競馬に負けた夜は

「恋をした夜は全てが上手くいきそうで」そう歌ったのは江口洋介だっただろうか。恋をした日の高揚感、浮かれ具合、まるで全てが自分のために成立しているような根拠不明の万能感、正体不明の無敵感、これらを的確に現した良い歌だと思う。

それとは逆に、「競馬に負けた夜は全てが上手くいかなさそうで」そう歌ったのは僕だった。競馬に負けた日の焦燥感、沈み具合、まるで全てが自分を貶めるために成立しているような被害妄想、正体不明の無力感、全てがダメである心情を綴った歌だ。

東京競馬場で僕は茫然と立ち尽くしていた。金が一円もないのである。正確に言うと43円くらいあったが、何の役にも立たない。焦っていろいろとポケットとか探してみるが、やはりどこにもそれ以上の金はない。ATMで金を下ろす、と意気込んだものの、よく考えたらマニアックな銀行を使っているので日曜日のこの時間はお金を下ろせない。それでも家に帰る電車賃くらいSuicaに入ってるだろう、今はスマホのお財布携帯みたいなところにかざせばチャージされている残額が分かるアプリがあるので祈るような気持ちで残額確認してみる。

「28円」

無慈悲にもそう表示された。絶対に電車に乗れない。ここまできてはじめてとんでもない事態であることに気が付いた。

「これは歩いて帰るしかないぞ」

小さく呟いた。僕は意味不明な使い方しかしないので自分を律する意味でもクレジットカードを1枚も持っていない。これは恐ろしいことになった。どんどんと怖くなってきた。

今これを読んでいる人は思うだろう。競馬でそんなに負けるまで賭けるなんてバカなんじゃないの?普通は帰りの電車賃くらい残しておくでしょ。至極まっとうな意見だ。もちろん僕にだって言い分はある。なにもこんな状況になりたくてなったわけじゃないんだ。

その日は「安田記念」という大レースのある日だった。東京都府中市にある東京競馬場でそのレースは行われた。僕はこの安田記念というレースが好きだ。この時期の東京競馬場は5週連続GIデーといって、5週間連続して日曜日に大レースが行われる。その最後を飾るのが安田記念だ。その前の週には「日本ダービー」という競馬関係者すべてが熱狂する超絶大レースが開催される。それが終わり、しめやかに行われるイメージすらあるこのレースが好きなのだ。

安田記念とはマイルレースである。つまり1600mという競馬のレースでは短距離の部類に入る距離設定で行われる。僕はこの距離設定がなかなか好きでダイナミックなレース展開と駆け引きにいつも興奮してしまうのである。

その日も朝から高揚感が強かった。競馬場では朝から12レースほどが行われる。だいたい30分に1レースくらい開催されると思ってもらえばいい。安田記念などのその日のメインとなるレースは11レース目であることがほとんどだ。つまり、それまでに10レースあるのである。

お目当ての11レースまでじっと身を潜めて待っている、そういう考えができる人はたぶん幸せな家庭を築けるのだろうと思う。携帯の通信量も計画的に使うことができて、まだ2週間もあるのにもう速度制限に達した、出先でエロ動画見たからだ、とはならないはずである。

多くの競馬ファンは、それまでの10レースでちょこちょこ当ててメインレースにぶち込む資金を増やす、という考えに至る。最初はちょこちょこと小銭程度を賭けるだろう、けれどもメインレースが近づくにつれて様子がおかしくなってくる。

そのちょこちょこ賭けてるときに、まったくノーセンスというレベルで当たらないのならいいのだけど、微妙に惜しい感じでハズレてしまうのである。例えば、1着と2着を当てる馬券を買っているのだけど、レース結果は1着と3着だった、みたいな。もちろんハズレ馬券であることは変わらないのだけど、なんかいけそうな気がしてくる。

資金が減ってきた、でもなんだか惜しい展開が続くのでそろそろ当たるのではないか、どんどん大胆になっていく自分がいる。しかしながら、やはり当たらない。資金がどんどん乏しくなっていく。そうなってくると人間って本当に愚かなもので、事前にいろいろ予想してた要素を全て放り投げて、最も手堅い馬に多額の金を賭けるという結論に至ってしまう。

つまり、当たりに飢えているのだ。とにかく当たりが欲しい。当たったという事実が欲しいのだ。もちろん、そういった手堅い馬はみんなが賭けるので当たったとしても倍率が低い。満足いくリターンを得るにはリスクを伴わなければいけない。賭ける額がどんどん上がっていく。結果としてそれも外してさらに資金を失う。

いよいよ、予定していた額より大幅に目減りした軍資金でメインレースの安田記念を迎える。当たりにも飢えている。僕なりにいろいろと展開予想などしていたが、これはもう絶対の信頼度を誇る馬に賭けるしかないんじゃないか。そんな思想が頭の中で生まれては消えていく。

「モーリス」という馬がいた。完全に絶対の信頼度を誇る馬である。昨年の安田記念の覇者にして、短距離レースのレベルが高い香港のレースでも連勝をしている圧倒的馬だ。マイルではほぼ敵なしと言っても過言ではない。こいつに全てぶち込むしかない。信頼度が違う。

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そう思った瞬間、過去の思い出が走馬灯のように頭の中を流れていく。

同じような思想に至り、「ルーラーシップ」という馬に電車賃を残して全財産をぶっこんだことがあった。あれはどうなったか。そのレースの映像をご覧いただきたい。

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これである。ぶっこんだ馬がゲートでナポレオンが乗っている馬みたいになっとる。もちろん外れた。

同じような思想に至り、「ゴールドシップ」という強い馬に電車賃を残して全財産ぶっこんだこともある。そのレースの映像をご覧いただきたい。

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こうなって

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こうだ。かすりもしなかった。

あぶないあぶない。モーリスにぶっこんだらまた同じようなことが起こる。なんだか直感めいたものが走った。全財産をぶっこむべきではない。モーリスに全てを託すべきではない。

けれども、そこで新たな考えが生まれる。モーリスはシップじゃないから大丈夫なんじゃないか。過去にぶちこんで全財産を失わせてくれたのは「ルーラーシップ」「ゴールドシップ」、奇しくもどちらもシップだ。完全にドロ船だ。ここで「モーリスシップ」とかなら躊躇するが、モーリスは大丈夫なんじゃないか。よし、モーリスを信じよう。もう他は何も見えない。

けれども、まだ全財産をぶちこむ考えには至らない。負けたとしても12レース目もあるわけだし、電車賃とご飯を食べる金、それくらいは残しておこうという思想が働く。そこそこ金を残した状態でモーリスを信じよう、そう考えながら馬券を買うマークシートを記入しているのだけど、どこからともなく声が聞こえてくる。

「それって信じてるって言えるの?」

「だ、だれだ!?」

辺りを見渡すが、飲んだくれているオッサンと、ちまちまと金賭けていちゃいちゃしているしゃらくさいカップルしかいない。幻聴か!?いや、これはまさか神のお告げではないだろうか。

例えば、熱血漢の上司がいて、僕のことを信頼してプロジェクトを任せてくれたとしよう。そこまで信頼してくれるなんて頑張らないといけない、普通の人ならそう思うはずだし、ちょっと頑張って普段以上の力を発揮したりする。けれども、その上司が信頼してるからな!と言いつつ、全然信頼していなくて、別のやり手の社員にも同時進行で同じことを頼んでいたらどうだろうか。

もちろん、バックアップを立てるってのは大切なことだが、僕としてはなんだ、いうほど信頼されてないんだな、ってなって実力以上の力を発揮することはないと思う。それと同じで、モーリスとしては、信じたからな、モーリス、と言いつつ電車賃も飯代も、なんならちょっと酒買う金も残している男がいたとしたらどうだろうか。あまり信じられていないと思うかもしれない。

過去にルーラーシップとゴールドシップのドロ船コンビも、信じたといいつつ微妙に電車賃を残している僕のことを見抜いていたのかもしれない。それでゲートであんなことになったと考えることもできる。そう、思いは馬に伝わるのだ。

いくしかない。何も残さない。俺が通った後は草木一本生えさせやしない。徹底的にやってやる。訳の分からないことを呟きながらマークシートを埋めていく。この時に頭にいっぱい端子つけて脳波みたいなのを専門家が分析したらけっこう珍しい波形とか取れると思う。とにかく訳の分からない精神状態でマークシートを埋めていく。それでもやはり躊躇するのか、最後の金額を書き込むところでピタリと止まる。

今なら引き返せる。やはりやめておくべきでは。電車賃すら賭けるなんて狂気の沙汰だ。やるにしてもある程度は残して、悶々と葛藤していると頭の中に声が響く。

「ぶちかませっ!」

海南戦において、桜木の前に立ちふさがるナンバーワンプレイヤー牧。ベンチに下がっていた流川が思わず立ち上がり叫んだ。あのクールな流川が、あの桜木と犬猿の仲だった流川が叫んだのだ。スラムダンク屈指の名場面。僕の頭の中でも流川が叫んだ。

「流川クン……」

最後のマークシートを塗りつぶす。馬券が出てくる。もう後戻りはできない。東京競馬場にGIのファンファーレが鳴り響いた。いこうぜ、モーリス、流川。

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歩いて帰ることになった。

家までたぶん5時間はかかる。

競馬に負けて歩いて帰ってるとなあ、街ゆく人がすげえ眩しいんだ。むっちゃ輝いてるんだ。コンビニで買い物してる人、庭の手入れしている人、デートしている人、車を洗っている人、みんなたぶんモーリスなんて知らない。だから幸せそうなんだ。

すれ違う女の子なんて、絶対に堅実にお金ためて友達とセブ島とか行ってるに違いない。僕もそういう生き方がしたかった。でもな、僕だって海外旅行くらい行ったことあるんだぜ。そう、香港に行ったことあるんだ。2時間くらい歩いて公園のベンチに座り少し休憩しながら昔のことを思い出す。

あれは2011年のことだったなあ。カレンチャンって馬がいたんだ。俺はこのカレンチャンのことが好きでなあ。出走するたびに馬券を買いまくって、カレンチャンも頑張ってくれてなあ。すげえ嬉しかった。

そんなカレンチャンがスプリンターズステークスっていう大レースに出ることになった。当然、カレンチャンを信じて馬券を買うべきなんだけど、僕は買わなかった。カレンチャンはさすがにこの大レースを勝つ器じゃない。そう、彼女のことを信じなかったんだ。

結果はどうだったか。カレンチャンが勝った。あのカレンチャンがついに大レースに勝利した。僕の頬を伝う涙は嬉し涙ではなかった。彼女を信じてあげられなかった自分への自責の念。それしかなかった。そこで決意する。彼女が出るレースは全て彼女を信じよう。どこまでも応援に行って彼女を信じよう。それは贖罪の気持ちだった。

そんな折、カレンチャンの香港スプリント挑戦が発表される。なんと、彼女が世界の舞台へと羽ばたいて香港で戦うというのだ。つまり決意した僕としても、こういう展開になる。

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香港にきたーー!

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香港の夜景はすげえ綺麗で、なんか恋をした夜みたいな、全てが上手くいきそうな気分になってくる。

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そしてついに、レースが開催されるシャティン競馬場へと向かう。そこで馬券を買うのだけど、もちろんカレンチャンに賭けるのは当たり前、けれども、どれだけ買うのかという部分で葛藤が走る。

普通に考えて、ここは海外だ。香港だ。全財産なんてバカなことをしてはいけない。でも、それで果たしてカレンチャンは僕のことを許してくれるだろうか。あの日、カレンチャンを信じなかった僕のことを許してくれるだろうか。きっと許してくれない。

帰りのは飛行機チケットは持ってる。全財産失っても日本には帰れるだろう。ならばいくしかない。それでも馬券を買うときは少し躊躇する。やはり海外で全財産とかやめたほうが。お土産すらかえやしない。止めておいた方が。すると頭の中で声が鳴り響いた。

「ぶちかませっ!」

「流川クン……」

いくぜ、カレンチャン!信じたからな!

 

レース結果

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なんでこんなことに。

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香港でホテルまで歩いて帰る羽目になるとは思わなかった。

あの日の香港と同じことが起こっている。東京競馬場からの帰り道、辺りもすっかり暗くなった。家までまだまだ距離はある。全ては流川が悪い。

「競馬に負けた夜は全てが上手くいかなさそうで」

そう歌いながら江口洋介の「恋をした夜は」の歌詞を思い出す。あの歌の最後は「信じてる」の連呼で終わるのだった。きっと競走馬を信じることは恋をすることなのだろう。そそいてその信頼が裏切られる夜もきっとくる。なかなか上手い歌詞だと思いつつ、また夜の闇の中を歩きだした。もう競馬はやめます。