いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

朝から話をはじめよう。すべてのよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。

早朝の風景には綺麗な物と汚い物が混在している。綺麗な朝焼けと朝もやの中に堆くゴミが積み上げられている。表裏一体のその危うさは深い慈しみがある。

ター ミナル駅からほど近い場所にあるパチンコ屋。開店を待つ行列はどこか汚い。早朝からパチンコ屋にならぶ熱心さは素晴らしいが、やはりクズと言うしかない。 心持ちが汚いのだ。さらには外見的にも殆どの人間が黒か茶、くすんだ色合いで、この風景を撮影してプリントアウトしたら黒系のインクばかり減りそうな勢い なのだ。

この世で最も汚い行列のためか近隣住民から苦情でもきたのか、いつしか店からの指導で行列はパチンコ屋が入るビルの地下道に移されることになった。雨風もしのげ、通行人の視線も気にならない名采配である。誰もがそう思った。

悪 いことに、その地下道にはオシャレなオープンカフェがあった。テラスハウスに出てきそうなオシャレなオープンカフェがあった。朝からオシャレなオープンカ フェでオシャレななんとかマキアートみたいなものをオシャレに飲み、オシャレな会話をする。たぶん、インスタとかそんな単語がポンポン飛び出しているはず だ。

その横に列を成すダークブラウンのオッサンたち。中には朝からワンカップ大関を飲んでいる奴もいる。なんとかマキアートとワンカップ大関である。戦う前から勝負あった。試合前からコールドゲームである。

朝 の風景には綺麗な物と汚い物が混在している。おしゃれなカフェでマックブック開いてバリバリに仕事っぽいことをしている意識高い人がいれば、パチンコの行 列でスポーツ新聞のエロいページだけ読みやすいようにテクニカルに折りたたんでいる別の意味で意識高いオッサンもいるのだ。

どこかの国の風景で、富裕層が住む高級住宅街が小高くなっていて、その崖の下にスラム街が存在し、明確な境界線の存在にショックを受けたことがあったが、なんてことはないこの国にもそれはあったのだ。オープンカフェの領域っぽいラインにそれは存在したのだ。

「こんなことになってから言うのあれだけど……」

「うん」

カフェのオープン席みたいなところに座る男女の会話が漏れ聴こえてくる。その会話はどこか初々しくもあり、生々しくもあった。

「できれば付き合って欲しい。気の迷いとかそういうのじゃないから。真面目に考えている」

男 はまっすぐとした瞳でそういった。朝からカッケー。会話内容から推測するに、昨日は仲間内での飲み会みたいな感じだったんだけど、この二人が抜け出したか 終電逃したかなんかでホテルでお泊り、そういう関係になってチェックアウトし、朝食がてらこのカフェに来た、みたいな感じだった。

そ こで女の子は不安に思ったことがあったのでしょう。そういった関係になったものの、これはこれからも恋人として付き合うということだろうか、それとも今日 だけの間違いのような関係なのか、それともこれからといっても体だけの関係なのか。問い質したいところだけれども、それを言うと重い女と思われてしまうか もしれない。面倒くさい女と思われるかもしれない。遊びだったと笑われたら自分が傷つくかもしれない。そのような葛藤がある中で、それを見越したのか男の 発言につながる。答えは、これからも真面目に付き合って欲しい。朝からカッケー。

「……うれしい」

涙 ぐむ女の子。なんて綺麗な光景だろか。なんて綺麗な会話だろうか。片やこっちはワンカップ大関持ったオッサンが昨日の武豊ルメールのクソ騎乗について熱 弁を奮っている。ついでに戸崎もクソ騎乗だったと応じるオッサンもおり、馬券を外した悔しさを思い出したのか、涙ぐむオッサンまでいる。なんて汚い光景だ ろうか。なんて汚い会話だろうか。

「これからはいっぱいデートしよ。遊園地とか動物園とか」

男は少し申し訳なさそうに言った。いきなり体の関係になった申し訳のなさを取り返すかのように言った。その心遣いがカッケー。

「……うん」

また女の子は涙ぐんだ。なんて綺麗な光景だ。片やこっちは、ワンカップ大関を持ったオッサンが明日は競艇にいこ!みたいなことを言ってて、横のオッサンがワシも行く!みたいなことを言って、なんか外れたのを思い出したのか涙ぐんでいるオッサンもいる。なんて汚い光景だ。

「でもね、私、ヨシキとは付き合えない」

涙ぐんでいた女は衝撃のセリフをその小さな口から吐き出した。

「……どうして?」

さすがにこれにはヨシキも爽やかな笑顔を曇らせた。おいおいセックスしておいて付き合えないとはどういうことだ、僕も無関係なのに表情を曇らせた。

「だって、私、むちゃくちゃ嫉妬ぶかいよ、付き合うことになったらヨシキ大変だと思う。浮気なんか絶対に許さないんだから」

でた。思わせぶりな女である。普通に私むちゃくちゃ嫉妬深いよ、それでもいい?と説明すればいいものの「付き合えない」から入る論法を使う技法である。一瞬ギクリとさせて安心させるパターンだ。

こ れは多分にテクニカルで、ここで「付き合えない、嫉妬深いから」と言われて、「マジ?嫉妬深いの?じゃあやめとくわ、くわばらくわばら」と発言する男はあ まりいない。嫉妬深いという点を許容させ、今後続く関係の中でも上位に立とうとする策略だ。すでに戦い始まっているのだ。

「なんだ、そんなことか。大丈夫、俺は浮気なんてしないから。嫉妬させることもないと思う」

ヨシキはもう完全に術中である。

「よかった」

「うん」

洒落たテーブルの上で手を絡めあうふたり。なんとかマキアートのカップが揺れていた。綺麗な光景である。

かたやこちらは、嫉妬が深いとかそういった話ではなく、CR花の慶次はハマリが深いとかそういった話である。これからの開店に備えた狙い台の確認である。完全に別次元の会話だ。ワンカップ大関を持つ手が揺れていた。

「俺は浮気しない」

「うん」

「でもさ、どこからが浮気なんだろうね」

「うーん」

なんか面倒くさい会話始めたぞ。

「体の関係はもちろんダメだけど、キスからが浮気かな?」

ヨシキがクイッとカップを傾けながら満面の笑顔で言った。アミがすぐに答える。

「キスから?ありえない。もっと前から浮気だよ」

「え、じゃあどこから?会話したら浮気とか?」

「うーん、もっと前」

「本当に嫉妬深いな。カワイイねアミは」

ヨシキ笑っとる場合じゃねえぞ。会話より前から浮気って相当だぞ。

「じゃあ、目があったら?」

「それより前」

お いおいおいおい、目が合うより前ってどういうことだよ。もう僕、錯乱しちゃいましてね、なんかこれ以上会話を聞くのが怖いというか、なにかこれ以上聞いて いたら自分の中の何かが崩壊しそうな恐ろしさを感じたんですよ。この会話を止めるためにスマホに向かって大声で「オッケーグーグル、アナルの洗い方を検索 して」って言って雰囲気をぶち壊そうと思いましたもん。

「じゃあ他の女のことを考えたら浮気ってことかな?」

「それは当然だよ、それより前」

もうこれ以上前の段階が思いつかん。さすがにヨシキも同じだったようで、アミに問いかけた。

「え、じゃあどこから浮気?」

「うーん」

やだ、怖い。アミがどんな答えを持ってくるのか本当に怖い。俺の価値観が崩壊しそうで本当に怖い。やめて。聞きたくない。でも聞きたい。混沌とする僕の頭の中をよそに、ついにアミは口を開いた。

「女が存在するだけで浮気」

うそだああああああああああああ。

「俺の周りに、とかじゃなくて?」

「ちがうの、この世に存在するだけで浮気」

うわああああああああああああああ。

「存在だけ?」

「そう、ヨシキと同じこの世界に私以外の女が存在するだけで浮気の可能性はゼロじゃないから」

「オッケーグーグル、アナルの洗い方を検索して」

「なるほどね」

なるほどねじゃねえよ、ヨシキ。笑っとる場合じゃねえぞ。なんか哲学の問答みたいになっとるぞ。ソクラテスが弟子に「この世に女が存在する限り浮気じゃ」みたいになっとるぞ。おまえ、絶対に浮気から逃れられんぞ。

「アミがそういうのなら俺は女を滅ぼす存在になろう」

な んだよこれ、ヨシキなんだよこれ。なんか、最後のダンジョンの奥深くにいる魔王とのバトル前の会話で、魔王が魔王となったきっかけとなる事件のことを死ぬ ゆくお前に教えてやろうとか言って勇者に教える場面で、まだ村人だった頃に村の女から迫害されて病弱な母を失い、悪に魂を売って女を滅ぼす存在となった 時、みたいなセリフを吐いてるんですよ。

「それなら安心」

少し小首を傾げていうアミ。言っとくけど、ヨシキが女を滅ぼす存在になったらお前も滅ぼされるからな。

「じゃ、そういうことで。あ、時間だ。俺行くわ」

「気をつけてね」

結 局ふたりは付き合うことになったみたいだ。女を滅ぼさない限り常に浮気になるという重い十字架を背負わされたヨシキはいそいそと片付けてカフェを去った。 テーブルにはアミだけが残された状態に。うっとりとヨシキの背中を見送るアミ、と思ったらそうではなくて。ヨシキが見えなくなったのを確認してすぐにスマ ホを取り出した。

「あ、タケアキ?うんそうそう、ごめんねー昨日すぐ寝ちゃって、スマホも充電切れたみたい。そうそう、トモミちゃんと一緒だったよ。ほら、あのこの前一緒だった子。え、今日?うん大丈夫だよ。わかったー、楽しみにしてるね、愛してるよ」

声のトーンまで変わっててびっくりした。なんか、境界線の向こうの世界を覗き見て、はやくヨシキが覚醒して魔王となって女を滅ぼす存在にならないかなーって思う反面、境界線のこちら側ではワンカップ大関

「俺は母ちゃん一筋。浮気するとしてもワンカップ大関だけ!」

と か熱弁をふるってて、そうだそうだの声があがり、いよいよパチンコ屋の開店だ。オッサンたち意外と一途なのな。こんなゴミみたいなワシを好いてくれるのは 母ちゃんだけ、みたいなリリックがポンポン飛び出してくる。せめてヨシキもワンカップ大関の母ちゃんだけは滅ぼさないで欲しいな、そう思ったのだった。

早朝の風景には綺麗な物と汚い物が混在している。きっとそれはこの世の真理なのだ。