ターニングポイントは過ぎ去りし後に

元気よく職場に通勤すると、職場のブスたちが円陣を組んでいた。

おやおや、これは円陣の中心で発声したブスが出し合ったお金を総取りするゲン担ぎみたいなものかなって思ったのだけど、実はそうではないらしい。よくよく見てみると、ひとりのブスをその他の大勢のブスが囲む形になっていた。どうやら大勢のブスが一人のブスを責め立てているようだ。

これはよくない。あまりによくない。どちらかサイドが美人であるならば納得もしよう。美人がブスを取り囲む、陰湿なイジメだ。逆にブスの大群が美人を取り囲む、妬みだ。そういった絵図なら理解もしよう。けれどもブスがブスを取り囲んでは共食いではないか。腹が減ったタコが自らの足を食べるようなものではないか。もっとこう、俺たちブサイクは仲間意識をもって仲良く生きていこうよ。仕方なしに事情を聴くこととなった。

「きいてください!この人が残業を断るんです。みんな我慢してやってるっていうのに!」

ブスが発狂する。発狂したブスは岸壁のコーナーの部分に似ている。色々な浮遊物や油が滞留し、ゆらゆらと揺れている姿に似ている。どうやら、今はちょっと忙しい時期で、部署のみんなが残業をしているのに、責められているブスだけ定時で帰りまくっているらしい。

「まあまあ、人にはそれぞれ事情ってものがあるから」

そう説明するのだけど攻撃側のブスたちは納得しない。

「だいたい、いつまでも自動車学校とかおかしいんです!」

どうやら、責められているほうのブスは自動車免許を取りたくて、特別に次長の許可を得て残業を免除してもらっているらしい。許可があるのならばいいじゃないか、やっぱり人それぞれの事情があるじゃないか、と思うのだけど、ブスたちの怒りは収まらない。なんでも、異常なほどその期間が長いらしいのだ。

「ふつう、あれだけ通ってれば免許取れますよね?それなのにいつまでもいつまでも通って。絶対にさぼってるんです!」

リーダー的ブスの腰ぎんちゃくみたいなブスが言った。なるほど、確かに自動車学校とか行ってさぼっていてもあまりばれないだろう。その手は使える。今度やってみるか。クソッ、免許持ってた。

「何度も検定落ちちゃうから仕方がないんです……」

責められているブスは弱弱しく言った。どうやら、運転の技能を検査する検定試験に何度も落ちているらしい。

「そんなに何回も検定に落ちるわけないでしょ!」

「ないでしょ!」

「いでしょ!」

「でしょ!」

「しょ!」

リーダー格のブスの言葉が僕の頭の中にリフレインした。

18歳の時、自動車学校に通っていた僕は路上教習に必要な仮免許を得るための修了検定に3度落ちていた。もう仏も見放すレベルである。1度目は数ミリ白線を踏んだことで検定中止となり、2度目、3度目は検定中に気が動転してしまい無残な結果となった。

検定に落ちるとすぐに再試験を受けられるわけではなく、たしか2回ほどの補習の教習を受ける必要があった。当然、補習分お金がかかるし、再検定の費用もかかる。おまけに時間だってかかる。早く免許が取りたかった僕は絶望の淵にいた。

「また検定落ちちゃいましたよ」

僕は検定に落ちるたびに自動車学校のカウンターにいたお姉さんに愚痴をこぼしていた。お姉さんはけっこうブスで、自動車学校の教習車がカローラだったんだけど、そのカローラのフロントグリルに似ている感じだった。ただ、その親身になってくれる優しさは心地よく、包み込んでくれる雰囲気はどこか安心できるものだった。おそらく、お姉さんのことを好きだったんだと思う。

「もう免許取れる気しないっス」

僕がそう愚痴ると

「大丈夫だよ、次は合格するよ!」

両手で小さくガッツポーズをして見せてくれるのだ。

「いや無理っすよ、たぶん僕に免許を取らせないよう国家の陰謀が検定員に圧力をかけてそれで地方議員も根回しにきて(ブツブツ)」

こんなことを言い出す時点でドン引きものなのに、お姉さんは優しく対応してくれた。

「でも、どうしてダメなのかな?担当の先生に聞いてみたけど、普段の教習の運転技術は問題ないって言ってたよ?」

それも理由は明確に分かっている。

「気が動転するんです」

絶対に失敗できない場面ほど気が動転し失敗する。思えば僕の人生はこれの繰り返しだった。

「だからもう免許は無理っス」

僕がそう言うとお姉さんはまた両手で小さくガッツポーズをした。

「大丈夫、とれるよ、免許取れたら私とドライブいこう!」

いまなんと?

僕の聞き間違いでなければ、いま、ドライブ行こうっといったんじゃないか。おいおいおいおいおいおいおい、ドライブ行こうって言ったのか?お姉さんが?そうだな、免許取って、母ちゃんの車を借りるわな、買い物に使うから貸せないといわれても強引に奪うわな。それでお姉さんを迎えに行く。私服のお姉さんはブスだ。でもかわいい。で、海を見に行くんだ。小さな港町、周り中海だらけだ。でもわざと遠くの海まで行く。いい雰囲気になり日も傾いてきて、「よかったね免許取れて」「お姉さんが励ましてくれたから」国道の脇には下品なラブホテルの看板が、なるほど、三つめ信号左折か。「いやあ、運転って難しいよ、特に左折が難しい。なんならちょっと左折の練習しよーかなー」「うん」「三つ目の信号左折しようかなー、うわー、すだれがある。すだれのくぐり方なんて自動車学校で習わなかったよ!」「もうバカ!」「あっちの免許は」「仮免許ね」これですよ、これ。意味わからんけどこれですよ。

早速ここでお姉さんをものにして、その弾みで免許取得と行くべきなんですけど、僕、確実に決めなければならないこの場面で気が動転しちゃいましてね。

「免許取れたら私とドライブ行こう!」

のお姉さんの誘いに

「いいえ、ドライブはお母さんと行きます」

何言ってんだ、この時の俺。なんなんだよこいつ。どんなマザコンだよ。ほんと、もしタイムマシンが存在するならばこの時の俺を抹殺しに行く。タイムパトロールがなんと言おうと抹殺しに行く。そうしたら未来の俺も存在できないので徐々に僕の存在が消えていくんだけど、それでも満足げに笑いながら存在が消えてね、僕のマスクだけがカコンって地面に落ちるの「アタル兄さんーーー!」ってなる。

そうなんだよな、このときの失態が尾を引いて、確かその次の検定も落ちたんだよな。

「そんなに何度も落ちるっておかしいと思いませんか?」

ブスの大声に現実に引き戻された。そうだ、今は現代だ。危ない危ない。危うくタイムパトロールと戦うところだった。目の前のブスの円陣をなんとかしなくてはならない。

「い、いや、けっこう落ちたりするんじゃないかな、人それぞれだよ」

「なんでそうやって美津子の肩を持つんですか!?」

「いやそういうわけじゃないけど」

「もういいです、次長に言いますから!」

こうしてブスたちの円陣は解消された。そして残されたのは責められたブスと僕だけ。

「ありがとうございます」

「いや、いいんだよ、人には事情ってもんがあるからね」

僕がそう言うとブスは途方もないことを言い出した。

「でも、私のこと狙われても困りますからね。わたし彼氏いますし。その彼氏とのデートのために自動車学校って嘘ついてますから。あなたとはデートにはいけません」

おいおい、ずいぶんなブスだな、って思うんですけど、やばい、何もモーションかけてないのにフラれてる、何も誘ってないのに断られてる、いかん、その気はないことをアピールしなくてはって思いましてね、気が動転して

「デートはいかなくていいです。お母さんと行きますから」

とか訳のわからないこと言ってました。

人生のターニングポイントとは、実は目の前にはありません。これはターニングポイントだぞ!と意気込んだとしてら、それは単なる勘違いでしょう。ターニングポイントは必ず振り返った場所に存在します。あの時こうしておくべきだった。あの時ああするべきだった、あそこがターニングポイントだったな、そういうものなのです。そして、そのほとんどが後悔を抱えているものなのです。

あの時、自動車学校のお姉さんに「ドライブはお母さんと行きます」と言わなかったら僕にはどんな未来があったのだろうか。

ターニングポイントは常に過去にあるから僕らは生きていける。振り返るべきたくさんのターニングポイントと後悔を量産しながら生きていけばいいじゃないか。

さて、責められていたブスは、何を勘違いしたのか、母の面影をみた気持ち悪い男に言い寄られているが、私には彼氏がいる、みたいに発狂しながら今日も自動車学校に行ったようだ。ブスは今日もエンジン全開である。