奇跡は間に合わない

まるで雄大な動物の呼吸音のように深くて重い音を立てて電車のドアは閉まった。駅のホームという日常の風景との隔絶。僕はその光景を一抹の不安を抱えながら車内から見ていたのだ。

遠い山間の街まで行くこの最終電車、乗り過ごせばもう次はない。間に合わないかと小走りにホームまで駆けたが少しだけ発車を待つ余裕があった。こんなことなら走る必要もなかったかもと思った時、ふいに腹痛が我が身を襲った。

これはヤバいやつだ!

腹痛には大きく分けて二つの種類が存在する。幸せな結末が予想されるものと、不幸な結末が予想されるものだ。それ以外の曖昧な結末は存在しない。そういったところが恋愛に似ているのかもな。つくづく奥が深いよ、腹痛は。

ファッション的に痛い腹痛は、まあ我慢できるし、今すぐどうこうといった問題じゃない。適度に良いタイミングでトイレに行けばいいさと納得できる腹痛なのである。全ての腹痛がこうありたいものだ。

しかしながら、今すぐどうこうといった腹痛は違う。すぐに結末を迫ってくるのだ。フィナーレを迫ってくる。さながら、すぐに実家に連れて行けとか言い出す女みたいなものだろうか。

この腹痛は明らかに後者であった。有耶無耶にしておけばなんとかなるものじゃない。結婚、ゼクシィみたいな単語を徐々に出してくる相手をのらりくらりとかわすようにはいかない。何らかの対策を立てない限り必ず不幸な結末を伴うものなのだ。

ま ずはじめに脳裏によぎったものは、発車前に降りてトイレに駆け込むというものである。素早い決断は常に身を助けるのである。しかしながら、これが最終電車 だということを忘れてはならない。降りたら終わりなのである。身一つで夜の街に放り出されてしまう。その事実が一瞬判断を遅らせた。その刹那、ドアは重厚 な呼吸音と共に堅く閉ざされたのだ。これが地獄の始まりである。

 

Phase 1 僕たちは戦わない

こ の様な状況に陥ったとき、多くの段階を経て様々な思想に到達する。まずはそんなものは存在しなかったかのように振舞うことから始まる。そもそも腹痛なんて 最初から存在しなかった。お化けなんてないさ、お化けなんて嘘さの精神である。スマホを凝視して気を紛らわせてもいい。とにかく、腹痛なんて存在しなかっ たかのように振舞うのだ。

けれども、すぐにそれは全く無意味な行為であったことを思い知る。圧倒的物量、圧倒的攻撃力で無慈悲なる一撃が振り落とされるのである。ここで初めて心の中の緊急警報が鳴り響き、パターン青、腹痛です!となる。

ここまでどこか現実味のなかった危機的状況がリアルなものになる。叔母の死をあまり理解できなかった幼き少年が、もう叔母はいないんだと理解して泣いた時の心情に近い。嘘のようだが、地獄はまだ始まったばかりなのだ。

 

Phase 2 次の駅まで持ってくれよ、俺の体!

危機とリアリティを感じたといえども、所詮は戦争のない国で生まれた平和ボケした甘ちゃんだ。心のどこかで自分は死なないと思ってやがる。でもな、人間、死ぬときは簡単に死ぬんだよ、笑っちゃうくらいあっけなくな。

電 車は徐々にスピードを増していく。夜の闇の中を失意と腹痛だけが走っていく。腹痛を危機と捉えた瞬間から、田舎のほうの何の娯楽もない地方に一年に一度 やってくる夏祭りのときの、地元に残ったヤンキーみたいな感じで内臓が暴れだす。冷や汗が吹き出す反面、心のどこかで感じていることがある。まだ俺は死な ないんじゃないか。

最初の停車駅まで5分。耐えられない時間じゃない。全身全霊を賭けて電車の加速度を感じ取る。ブレーキをかけた!減速を始めた!駅が近い!俺の勝ちだ!

ま もなく車内放送が流れる。停車を告げるアナウンスだ。車窓の風景も少しづつ居酒屋だとかのネオンが増えてくる。約束の場所。耐え抜いたのだ。列車はゆっく りとホームに滑り込む。ホームに佇む酔っ払いもカップルも、緩やかに流れる時の象徴でしかなかった。俺は死ななかったのだ。

 

Phase 3 静止した時の中で

電車がホームに吸い込まれていく。この駅のトイレはどこだったか。そうだ、改札の前だ。ということは階段を登って走れば大丈夫だ。と考えたところであることに気がつく。

腹、痛くない。

い つの間にかすっかり腹痛が消え失せていた。まるで嘘のように腹痛が消え失せている。お化けなんてなかったのだ。あれは青春時代の情熱のようなものだったの かもしれない。大人なんて全部汚いんだ。俺はあんな大人にはならない、という思いなのかもしれない。ハシカみたいなもんだ。

そうなると人間ってのはつくづく欲深い生き物で、よこしまな考えが頭をもたげてくる。

降りなくても大丈夫なんじゃ?

さっきまではこの腹痛のためならなんだってすると思っていたが、消え失せてしまった今となってはその情熱もなんだったのだろうかという感じだ。そもそもこれは最終電車だ。降りてしまっては次はない。痛くもない腹のために降りるなんて愚の骨頂である。

終電車を意図せず途中下車してよいのは、やんごとなき腹痛の時と、けっこう田舎っぽい垢抜けない感じの新入社員のショートカットの女の子のチューターに なってしまって、やれやれだぜって感じで仕事上の会話しかしてこなかったのだけど、ある日、会社の飲み会の帰りに方向が同じって言うんで最終電車に乗って 「わたし阿佐ヶ谷です」「おれ大月」とか言いながら2人で帰っていたら、俺酔ってたのかな、自分の身の上話しちゃってさ、好きだった女に裏切られた過去、 友にも裏切られていた、そんな話を少し笑いながら自虐的に後輩に話して、もうしばらく恋とかいいかなって笑ったら、一緒に笑ってくれると思ってた後輩は泣 いてて、先輩、私じゃダメですか、とか顔を真っ赤にして俯きながら消え入りそうな声でいうんですよ、僕のスーツの裾を引っ張ってきて、まもなく電車は阿 佐ヶ谷駅に滑り込んで、私ここなんです、降りなきゃ、って手を離してね、降り際に言うわけですよ、走る電車から飛び降りるのって怖いですよね、恋ってそう いうもんだと思います、勇気を出して飛び出しても怪我をしたりする、でも、駅に停まってるときに降りるのはそんなに怖くない、私と一緒に降りてみません か、先輩、って言われたときだけだ。

とにかく腹が痛くないのに降りるなんてありえない。

またもや閉まるドアを電車の中から見守った。

 

Phase 4 思い出の優しさ

なんでこんなに愚かなのか。あんなものはまやかしの安堵なのである。過去何度も繰り返してきたじゃないか。どうして学習しないんだ。1分前の自分を殴り倒して無理やり電車から引きずり降ろしたい。そう、腹痛だ。

も う何度となく繰り返されてきたことだ。駅に到着し、安堵するとそれに呼応するかのように腹痛が消え失せることがある。ほっと安堵し、このままいけるんじゃ ないかと思うが、それは幻影なのだ。現に電車が駅を出た瞬間から成人式で中学ごとに揃いの紋付袴を着る集団みたいに腹が荒れている。荒れる成人式ならぬ荒 れる腹である。

どうして過去に何度も繰り返してきた過ちを繰り返すのか。「過ち」と「過去」おなじ漢字だね、過去とは過ちのことなのだよ、そう思い出は優しすぎるから、僕らはいつもその優しさにすがってしまう。とにかく腹いてえ。

 

Phase 5 屁で散らす

腹痛初期は錯乱状態にあるが、長い時間腹痛状態にあるといくばくか冷静になってくる。そうなると具体的な対策に乗り出す気持ちになってくる。

これまでは腹が痛いだとか過去が優しいだとか、かわいい後輩が着痩せするタイプとか後ろばかり振り返っていたけど、前を見る。こういった危機的腹痛の時に誰もが通る手法、小粋なニューヨーカーですらスタバのカップ片手に実行する解決策、それが「屁で散らす」である。

個人差はあるが、腹痛の要因を物質の状態で分けた場合、やはり腹痛の危機レベルが高いほど固体と液体が占める割合が大きい。差し込むような痛みの場合はその中でも液体の占める割合が高く、これは堰き止めるのにも苦労する。

しかし、必ず気体も一定量存在する。この気体の素晴らしいところは、液体や固体は噴出した場合、大惨事を伴うが、気体はそうではない。まさにダブルミーニングで空気に溶け込んでくれるのだ。

腹痛の上級者になると、腹痛の感じからどれだけ気体が含まれているかを瞬時に察する。そして、それが最後の部分で明暗を分けることも多々あることを経験から熟知している。

「今回は3発、それ以上はダメ」

許容値を瞬時に悟る。何があってもこれ以上は使ってはいけない。屁で散らすのは人外の力を借りるようなものなので、あまりに使いすぎるとヒトに戻れなくなってしまう。今回は3発までだ。

その3発も、ドッカンドッカンと出してはいけない。静かに、厳かに、まるで京都の朝のように出さねばならないのだ。仄かな芳香だけを残す、それが礼儀なのだ。

静かに3発、気体で散らし、幾分か楽になる。まだいけそうなんじゃないかという気分になるが、それは良くない。あまりの楽さゆえに際限なく手を出しそうになるが、魔の手はすぐそこにまで迫っているのだ。安易に屁に逃げるのダメ、ゼッタイ!

周りに滞留しているであろう気体を散らすため、すこし体を左右に揺らして気流を作る。よし、いけそうだ。このまま途中の停車駅では降りずに目的地まで行くぞ。

ここまで我慢したのだ。途中で降りるという選択肢は封印した。勝つか、負けるか、生き死にの勝負に身を投じていく僕に迷いはなかった。絶対に勝ってみせる!

 

Phase 6 相対性理論

腹痛に関してはどうしても感情論が優先されがちだ。やれ根性だとか、やれ死ぬ気で頑張るだとか、そういったものを一切排除して、理論的に腹痛を考える。

ここまで腹痛に耐えた時間が13分、終着駅まで12分、半分よりやや過ぎた辺りだ。ここまでの我慢と同じだけの我慢で済むかというとそうではなく、時間の経過と共により深刻度を増していくわけだからその変化は指数的と考えてよい。

即座に式をたてて関数を微分する。ふむ、つまり12分後に目的駅に到着するころには今の3.86倍の便意と腹痛を抱えている。そこで、先程3発の屁で散らした分を考慮する。

「こりゃあ、最後は表面張力の戦いになるな」

理論的に考えているようで完全に錯乱している。表面張力で耐え切れるわけがない。それはもう、漏れてる。


Phase 7 僕より困っている人

幸せや不幸なんてものは多くの場合が相対的な指標に過ぎないのだ。絶対的な幸せも不幸も存在せず、どんなに恵まれない環境であっても当人が幸せなら、恵まれていて不満がある人より幸せなのだ。

つまり、今僕は苦しんでいる。不幸だ。けれども自分より苦しくて不幸な人はもっといるはずだ。その人のことを考えれば僕の苦しみなんて屁みたいなものだ。いや、屁はもう使ったので実なんだけど、とにかく自分より苦しんでる人のことを考えれば楽になるかもしれない。

総 務省の統計によると、年間でウンコを漏らす成人は24000人にのぼるらしい(※ウソ)。つまり一日に65.7人がウンコを漏らす。今日はもう終わりに近 い。ということは既に64人は漏らしていることになる。その人たちの苦難、悲しみ、絶望、それらを考えると自分の腹痛など屁みたいなものである。いや、屁 はもう使ったから実なんだけど。

と考えると、幾分か腹痛が楽に、ならねえ。もっと困ってる人、もっと苦しんでる人。アフリカで飢餓に苦しむ人、5秒に1人失われる幼い命、それらを考えて胸を痛めるけど、やはり腹痛は治まらない。もっと苦しんでる人、もっと困っている人、今の僕より確実に困っている人。

「エメラルド~♪」

「まさか、ベッキー!?」

「ちがうよ」

「あ、歌ってるからベッキー♪#名義のほうか」

「そうだよ」

ベッキーも大変?」

「うん、ベッキーも大変だけど、自業自得なとこあるし。腹痛も大変でしょ?」

ベッキーに比べたら大したことないよ」

「そうかな?まあ、ベッキーも頑張ってるんだから頑張ろうよ!」

「そうだね、この腹痛を乗り越えたらいっぱいワガママきいてもらおうっと(笑)」

「こらっ!!(笑)」

「脱糞が卒論!」

「卒論!」

「センテンス?」

「スプリング!」

よし、ベッキーを思えばこんな腹痛、なんてことは……はらいてえええええ、もうダメだ、全然ダメだ。でるっ!我慢できないっ!完全に錯乱状態!これより我ら、修羅に入る!

 

Phase 8 奇跡も、魔法も、あるんだよ

「ほむらちゃんごめんね・・・私ウンコ漏らす」

「まどか…そんな…」

「私やっとわかったの。叶えたい願い事を見つけたの。だからそのためにこの命を使うね」

「やめて!それじゃあ今まで私は何のために?」

「ごめん本当にごめん、これまでずーっとずっとずっとほむらちゃんに守られて、望まれて来たから今の私があるんだと思う…ほんとにごめん…そんな私がやっと見つけ出した答えなの、信じて、絶対に今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから…」

「まどか…」

「数多の世界運命を束ね因果の特異点となった君ならどんな途方もない望みだろうと叶えられるだろうね」

「本当だね?」

「さあ、鹿目まどか、その魂を対価にして君は何を願う?」

「私、すべての腹痛を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての腹痛をこの手で…」

「その祈りは!そんな祈りが叶うとするならそれは時間干渉なんてレベルじゃない!因果律そのものに対する反逆だ!はっ!君は本当に神になるつもりかい?」

「神様でもなんでもいい、今日まで腹痛と戦ってきたみんなを希望を信じたみんなを泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる。変えてみせる。これが私の祈り。私の願い…。さあ、叶えてよ。インキュベーター!」

「鹿目さん。それがどんなに恐ろしい願いかわかっているの?」

「たぶん」

「未 来と過去と、全ての時間で、あなたは永遠に腹痛と戦い続けることになるのよ。そうなればきっと、あなたはあなたという個体を保てなくなる。便も固体ではい られない。死ぬなんて生易しいものじゃない。未来永劫に終わりなく、腹痛を滅ぼす概念として、この宇宙に固定されてしまうわ」

「いいんです。そのつもりです。希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、私、そんなのは違うって、何度でもそう言い返せます。きっといつまでも言い張れます」

「あなたは希望を叶えるんじゃない。あなた自身が希望になるのよ。私達、全ての希望に」

「あなた達の祈りを、脱糞で終わらせたりしない!あなた達は、誰も呪わない、祟らない。便意はすべて、私が受け止める。だからお願い、最後まで、自分を信じて」

「もう誰も恨まなくていいの。誰も、呪わなくていいんだよ。そんな姿になる前に、あなたは、私が受け止めてあげるから」

「まどかあぁぁぁッ!」

 

Phase 9 私の最高の友達

Phase 10 戦争を知らない子供たち

「ここは?」

「よく来たわね、ここは便意の泉。便意で苦しんだ人が辿りつく場所よ」

「君は?」

「私は便意の精霊。世界中の人々の便意が具現化した存在だと思ってもらって構わないわ」

「僕は死んだの?」

「死んでないわ」

「漏らしたの?」

「漏らしてないわ」

「どうしてここに?」

「さあ、私にも分からない」

「君に分からないのなら僕にだって分からないね(笑)」

「そうだね(笑)」

「でもこれだけは言える。あなたは立派に戦ったわ」

「そうでもないよ。ただ漏らしたくなかっただけさ」

「これを見て」

「これは?」

「戦いの歴史、人類が歩んできた、戦いの歴史。醜く強欲な戦いの歴史。戦争の歴史…」

「みたくないよ、そんな残虐なもの」

「そう、誰も見たくないの。嫌な物は誰だって見たくはない」

「それは当たり前だよ」

「それと同じで、ウンコを漏らしたくて漏らす人なんていないわ」

「うん、だから我慢した」

「人のものを奪うために戦う人、自分のものを守るために戦う人、どちらも戦う人」

「ウンコを我慢して戦うことも戦争ってこと?」

「そう。綺麗ごとじゃない。そこには悲しいことも、苦しいことも、涙や死だって存在する」

「分かってるよ」

「そう。分かって戦う。それが優しさだから」

「うん」

「そろそろ時間だね」

「そうだね」

「もう少し戦ってみて、頑張って。君ならできる」

「自信ないけどやってみるよ」

 

 

 

静かに電車がホームへと吸い込まれていく。夜の闇は全てを飲み込んでしまいそうだ。奇跡は間に合った。この終着駅に到着するまでにすんでのところで耐えているのだ。皮肉にも冷静だった頃の予想通り、表面張力で耐えている状態とはいえ、間に合ったのだ。

ホームに立つ人はいない。もう最終電車なのだ。乗り込む人などいないだろう。ただ降りる人、電車から人が排出されるだけだ。そう、それはまるで便のように。

僕は勝ったのだ。途中何度か危うい場面もあったが、今はすんでのところで耐え切っている。ゆっくりと、まるで寝入るように電車はその動きを止めていく。

ドアの向こうにエスカレーターが見える。一分一秒、表面張力の戦いになることは見越していたので、こんなこともあろうかと事前にゆっくりと車内で移動し、到着駅でエスカレーターが目の前に来るように見計らっていた。

電車が大きくため息をつき、ドアをゆっくりと開ける。すぐにでも飛び出していきたいが、そんなことをしたらニュルンベルクといってしまうので、ゆっくりと生まれたての小鹿のように歩く。

うわああああああああ、これ下りのエスカレーターしかねえじゃねえか!おめえ、今最終だぞ、降りてくるやつなんていねえだろ!全部上りにしとけや!

遠 回りして上りのエスカレーターに辿りつく、登りきればすぐにトイレだ。脳内で十分にイメージトレーニングをする。上りきって24歩北に進み、東に進路を変 えて18歩、少し小さい段を上ってトイレ。ここまできたらベルトを緩め始めてもいい。そこから個室に入り鍵を閉め、一気にズボンとパンツを下ろす、これで ターンエンドだ!

イメージどおりに進む。エスカレーターを乗り越え歩を進める。ここまできた。ついにここまできた。様々な思いがフラッシュバックする。ついに、トイレの門をくぐった!

 

Phase 11 奇跡は間に合わない

トイレの個室が満員だった。