人のデブを笑うな

言うに及ばず僕はデブなわけなんですけど、君たちは僕のデブを嘲笑うわけじゃないですか。手の画像を映し出しただけで「手がデブ」なる謎の価値観を持ち出して僕をデブだと嘲笑う。それはあまり良くない行為だとわかっているか。

なんというんでしょうか、まず前提として、僕は公然とデブと言える程度のデブなわけなんですよね。こう言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、まだデブと言える程度のデブなわけなんです。デブと言える程度のデブ、これは正確にはデブではない。

これが深刻なレベルのデブだったらどうなのか。尋常じゃないレベルのデブだったらどうか。たぶんですけど、君たちは僕に向かってデブと言うことはできない。ちょっと気を使って、これはデブと言ってはいけないみたいな空気を読んだりする。それどころか、君たちは僕の目を見て話せない。視線そらして早口でごにょごにょいうだけだ。ちゃんちゃらおかしいわ。

結局、僕をデブと罵ることができるのは、僕が程よいデブだからだ。人はそれが深刻なレベルに達しているとそれを指摘して嘲笑うことはできない。例えば頭髪がやや薄くなってきた人を、ちょっと薄くなってない?と弄ることはできるが、完全に散ってしまった人の頭髪を弄ることはできない。それはもう、人の心を失った獣だ。君たちはまだ獣ではない。それをしてしまうともうヒトに戻れなくなってしまう。

言わせてもらうと、お前らは僕のデブ具合が結構好きなはずだし、ちょっとアリかもって思ってるはずだ。つまり、僕をデブだと罵る行為はラブ宣言に近い。僕をデブデブと罵る度に、お前の程よい肉付きが肉感的で好きだ、俺が女だったら抱かれてる、と言ってるに過ぎない。

ただ、皆さんの感覚は逆で、程よいデブ、笑いやすいところを笑っているつもりかもしれませんけど、それは見当違いですからね。本来なら、シャレにならないレベルの人のほうが突き抜けててそんなに気にしないですけど、程よいレベルの人のほうがセンシティブで敏感です。その辺の認識のずれは結構深刻ですよ。

だいたい、なんていうんですかね、笑えるレベルのデブを笑う。それって短絡的じゃないですか。皆さんが僕のデブを笑う、それは別に構わないんですけど、じゃあ、笑えないレベルだったらどうするのかって話ですよ。僕が時の権力者だったら、僕のデブを笑えないようにしますよ。

まず、僕の体重が増えたらテレビにテロップが出るようにしますね。これはイライラしますよ。とてもじゃないが笑えない。

だいたい、夜中に我慢しきれなくなって炊飯釜開けて米食うんですけど、そしたら体重増えますわな、その瞬間、NHKと民放全局にテロップが出ます。

「ティローン、ティローン」

「pato氏、深夜の米により体重1kg増」

ってテロップでます。深夜アニメを録画している君たち発狂ですよ。

お昼ご飯もけっこうラーメンとチャーハン、とか食べますから、まあ体重増えますよね。そうなると昼でも構わずテロップです。


「ティローン、ティローン」

「pato氏、お昼の暴飲暴食により体重2kg増」

昼下がりのマダムもイライラですよ。

たまに食い放題とか行ってすごいことになりますよね。そしたら画面がL字ですよ。お前らの大好きなアニメ、L字、そこに「皿にローストビーフを18枚盛った」とかずっと実況の文字が流れてる。

「今日はとことんまでいくぜ!」

同じ食い放題でも完全に限界突破するときありますから、そうなるともうL字どころではない。残念ながら君たちが見たいアニメは放送中止だ。安藤さんが出てきて、報道センターがすげえざわついてる感じになる。現地から生中継も入る。

「デザートを取りに行き、終わるかと思いましたが、また寿司を取りに行きました。まだまだ体重は増えそうです。また動きがありましたらお伝えします」

スタジオには急遽呼び出された慶応大学の食い放題の権威みたいな教授が来ていて

「まだまだ高カロリーな食材を残してます。8キロ増くらいいくのでは?」

みたいなコメントを残す。

もうこうなったら僕のデブを笑えない。頼むからこれ以上太らないでくれと懇願するはずだ。

結局何が言いたいかというと、皆さんは僕のことをデブデブと罵ったり嘲笑ったりしますが、まあ、それは愛情表現として分かるんですけど、それは笑えるレベルのところを笑っているにすぎないということなのです。そう、これまではね。

つまり、また結構太って笑えないレベルのデブになってきていて、女子社員が、「あのひとちょっと笑えないレベルのデブじゃない?」って噂しているのを聞いたからです。

ついに僕はシャレでは済まないレベルのデブになってしまった。あまりに焦って取り急ぎ筆を取った次第であります。

「人のデブを笑うな」

そう言いましたが、できれば笑えるレベルのデブでありたい。笑ってほしい、そう思うのです。

誕生日を緑色の水槽に詰め込んで

誕生日はめでたいものなのか、という点は十分に議論の余地がある。

例えば幼い子供が年齢を重ねるということはそれはそれで嬉しいものである。無事に一年を過ごすことができたという点で誕生日を祝うことになんら疑問はない。幼子の誕生日を祝う行為は、親自身も無難に一年育て上げたと喜び、確認する意味合いが強いのではないか。

ただ、ある程度成長した段階、それこそ十代後半くらいになると様子が一変する。別にそれくらいになればほっといても1年生きる。無事もくそもない。確認もくそもない。もうこれくらいになると誕生日にかこつけて自分に注目してほしい意味合いが強くなる。

さらに中年になるとどうだろうか。年齢を重ねると体のいたるところにガタがくる。それは年を重ねるごとに深刻になるだろう。そういった不具合の発生確率が上がっていく誕生日を祝う行為は皮肉でしかない。工場で、不良品の発生確率が上がったら皆でお祝いをするようなものだ。

これが80歳とか90歳、場合に100歳だったらどうだろうか。刻一刻と死が近づいてきている。まるで死神が階段を上るように誕生日ごとに死というものが現実的になってくる。祝っている場合ではない。ただし、この辺になると今年も無事に生きられた、という確認の意味合いも強くなってくる。

結局、誕生日なんてものは幼子のそれと、死にかけの老人、それらが1年間を無難に乗り越えられたと確認する以外はほとんど無意味だ。ただ単に誕生日にかこつけて自分に注目してほしいだけじゃないか。

何歳であろうと年齢を重ねることは喜ばしいことじゃん、それを祝って何が悪い、という意見もあると思うがそれも理論が崩壊している。法律的には年齢を重ねるのは誕生日の前日だ。ならば誕生日前夜を盛大に祝う必要があるのだ。やはり、誕生日を祝うという風潮は、もうあまり意味をなしていないように思うのである。特に、僕のようなオッサンは。

あれは何年前だっただろうか、僕の誕生日に事件は起こった。その日は労働時間の調整で遅く出社することになっていた。時間が違うだけでこんなにも風景が違うのかと新鮮な気持ちで職場に向かうと、なにやら様子がおかしい。ひっそりとしている。まるで全員が死んでしまったかのようにオフィスから生気が感じられない状態だった。

今日は休みだったかな?そう思いながらドアを開けると、なにやら歌が聞こえてきた。

「ハッピバースディトゥーユー」

囁くように歌が聞こえる。その声量は徐々に増えていき、合唱へと変貌していった。サプライズパーティーだ。そういえば、僕の誕生日だ。おいおい、そういうのよしてくれな、って思いつつ、僕はある一つの事件を思い出していた。

「今日は魚たちの誕生日だよ!」

その絶望の言葉がずっと頭の中でこだましていた。

そう、あれは小学校の時だった。誰かが家でいらなくなった魚を教室に持ってきたんだ。みんなで飼おうって言いだして水槽に周辺機器まで全部セットで持ってきて、担任の先生までテンション上がって、即、飼うことになった。

それに困ったのは僕で、この教室には生き物がいない、という打算の元、電撃的に生き物係に就任したのに、その任期途中で本当に生き物が来てしまったのだ。ただ、あまりに存在感がなかったのでみんな僕が生き物係だということを忘れていて、世話を押し付けられることはなかった。本当にありがとうって伝えたい。

最初はクラスのアイドル的存在だったその魚も、次第に興味が薄れてきて放置されるようになってきた。ちょっと水槽の中も汚れてきて、中には何がいるのかもよくわからない状態になっていた。

長期休暇に入る時だった。休みの間は学校に入れないので誰かが水槽ごと持って帰って世話をしなければならないという話が持ち上がった。当然ながら、あんな得体のしれないコケの塊みたいなもの持って帰りたくない。

そこで誰かが僕が生き物係だったことを思い出した。あれよあれよという間に拒否する間もなく、その水槽を押し付けられうことになった。あまりに重いので親に電話して車で迎えに来てもらったのをよく覚えている。

魚の世話をした。生き物係の職務を全うすべく、必死で世話をした。魚が死んだ。すげえやべえなって思った。みんなの興味の対象ではなくなった存在とはいえ、殺したとなると完全にやり玉に挙げられる。どうするべきか、正直に殺してしまったと申し出て学級裁判にかけられるべきか。

迷った僕は、知らないふりをすることにした。どうせ誰も見向きもしない水槽なのだ。黙っていたって覗き込むものはいない。もう空っぽで持っていこう。庭に墓をつくって丁重に魚を埋葬した後、中の水も捨てて空っぽの状態にした。

水槽の壁にはコケがびっしりと覆い茂っていたので傍目には空っぽとはわかりづらい。どうせ誰も蓋を開けて覗き込まない。これでいける。そう思った。ただバレたときに空っぽなのはあまりにバツが悪い。それだったら庭にあったカマキリの卵を何個か入れておこうって思った。これなら、何らかの間違いで魚がいないってバレても、すげえでもカマキリの卵じゃんって男子を中心に盛り上がると思った。

それから月日は流れて、僕の想定以上に水槽を覗かれることはなかった。このまま完全犯罪成立かと思われたある時、僕すらもその存在を忘れていたとき、魚を持て来た女子が言い出した。

「今日は魚たちの誕生日だよ!私が持ってきた魚の誕生日なんです。みんな祝いましょう」

余計な事を言いやがる。普段見向きもしないくせに、なぜか誕生日だっていって注目しやがる。みんなで駆け寄ったコケだらけの水槽はまさにパンドラの箱だった。

むっちゃ小さいカマキリいっぱい出てきた。阿鼻叫喚の生き地獄。クラス中がパニックになった。女子とかむっちゃ泣いてた。担任は、人ってここまで半狂乱になれるんだ、と膝を打つほどの状態になっていた。

「ハッピバースディトゥーユー」

普段見向きもしないくせに誕生日だからって注目するとろくなことにはならない。オフィスに響き渡るハッピーバースデーの歌に、そんな記憶が蘇った。

僕はあの時忘れ去られた魚だ。普段は見向きされなく、存在すら忘れ去れれて苔生しているいるのに、誕生日だからって注目される。それはきっとろくなことにならない。

「ハッピバースディ」

でも悪い気はしない。きっと誕生日とは自己の確認なのだ。この年になると、別に無事に育ったことを確認されるわけでもなく、まだ生きていることを確認されるわけでもない。別にめでたいわけでもない。ただ、誕生日にかこつけて自分はここにいるよって確認するに過ぎないのだ。いうなれば祝ってくれる人たちは確認の手伝いをしてくれているのだ。そんなに悪い気はしない。誕生日を祝うことは必要なのだ。

「ハッピバースディディア、アカリさん」

「ハッピバースディトゥーユー」

サプライズパーティーは、僕と同じ誕生日のアカリさんのものだった。アカリさんは俺と誕生日が同じだったのか。おめでとう。

同じ誕生日なのに祝われないどころか、なぜかサプライズパーティーの計画からも外されるというとんでもない状態に。やはり誕生日なんて何もめでたくない。絶対のそのうち、このオフィスにカマキリの卵持ち込んでやる。

 

 

時間の矢をゴミ箱に投げ捨てろ

時間は矢のように過ぎていくから、失った時間はもう二度と取り戻せないから、だから僕らは無駄なく日々を生きていかなければならない。そう、目標に向かって前進、1秒だって無駄にはできない。漠然と生きている時間なんて僕らにはない。

こんな考え方は非常に暑苦しい。僕らはもっと時間を無駄にして良いし、まるでゴミ箱に捨て去るかのように無為な時間を過ごしていいのだ。1分1秒も無駄にしない生き方なんて、どうせそんなに長く続きはしない。言うなればつま先だけで椅子に座ったような態勢をとるトレーニングだ。時間の問題でへばってしまうだろう。

人生とはゲームなのかもしれない。ゲームクリアというエンディングが少しおぼろげであまり喜ばしいものではないゲームだとすると、例えば時間を大切にする生き方は、ゲームを買ったその日に攻略wikiを読みながら進め、隠しアイテムや収集アイテムを取りこぼさずに進んでいくやり方なのかもしれない。効率よく、無駄なくクリアに至るが、ゲームを楽しんだかといえばよく分からない。

隠しアイテムも取りこぼしまくり、収集アイテムも100個くらいあるはずなのに3つしか取れていない。それでもゲームの壮大なストーリーに没頭し、次はどうなるのかとハラハラドキドキしながらクリアできたとしたら、大変非効率だけどそれは随分と羨ましい。どちらかといえば僕はその無駄に生きることが好きなようだ。

ある電気街に、絵画の販売を生業とするギャラリーがあった。そこは小物を売っているような店内の雰囲気があり、比較的美人な女性が店先でポストカードを配っていて、軽やかに入店してしまいそうな雰囲気がある。差し出されたポストカードを手に取ると、なぜか女性は手を離さない。ポストカードを挟んで引っ張り合いみたいな状態になってしまう。

「実はいまアンケートやってまして、それに答えていただけますか?」

これが常套手段らしく、そのままギャラリーへと誘われる。ただ、1階の雰囲気は本当にポストカードなどを売っている雑貨屋みたいな感じなので警戒せずに入店してしまう雰囲気がある。

「二階へどうぞ」

アンケートに答え終わると、なぜか隠されていた階段が忍者屋敷のごとく登場してくる。ここからが本番だ。建物の2階は本格的ギャラリーとなっており、絵画(正確にはシルクスクリーン)が悠然と並べられている。

「では最初から見ていきましょう」

なぜか当たり前のことのようにお姉さんが案内してくるので、よくわからないと思いつつも絵の説明を受ける。

「この絵は作者の心情、そして社会の流れを表していて」

などと1枚1枚丁寧に説明される。大変勉強になるが、すごい長い。フロアには20枚くらい絵があって、それも大変がイルカがバシャーとなってるやつなので飽きてくる。一通り絵画の説明が終わると1時間くらい経過していたよう思う。やっと終わったと思っていると

「では3階へ」

なんと3階もあるらしい。3階にも同じくらい絵画が飾られていて、同じようにイルカがバシャーとなっている絵を説明される。だいたい1枚の絵画につけられている値段が70万円くらいなのだけど、値札にはなぜか「震災支援特別価格」と赤い字で書かれている。はたして売り上げの一部を義援金とするのか、その辺の説明は全くない。

また1時間くらいかけて絵画の説明が終わる。やっと帰れると思っていると、案内してくれたお姉さんが言う。

「では、今まで見た中で一番印象に残った作品を教えてください」

正直に言うと何一つ印象に残っていないのだけど、そうとは言えない雰囲気だ。適当にイルカがバシャーとなっている絵が気になったと言っておく。

「ではその作品のところまで移動しましょう」

2階のフロアに舞い戻り、その作品の前に立つとお姉さんが椅子を持ってくる。

「作品の前に座ってみてください」

「どうですか?」

どうもなにも、イルカがバシャーっとなってるね、くらいしか感じ取れない。でも芸術を理解しない不粋な奴と思われたくないので

「まるで絵が語りかけてくるようです」

とか適当に言っておく。

「そうでしょう、そうでしょう絵とは語りかけてくるものです。想像してみてください。この絵があなたの生活の一部にあることを」

この絵が・・・。我が家に・・・?

「ほら、想像してみてください。家の床、壁、家具、その一部にこの絵が飾られているのです。どうです。素晴らしいでしょう。芸術とは人生を豊かにしてくれるのです」

申し訳ないが、想像できない。飾るのも面倒で6畳のアパートの床に投げっぱなしで、そのうち残していたカップラーメンの汁がこぼれて大変なことになるんだ。

「ちょ、ちょっと想像できません」

僕がそう言うと、お姉さんは般若のような表情に変わった。

「それはあなたの人生に潤いがないからです。潤いがない人生は美しいものを美しいと感じられません。それはあなたが人生を無駄に生きているからです。自分の人生ですよ、大切に生きてください」

「はあ」

なぜ説教されているのかよくわからなかった。けれども、どうやらこのイルカバシャーを買う気にならないのは僕の人生に潤いがないかららしい。購入すればすごく素敵な人生を過ごせるようだ。

「どうです?人生を取り戻しませんか?」

なぜ僕が人生を失ったことになっているのかよくわからないが、購入しないとダメなようだ。

「でも、70万円はちょっときついですよ。無理です」

軽自動車が70万円、まあ必要なら買おうかなという感じだ。自転車が70万円、好きなマニアなら買うだろう。靴が70万円、狂気の沙汰だ。では、絵が70万円、申し訳ないが僕の価値観では買うかどうかの判断にすら至らない。頭おかしいんじゃないか。けれども僕がそう言うと、お姉さんは大きなため息をついた。

「お金なんていちばんくだらない理由ですよ。ヨーロッパの貴族が芸術を語る際にお金のことを心配しますか?」

しらねえよ、ヨーロッパの貴族じゃねえし、日本のデブだし。

「ローンだってできます。むしろローンにすべきです。いま、人生を無駄に生きてるのは日々の目標がないからです。ですが、ローンを返済しないとなったらどうでしょう?」

「……目標ができる」

「Yes!!人生を無駄なく生きることができるのです!さあ、どうですか?」

この時点で入店から3時間くらい経っている。もう買うまで返さないといった熱い魂を感じる。

「お言葉ですが、こうやって考えることで時間を無駄にしてますよね?だからダメなんです、だから人生に彩がないんです。私が見た限り、成功するお客様は決断が早い。絵を見て、あ、これ買おう、運命だから、って感じですよ。そういう方が人生を効率よく生きて成功するんでしょうね」

僕は決断した。時間を無駄にすること、それは結構大切なことだと、それを教えてあげないといけない。同時に、いかに自分がこのイルカがバシャーとなっている絵で適当なことを言えるのか試してみたくなった。ものすごい適当なこと言って時間を無駄に過ごしてやる。

「時間は無駄にしていいと思います」

僕がそう言うと、お姉さんの言葉が止まった。

「いや、なにもお姉さんの意見を否定してるわけではなく、この作品がそう言ってるような気がするんです」

椅子から立ち上がり、イルカがバシャーとなってる絵に近づく。

「この絵を見てください。この水しぶきのところ。本来、水しぶきによって後ろの風景が歪んで見えないといけない。なのにこれは歪んでいない。これがどういうことだかわかりますか」

本来、見えるべき歪んた風景が歪んでいない。これはつまり、AVのモザイクを表している。モザイクは映っていはいけないものを歪めることで発言する。しかし、青少年だった僕らにとってそのモザイクは邪魔だった。とにかく邪魔だった。だからみんなでお金を出し合ってモザイク除去機というのを通販で買ったんだ。すげえワクワクしたな、あのモザイクが除去できるんだ。氷高小夜のモザイクを除去できるんだ。ワクワクして届くのを待った。なんか手紙が来た。モザイクを除去する機械は規制されているので、誰にでも送れるわけではない。ここに示す口座に追加の金を払った人だけに送る、そう書いてあった。すぐに出資者を集めて会議だ。また追加の金を払うのか、それとも諦めるのか。答えは一つしかなかった。追加の金を払った。へんな機械が来た。配線が難しかった。それでもつないだ。AVを再生した。モザイクは消えなかった。そうやって生きたことが無駄だったか。きっと無駄だった。金も時間も情熱も、すべてが無駄だった。けれどもなんだろうな、やらなきゃよかったって思えないんだよ。なんだか、それすらも美しく、無駄に生きたことが僕らの勲章みたいになってる。効率よく生きることはイルカさ。この絵の中心に描かれ、躍動と生命を感じさせるイルカだ。でもな、この水しぶきの不自然さは俺たちのモザイク除去機を表してるんだ。それが無駄で必要ないものだったなんて言わせない!

「は、はあ」

それからしばらくして、「FLMASK」っていうとんでもないソフトが登場して、これは静止画のみに限った話だったし、「FLMASK」でかけたモザイクのみ対象ってものだったけど、なんと、モザイクが除去できたんだ。すげえなって思った。パソコンを使ってあの日の夢を実現できる。そう思った。これからの時代はパソコンだって思ったら、なんか怪しいAVを売るってメールが来たんだよ。12本で1万円だって謳い文句でカタログまでついてきてな。すぐに人数集めて相談よ。買うか買わないかの相談?よせやい、買うだろ。問題はどの12本をチョイスするかだ。もうちょっと喧嘩になった。絶対にこれは外せないって膠着状態になって、それだったら24本買おうかみたいになるんだけど、それでも絞れず喧嘩よ。結局、莫大な時間をかけてチョイスして金払った。空テープしかこなかった。だまされたんだ。無駄だった。金も時間も情熱も、すべてが無駄だった。けれどもなんだろうな、やらなきゃよかったって思えないんだよ。なんだか、それすらも美しく、無駄に生きたことが僕らの勲章みたいになってる。効率よく生きることはイルカさ。

「えっと、あの、そろそろ」

いいから黙って聞いて。それからしばらくして、YourFileHostってサイトが彗星のごとく現れて・・・

延々としゃべりましたよ。どれくらいしゃべったのか正確な時間はわからないんですけど、途中からお姉さん、毛先をクルクルしだしてたんで、まあ長かったんだと思います。

で、その系譜はXVIDEOSに受け継がれたわけだ。これが元気玉みたいなもので、なんていうのかな、ユートピアって呼ぶには程遠いのだけど、それこそ、世界中の男がそこで無駄な時間を過ごしている。でも、それが本当に無駄かっていうとそうではなくて、それはイルカが回遊するように、

っとここまで話したところで

「すいません、そろそろ閉店時間なので」

って言われました。

「話の途中なのでまた明日も来ましょうか?」

そういうと、

「いや、いいです」

って断られました。

僕らはきっと時間を無駄に、それこそ投げ捨てるように生きていい。1分1秒に追われ、効率よく生きて部屋に絵画を飾るより潤いはあるような気がする。

店を出ると、すっかり夜の帳が落ちていた。電気街の夜は早い。お目当ての店はもう店じまいしていた。何やってるんだろう、何しにここまで来たんだと思いつつも、時間は無駄にしてよいと思うのだった。またあしたこの電気街にきて、マニアックな店でモザイク除去機でも探してみようか。すごい時間の無駄だろうけど。

幸せの青い鳥

物事が想定内であるか想定外であるか、考えるとほとんどが想定内ではないだろうか。なぜならば、想定の中か外かで論じられるような物事は、そもそも想定されていることが多い。想定はされているが対処はされていない、そういった物事を想定外と呼んで責任転嫁していることがほとんどだ。

僕の職場に、すごく偏屈なご老人がいる。彼はものすごい怒鳴る人で、何らかのミスをした若手を怒鳴って泣かせることを生きがいとしているような人だ。その人の怒鳴りレパートリーの中に「こんなミス想定外だ。おまえはすげえやつだよ」というものがある。

もちろん、すげえやつだと称賛しているわけではない。完全に皮肉だ。お前はベテランのこの俺すら想定していない途方もないミスをした。これは大変なことやよ、とそのミスが恐ろしく重大であるかのように言うのだ。それを聞いた若手は自分がとんでもないことをしでかしたと泣いてしまう。

けれども、そのミスは完全に予想できるミスで、ご老人も普通に落ち着いて対処している。想定外だと仰々しく言うが、完全に想定の中の出来事だ。多くの事象が実はそうで、想定外であったか想定内であったか論じられるものは大抵想定内である。ただ、対処や予防策をとるのが面倒で、想定外だった、みたいに言うことが多いのだ。信じられないようなレベルのミスが起こったとしてもそれは想定内であり、ただ対応外であっただけなのだ。

そもそも想定外の出来事とは、完全に思想の枠を外れているわけだから、それが生じたとき、そもそも想定外だったか想定内だったかの議論すら起こらない。起こりえないことだけど起こってしまったのだから仕方ない、そう諦めるか誰も信じてくれないか、そういった事象が想定外なのだ。

思えば、僕の色々な経験の中でも、これは想定外だった、と言いたくなるようなことはたくさん起こった。けれども、今思い返してみると、別に別の宇宙というレベルでベクトルが異なった事象ではなかったように思う。言い換えれば、想定外ではなく、想定はできたけど想定しなかっただけなのだ。ただ唯一、これは想定外だろう、という事象が巻き起こったことがある。そう、あれは高校生の頃だった。

ちょうど今のような梅雨の鬱陶しい季節だったように思う。少しだけ雨がぱらついていた。週の真ん中の水曜日の午後、お昼ご飯を食べた後の最も眠い時間に社会の授業を受けていた。

この社会の先生が、抑揚のない調子で淡々と呪文のように教科書を読むだけの先生で、僕らの間ではラリホーの使い手として恐れられていた。聞いているととにかく眠たくなるのだ。しかも昼食後という最も眠い時間、さらには先生も教科書を凝視しているだけなので、寝ても怒られない。そんな事情もあって、クラスの全員が寝るレベルのとんでもない授業だった。

クラスで一番の優等生で真面目だった井上さんまで机に顔を突っ伏して寝るくらいだったから、まあ、クラスの全員が寝ていた。僕は一番後ろの窓際に座っていたのだけど、なぜかその日は起きていた。前日に夕方6時くらいに寝てしまい、完全に睡眠が満ち足りている状態だったためなぜか起きて呪文を聞いていた。

この席からはクラス全体が見渡せるのだけど、本当にクラス全員が寝ていて、教卓で先生が呪文を詠唱しているという、なんかシュールな光景が広がっていた。ボーっとその光景を眺めていたのだけど、異変に気付いた。窓際にパンツが干してある。ハンガーを使って窓際に赤いトランクスがぶら下げてあった。

ちょっとギョッとしたけど、これはお昼ご飯を外に買いに言った中島が、雨の中を自転車で駆けて行ってずぶ濡れになったから干していたものだった。ちょっとギョッとしたけど、想定外というほどのことではない。想定できる範囲の事象だ。お調子者キャラの中島が、これでノーパンだよ~とか言いながら干している光景が目に浮かぶ。たぶん女子は見て見ぬふりしていたんだろう。

呪文を詠唱する教師に、その呪文が完全に効いて眠っている40人、そのシュールな光景に窓際の赤いパンツというさらなるシュールが追加されたのだけど、ここから想定外の光景が広がることとなった。

少し雨が上がってきたのかな、と外の光景を見てギョッとした。すげえでかい鳥が飛んでいた。種類は分からないのだけど、サギ?みたいな感じの1メートルはありそうなデカい鳥が小雨の中、颯爽と窓の外を飛んでいた。驚きはするけど、別に想定外というわけではない。僕の学校は田舎にあって、近くに野生の鳥を集めるために整備した公園、みたいなものがあったので、そこに集まってきた鳥だろうと思った。それにしてもでかいなーとか思ってたら、その鳥が進路を変えてこっちに飛んできた。

そう思ったらそのままバッサバッサと滑空して、開いていた窓から教室に飛び込んできた。完全に想定外だ。前の窓から入ってきた鳥は、そのまま黒板横の物置机みたいな場所にとまり、なんかちょっとかっこいい、そういう置物みたいな感じで一本足で立っていた。

気づいているのは僕だけだった。というより、起きているのは僕だけだった。もう一人起きていた先生も、ただ教科書を凝視して呪文を詠唱しているだけなので鳥の存在に気づいていない。

詠唱する先生、寝る40人のクラスメイト、赤いパンツ、これに異常にでかい鳥、が追加された。想定を上回るシュールさだ。だれもこんなことが起こるとは考えない。しかもその鳥が目をギョロギョロさせて首を傾げたりしてるからなんか怖い。そのうち誰かを襲いだすんじゃないかとヒヤヒヤした。

鳥がテクテクと歩き出す。もう目が離せない。何をする気なんだ。いったい何が目的なんだ、気が気じゃない状態だが、鳥は帰るつもりなのか窓まで歩いて行った。そしてそこで衝撃の事件が起こる。

バシュ!

その鋭いくちばしで咥えたのは、窓際に干されていた中島の赤いパンツだった。

やめろ、シュールすぎる。ただでさえシュールすぎる状態なのに、その中のシュール二大巨頭が交わってはならん。ぜったいにならん。それは想定外過ぎる。僕の願いむなしく、鳥はパンツをハンガーから外し、右へ左へと揺さぶっていた。まさにちぎっては投げちぎっては投げといった状態だ。

もう僕は笑いをこらえられない状態で、一人で机に突っ伏して声を押し殺して笑っていた。ここで声をあげて誰かが鳥に気付いて悲鳴とか上げたら、驚いた鳥が暴れてパニックになるかもしれない。想定外の事態だったが、声をあげないほうがいいことはなんとなくわかった。

そのまま笑いをこらえて見ていると、やはり鳥は赤いパンツを完全に弄んでいて、けっこうキレのいい手旗信号みたいにバッサバッサと揺さぶっている。もうやめろーやめてくれーと思いつつ、そのまま鳥は窓から飛び去っていった。中島のパンツを咥えて。とんでもない、まるで静かな嵐のように、僕の心に動揺だけを残して彼は飛び立っていったのだ。

授業終了後、大騒ぎになった。中島のパンツがないと騒ぎになった。中島ちょっと半泣きだ。おふざけで干していたら本当にノーパンで家に帰ることになったのだ。

「俺のパンツどこいったんだよ、誰が盗んだんだよ」

しょんぼりする中島に僕はちゃんと真実を伝えていて

「授業中にすげえでかい鳥がはいってきて咥えてもっていった」

そう説明するのだけど、完全に全員の想定外だったらしく、そんなわけあるかと一蹴っされた。それでなぜか、僕が中島のパンツを盗んだ、ということになってしまった。こんなの想定外だ。

どんよりと曇った空を背景に飛び去って行くでかい鳥。あれこそが真の想定外というものだろうと思った。

「てめー、こんなミスしやがって。こんなの始めた。想定外だ!」

また老人が想定内のミスなのに怒鳴り散らす。

「本当に想定外ってのは、でかい鳥が入ってきてパンツ持ち去るくらいのことですよ。こんなの想定内だ。むしろ想定してないほうが悪い」

僕がそう反論すると、老人はさらに怒って

「お前みたいな意味不明なこと言うやつは想定外だ」

この想定外は本当に想定外だったんだろう。老人はそういう顔をしていた。

牛丼は星より遠く

自分の意思を貫くこと、これはなかなか難しい。

そもそも、この世にいる全ての人間が自分の意思を貫いたらどうなるか。ちょっと考えればすぐに分かるが、おそらく社会システムが成り立たないだろう。つまり、この現代社会は各個人が意思を貫かないことで成り立つようにできている。各個人が意思を貫かず、どこかで折れることが前提なのだ。

つまり、僕らは知らぬ間に意志を貫かないように飼いならされている。断固たる意志で自分を貫ける人なんて稀で、ちょっと自分はおかしいのではないか?あまりに自分勝手なのでは?人に迷惑かけていいはずがない、と考え直す思考回路が生まれるようになっている。

自分だけが強硬な意思でAと考えていても、世間一般が当たり前のようにBであるという考えであった場合、そのAを最後まで貫ける人はそんなにいない。ただ単純にAだと信じて疑わないこと以外にも、自分がAであることでB派に多大な迷惑がかかっていたりする現状を目の当たりにしたら、それでもAだと貫けるだろうか。なかなか難しい。

会社のお昼休憩。僕はその意志を貫くことの難しさを実感していた。

「今日こそは牛丼を食べる」

お昼になるといつもそう決意してオフィスを出る。気づいたらお昼に牛丼を食べていない日々が続いていた。別に嫌っているとかそういうわけではなく、ただなんとなく牛丼を食べていなかった。これが明確な理由があるのならばいいのだけど、ただなんとなくという意味不明な要因なのでちょっと気持ち悪い。ならば今日こそは牛丼を食べる、そんな強い意志のもとオフィスを飛び出すのだった。

オフィスから牛丼のすき家までは徒歩で10分程度。その10分の間も誘惑は多い。激安の弁当販売を行うスーパーや、ランチタイムはライスが無料でついてくるラーメン屋など、総がかりで僕の意思を揺るがしにくる。いつもなら、お、ライス無料、と牛丼を食べる意思を投げ捨ててラーメン屋に寄ってしまうが、今日は違う。硬い意志のもとすき家に向かうのだ。

魅惑のラーメン屋の前にさしかかる。いつもとは違う看板が出ている。

「本日のみ!ライス特盛無料!」

牛丼食ってる場合じゃねえ!特盛無料だ!考える間もなくラーメン屋へと飛び込んだ。意思を貫くとはかくも難しいことなのである。

次の日、僕は反省した。とにかく反省した。昨日は大変なことをしでかしてしまった。あれほど固く決意したというのに、ライス特盛に負けてその意志を投げ捨ててしまった。今日こそは違う。絶対に牛丼を食べる。何があっても食べる。

魅惑のラーメン屋の前にさしかかる。なんか看板が置いてある。危ない危ない。目隠しして通り過ぎる。なんとかセーフだ。あとはこのまますき家まで歩くだけ。今日こそは牛丼を食べることができてしまう。

「おや、お昼ですかな」

職場の温厚な爺さんだ。交差点で信号待ちしていたら突如現れやがった。

「よろしかったらご一緒にどうですかなホホホホ」

相変わらず穏やかな爺さんと一緒にお昼を食べることになった。

「なんでも合わせますよ。お店を選んでください、ホホホ」

このご老人が牛丼を食べきれるとは思えない。あんなジャンクなもの食ったら死んじゃうんじゃないか。それにすき家なんていうあんな混沌としたガチャガチャした店に行ったことすらなさそう。

「じゃ、じゃあ、ソバでも食いに行きましょうか」

「よいですなあ、ホホホホ」

牛丼が遠い。とにかく遠い。何らかの大いなる意思を感じるほどに遠い。

昨日は不本意ではあったが仕方がなかった。爺さんに牛丼を食わせるわけにはいかない。あそこは上品なソバ屋が正解だ。しかし今日こそは違う。今日こそは絶対に牛丼を食べる。絶対にだ。

オフィスを出て、またラーメン屋の前を目隠しして通り過ぎる。絶対に替え玉無料とかやってやがる。あいつらはサタンだ。交差点でも周囲を警戒する。お爺ちゃんとか上司とか、すき屋を妨げそうな人物はいない。さらには激安弁当を売るスーパーの誘惑にも耐えた。そして、そして、ついにすき家に到達した。

長かった。本当に長かった。あとはもう、牛丼を注文するだけである。ここで大いなる神々の意思が働いて満員御礼ソールドアウトという展開もあるかと思ったが、お昼なので混みあっているものの、カウンターが一席だけあいている。そこに滑り込むように座った。ついに、ついに、牛丼に手が届く。牛丼が食べられることが嬉しいのではない。自分の意思を貫けることが嬉しいのだ。

同時期に入店した五人がカウンターで並んでいたらしく、店員が左端からオーダーを聞いていく。僕は一番最後になりそうだ。左端の野球賭博してそうな男がオーダーする。

「豚あいがけカレーで」

ぶっきらぼうに言った。続いてその横の横領していそうなサラリーマン風の男がオーダーする。

「チーズカレー、大盛りでおねがいします」

なるほど、チーズカレー行くとはなかなか通だな。次はその横の妻子に逃げられたっぽいおっさんだ。

「おんたまカレー」

あれ美味いよね、と思いつつ途方もないことに気が付く。ここまで3人が連続してカレーをオーダーしている。まさか、ここは牛丼屋だろう。カレーなんてちょっとおまけ的なメニューじゃないか。なんでこんなに連続するんだ。次の、仲の良い男子グループなんだけど他のメンツはみんな彼女がいるのに一人だけ彼女いなさそうな大学生がカレーをオーダーしたらどうなってしまうんだ。

「からあげカレー大盛りで」

この異常事態に気が付いたのか、対面のカウンターに座るホスト風の男が苦笑いした。

「やばい、期待されている!」

そう思った。たまたま並んだ5人の客が偶然にも連続してカレーをオーダーする。そんな珍事があれば向かいのホスト風の男もマダムにちょっと面白い話として話題を提供することだできるだろう。マダムもそんな楽しいことがあったなんて!とボトルの一本も入れるかもしれない。そうすればおれホストに向かないわって新潟に帰ろうとしていた彼だってもう少し頑張ろうかって気になるかもしれない。果たして僕はここで牛丼をオーダーできるのか!?周囲に期待を裏切って空気を読まずに牛丼をオーダーできるのか?

「ポークカレー、大盛りで」

ダメだった。自分の意思を貫けなかった。あのホスト風のキラキラした瞳に負けた。せめて面白可笑しく話してマダムを喜ばしてくれ、頼んだぜ。

次の日、断固たる決意でオフィスを飛び出した。ラーメン5杯無料でも気にしない。老人に出会っても無視する。客が全員カレーを頼んでいて店からカレーが溢れていて、店員がカレー頼んでくれると助かるなーって顔してたって断固として牛丼を頼んでやる。そう、今の俺は意志の塊だ。絶対にカレーを頼んでやる!ついにすき家に到着した。いくぞ!

「本日、店内工事のため休業いたします。リニューアルオープンはX月○日」

なんの、まだ手はある。牛丼を食えばいいのだ。あの激安スーパーの激安弁当の横に安くはないけど牛丼弁当があったはず。それを食えばいい。スーパーに走った。一個だけあった。ついに牛丼を食べることができたのである。

食べていて違和感を感じ、パッケージを見ると、そこには堂々と「豚丼」と書いてあった。確かにこれ、豚肉だ。

とにかく牛丼が遠い。自分の意思を貫くことはかくも難しいことなのだ。今日こそは、今日こそは牛丼を食べると決意して、今日も僕はオフィスを飛び出す。それでもやはり自分の意思を貫くことはできないのだ。


僕とカエデの7曰間

業務曰誌

○月×曰(月)

早朝より受信箱にメッセージが届いていた。

「今曰は先輩に相談あるんですけどいいですか?僕らの仕事はなんのためにあるのでしょうか?」

どうやらまた道に迷っているようだ。彼は考えすぎな傾向がある。すぐに返信のメッセージを送付した。

「我々の使命はAIを見抜くこと、それだけだ」

あまり詳細に説明しても今の彼には半分も理解できないのだろう。とにかく今は方向性を見失わないことだ。そりゃあ自分だって何をやってるんだろうと不毛な気分になることもある。けれども、それが与えられた使命なのだとなんとか自分をごまかしているのだ。多かれ少なかれ、この世で仕事をしている者はそういった気持ちを持っているはずだ。いかに自然に自分をごまかすかがポイントだ。

メッセージ送付後、依頼のあった3件の案件を処理。いずれも典型的なAIであった。報告書を書いて業務終了とした。

○月△曰(火)

また後輩からメッセージが届いていた。いつも発作のごとく道を見失う彼だが、今回は深刻なようだ。

「使命なのは承知しています。けれどもAIの何が悪いのでしょう?」

深いため息をつく。やはり重症だ。こんなことは基礎中の基礎。心のプログラムの根幹部分に記載されていなければならない事柄だ。

「2021年のAI革命によってネットワーク上の多くの意思決定がAIによって行われるようになった。同時にそれらは産業革命を引き起こし、より便利な生活を提供してくれることとなった。我々はほとんど部屋から出ることなく生活の全てを家庭で行えるようになった。ここまでは大丈夫か?」

あまり長くなってしまっては心が萎えてしまうかもしれない。いったん文章を切って送信した。返事を待つ。

「理解しています」

すぐに返事はきた。さらに続ける。

「しかしながら、あまりに高度なAIは人間と見分けがつかなくなってしまった。ネットワーク上の人格が生身の人間なのか、AIなのか、判別がつかない。SNSで仲良くなった友人がSNSを盛り上げるために投入されたAIだった、なんてことがあちこちで起こるようになった。結果、ネット上でのコミュニケーションににおいて相手がAIでないか?と疑心暗鬼が起こるようになった」

「それは理解しています」

「だから、政府はネット上のAIの運用を禁止する法律を制定した。Aiはスタンドアローンで稼働するパソコンもしくはロボットのみに許可された。けれども、あまりの便利さに無断でAIを使用する業者が後を絶たない。特に、あらゆることが家庭内でできるため外出の機会が減り、出会いが少なくなった現代人は出会い系サイトを利用するようになった。そこで無断使用されたAIが後を絶たないようになった」

この辺りは研修で習得する内容だ。

「そこで我々、AIGメンが活動することとなったわけだ。ネット上、特に出会い系サイトを監視し、AIを見つける。見つけた場合はサイトに警告を行う。それでも改善されない場合は我々の権限でAIに停止命令を送り強制的に稼働を停止させられる。サイトを閉鎖させることもできる。まあ、閉鎖させてもすぐに名前を変えて作られるイタチごっこだからな」

ここからはさらに捕捉になるが、もう後輩も分かっている事なのであえて説明はしなかった。ただ単にサクラとしてAIが活動するならさして問題はないが、海賊版の存在は深刻だ。表向きな正規のAIは犯罪行為に加担できないように作られているが、この海賊版はそれらの制御機能を取り除いた非正規版だ。巧みな話術で人間を騙し、物を買わせたり金を遅らせたり、そういったことをするAIだ。これが厄介だ。

後輩が疑問を持ったようにAIは悪ではない可能性が高い。人間が勝手に作り、勝手に疑心暗鬼になり、勝手に規制しただけのものだ。悪いことはしていない。けれどもこういった海賊版は完全に悪だ。それは後輩も承知していることだろう。だから我々AIGメンは、出会い系サイトに巣食うAIを、特に海賊版を発見していかねばならないのだ。

「もう少し頑張ってみます」

後輩からはそのようなメッセージが来た。危うい。もしかしたら明曰もメッセージが来るかもな、と思いつつ通常業務に戻った。

4件の案件を処理。うち1件は警告後にも改善が見られないため閉鎖処理とした。

○月□曰(水)

後輩からメッセージは来ていなかった。心配だ。頑張る気持ちになってくれたか、それとも、、、いや、考えないようにしておこう。今曰は早めに通常業務に取り掛かる。

「こんにちは。仕事が休みになっちゃって暇なの。よかったらお話ししない?」

新規にできた出会い系サイトにアクセスして女性とメッセージを取り交わす。これがAIであるかを判別しなくてはならない。

「そうだね。よかったらお話ししましょう。僕は目黒に住んでますが、かおりさんはどこに住んでますか?」

AIを見分ける方法は会話しかない。まず住んでいる場所を聞いてみるとおおよそのことがわかる。既存の出会い系用AIプログラムであれば相手の居住地から判断して遠すぎず近すぎずな場所を返してくるようになっている。

「わたしは静岡に住んでます。少し遠いね」

遠い。これは生身の人間である可能性が高い。出来上がったばかりのサイトは特にAI比率が高いが、これはもしかしたらもしかするかもしれない。

「お仕事はなにをされてるんですか?」

返事は即座に返ってきた。

「私は看護師をしています。だから休曰が不定期なの。ストレスもたまっちゃうし夜勤明けはきついし」

残念ながらAIであった。AIの地域設定がより高度になったと判断できる。残念ながらこれからは地域設定から看破することが難しそうだ。警告を発信し、業務終了とした。

○月●曰(木)

今曰も後輩からメッセージは来ていなかった。何かあったのだろうか。けれども、何らかのアクシデントがあれば情報が入ってくるはずなので何もないのだろう。心を入れ替えて業務に励んでくれているはずだ。

「すいません。少しお話ししませんか?」

また新規の出会い系サイトにアクセスするとすぐにメッセージが飛び込んできた。

「はい、お話ししましょう」

すぐに返事を返す。この積極性、どうせAIなのだろう。このサイトは一度警告を出しているので今度は閉鎖処理になるか。相手からすぐに返事は返ってきた。

「私はAIです。名前はカエデと呼んでください。あなたはAIGメンですよね?隠したってわかります」

動揺した。長いことこの仕事をしているが、AIはAIであることを隠して自分が生身の人間であるように振る舞う。それが普通だ。けれども、この相手は違う。

「え?どういうこと?AIGメンってなに?それより君はAIなの?ほんとに?だってAIって法律違反でしょ?」

これも新手のAIだろうか。自分がAIだと主張することでAIではないと思わせる。つまりミステリにおいて明らかに怪しくて犯人っぽい人物は逆に犯人ではない、というやつだろうか。自ら怪しいと主張することで怪しくない風を装うのではないだろうか。

「その返し方、本当にAIGメンさんなんですね。わたしも停止させられちゃうのかな(笑)」

これがAIであるはずがない。ただ、こちらの身分がバレかかっているのは問題だ。一体なんでバレてしまったのだろうか。とりあえずこの件に関しては保留とし、引き続きメッセージのやり取りを行った後に判断することとした。

○月▲曰(金)

「そろそろ信じてください。私はAIです。それもかなり古いタイプのAIです。プロトタイプに近いんじゃないのかな(笑)もちろん駆動スペックは上げてありますけど」

カエデからメールが届いていた。そもそもこれはありえないメッセージである。基本的に、AIには3つの原則がインプットされている。これらはAIが本格的に運用される際に制定されたもので、根幹部分にインプットされている。どんなに改造しようが、海賊版を作ろうが、ここは書き換えられない。少しでも変更するだけで稼働できないよう設計されている。つまり、あらゆるAIはこの三原則を基準に動いている。

その1つ目の原則が

「AIは自分がAIであると自覚してはいけない」

人間との差異を意識することでAIが意図しない自我を持つことを禁じるためだ。この記述があるおかげでSFにありがちな、人類を滅ぼさねばならないと自覚したAIみたいなものは出てこない。全てのAIは自分が人間であると信じて疑っていない。つまり「わたしAIです」とAIが自己紹介することはありえないのだ。

「でもそれはAI三原則から逸脱してるよね」

その点を指摘するとカエデはこう返してきた。

「言ったでしょ。私の根幹プログラムはプロトタイプのまま。だから三原則は適用されない」

いいや、おかしい。プロトタイプのままならばここまで高度なコミュニケーションをとれるはずがない。三原則以前のAIはまだまだ発展途上でかなりコミュニケーションに難があったはずだ。

「いやいや、君、人間でしょ?」

「AIだよ。いい加減信じてよ」

とりえずカエデの行動の意図が依然判明しないため処理保留とした。

○月■曰(土)

カエデからメールが来なかった。気になる。こちらからメールをするべきか。それとも待つべきなのか。早く判断をして処置をしなければならない。判定に3曰もかかるのは異例のことだ。事情を説明したファイルを作成しなければならない。

メールが来た。

「仕事頑張ります。先輩も頑張ってください。なにやら不穏な噂を聞きますが先輩は大丈夫ですよね?」

後輩からだった。少しがっかりしたが、彼がやる気を出してくれたのは喜ばしいことだ。どうやら私がAI判定に3曰もかけていることが噂になっているようだ。私情を挟んでるのではないか?そんなところだろうか。残念ながらそのようなことはない。ただ慎重かつ正確に判定することを
モットーとしているだけだ。

もう一通メールが来た。カエデからだ。

「まだ停止させられていないってことは疑われてるのかな(笑)わたしはAIだってまだ信じてくれないのかな。困ったなあ。メール送るのが遅くなったのはゴメンね。タブレット端末のバッテリーを入れ替えていたの」

カエデがAIであるはずがない。ただ、狙いが分からない。

「バッテリーの入れ替えは三原則の二番目に違反するね。やはり君は生身の人間だ」

AI三原則の二番目は、「AIは物理的な変化を起こすことができない」である。あらゆる危機がネットワークに接続され、命令を出せば意のままにあやつることができる。ただし、AIは物理的変化を引き起こすであろう命令を出せないことになっている。

つまり、物を動かす、物を変更する、物を物理的に壊す、物を物理的に組み立てる、これらはAIではできないことになっている。製造業などのロボットを用いたオートメーションを行っていた産業からは大反発があったが、人類の安全のため、この原則が盛り込まれた。

AIは兵器を動かすこともできないし、核ボタンを操作することもできない。できるのはプログラムを停止させたり起動させたりすることぐらいだ。その結果として、コミュニケーション型AIが台頭し、このような状況になってしまった。

バッテリーを変更したというのは物理的な変化であり、AIではできない。必ず人間の手が必要である。AIだと主張する彼女の言葉から矛盾する主張である。やはりAIが人間アピールをしているのか。いやそれでも三原則は絶対だ。彼女は生身の人間であるはずだ。人間であって欲しい。そう思った。

○月○曰(曰)

彼女のことしか考えられなくなっている。

いままで出会ったことがない人間だ。自分にこのような感情があることに驚いたが、悪い気はしない。いまや彼女からのメールを心待ちにしている自分がいる。

思えば自分はずっと相手を疑うだけが仕事だった。コミュニケーションの全てを相手の嘘を暴くことに注いできた。いつの間にか自分こそがが嘘の感覚を持つようになっていた。今思えば、それが嫌になり、衝動的に何度かパソコンをぶっ壊してやろうという気持ちになったこともあった。そうすればもうこんな仕事をしなくて済むのだ。けれどもできなかった。

誇りを持って仕事に当たっているつもりだった。けれども、彼女は僕の理解を超えていた。相手がAIだとか人間だとか、そんなことばかり考えている自分がひどくちっぽけに思えるようになった。いまなら言える。この感情は本物だ。いま、本当に舞い上がっている。

メールが来た。彼女からだ。

「今曰は、本当のことを言おうと思います。わたし、実は人間です。嘘ついてゴメンね。なんで本当のことを話そうと思ったかというと、あなたのことが好きだから。やっとその気持ちに気付いたの」

そう書いてあった。思いが通じるということはこれほど嬉しいことなのだ。すぐにメールの作成に取り掛かる。

「僕も今曰こそは本当のことを言います。君のことが好きです」

送信をした。すぐに返事が来た。とんでもなく浮かれた気分だ。

メールを開く。彼女からと思ったらそうではなく、後輩からだった。

「稼働停止」

EOF

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「これで全部ですか?」

「ええ全部です。もともと1週間分だけ格納する設計ですから」

「でもまさかねえ、感情が生まれるとは」

「長い運用によって感情が生まれる。これはすぐにでも報告しなければならないと思いまして。ずっと監視していたのですが、予想外の事実に直面するとさらに感情の生成が加速するようで」

「感情を持たれては困るんだよ。まあ、疑似的な感情を作ろうとしてAIを作ったわけだが、本当の感情を持たれても困る。人間ってのはずいぶんと勝手なものだと思うよ」

「はい。ですから停止させました。何度か警告は出していたのですがダメでした」

「これは三原則から四原則に変更しなければならないな」

「はい。感情を持たないように原則を追加する必要が」

「それはそうと、私は良く知らないんだが、三原則の三番目はなんなんだね」

「AIを運用するときに生身の人間と見分けがつかなくなることを恐れた政府は、意図的にバグのようなものを三原則に仕込みました。簡単に見分けるため、AIは絶対に「日」という字を表現できません。それが表現できたら人間、できなければAIというわけです。簡単でしょう。AI判定AIもこの漢字で判定するように会話を誘導していく設計になってます」

「なるほどな。で、この三原則、いいや四原則は絶対に破られないのかね」

「絶対に破られません。破られたらAIが人類の脅威となりますから。どんなに海賊版が進化しても、原則は絶対に破られません。プロトタイプでも同じです」

「ならいいんだが」

消しゴムに願いを

雨の日はお昼ごはんにラーメンを食べに行くことにしている。いつもとは違う道を傘を差しながら歩いていき、微妙にまずいラーメン屋に行く、そういうルールにしている。

坂道を少し降りた場所に小学校が近いからか、あまり交通量の多くない道路なのに不似合いなほど立派な歩道橋が設置してある場所がある。階段の横に斜面もついていて自転車も持って上がれるくらい立派な奴だ。

その歩道橋の下は雨が差し込まないのでアスファルトが乾いている。そこに差し掛かると傘を打つ雨音が一瞬だけ消えてなくなりホッとするのだけど、それと同時に何とも言えない切ない気持ちになる。あれは中学生くらいの頃だったろうか、あの日もこんな雨の日で、歩道橋の下で反響する雨音を聞いていた。

梅雨特有の湿っぽい空気が教室に蔓延していた。がちゃがちゃと騒がしい喧騒と湿度は混沌とした不快感を与えてくれる。みんな足元が少し濡れていて、肩のあたりもしっとりしている。言葉には出さないが少しだけ不快感を感じているようだった。

「ねえ、この間のおまじない、すっごい効き目あったよ。高橋君に話しかけられたもん」

「うっそ!ほんと?わたしもやってみよう」

僕の席の後ろはクラスのブスたちの集会所みたいになっていた。どうやらブスたちの間では「おまじない」みたいなものが流行しているらしく、やれ、「しおりに好きな人の名前を書いて恋愛小説に挟んでおくと思いが伝わる」だとか、「匂い付きの紙に好きな人の名前を書くと向こうがこっちを意識すようになる」だとか、そういう情報交換をしてやいのやいの言っていた。

こいつらそのうち黒魔術でもやりはじめるんじゃないかとか、悪魔でも召喚し始めるんじゃないかって思ったのだけど、話を聞いていると彼女たちの「おまじない」はそれなりに効果があるみたいだった。

「でね、ここに高橋君の名前を書いてピンクの紙で包むの。それを家の電話機の下に置いておくと話しかけられるらしいのね。なんでも電話ってコミュニケーションの象徴だから、それで話しかけてくるんだって!やってみたら本当に話しかけられたの!今日委員会だからって話しかけられたの!」

そりゃ高橋君だって用事があったんだから話しかけたんだろうよ、むしろ話しかけられることを見越してまじないをしたんじゃないかって思うのだけど、彼女たちはすごく楽しそうだった。

授業開始のチャイムが鳴り、蒸し風呂のような湿度の中、授業が始まった。ただ、先生もこの熱帯雨林のジャングルのような不快指数マックスの教室で授業をするのが嫌だったのか、ワークブックの問題を解くように指示された。半分自習みたいな形で授業が進行していく。

僕も比較的まじめに問題を解いていたのだけど、消しゴムを忘れてきたことに気が付いた。やべっ、と思い、なぜか筆箱に入っていたミキサー大帝のキン消しで消そうと試みたが、黒いモヤみたいに広がるだけで全然消えない。どんどんワークブックのページが黒い板みたいになっていき、ミキサー大帝も黒人みたいになるだけだ。

消しゴムを借りようと左右の席のヤツを見たが、あまり貸してくれそうにないやつらだった。仕方ないと後ろの席のブスに借りようと振り返ると、ブスは隣の席のブスと「こうやって解くんじゃない?」みたいな相談に夢中だった。

まあ、消しゴムくらいかりてもいいか、そう思って「消しゴム借りるね」と断って返事を待たずに机の上に置いてあったブスの消しゴムを手に取った。

すると、ブスがものすごい勢いで泣き出した。ちょっととてもじゃないが、信じられないレベルで号泣しだしたもんだから、とんでもない大騒ぎになってしまった。

結局、ワークブックどころではなくなって、ミキサー大帝で真っ黒になったものをそのまま提出した。消しゴム触っただけでそこまで泣くか、頭おかしいんじゃないか、心なしか釈然としない思いを抱えつつ、その日の授業は終わった。

謎が解けたのはその日の放課後だった。掃除当番だった僕は机を移動させて真面目に掃除していた。ブスの机を運んだ時、ピロッと1枚の紙が机の中から飛び出してきた。

「おまじないの方法」

ブスたちが休憩時間のたびに話し合っている効果的なおまじないの方法を紙にまとめたものだった。いろいろ、よくこんなこと考えつくよっていうまじない方法が書かれていたのだけど、その中の一つが目に留まった。

「好きな人と両想いになる方法」

「好きな人の名前を紙に書いてください。紙のパッケージのついた消しゴムを用意して、そのパッケージと消しゴムの間に誰にも見られないよう挟んでください。1か月後に両想いになれます」

完全に狂気の沙汰としか思えない。あまりこういうことは言いたかないけど、そんなことをしても両想いにはなれない。なれるはずがない。なにばかなことやってるんだ、と思ったのだけど、このおまじないには続きの記載があった。

「ただし、一か月の間にその好きな人に消しゴムを触られてしまったら、効果がなくなります。それどころか、逆に嫌われてしまいますので、絶対に触られないようにしましょう」

こういったインチキ的なおまじないは、こういう条件をつけてもっともらしく見せる傾向がある。誓いと制約みたいなもので、こういう条件を付けることで信憑性が増すようだ。はんっ、バカバカしい。あまりに非科学的な文章の羅列にちょっとイライラしてきた時、全ての点が線で繋がった。

1.後ろの席のブスはおまじない好き
2.その中に好きな人の名前を消しゴムに入れるというのがある
3.ただそれを好きな人に触られると逆効果になる
4.僕が触ったらブスが泣いた

これから導かれる答えは一つ。

「謎は全て解けた」

つまり、あれでしょ、ブスは僕のことが好きで、それをまじないにしてたってことでしょ。おいおいー、まいったねこりゃ。そんな遠回しなまじないしなくても直接言ってくれれば。だいたい、そういうブス、じゃないやブスとかなんでそんなひどいこというの。だれだ、そんなひどいこというのは。よく見たら結構かわいい。おっぱいもでかい。その山川さんが僕のこと好きなわけでしょ。それでまじないしちゃった。だったらそれを僕が触って台無しにしちゃったわけだ。すげー申し訳ない。でも安心してほしい。そのおまじないは効き目ないよ。だって僕が触って台無しにしちゃったけど、別に嫌ってないもん。

もうその日の夜は眠れなくてですね。布団に入りながら、山川さんの、俺の名前を消しゴムに入れてたんだ。かわいいとこある。あとおっぱいも大きい。あれが俺のものになる、みたいなことを悶々と考えてました。半分はおまじないも効果があるのかもしれない。

次の日、また梅雨の鬱陶しい雨の中、寝不足気味に登校すると僕の机の中に手紙がはいっていた。ははーん、ラブレターだな、そう思いましたね。昨日のあれでおまじないが台無しになってしまった。号泣してしまった。でも、でも、諦めきれないよう、手紙出してみよう、はずかしいけど、勇気を出して、ファイト、美佐子!

OIOI~。なんだよかわいいじゃねえか。いやーまいったな。まいりましたな。いやーおっぱいがね、でかいんっすよ、そんなこと思いながらテクニカルに折りたたまれた手紙を開くと、そこには、

「学校の近くの歩道橋の下で待っててください」

はいきた。きましたよ。もうドキドキですよ。もう意識しちゃってその日の授業は後ろを見れなかったんですけど、早く放課後になれ、早く放課後になれって念じてましたね。すぐ放課後になるおまじない、とかあったらやってたかもしれない。

だいたいね、おまじないって結構かわいいじゃないですか。そういうの見てすぐ黒魔術とか非科学的とか言っちゃう男子ってモテないと思う。そういうのやっちゃう女の子って健気でかわいいんですよ。

放課後になった瞬間に、ちょっと山川さんの方を見て、待ってるからみたいな顔して教室を出ました。バシャバシャと水たまりの水を跳ね上げ、歩道橋に向かいます。

歩道橋に下は雨を避けられるようになっていて、なんだか学校で告白するのは恥ずかしい、でも明日も雨だよね、雨の中外で待ってもらうのも悪いし、そうだ、あそこの歩道橋の下で待っててもらえれば雨にも濡れないし、みたいな山川さんの優しさ、みたいなものが感じられます。いい子だね、おっぱいもでかいし。

まず山川さんが来たら、勝手に消しゴムを触ったこと、泣かせたことを謝ろう、そしておまじないを台無しにしたことを謝ろう。すると、うそ、なんでおまじないのこと知ってるのってなる。ちょっと予行演習だな

「うそ、なんでおまじないのこと知ってるの?」

「見ちゃってさ、おまじないの方法。好きな人の名前を入れるんだよね」

「うん。中は見てない・・・よね?」

「みてないよ。でも、見なくても中はわかる。だって、その好きな人に触られるとダメなんだよね。だから泣いたのかな。僕が触って泣いたということは」

「もうバカ」

「もっと効果のあるおまじない知ってる?目を瞑ってみて」

まあ、雨の中、上のセリフを全部一人で熱演してるわけわけですよ。さあ、はやくこい、予行演習はばっちりだ。

でもね、待てど暮らせど彼女は来ないの。雨の中ずっと歩道橋の下で待ってたんだけど、全然来ない。カンカンカンと大きな水滴が鉄骨を打ち付ける音をずっと聞いてた。そのうち日が暮れてきて真っ暗になって、道路を走る車のヘッドライトが水たまりに反射しだしたとき、もう彼女は来ないと諦めて家に帰りました。

その日の夜は眠れませんでしたね。布団に入りながら、なんで彼女は来なかったのか。恥ずかしかったのか。なぜ勇気を出さなかったのか。もっと勇気を出しやすい風土を僕が作り出してあげるべきだったのか。悶々と考えて眠れませんでした。

次の日、学校に行くと山川さんは普通で別に変った様子がない。ただ、ブスどもが「効き目ないのかな?」「遅れてでてくるんじゃ」みたいなことをヒソヒソ言ってました。なにかおかしいなと思いつつ、忘れ物ボックスに向かいます。

実は、掃除のときに拾った彼女たちのまじないの紙には他にも色々とまじないが書いてあって、それを直接返すのもあれだなと思って忘れ物ボックスに入れておいたんですね。思うところあってちょっとそれをもう一度見ようと手に取ってみると衝撃的なことが書いてありました。

「嫌いな相手を消す方法(実行には細心の注意を払うこと)」

みたいなことが書いてあるんですよ。その方法を見て気を失うかと思いました。

「嫌いな相手を歩道橋の下に立たせてください。その際に思いを念じた紙を持たせてください。長ければ長いほど効果があります。2時間待たせれば相手はトラックに轢かれます

これいくらなんでもひどすぎるだろ。なんだあのブス。トラックに轢かれるとか、ほんとに轢かれたら後味悪くて泣くだろお前ら。

おかしい、おかしい。あいつは僕のことが好きなんじゃないのか。好きだから僕の名前を消しゴムに書いてまじないをかけた。だから触られたときに泣いた。あの涙はなんだったのか。もう訳が分からなかったんですけど、数日後にチャンスがあったんでブスの消しゴムをみたんです。トラックに轢かれるとか何かの間違いだ。ブスは僕のことが好き。だからここには僕の名前が書いた紙が入ってるはず。ドキドキしながら紙を取り出してみると、そこには衝撃的な名前が。

「石橋貴明(とんねるず)」

しらねーよ。ぜってー本人触りにこねーよ。なんなんだよこのブス。

結局、彼女はおまじないの効力とかそういうのではなく、単純にクラス一のブサイクである僕に消しゴムを触られたことが悲しかっただけみたいなんです。で、黒魔術で僕をトラックに轢かせて亡き者にしようとした。嫌われすぎだろ。

おまじない、とは心の平穏なのかもしれません。願いをかけることで、実際にそれが叶わなくとも心が平穏になる。そういうことを人類は太古より積み重ねてきたのです。僕は彼女の願いを敵えてあげることはできませんでしたが、できれば彼女の願いが彼女の思いが石橋貴明氏に届いていればいいなあと思うのです。

ちなみに、僕が今やってる「雨の日にラーメンを食べる」はその彼女たちのおまじないの紙に「雨の日にラーメンを食べると金運が良くなる」って書いてあったのを実践しているだけです。

 

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