がなかったのか、けっこうゴージャスな椅子に座らされることとなった松本、しかも全く悪びれる様子もなく、まるでサウザーのように椅子に座っていたので、「エンペラー松本」を拝命することとなった。

「なあ、俺たち、大人になったらディープキスとかできるのかな」

遠い空を眺めながらエンペラー松本はそう言った。グラウンドの砂が風に舞い上げられ、砂の匂いがした。

あれから沢山の月日が流れた。空にはどれだけの雲が流れ、この世界ではどれだけのディープキスが消費されていったのだろうか。セミの声だけが変わらないBGMとして僕の背中に届いていた。そんな僕に一本の電話が届いた。

「中学時代の同窓会をやろうと思う。松本君に連絡ついたりする?」

クラスの優等生的存在だった男子からの電話だった。わざわざ僕の実家を訪ね、連絡先をきいたらしい。いろいろな伝手をたどってかつての同級生に連絡をつけているらしいが、どうしても松本君にだけは連絡がつかなかったらしい。

彼はエンペラーなのだ。エンペラーは孤高であり、孤独な存在である。悪い言い方をすると、彼は気持ち悪いので友達がいなかった。唯一、やれディープキスは大勲位などと会話していた僕だけが友達だった。

「悪いな、松本君の連絡先は知らない」

僕も卒業後に何度かエンペラーに連絡をとろうと試みたことがあった。けれども、携帯電話なんてない時代だったし、そうそう簡単にはできなかった。実家にも訪ねて行ったけど、そこは綺麗に駐車場になっていた。彼はラストエンペラーとなったのだ。もう、エンペラー松本には会えない。

「あそこの家のお母さんと数年前に墓で会ったぞ、今は家族で○○地方に移り住んでいるらしい」

ウチの親父からそんな情報がもたらされた。僕はすぐに検索サイトを駆使して捜索を始めた。別に同窓会だとかそういったことはどうでもいい。ただ僕の心の中の探求心が燃え盛ってしまったのだ。エンペラー松本は今でも元気にしているのか。あの日の夢を叶えることができたのか。ディープキスはできたのか。

判明した地方の目ぼしい都市名とエンペラー松本の名前で検索をかけていくが見つからない。彼は卓球も好きだったのでそういった方面で活躍していないかと調べてもみたが、それでも見つからなかった。このインターネットの世界は万能ではない。まるで何でも全ての情報が手に入ると錯覚しがちだが、実際に置かれている情報は現実世界のそれに比べてあまりに小さく少なく、おぼろげだ。ネットの世界はこの世界ではないのだ。

やはりもう、僕はエンペラー松本に会えないのだ。会えないけれども元気でいて欲しい、そして願わくば、不自由なくディープキスができる環境にいて欲しい、そう願うばかりだった。

もうエンペラー松本を見つけることは不可能だけど、いろいろと検索しているちに、松本が住むといわれるこの地方のことに興味が出てきた。綺麗な風景に美味しそうな郷土料理、変わった風習の祭りなど、観光協会のページを見てどんどん興味が出てきた。これは一度行ってみないといけない、そう考えていると自然と、その地方の風俗情報サイトに目が行った。

そのサイトは、その地方の風俗店を網羅しており、おまけに、ユーザーが口コミという形でレビューを投稿できるようになっていた。今現在は潰れてしまってアクセスできないのだけど、当時は活発にレビューが投稿されていた。風俗店のユーザーレビューというものは総じて面白い。こんな調子で名文とも言える文章たちが眠っている。

投稿者 舐め犬
利用店舗 XXの誘惑
感想
小生、覚悟はしておりました!細身でGカップなどこの世に数えるほど存在しない、いわば希少な宝石のようなものなのですが、このお店のホームページにはまるで当たり前のように存在しております。嘘であろうと感じつつ、吾輩が突入してまいりました。特攻隊ってこんな気持ちだったのかもしれませんね(笑)。結果は、細身どころか脂身というか、ササミというか、まあ、不本意なものです。でもアナルを責められてアヘェって声出ちゃいました(笑)。コスパ的なところも考慮して78点というところでご勘弁ください!

舐め犬、アヘェって声出してる場合じゃねえぞ、と思うのですけど、こういった風俗レビューの多くは、一人称が変わっていておまけに安定しないという特徴がある。特に「小生」「吾輩」「愚息(生殖器視点で書くことがある)」などの表現が使われやすい。さらに(笑)(爆)などの表現が多用されることも多く、総じて勢いがある。「希少な宝石」などの比喩が綺麗な傾向があり、「78点というところでご勘弁ください!」の締めなどは誰に謝っているのか意味不明なところがポイントが高い。

こいつはなかなか、こいつはつまんねーなーなどと、風俗サイトのレビューをレビューする感じで眺めていると、一つのレビューが目に留まった。

利用店舗 ○○学園
感想
とてもカワイイ女の子でした。料金もリーズナブルで電話対応も良く、何よりコスプレが充実しています。自信をもってお勧めできるお店ですが一点だけ苦言を。サービスの最初でDK、いわゆるディープキスが標準でついているはずですが、これがおざなりでした。これはいけません。ディープキスとは気分を高めるために不可欠な行為であり、標準プレイ内容で謳っている以上、せめて25秒はやらなければいけません。ですが、あのように2秒に満たないようではディープキスとは言えません。深海のような深いキスを望むのに、見てくれだけ豪華な女の子が浅いキス、これでは大陸棚です。改善を望みたいところです。

「25秒以下はディープキスじゃない」
「あんな浅いキス、大陸棚だ」

どこかで聞き覚えのあるフレーズに、異様なまでのディープキスへのこだわり、投稿者の名前もなんだかある人物を連想できるようなものでした。まさかまさかと思いつつ、同じ人物の他のレビューを探してみると

利用店舗 ○○の人妻
感想
このお店はリーズナブルなだけあってサービス全体はあまり期待できませんし、女の子もそこまでではありませんが、今日ついてくれた女の子はとにかくディープキスがよかった。42秒はあったかな。これはもう、大勲位ものです。そもそも最近は……

これ絶対エンペラー松本だわ。

検索ができないサイトだったので片っ端からレビューを読んで、この松本の書き込みを探したのですが、出るえわ出るわ。色々なサービスなどにこだわってる感じを醸し出していますが、最終的にはディープキスの長さと深さで全てを判定しているところからいって、完全にエンペラー松本です。

利用店舗 XX女学院
感想
残念です。何がって、そこまで言わせないでください。ディープキスですよ。どうしてこんなにもディープキスへの意識が低いのでしょうか。残念に思います。あまりにもひどかったので後のことは全く覚えていません。

こういった失意のレビューもあれば

利用店舗 ○Xの誘い
感想
素晴らしいの一言です!何がって?もちろんディープキスです!まるで羽衣を舐めているようなディープキス!とにかくディープキス!ディープインパクト!いやはや降参ですよ、これは。降参してタップしちゃいました(笑)

羽衣を舐めてるとか微妙に意味わからないですし、ディープインパクトのあたりはもう何が何やら、降参とかの下りは自分でも何かいてるのかわかってないんじゃなかな。

そんな彼の名レビューの中で一番興奮してるっぽいのが以下のやつで

利用店舗 ○Xのしたたり
感想
唇に触れたのは柔らかなダイヤモンド
今まで君が守っていたモノどうすればいいのだろう
僕はただ腕の中に君を受け止めるだけ
動けないよ
12秒

これ、HKT48の「12秒」の歌詞じゃねえか。もはやレビューじゃねえ。しかも25秒以下はディープキスじゃないんじゃねえのか。

ついにエンペラー松本を見つけてしまい、インターネットってすげえって思うのだけど、このサイトはその特性から、投稿者に連絡を取ることができないようになっている。つまり、ただ定期的に投下される彼のディープキスレビューを眺めることしかできないのだ。(もうサイト自体潰れててそれもできないけど)会うことはできない。

ただ、きっとそれでいいのだろう。僕らは会う必要はない。なぜならば、エンペラー松本はあの日の夢を叶えて、いっぱいディープキスをしているってことが分かったのだから、もうそれで十分なのだ。

遠い日の夏、セミの声。やはり思い出の中のセミの声は煩くない。心地よく心に響くその音は悪い気はしない。エンペラー松本がディープキスと騒ぐ思い出の中の音だって、セミの声と同じく、遠いあの日の心地よい音階なのだ。

秒速5センチメートル

(小学生時代の二人の会話に乗せて、満開の桜の風景が切り替わるように映し出される)

「ねぇ、秒速5センチなんだって」

「えっ?なに?」

「ウンコの落ちるスピード。秒速5センチメートル

「遅くない?」

「ねぇ、なんだかまるで雪みたいじゃない?」

「きいてる?遅すぎない?」

「隆貴くん、来年も一緒にウンコ、見れるといいね」

「きいてる?」

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場面が変わり、中学生となった明里が隆貴への手紙を朗読する形からはじまる。

「遠野隆貴様へ
大変ご無沙汰しております。こちらの夏も暑いけれど東京に比べればずっと過ごしやすいです。でも今にして思えば、私は東京のあの蒸し暑い夏も好きでした。溶けてしまいそうに熱いアスファルトも、陽炎のむこうの高層ビルも、デパートや地下鉄の寒いくらいの冷房も。なかなか見つからないトイレも。私たちが最後に会ったのは、小学校の卒業式でしたから、あれからもう半年です。ねぇ、隆貴くん、あたしのこと、覚えていますか?」

「前略隆貴くんへ。お返事ありがとう。うれしかったです。もうすっかり秋ですね。こちらは紅葉がきれいです。今年最初のセーターをおととい私は出しました。そうそう、覚えていますか?ウンコの落ちるスピード。今日理科の先生に聞いてみました。やはり秒速5センチメートルは遅すぎるみたいです。ウンコがそんなに宙を漂っていたら大変だって叱られちゃった。1キロのウンコが1秒で便器に到達すると考えると、おおよそ秒速6メートルはあるそうです。時速に直すと20キロほど。原付ぐらいですね」

「最近は部活で朝が早いので今この手紙は電車で書いてます。この前、電車でウンコを漏らしました。やはり秒速5センチではなかったです。なんで昔のあたしはあんなに頑なに信じていたんだろう。そこで疑問に思ったのですが、電車は100キロで前方に動いていて、その中で20キロの速度でウンコが落下します。電車の外から観測するとどのような速度になるのか、答えなさい」

「拝啓。寒い日が続きますが、お元気ですか。こちらはもう何度か雪が降りました。私はその度にものすごい重装備で学校に通っています。東京は雪はまだだよね。引っ越してきてからもつい癖で、東京の分の天気予報まで見てしまいます。やはり重装備だとトイレをするのが大変です。でも、漏らしてもばれにくいと考えるとなんだか楽になりました」

「今度は隆貴くんウンコを漏らしたと聞いて驚きました。お互いに昔から慣れているわけですが、それにしても中学になっても……。 今度はちょっと致命的だよね。いざという時に、漏らすという選択をできるひとは……ちょっと……。どうかどうか、隆貴くんが元気でいますように」

「前略。隆貴くんへ。3月4日の約束、とてもうれしいです。会うのはもう一年ぶりですね。なんだか緊張してしまいます。うちの近くに大きな桜の木があって、春にはそこでも多分、花びらが秒速5センチで地上に降っています。そうです、秒速5センチなのは桜の花びらのことでした!ウンコと間違うなんてどうかしていました。そのごどうですか?学校で漏らしてから引きこもっていると聞きましたが…。とにかく会える日を楽しみにしています」

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明里との約束の当日は昼過ぎから雪になった。

僕と明里は精神的にどこかよく似ていたと思う。僕が東京に転校してきた一年後に明里が同じクラスに転校してきた。まだ体が小さく病気がちだった僕らは、グラウンドよりは図書館が好きで、トイレにもよく行っていた。小学生が学校でウンコをすることは重罪だったが、僕たちはごく自然に罪を共有する意識から仲良くなり、そのせいでチームメートから、からかわれることもあったけれど、でもお互いがいれば不思議にそういうことはあまり怖くはなかった。僕たちはいずれ同じ中学校に通い、この先もずっと一緒だと、どうしてだろう、そう思っていた。

「新宿、新宿です。終点です。お降りのお客様は……」

新宿駅に一人で来たのは初めてで、これらか乗る路線も僕には初めてだった。ドキドキしていた。お腹が痛くなってきた。これから僕は明里に会うんだ、そう思うとお腹が暴れだした。

「まもなく武蔵浦和武蔵浦和に到着いたします。次の武蔵浦和では快速列車待ち合わせのため4分ほど停車いたします。与野本町、大宮までお急ぎの方は……」

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乗り換え駅のターミナル駅は帰宅を始めた人々で混み合っていて誰の靴も雪の水を吸ってぐっしょりと濡れていて、空気は雪の日の都市独特の匂いに満ちて冷たかった。

「お客様にお知らせいたします。宇都宮線、小山、宇都宮方面行き列車は、ただいま雪のため、到着が10分ほど遅れております。お急ぎのところ、お客様に大変ご迷惑をおかけいたします」

その瞬間まで、僕は電車が遅れるなんていう可能性を考えもしなかった。不安が急に大きくなった。

「ただいまこの電車は雪のため10分ほど遅れて運行しております。お急ぎのところ、列車遅れておりますこと、お詫びいたします」

大宮駅を過ぎてしばらくすると、風景からはあっという間に建物が少なくなった。

「次は、久喜、久喜。到着が大変遅れましたこと、お詫び申し上げます。東武伊勢崎線にお乗り換えの方は、5番出口にお回り下さい。後続列車が遅れているため、この列車は当駅にて10分ほど停車します。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ち下さいますよう、お願いいたします」

(乗客がボタンを押してドアを閉める。「すいません」と答える)

「後続列車が遅れているため、この列車は当駅で10分ほど停車します。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらく……」

「野木、野木。お客様にお断りとお詫びを申し上げます。後続列車遅延のため、この列車は当駅でしばらくの間停車します。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ち下さいますよう、お願いいたします」

駅と駅との間は信じられないくらい離れていて、電車が一駅ごとに信じられないくらい長い間停車した。窓の外の見たこともないような雪の荒野も、ジワジワと流れていく時間も、痛いような腹痛も、僕をますます心細くさせていった。列車にはトイレがなかった。

約束の時間を過ぎて、今頃明里はきっと不安になり始めていると思う。あの日、あの電話の日、僕よりもずっと大きな不安を抱えているはずの明里に対して、優しい言葉をかけることができなかった自分が、ひどく恥ずかしかった。

明里からの最初の手紙が届いたのは、中一の夏だった。彼女からの文面は全て覚えた。約束の今日まで二週間かけて、僕は明里に渡すための手紙を書いた。明里に伝えなければいけないこと、聞いて欲しいことが、本当に僕にはたくさんあった。

「大変お待たせいたしました。まもなく宇都宮行き、発車いたします。小山、小山。東北新幹線を乗り換えの方は……。東北新幹線下り盛岡方面を乗り換えの方は1番線、上り東京方面を乗り換えの方は5番線へお回り下さい」

「お客様にお知らせいたします。ただいま両毛線は、雪のため、大幅な遅れをもって運転しております。お客様には大変ご迷惑をおかけいたしております。列車到着まで今しばらくお待ち下さい。次の上り……」

とにかく、明里の待つ駅に向かうしかなかった。トイレは我慢した。

「8番線、足利前橋方面、高崎行き上り電車が参ります。危ないので……」 

「お客様にご案内いたします。ただいま、降雪によるダイヤの乱れのため、少々停車いたします。お急ぎのところ大変恐縮ですが、現在のところ、復旧のめどは立っておりません。繰り返します。ただいま、降雪によるダイヤの乱れのため、少々停車いたします。お急ぎのところ大変恐縮ですが、現在のところ、復旧のめどは立っておりません」

腹痛は限界に近かった。電車はそれから結局、2時間も何も無い荒野で停まり続けた。たった1分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。僕はきつく歯を食いしばり、ただとにかく出さないように耐えているしかなかった。明里……どうか……もう……家に……帰っていてくれればいいのに。

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「3番線、足利前橋方面、高崎行き電車が到着いたします。この電車は雪のため、しばらく停車します」

「明里……」

小さな駅の待合室に置かれたストーブの前で明里がねむりこけている。

「おいしい」

「そう? 普通の焙じ茶だよ」

焙じ茶? 初めて飲んだ」

「うそ。絶対飲んだことあるよ」

「そうかな」

「そうだよ。それからこれ、私が作ったから味の保障はないんだけど、よかったら食べて」

「ありがとう。お腹すいてたんだ、すごく」(ほんとうはそれ以上にお腹が痛いんだけど、この駅にトイレはなさそうだ)

「どうかな?」

「今まで食べた物の中で、一番おいしい」

「大げさだなぁ」

「本当だよ」

「きっとお腹すいてたからよ」

「そうかな」(ほんとうはそれ以上にお腹が痛いんだけど、この駅にトイレはなさそうだ)

「そうよ。あたしも食べようと。うふ」

「引っ越し、もうすぐだよね」

「ん、来週」(トイレ行きたい)

「鹿児島かぁ」

「遠いんだ。栃木も遠かったけどね」(トイレ)

「帰れなくなっちゃったもんね」

(たった一人の駅員が窓口から顔を出して二人に声をかける)

「そろそろ閉めますよ。もう電車もないですし」

「はい」(トイレもないし)

「こんな雪ですから、お気をつけて」

「はい」(トイレ)

(駅を出て真っ暗な雪の中を歩く二人)

「見える、あの木?」

「手紙の木?」

「桜の木。ねぇ、まるで雪みたいじゃない?」

「そうだね」

その瞬間、永遠とか、心とか、魂とか腹痛とか、そういうものがどこにあるのか分かった気がした。13年間生きてきたことすべてを分かち合えたように僕は思い、それから次の瞬間、たまらなく悲しくなった。

腹痛に耐える僕のその魂をどのように扱えばいいのか、どこに持っていけばいいのか。それが僕には分からなかったからだ。僕たちはこの先もずっと一緒にいることはできないと、はっきりと分かった。彼女と離れなければウンコはできない。まさか目の前でするわけにも……。

僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、強大な腹痛が、どうしようもなく横たわっていた。でも、僕をとらえたその不安は、やがて緩やかに溶けていき、あとには、肛門から漏れ出した柔らかな感触だけが残っていた。

あああああああああああああああああああっっっ。

その夜、僕は桜の木の下で、ウンコを漏らした。

「綺麗、キラキラしてる」

「肛門から出て大気に触れた瞬間に温度を失ってウンコが凍っていくのさ」

ダイヤモンドダスト。全ては凍り付く」

明里は小さく呟いた。キラキラと凍りながら粉末状になり、ゆっくりと落下していくウンコは風に舞い上げられ、静かに、音を立てずにゆっくりと滑空しているようだった。

「きっと秒速5センチメートルだね」

「ああ、それくらいだ」

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(翌朝、もう電車は動いていた。始発に乗り込む隆貴。明里はホームで見送る)

「あの……隆貴くん。隆貴くんは、きっとこの先は大丈夫だと思う!絶対!あと、誰にも言わないから」

「ありがとう。明里も元気で!手紙書くよ!電話も!パンツも洗って返す!」

明里への手紙を渡せるような雰囲気ではなく渡せなかったことを僕は明里に言わなかった。あの脱糞の前と後とでは、世界のなにもかもが変わってしまったような気がしたからだ。自分の尊厳を守れるだけ力が欲しいと、強く思った。それだけを考えながら、僕はいつまでも、窓の外の景色を見続けていた。


「桜花抄」おわり